甘い赦し
顔と手を36回洗った。腕を21回洗った。
なのに、手の震えがおさまらない。
「中務さん、大丈夫?」
「あ……はい!本官の心配はなさらず、どうか、先へ行っていただけますか?ちょっとだけ、休みますから」
「ついていこっか?」
「あ、いえ、大丈夫です……」
「無理しちゃダメだよ」「保健室、一階ね!」
笑顔を作って、廊下を行く仲間を見送り、階段を降りていく。
一段降りるたびに気分も落ち込むようだった。
「あ、新入りちゃん!今日の銃撃、すごかったね!」「本当神業って感じだよね。転校前はどこだったの?私、ミレニアムなんだけど……」
純粋な賞賛だが、気分は沈むばかり。
同僚を打ちのめしたのだから、当然か。
一階。保健室前には、誰も見当たらない。
幸運だ、と思い、駆け込む。
中には、ソファと、ベッドがあった。寝てしまいたくもあったが、遠慮してソファに座った。
疲労と後悔が背中にのしかかる。顔を覆う手のひらが、涙で濡れた。
ごめんなさい、ごめんなさい。誰にも許してもらえないことなど分かっていたが。
頭も痛い。砂糖もない。
「……本官は」
鉄の口をこめかみに押し当てる。発砲した。
だが衝撃のひとつも来ない。
「…………………は」
わかっていたことだった。『砂糖』に頼らなければ、銃を当てることもできない。
追い続けてきた理想を裏切り、共にいた仲間を傷つけたことに、耐えられなくて、キリノは啜り泣きしていた。
「…………いました♡」
そんな彼女に、声が降ってきた。妖艶な声だ。
ホースを腕や胴体を絡みつかせ、透けたワイシャツのボタンを開け、中にはおそらく下着しか付けていない、妖艶に笑うピンク髪の『女』。普段のキリノなら、変質者として取り締まるはずの風貌をしていた。
「……あなたは……」
甘さを振り撒く、汗に湿った肌の彼女は微笑んで言う。
「初めまして、♡補習授業室の浦和ハナコです。ハナコちゃんって呼んでくださいね♡」
「……ハナコさん」
「つれませんね」と苦笑する彼女は、キリノの右に座って、「どうしましたか?」と聞いてくる。緑色の深い視線に、包み込まれる。
「落ち込んでいる様子でしたが……」
「……その、」
「もしよければ、私たちに話してくれませんか?キリノさん」
…………頭で、この女が凶悪な犯罪者なのはわかっていた。
だけど、
───ゆるされたい。
その欲求と甘い色香に、キリノは抗えなくなっていた。
ーーーーー
「本官は……」「はい」
「……仲間の、方々を」「……そうですか」
「……」
ーーーーーー
「ごめんなさい……ごめんなさい……!!」
「……………」
ーーーーーーー
「…………辛かったですよね。
わかりました……今日はヒナさんが他の子のお悩み相談中なので、代わりに私が」
「?」
「───場所を、移しましょうか♡」
ーーーーーーー
頭痛に苛まされながら、鼻腔を甘い匂いに満たされ移動した先は、薄暗い部屋だ。
そこには一つ、大きめのベッドがあった。
「お疲れですよね?
そこに横になってください♡」
ためらいながらも従う。
「そのまま、バンザイしてください」
「……?」
甘さに脳が浸されて、あたまがうまくはたらかない。
かちゃりと、聞き慣れた音がした。
手錠のロック音だ。
「───どういう、」
「キリノさん。今から、あなたの未練を断ち切ってあげます♡」
自分にマウントを取るハナコ。
彼女は、蛇のように目を細めた笑顔のまま、こう言った。
「キリノさん。あなたはもう、ヴァルキューレ警察学校には戻れませんよ」
分かっていたことだが、ハナコの言葉に胸が締め付けられる。
「カンナ局長にも、同僚のドーナツ好きな子にも、誰にも許してもらえません」
「っ」
「戻ったら逮捕されちゃいますよ?」
嘘。嘘嘘嘘。治療になる。
……でも、そうなるかも、しれない。
「警備局に転科なんてむりですし、生活安全局からも。あなたは手錠をかける側じゃなくって、かけられる側になるんです。ちょうど今のように」
いやだ。いやだ。でも実際にそうだ。
「というか。そもそもですが。
……砂糖なしで狙ったところに当たらない人が」
「やめ、て……」
「警官をやってていいんですか?」
「っ」
キリノだって考えないわけではなかった。
『砂糖』で百発百中になってから、むしろその悩みは増すばかりだった。
そこを突かれてしまえば、もう。
「では、本官は、どうすれば、いいんですか……もう人々の平穏も守れない、それを見て微笑む資格も、許されることも、なにも、なにひとつ、できない……それなら、っ、本官は……!?」
慟哭するキリノは抱きしめられた。
愛された、と思ってしまった。
「キリノちゃん」
「……大丈夫です。私が許してあげます。仲間だった人たちに銃口を向けられても、私が許してあげます。
だから、私を守ってください」
「でも、それは」
「大丈夫です。あなたの仲間やあなたが守るべきだった人は、これからもう敵です。
でも、それでも罪悪感が残るなら。
私が、私だけが、あなたを許してあげます」
媚香に体を包まれるなか、その静謐な声はあまりに尊く、天啓のよう。
「……………………………ハナコ、さん」
「はい。なんですか?」
笑顔は、なによりもやさしくて。
「ください、」
「はい?」
「ゆるして、くださいっ…………ほんかんを、ゆるして……」
縋りつく、声を上げた。
「…………いいですよ♡」
ハナコは、湿った舌に粉砂糖を乗せ、
キリノに、それを近づける。
「……ほは、ろうほ(ほら、どうぞ)♡」
落ちる粉砂糖だけでは、足りなかった。
「……っ!」
キリノは噛み付く犬のようにハナコの唇へと顔を近づける。
快活な白い髪と、妖艶なピンクの髪が重なる。
まるで貪るように、少女は、赦しをくれたひとの口腔を蹂躙する。
「ハナコさん、ハナコさん、っ!……もっと、もっとぉ……っ」
「いい子♡」
「……ああ、あ……っ、ありがと、ございまひゅ、ありがとうございます、おねが、おねがいしまひゅ、おねがいします、おさとうください、っ……ほんかん、ほんかん、はぁ……っ」
「キリノちゃん、ダメですよ」
鼻先の距離で、拒絶される。
「は、い?」
「『本官』は、警察の名乗りでしょう?
だめですよ。その資格は失ってます。もうあなたは、私側の人間なんですから」
「…………………では、なんと」
「私、と」
「ですが、本か───」
「『わ・た・し』♡」
「……で、すが」
「ダメです。
でないと、ゆるしてあげません♡」
その言葉は。
「わ、」
正義を志す少女の心を折るのに、
「……わかり、ました」
十分すぎた。
「……わ、わ、たし……」
「もういちど♡」
「わたし、わたし……わたし、私、は」
「なんですか?」
「はなこさま、わたしに、ください」
「なにを?自分の言葉で、はっきりと♡」
「ハナコさん。お砂糖(ゆるし)を、私にくださいっ……」
「……ふふっ」
魔女の笑いが聞こえた。あざけるようだった。
「もうダメなんです、耐えられないんです、
頭が痛くて、
許して、皆、ごめんなさい、
許してください、ごめんなさい、ごめんなさい、私を許してくださいっ、
おねがいします、ハナコさん……っっ」
そして。
「かわいい……」
「───ひゅ、っ」
「私と同じところまで、来てください♡
そうしたらず〜っと……許してあげます♡
ダメダメでも、なんでも、何があっても、私だけは♡」
「はい……っ!」
もう与えられる言葉全てが心地よかった。
キリノは本能で動いた。
パトロールによって引き締まった黒脚を、肉付きの良いハナコの太ももに絡ませる。
唇をむさぼった。
触れるたびに輪郭が溶けていって、甘さが自分の心の奥まで満たしていく。
「はぁ、っ、はっ」
離れないで。
離れないで。
おねがいだから、わたしをもっと許して。
だめなわたしを、みすてないで。
足の締め付けを、もっと強める。
「あはっ……♡」
ねだるようなその動きが、ハナコもたまらなく可愛らしくなってしまって、ご褒美の『砂糖』をさらに口移し。
「っ……!れろっ、ん、っ……!」
「ふふ……♡舌、出してください♡」
「……んぇ?」
ぽたり。
「───!」
唾液を垂れ流される。
甘い、甘い、天上へ堕ちそうな。
落ちる。
喉が鳴る。
飲み干した。
「まだ欲しいですか?」
「っ、っ!」
「警察失格♡もう顔向けできませんね?」
「ぁ……」
「でも、私は、愛してあげます」
「〜〜〜〜っ、ぅ、ぁ……!」
甘い言葉が欺瞞だって分かっていた。
でも、それすら、嬉しい。
本来取り締まるべき薬物と罪人を、その体液ごと受け入れてしまう。
「……っ」
縋りつくように足を背中へ絡ませる。
抱きしめられないのがもどかしかった。
が、ハナコの方からも、胸を押し付けるように、心臓の音を響かせるように、キリノに服越しの体温を預けてくる。ハナコのホースが器用に動いて、ぴりっ、ぴりっ、と、キリノのタイツを破いていく。
だが白かった少女はそれに気づかない。
地下室で彼女の口の中に染みついた砂糖すら削ぎ取るように舌を動かし、火照った肌と甘い視線を魔女に向ける必死な姿には、
「ゆるひて、くださ、ぃ……」
子どもに憧れられるような警官の面影は、既になかった。
ハナコは、おかしそうに笑って、「キリノちゃん。ちょっと、離れてもらえますか?」と、冷たい視線で射抜く。
「え、っ、ぁ……」
何かしでかしてしまっただろうか。
「あ、ああ、ごめんなさい、っ、ひ、ひぁ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい皆さんごめんなさいふぶきさんごめんなさいごめんなさい……本か、ぁううああああ、っ、っ、わたし、私、私は……」
怯えた子犬のように体を縮ませ、
「ハナコさん……」
目をつむるキリノの耳に、
カチャリ。
音が聞こえる。
それは聞きなれたもの。
手錠が外れた、音だった。
「……ぁ」
あ。
「どうぞ♡
許してあげます♡」
そしてハナコは、二音を発した。
それが、最後の一線だった。
○
犬は砂糖を啜り悲鳴のように喘ぐ。
毒の蜜を垂らす魔女はその様に微笑んだ。
無様によって自分の主人を悦ばせることに喜悦する犬。
正義が自分と同じ目線になることを失望しながら悦ぶ魔女。
どこまでも、白かった少女は堕ちていく。
底の、底まで。
○
そして出来上がるのは無音の狙撃手。
「───」
濁った目で敵を撃ち抜き、倒す様は。
「お帰りなさい、キリノちゃん♡」
「ハナコさんっ!今日も全弾命中させてきましたっ!ですから……その、
私に、ご褒美(ゆるし)をくださいっ」
己の罪悪感の解消を、飼い主にしおらしく求める様は。
まさしく、あさましい犬のようだった。
【caution!】
【ここから先はトゥルーエンド後の舞台裏となっております】
【読後感をさらに害することとなっておりますがよろしいですか?】
【はい】◀︎
【いいえ】
「『甘い甘いお砂糖を、私にくださいっ』!!『もうダメなんです、耐えられないんです』!!『頭が痛くて、許して、許してください』!!『私を許してくださいっ、おねがいしますハナコさん』……!!」
「カットカットカットカット。元気良すぎ!修行パートで『師匠の技を教えてくれ……!』ってゲザってる主人公っぽい!
ここはもっとエッチにだよキリノ!!Rの壁を突き破るんだ……!!」
「う、うう…………!!
ですが了解いたしました。本官の償い、でもあります……ハナコさんくらい色っぽく、ということですね」
「そうだよ!!ね、ハナコ!」
「ふふふそうですねその通りです♡───…………あっ、かひゅっ……!」
「あああっ!ハナコが羞恥のあまり倒れてしまいました!」