猫との遭遇

猫との遭遇


「あぁ…もう、いいか…」  


 大臣にパーティから抜けるよう勧められた瞬間、ケンシの中で何かが切れた。彼自身、優秀とは言い難い性格と実力ではあったが魔王討伐という使命に対してそれなりに向き合ってきた自負があった。


(それが…今の状況はどうだ?父上には失望され、レオンにすら敗北する始末、おまけにパーティまで追放されるなんてな)


 大臣に言われるがままパーティ脱退の署名を行い、フラフラと王城を出た。このあと父から修練場に来るように言われていたが……


「知るかっ!俺じゃなくて環境が悪りぃ!」


 乗馬能力で馬を召喚すると颯爽と関所を出た。ケンシにとって父親の言葉を無視するのは始めての経験であった。


「クソ見てぇな家の言いなりになって下心で魔王討伐なんてやり始めたのがそもそもの間違いだったんだ!」


 そう言いながら闇雲に走り始める。パーティの下に戻るでもなく、適当に道を進む。どうせ方向音痴なのだ、この際誰も知らないところまで駆け抜けていくのも悪くない気分だった。


……………………


 そうして数ヶ月、一人でアテの無い旅をしていると地図にはない大きな集落が見えてきた。と、いうより突然目の前に現れたのだ。このような大きなものを見逃すはずがないのだが…。


「なんだ!?……魔族の気配はしねぇが…人間の気配も……しねぇな、不気味だぜ…」


 ちなみに今のケンシの見た目はボロボロになっていた。食料は乗馬スキルで馬を召喚すれば量は困らなかったが食用ではない以上、美味いと言える物ではなかった。

 それに整容も川で体を洗う程度、手持ちの武器では髪も髭も伸び放題で一見するとケンシとは分からない状態であった。


「無人なら設備を使わせてもらうか……願わくば誰か住んでると有り難いが…」


 馬を降りて里に近付こうとすると…地面が消えた。


「うおっ!?なんだっ!?」


 突如として現れた穴に落下する。かなり深い穴に叩き付けられたケンシは、それまでの疲労もあってそのまま気絶してしまった…。


………………


 ざわざわとする声にケンシは目を覚ました。ぼんやりする頭を立て直すと、自分が縛られていることが分かった。


「なっなんだ!?」

(クソッ魔族のアジトだったってか……)


「おい、人間」


 自分を囲んでいる集団の一人が声をかけてきた。よく見ると頭から動物の…猫の耳が生えている。


(猫の耳…?まさか!?)


「おい、返事ぐらいしやがれ!」


「テメェらクオンツ族か」


「チッ…その目…ムカつくぜ、お前も他の人間と大差ないみたいだな」


「あぁ!?」


 ケンシにとってはある意味最悪の状況であった。クオンツ族といえば石死病のキャリアであり、その特徴は頭から生えた猫の耳であったのだ。


「落とし穴にハマった間抜けを助けてやったんだから感謝ぐらいしてほしいもんだぜ」


 水色の髪をしたクオンツ族は呆れたようにため息を付く。そしてその後ろから長身で明らかに纏う雰囲気が異質な女のクオンツが現れた。


「貴様……何が目的でこの地に現れた、誰の指示じゃ、正直に答えれば命までは取らん」


 その威圧感は自分の父親などまるで子供に感じられるほど凄まじいものであり、思わず視線を反らしてしまう。


「……誰の指示とかねぇ、適当に野宿を繰り返して馬で走ってたらここに着いた」

「偶然、じゃと?」

「そうだ、というかいきなり建物が現れたんだよ!俺は見ての通りボロボロだからなにか設備や物資を分けてもらえたらと思ったら…」


「落とし穴に落ちちゃったんですね」

 今度は同じく長身ながら長い黒髪の大人しそうな女クオンツが声を出した。ケンシはその姿に一瞬魅入ってしまう、一言で言うなら…好みのタイプだった。

 ケンシのあんまりな見た目は無謀な旅をしたことに説得力があり、一旦誰かの刺客である説は保留となった。


「……助けてくれたとは知らなかったんだ…悪かったよ」

「フンッ!アイツほどじゃないにしても人間にしちゃ話が分かる方みてぇだな」

「無礼を承知でいうが、ここがクオンツの住処だっていうならさっさとオサラバしたいところだ、ロクな礼も出来ねぇが俺もまだ死にたくはない……馬ぐらいなら出せるぞ」

「いらねぇよっ!てか俺達は石死病とはなんの関係もねぇっ!その目をやめやがれっ!」


「よせオニキス、皆が皆あやつのように行くわけではない、悪意がなくとも流布された悪評を信じるものもおる」


 コハクはどこか寂しそうな目でケンシを見る。


「すまんが、すぐにお主をここから出すわけにはいかん、生憎じゃがワシらは人間を信じておるわけではないらな」


「……分かった、生きてここを出られるなら滞在しよう」

「それに!お主の身なりは酷いものじゃ…ついでにゆっくりと療養してゆくが良い」

 ケンシはいつぶりかの人の優しさに触れ、自然と頬を熱いものが流れた。

「ワシの名はコハクじゃ、ここの族長をやっておる、困ったことがあったら頼ってくれ」


………(数日後)…………


「ふっ!はっ!やっ!」

 夜の里の外れ…威勢の良い男の声が響いていた。ケンシが剣の素振りを行っていたのだ。色々と投げ出してもなお、彼にとっては剣以外に拠り所はなかったのだ。


「こんな時間まで鍛錬ですか?無理をしては明日に響きますよ」


 コッコ達の世話を終えたルリがその様子を見かねて声を掛ける。朝早く起きて夕方まで里の雑用を熟し、夜遅くまで素振りと剣術の型の鍛錬を行っているのだ。


「ルリさんもこんな時間までお疲れ様です」

 ここ数日、クオンツ族との交流ですっかり毒気を抜かれたケンシはここに来る以前よりもいくらか爽やかな青年然とした性格になっていた。


「明日も早いですし…一緒に寝床に戻りませんか?それに……」

「?」

「いえ!なんでもないんです」

 ケンシの鍛錬の非効率さを指摘しようとして思わず口を紡ぐ。ゴシン術のことがどこから漏れるか分からないため、明らかに間違った方法で鍛錬を積んでいる気になっているケンシを放置せざるを得なかったのだ。

 しかし、それは同じく日々鍛錬を積むルリにとっては余りにも忍びない光景に映っていた。


(でも…少しぐらいなら…)

「そ、その…いつも大振りな攻撃ばかりを行っておられるので、素早い牽制などは行わないのかな〜と思いまして……いえ!その!生意気かもしれませんが……」


 今のルリにできる最大限のフォローだったが…

「ええ!敵は一撃で、それが無理なら二撃で倒す、牽制よりも力付くでケリをつける方が効率的でしょう?」


 自信満々にそう答える彼を見て心の中でズッコケる。それが出来たら理想的だが、それが出来ないから鍛錬を積むのである。


「え、えぇ…」

 しかし、本格的に教えを説くのは一族への背信行為になってしまうため、苦虫を噛み潰しながら笑顔を作るしか無かった。


………………………


 次の日も、その次の日も……ケンシは暇さえあればブンブンと剣を振り続けた。その甲斐あって剣を振る速度や力はやや増しているようだが、やはり非効率極まりない。

他のクオンツ族は半ば呆れながら遠巻きに見ているだけだったが…


「ケンシさん、上段斬りだけじゃなくて下段や突きも見てみたいです!」

「ケンシさんって他にはどんな技が使えるんですか?」

「ケンシさん!やっぱり素早い小技を使えたほうが便利じゃないですか?」


 唯一彼が深夜まで鍛錬を続けていることを知っているルリはどうしても見捨てることができず、同族が寝静まっている夜に限り、遠回しにアドバイスを行っていた。


「なんだかルリさんのリクエストに応えてたら、いつもより気合が入る気がしますよ!」

「あはは…全くもう」

 そんなことを繰り返していたある日、昼に食卓を囲みながらオニキスがケンシに質問をした。


「なぁ、そういえばなんだってお前はあんな格好でほっつき歩いてたんだ?」

「ん?あぁ…情ねぇ話だがよ…」

 ケンシはここまでの経緯を徒然なるままに話始め、皆んなはその話を静かに聞いていた。


「はぁ…マヌルをクビにしておいて俺もアイツを笑えねぇ…」


 その瞬間、その場にいたクオンツ族全員の毛が逆立った、比較的好意的だったルリですら眉間にシワを寄せている。


「な、なんだよ…お前らアイツと面識あったのか?」

「オマエがマヌルをあんな目に…!?」

「あ、あんな目ってなんだよ!当然の判断だったんだぞ!?」


「何故!何故あのように優しい方をクビになんてしたんですか!」

 ケンシは慌てて釈明するが、全員理解はすれど納得はいっていない様子だった。非常に気まずい空気が流れる中、コハクが口を開いた。


「……なるほど、お主の言葉にも一理はある」

「族長!!」

「……こやつが嘘をついていない以上マヌルにも否があったようじゃし、あやつの受けた仕打ちにこやつは直接的には関係ない」

「でもよ…」

「弁えよ、じゃが……一つ大きな間違いがあるのう……」

「何…?」

「マヌルはお主より遥かに強い、レベルを差し引いてもの」

「馬鹿な!アイツがどれだけ強くなったか知らねぇが所詮薬師だろ!?」

「……ルリ」

「は、はい」

「組手じゃ、ケンシとな…ゴシン術の使用も許可する」

「……はい!」


 ケンシは訳が分からないまま武闘場に上がる。彼にもまだプライドは残っており、よりによってマヌルなどと比較されてはたまらない。ルリは素手を構えるが、ケンシは迷いなく木剣を構える。


「……怪我しても恨みっこなしですよ」

「勿論です、なので…全力で来て下さい」


「ヨシ……始め!!」


 コハクの号令でケンシは先手必勝とばかりに大振りな技を繰り出す。


「はぁぁぁ!!」

 しかし、ルリはまるで当然のように身を躱し、すれ違いざまに掌底を打ち込む。


「ぐぁっ…!まだだ!!」

 踏みとどまったケンシは振り向きざまに再び大振り一閃、しかしそれに当たるほどルリは甘くない。


「ぐぁっ…ぬぁ…くっ…」


 流石にケンシもいくらか修羅場をくぐってきただけあって大きく体制は崩さないものの、ルリの連打に防戦一方であった……そして


「隙あり!」

「しまっ………ぐあっ!」


足払いをかけられて浮いた所に容赦のないスタンプ攻撃が決まる。完全に制圧されたケンシは負けを認めるしか無かった。


「ぐっ…ルリさん…こんなに強かったとは」


「……ちなみにマヌルさんは私よりこの武術を使いこなしています」

 ドクンとケンシの心臓が跳ね上がる。今の自分では何回やってもルリには勝てないことを理解させられたからこそ嫌でも自覚した、自分は最早マヌルよりも弱い存在になっているということを。 


「俺の…今までは…全部間違っていたのか」 

「なぁ……ケンシよ、間違えることは罪ではない、過ちを認めて改心すれば良いのじゃ」

「ははっ慰めにもならねぇよ…誰よりも強さを求めていたはずなのに…俺は…誰よりも弱えぇ…」

 ケンシの心は今、完全に折れてしまった。己の人生の滑稽さに笑いすら込み上げてくる。自信満々にルリに技を披露していた昨日の自分を殴り飛ばしてやりたいところだ。


「強さを求める…か、お主は何故強さを求めているのじゃ」

「……最初は父上に認められるため、次は誰もが俺を認めざるを得なくするため……」

「ふむ…自己顕示欲か…浅はかじゃの」


「言ってくれるぜ……名家のボンボンに生まれるのも楽じゃないんだぜ?……だがよ、今となっちゃ分からねぇよ…」

「ならば捨てれば良い、そんな強さなどいるまい……戦いを捨て、ここで暮らして行けば良い」


「……!」

「そ、そうですよ!折角皆さんと仲良くなりましたし!ここで一緒に生活しましょう?」


「……すみません、それでも俺の職業は剣士、結局…戦うしかないんです」

「そんな…!」

「そうか、ならば仕方あるまい…ルリよ、ケンシに目隠しをして里を認識できないところまで運んでやれ」

「いいのかよ」

「ああ、お主は誰かの指示で動いていたわけでもなさそうじゃし…いたずらにこの里を明かすこともあるまい」

「それは約束するぜ」


「……寂しくなるの」

「……ああ」


 ケンシは一通り皆に挨拶をしたあと、ルリに連れられて里を出た。……しばらくすると異変が起きた。


「ケンシさん!逃げて下さい……キャアッ!」

 その声を聞いてケンシは反射的に目隠しを外す。そこに居たのは四匹のシャドウフォックスであった。


「馬鹿な!帝国領のご当地モンスターがなんでここに…」

「ケンシさん!ここは任せて逃げて!貴方の手に追える相手じゃない!!」

「しかしルリさん!」


 ルリは果敢にシャドウフォックスの群れに攻撃を仕掛ける。その動きは見事であり、複数いるシャドウフォックスを"各個撃破"できる強さを発揮していた。


「ダメなんだルリさん!!シャドウフォックスは一気に全員倒さないと…!」

 言っている間に一匹が光となって消え、返す刀でもう一匹も消滅した。

(あと二匹…!!)


 しかし次の瞬間、シャドウフォックスのハンマーがルリを捉えた。

「かはっ……なんで……」


 ルリは大きく弾き飛ばされ、負傷する。怒り狂ったシャドウフォックスが追撃を仕掛けようとするが

「ルリさんに手を出すんじゃねぇ!!」

 ケンシが渾身の一撃を見舞う。しかし強化されたシャドウフォックスには傷一つ付けられない。


「ゲゲーーーーーッ」


 特徴的な泣き声をあげてハンマーを振るう。ケンシは避けきれずに防御するが、彼の実力では防ぎきれず吹き飛ばされる。

 奇しくもルリの近くに飛ばされたケンシは目の前でルリが持ち上げられる所を這いつくばって見ているしか出来なかった。


(情ねぇ……俺はどこまで情ねぇんだ……)

 自分が惚れた相手が眼の前で今にもトドメを刺されそうなのに、指一本すら動かすことができない自分に怒りが湧き上がってきた。


(俺は……所詮口だけの男で終わっちまうのか、たとえそうだとしても……)

 もう一匹のシャドウフォックスがケンシのそばに立ち攻撃の準備をしたその瞬間であった。


「ルリさんだけは守ってみせる」

 ケンシが起き上がり際に振った剣はシャドウフォックスを横一閃に両断した。


「ゲッゲゲゲーーーーーーッ!!!」


 残された一匹は怒りの頂点を迎え、さらに強化されるものの冷静さを失い、武器とルリを投げ捨てケンシに襲い掛かる。

「テメェ…ルリさんを雑に扱ってんじゃねぇよ!!」


 そう言いながらもケンシは冷静に完璧な迎撃姿勢からシャドウフォックスを迎え撃つ。

(喰らいやがれ……!!)

「見様見真似ヴァンダライズ!!!」


 その一撃はシャドウフォックスの上半身を吹き飛ばし、痛みを感じる間もなく絶命させて見せた。それを見届けたケンシはルリに駆け寄る。


「無事ですか!?」

「はい……ケンシさん、その顔の文様は…」

「?」


 窮地に立たされたケンシは、自覚のないままにゾーンの1つ"限界突破"を開眼したのだ。


…………………………………


「全く、出戻りは流石に想定外じゃぞ…お主が傷だらけのルリを担いで帰ってきて里は大騒ぎじゃ」


「仕方ねぇだろ、緊急事態だったんだから」


「ふぅむ、しかしルリから聞いたぞ?あやつすら敵わなかったモンスターを討ち取ったとな」


「あぁ……それでよ、アンタが言ってた質問の答えが見つかったよ」


「?」


「俺は…これから大切な人を守るために強さを求める」


「ほほぅ?」


「だからよ……一回断っておいて難だが…俺をここに置いてくれねぇか」


「それは構わんが……大切な人、のぅ?」


「……何だよ」


「コッコ達は強敵じゃぞ〜〜?」


「あいつらがライバルなのか!?」


「それから!この里の一員になるならばゴシン術をお主に伝授してやる、明日からはお主もここで鍛錬すると良い」


「……!はいっ!ありがとうございます!!」


 かくしてケンシの第二の人生が始まった。この後、彼はクオンツの里に人間の街へお使いへ行く役目を請け負ったり、その過程でエルフとクオンツの橋渡しの大役を仰せつかったりするが……それはまだまだ未来のことである。


 

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