猛毒を持って毒を制す

猛毒を持って毒を制す

魔王五条誕生


「悟、桃鉄100年をやらないか?」


それは夏油傑にとって、大きな賭けだった。



1週間前。


机が三つ並んだ教室は、夏の鮮やかな西日で赤紫に染まっていた。

未来ある生徒たちが健全に学ぶ場所。

だが、今は似つかわしくない匂いが立ち込めている。


「最近吸いすぎじゃない? 硝子」


呆れよりも心配の乗った声に、家入は開け放した窓から視線を外した。


「何か悩み事? 私でよければ聞くよ」


向き合った夏油は暑さにも負けず、元気そうだった。

いや、少しは疲れているかもしれない。


星漿体護衛任務から数日。

天元と天内理子の同化は予定通り行われ、護衛自体は成功した。

だが、任務にあたった五条と夏油にとってはベストな結末とは言えなかった。


二人は天内が望むなら、同化を阻止することも考えていた。

しかし、天内を暗殺しようとした刺客によって黒井が死亡し、天内は同化を決意することとなったのだ。


呪術師である以上、ここで落ち込んでいる訳にもいかない。

二人はそれをよくわかっていたし、あれから特級術師としてそれぞれ任務に励んでいる。

護衛任務前と変わらない。

普通の、呪術高専の日常だ。


でも。


「足りないんだよね」


「ん? 何か言ったかい?」


家入はまだ残っていたタバコの火を消し、夏油を見つめた。


「私がやってほしいことがあるって言ったら、協力してくれる?」


もちろん、と当たり前のように返される。


「じゃあ、悟の首をきってくれ」


教室はすっかり暗くなっていた。






夏油は自室に戻って頭を抱えた。


一歩間違えば親友を殺すことになる。


大変なことだとわかっていて、切羽詰まった同期からの願いを断ることもできなかった。


頭の中で、泣きながら肩を掴んできた家入の言葉が反響する。


「殺したいわけじゃない、ショックを与えるだけだ」

「あいつを誰よりも強くしないといけないんだ、そのためにはこうするしか……!」


何が何だかわからない。


放っておいたら家入が一人で五条の首を取りに行きかねないし、そうなっては家入が無事では済まないだろう。

そうでなくとも、あれだけ思い詰めていれば夏油の予測を超えた事態になるかもしれない。


五条はすでに強い。

殺す気でやったとして、実際に殺せる確率はかなり低い。

それに万が一の場合は家入が反転術式で治療できる。


だから、最終的に家入の頼みを引き受けた。


しかし、どうすればいいのか。

あの五条に瀕死の重傷を負わせるなんて、その前にこちらが致命傷を負わされそうだ。

それに、うまくいったとして、今より強くなった五条に恨まれて殺される可能性は?


「強くしないといけない、か……」


夏油は痛くもない肩をさすった。



そこでこの賭けである。


桃鉄100年のプレイ時間は大体30〜40時間とされている。目標は全駅の制覇と資産のカンスト。

ぶっ通しで遊ぶことで精神的に疲れさせ、徹夜のダメージで判断能力を奪う。

クリア後、五条が無下限を解いている隙をつく。


ただし、疲れで判断能力が下がるのは夏油も同条件である。


「っあ゛〜! この貧乏神祓ってやろうか?!」


何も知らない五条はイライラしながらもゲームに熱中していた。

始めは後のことを考えて緊張していた夏油も、久しぶりに親友と遊ぶことが楽しくなっていた。


(このまま今日みたいな日が続けばいいのに)


呪霊を取り込み、祓い、取り込み、祓う。

嫌になるような繰り返しの中でも、仲間がいてくれるこの場所を離れたいと思ったことはない。


家入は詳しく話さなかったが、五条が死の淵で覚醒しなければこの日常は危ういらしい。


ゲームもそろそろ終盤だ。


「なんか海外にも物件あんだけど?! 

いいね、俺たちもいつか旅行しようぜ!

南の島とかさあ〜」


「ははっ、そうだね」


夏油はただ、大切な仲間と一緒にいたいだけだった。



朝から茹るような暑さだ。


蝉がうるさい。


空の青が徹夜明けの目を容赦なく刺す。


桃鉄を終えた五条と夏油は、飲み物を買いに自販機にやってきた。


「あれ、硝子じゃーん」


家入が自販機の陰から顔を出した。

ここまで、作戦通り。

覚悟はとっくに決めていた。


近づいてきた五条の腕を、後ろから家入が拘束する。

夏油は素早く用意していた小刀型の呪具を五条の喉に突き立てた。


「ッ?!」


さらに大型の呪霊複数体を一度に襲わせて追い討ちをかける。


すぐ祓われるが想定内だ。

初手でかなり失血しただろう。

この場合は質より量、ありったけの雑魚を追加し五条の動きを封じる。

呪霊のストックはまだ残っている。


夏油は後ろに家入を庇って、青空に飛び散る赤を眺めた。


蝉の鳴き声だけがいつまでも耳に残っていた。



結論から言って、五条悟は最強になった。


なったのだが。


「俺から離れようなんて二度と考えるなよな」


五条は家入とはまた別の何かを思い出したようだった。


あの日、一度は輝きを失った青が再び澄んだのを見たとき、夏油は自分の命もここまでかと思った。


殺されても仕方のないことをした二人だが、五条は恨むどころか夏油が消えることを恐れているようだった。

それに、なぜか悩みがないかしつこく聞いてくる。


正直言ってメンタルが心配なのは五条のほうだ。

術師としての実力は右に出る者がいなくなったにも関わらず、放って置けない不安定さを感じさせる。


夏油は責任をとらなければならない気がした。


親友を呪ってしまった責任を。




蝉が鳴いている。




五条が夏油と家入を連れて南に飛び立ったのは、そのすぐ後のことである。





Report Page