独り占め

独り占め


 洞窟に二人は入っていく。

 その体はボロボロ、体中のあちこちに穴ができて血が噴き出していた。

 傷の周りの服は黒く焼け焦げ、受けた傷のダメージを物語る。


『八尺瓊勾玉』


 先ほど、交戦した追手の声が聞こえた気がした。

 迂闊だった、としか言えないだろう。

 ある意味、三大将の中で最も恐ろしい相手を前に、森に身を潜めるという選択をしてしまった。


 そんな愚策の前に出された答えは無数の光弾。

 姿が見えないのなら視界全てを圧倒するまで。

 強力な戦力を有するがゆえにシンプルな回答。

 ボロ雑巾になったウタは苦笑する。あれは卑怯だと。


「ちょっと疲れたね……」

「……ああ」


 バタリと二人は倒れ込んだ。

 黄猿による攻撃だけではない。連戦に次ぐ連戦により、もう体は限界を迎えていたのである。


 断絶する意識、か細い呼吸を立てて眠る。

 微睡みの世界は温かい。このまま溶けてしまいそうな程に……


 自己の境界も曖昧になる間際。

 ルフィは覚醒し、立ち上がった。

 やはり、逃げ切れはしなかったようだ。


 驚きはない。

 その強さはよく知っている。

 故に絶望もないのだ。


「行かねぇと」


 まだ眠り続けるウタの頬をそっと撫でる。

 最近は辛い表情、悲しい表情を見せることが多かったけど、寝ている時だけはそれらから解放されていた。

 シャンクスと一緒にいた頃のような、曇りない穏やかな顔。


 ルフィは洞窟から出ていった。

 この中で戦っては、どうやっても寝ているウタを巻き込む。

 だから、少女が少しでも安らかに眠れるように、ルフィは戦うのだ。


 そうして洞窟の中にウタは一人。

 安らかに眠り続けた。


 先頭の音が遠く聞こえる。

 はじめはど派手に鳴り響いていたのに、徐々に小さくなっていく。

 きっと、片方の勢いが削がれているからだ。

 その片方が誰かなど明らかだった。


——ホントにこれでいいの?


 凪いだ水面のように穏やかな無意識の中。

 幼い声が響いた。




 いいよ、もう、いいの。

 結末は決まっていた。限界まで逃げ続けた体はもう動かない。

 このまま眠っていたい。つらい現実から逃げてしまいたい。


——死んじゃうよ?


 死ぬってなに?

 現実の肉体の有無なんて私には関係ない。

 ルフィと一緒にウタワールドに行ってしまえばいいのだから。

 だから、もうこのまま……


——幸せだね


 うん、私はこれでいい。

 これで満足。


——でも、ルフィは幸せなのかなぁ


 ルフィ?

 幸せだよ。幸せに決まって……


——ホントに?


 ……ルフィは、空想の世界には興味なかったね。

 何度教えても、暴れまわることに夢中で。

 きっと、ウタワールドじゃ窮屈なんだろうなぁ。


 ははっ、幸せなのは私だけか。


——ホントにこれでいいの?


 いいよ。私はこれで。

 でも、ルフィは駄目だね。

 ルフィはきっと幸せになれないよね。


 なら、きっとこれじゃ駄目なんだ。

 私だけが幸せなんて、そんなの卑怯じゃん。


——だから


 うん、だから立たないと。

 よく考えたら私、まだ戦ってない。




 ウタは目を覚ました。

 全身を刺し貫く痛みに悶えながら、目に涙を溜めて隣を見て、不細工な笑みを浮かべる。


「いない、じゃん……これじゃ、ウタワールドに連れてけないよ」


 人が選択する間もなく飛び出していったらしい。

 そうだった。ルフィとはそういう奴だった。

 自分だけウダウダとしていたらあっという間に取り残される。彼は今も進み続けているから、破滅した今もずっと。進み続けるのだから。


「ルフィ……!」


 力をかき集め、地面に噛みつくように地を這った。

 無様な姿。どこぞの情報操作新聞に写真でも撮られたら、世界の笑われ者になること間違いなしであろう。


 今の問答は何だったのか。

 すべては妄想に過ぎないのか。

 どうでもいいことだ。


 重要なのはルフィがこれでは幸せになれないということだ。

 彼を地獄に道連れしておいて、どの口がという話だが、それでも意地を張ろう。

 ハッピーエンド以外はゴメンだと。


 洞窟を出た先で繰り広げられていたのは一方的な戦闘。

 フラフラのルフィを容赦なく痛めつける黄猿。

 光の速度で蹴られ続けた顔は腫れ上がり、酔っぱらいのように足元は覚束ない。

 だが、決して倒れることはなく、雄たけびを上げていた。


「~~~~っ!」


 感情が溢れ出す。

 ありったけの力を込めてウタは彼の名を叫んだ。


「ルフィ!!!!」


 戦っていた二人がウタに気が付く。


「え!? ウタ!?」

「……おやおやァ~? 驚いたねェ」


 二人の視線にウタはこぶしを握り締める。

 苦悶の声を漏らしながら、穴だらけの体を叱咤し、立ち上がった。


「私も……戦うよ!」


 恐怖に軋んだ心を抑え、ウタは宣言する。

 天竜人に目を付けられる前の、快活な彼女を思い起こさせる声にルフィは瞠目した。


「んん~? なんのつもりなのかねェ? 聞こえていないけど、ひょっとしなくともわっしと戦う気だよねェ~?」


 黄猿の耳には特性のバイザーがある。

 ウタの能力を把握している海軍は、彼女の歌声を完全に遮断しているのだ。

 ウタウタの実の能力は強力だが、種が分かれば対処は簡単。


 無論、ウタは元海軍准将。

 能力だけではないが、洞窟を出るまでは地を這っているような消耗具合だ。

 とても戦えるコンディションではなかった。


「お気を付けなすって……足手まといを抱えてどうこうできるほど……わっしは優しくないんでねェ……!」

「黄猿のおっさん……! ギア、セカン……ゴホゴホッ!?」

「ルフィ!?」


 圧を強めた黄猿。

 ルフィはギア2で対抗しようとするが、血を吐きながら咳き込んだ。


「まだ体に馴染ませてないんでしょう、ルフィ元大佐……無理はするもんじゃないよォ~。3でもキツイでしょうよォ」

「くっ……うわあああああああっ!!」


 ルフィの弱点となるウタを狙い、黄猿が迫る。

 切り札を使えないルフィは、そのままの状態で突っ込んだ。

 結果が見えている激突。瞬間、ウタは言った。


「ルフィ! 信じて!」

「……! おうっ! 歌え!」

「何をする気なのか……こざかしいねェ~」


 飄々としつつも黄猿は周囲に気を配る。

 遮音はあくまでも海軍のみ。

 この森の生物にはウタウタの実は有効だ。


 ならば、考えられるのはこの森の生物を操り、場をかく乱させる作戦。

 光の速さを持つ黄猿ならば余裕をもって対処可能である。


「ゴムゴムのォ~嵐脚!」

「無駄だよォ~……」


 六式のアレンジ技。

 見聞色の覇気で先読みし、カウンターで光の蹴りを叩き込む。

 未熟なルフィではこれはどうしようも……


 サングラスの奥で僅かに黄猿の瞳は揺れたのは次の瞬間。

 何の予兆もなしにルフィの行動が変化したからだ。


 己の見聞色の覇気が導いた答えとは違う動き。

 それを為したのはルフィではない。ウタだ。

 彼女の歌を聴いたルフィは、その瞬間から彼女の操り人形になっていた。


「歌を聴かせたのはルフィ元大佐……!」


 これではルフィの思念を感じ取ったところで無意味。

 彼の体を操っているのは、ルフィではなくウタなのだから。

 黄猿の見聞色は欺かれた。


 嵐脚を強制的に止める。

 大きくバランスを崩した体勢でも安定して放てるのは、ルフィの基本技。


「ルフィのパンチはピストルより強いんだから! いっけぇーー!」


 ゴムゴムの銃。

 黄猿の意表を突いた一撃は、彼の鳩尾を抉り抜いた。


「おぉう……痛いねェ~」


 だが、不意を突いたとしても所詮は基本技。

 黄猿は大してダメージを受けることはない。

 武装色の覇気を纏わせてはいたが、純粋に彼をノックアウトするには力がなかった。


(そんなの分かってる! だから、今を狙ったんだ!)


 ウタは渾身の力でルフィに抱き着いた。

 ギアを使わずに大将を相手にするのは無理。だが、ルフィはもうギアに慣れない。

 だったら、ウタがギアの手助けをすればいい。


 跳んだ反動のまま、ウタはルフィの唇を奪う。

 突然の意味不明な行動に黄猿も困惑する中、ウタは思い切りルフィに息を吹き込んだ。


「フゥ゛ゥ゛ゥ゛ーーーーー!!!!」

「……あァーなる程ォ……これは、不味いねェ……」


 ルフィの体が一気に膨らんだ。

 そしてウタは能力を解除、ルフィを現実に戻す。


「……ん? げぇっ!? なんでギア3になってんだぁ!?」

「ルフィ! 早くボルサリーノ大将を蹴って!」

「ボル……あれぇ!? なんで黄猿のおっさんぶっ飛ばされてんだぁ!?」

「は・や・く!」

「よく分かんねーけど……ゴムゴムのォ~巨人のスタンプ!!!!」


 光は何者よりも速い。

 だが、それを扱うのは人間である。

 黄猿が能力を行使するより、先にお膳立てされたルフィの方が一手速いのは当然だ。


 それでも普段ならばギア3の緩慢な動きは避けられるが、今はゴムゴムの銃を叩き込まれた直後。

 ギリギリ間に合わない。


 巨人の足に吹き飛ばされる黄猿。

 そしてルフィとウタはギア3の副作用で反対側に吹き飛ばされていた。


「……おォ~、こりゃ、やっちまった」 

 

 地面に大の字になっていた黄猿は起き上がった。

 強力な技ではあるが、黄猿を倒すほどではない。

 だが、この場は負けてしまったと認めざるを得ないだろう。


 ルフィとウタの姿はもうない。

 部下たちに二人を探すよう、電伝虫で指示は出したが、どうも逃れられたと確信した。


「……」


 バイザーを外す。

 しかし、少女の歌の残り香すら感じ取ることはできなかった。


「惜しいことをした気分だねェ、成長した歌姫の歌……わっしらにゃ聴けないか」


 それを聴けたのはルフィ唯一人。


「世界を救う歌を独り占め、かい。豪華なことだねェ」


 勿体ないなァ、と肩を竦めた黄猿は部下たちと合流するため歩く。

 その歩幅はいつも通り飄々と、内心を見せることはなかった。

Report Page