生きることを忘れないで-1

生きることを忘れないで-1

C1-072 素ッ裸


 私は愚かだ。

 愚かで、救いようのない駄犬だ。


「どういうつもりかは知らないが……あんたの選択、楽しませて貰おうじゃないか。」


 何を選び、何をしようとした?……違う、私は何も選んでなどいない。選べてなどいない。

 消去法だ。私は最初に選んだ道で、私の何よりも大切な人を救えなかったから、この道を選ぶしかなかっただけだ。

 貴女の事を、殺したくなんてない。貴女達の事を、選べないなんて言えない。でも、私は失敗した。

 技研都市での妨害を止められなかった。足掻いても、藻掻いても、まるで何かの強制力に後押しされるかのようにスネイルに鹵獲され、主人共々捕まった。

 嬲られた。いつかの日の私に逆戻りしたように、散々この身体を穢され、爛れた欲望を叩きつけられ、散々弄ばれた。だが、そんな事はどうだっていい。

 重要なのは、私が私である意味をくれた、あの人を救えなかった事だ。それだけが心残りで、一縷の望みに掛けて、まだ進んでいない道を進むしかなかった。


「ビジター……お前の勝ちだ……」


 勝ちたくなかった。貴方に勝って、貴方達を殺したくなんてなかった。いやだ、また私は喪う。また、私には何も残らないのか。いやだ、いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!


「随分と派手に打ち上げたものだな、戦友。それとも……ルビコンの解放者と呼ぶべきかな。」


 貴方をこの手で殺さなくて、良かったと思った。貴方を殺した時に、山程後悔した。貴方が隣にこうして並んでくれて、せめてもの救いになった。

 絶望の箱を開けて、最後に残った希望を探し集める。貴方を生かす為に死物狂いで戦って、せめてこの手に残ったものだけは手放したくないと強く願って、機体を動かし続けた。


「……独立傭兵レイヴン、駄犬というのは訂正しましょう。貴様は……駆除すべき害獣だ!」


 どうでもよかった。貴方の恨み節、叫び、その全てがどうだってよかった。貴方がいなければ、私の大切な人が何処に居るか分からないなんて事は無かった筈なんだ。

 憎いとか、殺したいとか、そういう感情さえも湧かない。ただ、私の目の前から消えればいい。私の大切な人を返してくれればいい。何処に居るのか、それを吐いてくれればどうにだってなってしまえばいい。

 私は大義名分なんて背負ってない。ルビコンを解放するとか、そんな事も、何もかもがどうでもいい。強いて言うならば、エアは助けたい、ラスティも生きていてほしい、たったそれだけだ。

 この手に残った二人が、生きていてほしい。行方知れずのウォルターが、生きていてほしい。探したい、今すぐにでも探しに行きたい、生きていてほしいと強く強く、何よりも強く願っている。


「そんな……私は、企業だぞ……!?最後の、プランを―――ウ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ーーーッッッ!!!!!」


 その慟哭に、価値を感じなかった。貴方だって何かを背負っていたのかもしれない、貴方だって何か苦労していたのかもしれない。でも、私は女、愚かな雌犬。貴方のように、男の人のように強くなんて在れやしない、何にもなれやしない、大切な人の付属品として、ただ愛玩されて愛されて、愛に塗れてその手で穢されたい。

 どうしようもない、愚かな女です。だから、どうか死んでください。何も教えてくれないなら、私は貴方に何も感じてあげられないの。


「……終わったか、戦友。こちらも……どうにか片付い―――」


「ラスティの機体反応が、消失……!?」


 耳を、疑った。

 私の大切な人が、また一人零れ落ちた。

 絶望した。何も残らない結末に、また終わるのかもしれないと。私は、また誰もこの手に残せないのか、誰も私を抱きしめてくれないのか、誰も愛してくれないのか、誰も助けられないのかと。

 苦しい。

 何故、どうして私は。なんで、なんでこんな苦しんで、カーラとチャティを殺してまで、こんな。

 ……ああ、そうだ。きっとそうなんだ。何も選ばなかった罰だ。これは、私に対する罰なんだと思った。

 神様はいない。そんなの知ってる。私を地獄から掬い上げてくれた神様は、ウォルターただ一人、その彼すらもいない今に、どうして救いなんて求めたのか。

 ……会いたい。

 会いたいよ、ウォルター。会って、抱きしめてほしいよ、ウォルター。私のことを、抱いてほしいよ、ウォルター。

 熱い口づけをしてほしいよ、貴方の温もりがほしいよ、貴方の愛を注ぎ込んでほしいよ。貴方に沢山愛されて、穢されて、傷つけられて、沢山貴方のモノだという証をこの卑しい雌犬に刻み込んでほしいのに。

 どうして。




「あとは、ラムジェットエンジンを破壊するだけです。」


 ぽっかりと空洞になった心に、最後残った一人……いや、人とさえ数えられるか怪しい、ただ一人の友人を想う。貴女すらも助けられないなら、もう私に生きる意味はないだろうと。

 ルビコンで名を馳せた個人。私という名、借り物の名前。レイヴンという呼び名に、私としての価値はない。

 誰も、誰も"私"をその名を通して見てなどくれない。私を"私"として見てくれるのは、最早たった二人だけだ。

 生きているか知れたものではない、大切な人。消去法でもその手を取った、エア。

 この二人だけが、私を見てくれる。だけど、だけど、だけど。

 ……どうしてこの先に救いが在るなんて、間違った願いを持ってしまったのか。


「……621。」


 心臓が、跳ねた。


「そこにいるのは……お前なのか……?」


「うぉる、たあ……?う、ウォルター、ウォルターっ!わ、私、だよ……?ず、ずっと、探して―――」


 迷いなく返事をした。ずっと、ずっと探していた、ずっと生きていてほしいと思っていた願いが、叶ったと、愚かにも信じて。


「俺は……。621、お前を……消さなければならない。」


「―――ぇ、あ……え?」


 そうだ。お前が救われるなんて事、ある訳ないんだ。

 目の前に立ちはだかった、現実。その言葉に、全ての希望は喪われた。


「ウォルター……!?このACは……機体からコーラル反応、危険です!」


 迷いなく引かれた引き金に、襲いかかるウォルターのACに、手も思考も何もかもが震え、まともに応戦出来ない。

 戦いを望まれた兵器、強化人間として何処までも欠陥品な私には、貴方を倒すなんて、とても、とても。


「企業の命令を……いや、友人たちの使命……障害を、排除する……」


「……。やらなければ、貴女が危ない。応戦を、レイヴン!」


 形ばかりの抵抗が、それでも機体を傷つける。致命傷にはならず、ただ悪戯に消耗戦だけが続く。

 戦いの精細は遥かに欠いていた。一度の繰り返しから来る経験による強さは、最早形無し。精神的動揺、大切な人へ弓引く事実、全てが私の首を絞める。


「声が見える……621、お前の隣にいるのは……そうか、見つけたぞ、火種を。」


 倒すに至らない、じゃれ合いに満たない削り合いが続いて、ぽつぽつとウォルターが言葉を連ねる。

 どう考えても、正気ではなかった。私がそうされたように、彼もまた再教育を受けて、アーキバスの駒とされていたのか。

 それでも、私は撃てない。私は、撃墜まで踏み込めない、踏み込みたくない。


「レイヴン!ルビコンの大気圏内に突入します!時間が……急いでください!」


 急ぎたく、なかった。この瞬間が終わってほしいとも、思えなかった。

 貴方がもうまともに生きていけないなら、この瞬間が永遠になって、ずっと目の前で生きている事だけを噛み締めたい。

 でも、それは許されない。愚かな私に許される幸福ではない。これは殺し合いだ、これは戦いだ、これは私への、罰だから。


「一度生まれたものは……そう簡単には死なない、火種から消さなければ……。」


 私が貴方に対して生まれた、この情全てがそうだ。一度生まれた親愛は、愛情は、哀願は、何もかもはもう死なない、消えない。

 だから、だから、だから。


「コーラルを焼けば、俺達の仕事は終わる……。お前が稼いだ金だ……再手術をして、普通の人生を……」


「う、ウォ、ルター……!」


「レイヴン……!ウォルター!このままでは……!」


 その言葉で、もう、何もかもがどうでもよくなってしまった。

 赤い剣が、コーラルの輝きを爛々と灯す刃が機体を貫いた。



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