猫ばさみ

猫ばさみ

空色胡椒

「平和だ…」

「ンナァ~オ」

「ユキさんもそう思うか?」

「ニャー」


軽く返事をしてから、あごの下を通る拓海の指の感触にゴロゴロと喉を鳴らす猫。雪のように真っ白な毛並みと、拓海とおそろいの深い青色の瞳。首元には飼い主からの愛情の証ともいえる青いリボン。ここはプリティホリックアニマルタウン支店。その店先にある休憩エリアに、拓海は座り、彼女を撫でていた。プリティホリックの新店舗を見たいというここねの希望で、招き猫探しと合わせてこの町を訪れた際に知り合ったこの店の店長の娘であるまゆと、その家族であるユキ。ここねを中心に4人がまゆと仲良くなってコスメを見たり、テストしたりする中、拓海はユキと交流したのだった。


今日はここねに付き添う形で来た拓海。同年代で同じ趣味を持つまゆとここねは波長も合うらしく、時々遊びに行くようになっていた。天気は晴れ、太陽が辺りを明るく照らす中でも、屋根があるその場所は日が直接当たらないため暑すぎず、また時折吹き抜ける風が心地よい、まさに絶好の休憩スポット。そこで拓海はささやかながらも楽しい交流を深めているのだった。


本人としては仲良くなったつもりで入るけれどもそこは猫。気まぐれな性分であるため、これも気が向いただけかもしれないことも承知の上で、拓海は彼女に会っている。それでもこうして膝に乗ってくれていることを思えば、それなりに懐いてくれているんじゃないだろうかと期待はしてしまう。特に大きな事件もなく、穏やかな時間が過ぎていく─


「あら?珍しい場所で、珍しい人を見つけたわ」


─そう思っていた時が、拓海にもあった。


長くてふわふわした紫の髪が風になびくのを軽く手で押さえるようにしながら現れたのは、面白いものを見つけたと言わんばかりの微笑みを携えた少し年上の少女。その仕草だけでやたらと雰囲気が出るような美貌とオーラを持っている彼女を見てしかし、拓海の内心としては「うげっ」である。


気まぐれで、気ままで、自由。近づいたと思ったら遠のく様はまさに猫。それでいてどこ敵わないと思わせる資質を持った少女。先日のこともあり琴爪ゆかりは拓海にとっては若干苦手な相手であった。


近づいてくるゆかりに対して拓海も距離を取ろうか悩んだところではあったが、現在彼の膝の上にはユキがいる。急に動いて驚かすのも忍びないというその判断が、彼にその場から動くことを許さなかった。


「琴爪先輩…な、何故ここに?」

「別に、ただの気まぐれよ。いちか達がそっちの子達と仲良くしていてね。この場所のことも、前に一緒にスイーツを作ってた時に話してくれたの」

「はぁ…それで、今日はコスメを見に来た、ってわけでもなさそうですね」

「あら、察しが良くて助かるわ」


あっという間に拓海のすぐそばまで来たゆかりは、彼の隣に立ちながら膝の上で丸くなっているユキを見下ろす。


「なるほど。この子ね、あなたが最近夢中になっているっていう子は」

「え?」

「ユキ…ね。確かに名前の通り、綺麗な白ね」

「そこまで知ってるんですね…」

「ええ。だからちょっと興味があって、ね」


そう話す拓海とゆかりの様子を─より正確に言えばゆかりのことを、ユキは拓海の膝の上に丸くなったままじっと見つめていた。その視線に気づいたらしきゆかりが目だけを一瞬ユキへと向け、視線を交わす。


「ふ~ん」

「えっと…琴爪先輩?」

「ねぇ、あなた。前に私が言っていたこと、覚えてるかしら?」

「へ?前って」

「猫って、縄張り意識が高いって、言ったわよね?」

「いや、あれは冗談って」

「そうやって誤魔化そうとするの?あなたの体に、ちゃんと刻み込んでいたのに?」


言うが早いか、拓海の背後に回り込んだゆかりがするりとその腕をあの時のように拓海に絡ませる。座っている拓海に対して、後ろから覆いかぶさるようにしながら、腰の方へと回した手で、未だ薄く傷跡の残る辺りをそっと撫でる。


「まさかこんなところで知らない猫にまで現を抜かしているとは、思ってもいなかったけど」

「いや、琴爪先輩は確かに猫っぽいと言われることもあるけど、ユキさんは正真正銘猫ですし…」

「そうね。むしろ普通の女の子相手なら特に気にしなかったかもしれないわ。でもね…」


そう言って今度は拓海の手の甲にある真新しい三本線─ユキと触れ合う際についた傷をそっとなぞるようにしながらゆかりは囁く。


「私以外の猫に、簡単に傷をつけられていることが我慢ならないのよ」


そうして拓海の傷に上書きでもするようにその爪をあてて、力をこめ─


「ダメ」


─ようとしたところ、突如聞こえた声と現れた手によって阻まれるのだった。



「は?」

「何?」


誰かが近づいてくる気配は全くなかった。それなのにその手は拓海とゆかりの正面から伸びて、ゆかりの手首を取り、拓海の手から離していた。


さらに言えば、拓海としては大きな違和感があった。先ほどまで膝に感じていた重みが全く異なるものに変わっている。膝の上におさまっていたはずの小さな温もりは消え、今拓海の膝の上には正座を横に崩したような─いわゆる女の子座りの少女の足が乗っており、目の前に見えていた景色も、水色の服と淡い金色にも美しい白にも見える髪にさえぎられている。


「え?」

「あなた…一体?」

「これは私の傷。あなたに上書きなんてさせない」

「…そう。流石に驚いているけれども、そういうことなのね」

「そういう事って?ユキさんは?君は一体?」

「そんなの決まってるじゃない。この子がそうよ」

「え?」

「ええ。私はユキ。拓海にこの傷をつけた猫で、まゆの家族のユキよ」


そう言いながら少女はゆかりに向けていた視線を拓海に向ける。白く透き通るような肌と、拓海を見つめる深い青色の瞳。それは確かに、拓海が先ほどまで膝に乗せていたユキの特徴と一致している。何より今の彼女の体勢…まるで最初から拓海の膝の上にいたかのように現れ、ユキが消えている現状。状況証拠的にも、彼女の言葉は事実…なのだろう。


「ユキさん…なのか。けど、その姿は一体?」

「話すと長くなるわ。本当ならこの姿のことは秘密にしておくつもりだったの。でも、そうも言っていられなさそうだったから」


そう言って視線をゆかりに戻すユキ。猫の時にも見せたことのあるやや不機嫌そうな表情を浮かべているユキに対して、ゆかりは挑戦的な笑みを返す。


「猫が人間になったのか、それとも人間が猫になっていたのか。どちらにしても、面白いわね、あなた」

「そう?でも、あなたは面白くないわ。さっきの、見せつけてるつもりだったの?」

「どうかしらね。でも、あなたにはできないことだと思い込んでいたのは認めるわ」

「そう。でも残念。やろうと思えば、私にだって」

「は?わっぷ」


ユキがそっとその腕を伸ばし、拓海の頭を抱え込む。ユキが拓海の膝の上にいたこともあり、丁度拓海の顔が彼女の胸元にあたるような形で抱き込まれ、頬に暖かくやわっこい感触が確かに感じられた。流石にそれによって、状況に戸惑っていた拓海も照れを感じる。


「ちょ、ユキさん!?流石にこれはっ」

「?別にいいのに。私が猫の時にもしてたでしょ?」

「え、いや…そう言われるとそうなんだけど」

「いつもは抱っこされる側だけど、する側もいいわね。なんだか心がポカポカするわ」

「そ、そうか…そりゃよかった、けどさ」

「?拓海もいつもみたいに抱っこしてもいいのよ?それに、私の匂いも吸ってたのだし」

「いや、そうだけれどもっ」


いわゆる猫吸いは確かにまゆとユキの許可のもとしたことはある。だがそれが適用されるのはあくまで猫に対しての話であり、人間の姿のユキにそれをすることは、なんかもう、色々と絵面が大変なことになってしまう。


そうは言いながらも抱き込まれた状態で呼吸すると、必然的に顔に押し付けられているユキの身体が発する匂いも嗅いでしまう。猫の時の彼女と同じような安心を与える匂いと共に、人間の姿になったことで変わったのかどこか香水のような上品な香りが混ざっていて、拓海の鼻腔を刺激する。


「あらあら。随分と楽しそうね。でも、独り占めは良くないんじゃないかしら」


ゆかりの声が聞こえたかと思えば、今度は拓海の背中側を別の温もりが包み込む。頭を抱え込むユキに対して、ゆかりは背中側から手を伸ばして、拓海の腰まわりを抱き込むようにしながら、無理やり拓海の後ろに座り込む。それなりに大きいとはいえ、本来一人で使うことを想定されている座席、そこに3人も無理に座ると流石に狭くギュギュっと主に拓海が圧迫される。


くすりと笑いながら、拓海の肩に顎を乗せながら、ゆかりが囁く。


「うふふ。あなた、やっぱり面白いわね。私とこの子を狂わせる…まるでマタタビみたい。知ってる?マタタビの実って、若いものはヒリヒリした辛みがあるのよ。まるでスパイス…黒胡椒みたい、ね」

「邪魔をしないで。今は私と拓海の時間なの。私の縄張りに、勝手に入ってこないでもらいたいわ」

「さて、どうしようかしらね。むしろここも私の縄張りにしてあげてもいいくらいなのだけれども」

「やってみなさい。でも、私は私の大切な場所を脅かす相手に、容赦するつもりはないから」


何やら自分のすぐ近くでバチバチ火花が散っているような錯覚すら覚えるやり取りに、間に挟まれた拓海はどうしたものかと考え込む以外にできることがなかった。と、


「拓海先輩、お待たせしまし…た?」

「ユキ~、お待た…へ?」


今日の交流を楽しみ切ったらしいここねとまゆが出てきて、目の前の光景に思わず固まってしまうのだった。


ここねからすると自分の付き添いで来ていた拓海が見知らぬ美少女に乗られ、いつの間にか来ていたゆかりに後ろから抱き着かれているという修羅場。


まゆからするといつの間にか来ていた見知らぬ女性が拓海に背後から抱き着いており、秘密なはずの人型になっているユキが拓海を抱きしめながらバチバチと火花を散らしている状況。


いずれにしても、状況を理解するのに数秒の停止時間が発生するのも無理のないことだった。


「た、拓海先輩!大丈夫ですか?」

「あわわわわわわ、ユっ、じゃなくて、え~と…」

「まゆ…」

「あら、ここねも来てたのね。あなたも混ざりたいのかしら?」

「混ざっ…ちちち、違います!あの、それよりもゆかりさんと…えっと、あなたも拓海先輩困ってますから」

「どうして?拓海はいつもはこうするの、すごく楽しんでるわよ」

「ちょっ、それ誤解招いちゃうから!違うの、ここねちゃん。今のはね、」

「楽しんでる…?抱き着かれるのを、楽しんでるって…拓海先輩?」

「ちがっ…いや、違くはないけど違う!あ~、なんて説明したらいいんだこれ!?」

「そうよ。彼も楽しんでるみたいだから。ここねもそうしたいならしてみたらいいんじゃない?知らない場所でされるのは癪だけれども、今は目の前にいるし私も構わないわよ。あなたもどう?」

「ひぇっ、わわわわ、私はその…そういうのは、ちょっとどうかなって。それに、拓海さんも困ってるみたいだし」

「そう?残念。ここねは?」

「わ、私は…その…た、拓海先輩はして欲しいですか?」

「この状況でそれ聞くのか!?芙羽、混ざらなくてもいいからとりあえず助けてくれ」


その後、ここねがゆかりを、まゆがユキを何とか拓海から離すことに成功したはいいものの、ユキの正体にここねが驚かされたり、突如現れたガルガルとの戦闘で拓海たちとまゆたちが互いにプリキュアと関係者であることが知られたりとひと悶着があるのだが…


それを経てもなお─いや、むしろさらにゆかりとユキとの板挟みになる拓海の姿がそこにはあったとか…



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