物書きと童の夢の話

物書きと童の夢の話



子供の頃、不思議な夢を見ていたことがある。

つい最近まで忘れていたような、本当に小さな頃の不思議な夢だ。


続きものの夢で、いつも決まった始まりをしていた。まずは森の中。何の気なしに歩いていくと、一つの屋敷が見えた。今ではもううろ覚えだが、確か和風建築の屋敷だったと思う。

屋敷に着くといつも戸を叩いて大きな声で中の人を呼ぶ。呼ばなくても入ることはできるが、余所様の家に上がるのにそれは失礼!とかなんとかやってしまった時にとても怒られてしまったので、それ以来そうしていた。今思い返すとその通りとしか言いようがないのでだいぶ申し訳ないと思う。

しばらく待つと和服の男性が出てくる。「物書きの兄ちゃん!」俺がそう呼ぶとちょっと困ったような、でも嬉しそうな顔をしていたっけ。もう顔はもちろん姿形まで覚えていないが、そんな表情をしていたことだけははっきり覚えている。


物書きの兄ちゃんの屋敷に訪れて、話したり遊んだりして帰っていくだけ。それだけが続いた、でもあたたかな夢だった。



物書きの兄ちゃんは当然ながら物書きの人間だった。どんな話を書いていたかは覚えていない。……読めなかったのだ。原稿用紙にみっちり詰まった漢字はまだ幼かった当時の俺には難しく、内容を聞いても恥ずかしいのかあまり教えてくれなかった。そりゃそうだろう、自分からそんな書いた内容を語るなんて恥ずかしいに決まってる、当時の俺はそんなことも知らずに……いや、話を戻そう。

物書きの兄ちゃんは自分が好きな作品の話もよく聞かせてくれていた。好きな作品の名前……も悲しいことに漢字だらけで当時の俺には難しく、夢から覚めた頃にはすっかり忘れていた。それっぽい言葉を思い出そうとしながら学校の図書館で探そうとしたことはあったものの、さっぱりだった。…なんだかとても情けなくなってきた。

それでもわからないなりにその時の物書きの兄ちゃんの姿を見るのが好きだったのだ。どこまでも真剣に原稿用紙に向き合い、楽しそうに好きな物語の話をする。──ああ、この人は文章というものそのものが好きなのだ。そう、わかったから。


「物書きの兄ちゃんは書くことも読むこともすきなんだな!」


そう言った時のことを、薄らながらも覚えている。そうだなと言って笑っていた。少しだけ、悲しそうに。

……あれはどうしてだったのだろう。答えは今もわからない。



物書きの兄ちゃんは他にも趣味としているものがあった。多分、楽器だったと思う。勝手に触ろうとして怒られたこともあったけど、次第にこうやるんだ、と見せてくれたりもするようになった。

真剣に、でも穏やかに。楽器に触れる時はそんな雰囲気をしていて、この趣味の時間も好きでとても大切にしていたんだと思った。


広い屋敷を探検するように駆け回って、あちこちを見て回って。物書きの兄ちゃんの前でおかしなことをして、しこたま怒られて。はじめははしゃいでは怒られて、を繰り返していたものの次第に穏やかな交流もするようになって。お互いのちょっとした日常のことまで、ぽつりぽつりとするようになった。


夢見た時だけ行けるちょっと不思議な別世界のような場所で繰り広げられる、穏やかなだけなひと時。それをあの時の自分はおかしく思いながらもでも確かに楽しみにしていたのだ。



そんな不思議な夢が見られなくなったのはある日のこと。しばらくこの夢が見られなくなって、久々に見れたと思った時の出来事だった。

どんなものだろうとあくまで夢の中の出来事なので、夢が見れない時はどうしようもない。週に何回か見れることもあれば、一ヶ月くらい時間が空いてしまうこともあってもう見れないのかな、と思った時もあったのだ。


その時も一ヶ月は期間が空いてしまった後だった。久しぶりに夢が見れた俺は、とても嬉しい気持ちになった。

(見れた!やっと夢が見れた!物書きの兄ちゃんに会える!)

(あれから色々あったんだ!色々話したいことがあるんだ!)

(学校で新しく漢字も覚えたんだ、前よりは話が読めるようになってると思うんだ!)

逸る気持ちを抑えようとしながら森の中を駆けて行く。いつものように屋敷の前に着いた時、あれ、と思った。


何かがおかしい。

何がおかしいのかな、と思って眺める。あちらこちら戸が閉まりきってるのがおかしいのかな、と首を傾げた。それだけでは無い気もしたけれど、よくわからなかった。

とにかく呼んでみないとわからない。呼んでみたらいつものように困ったような嬉しそうな顔をして出てきて、何もかも気のせいに終わるかもしれない。きっとそうだ、と思って戸を叩いて大きな声で呼んだ。


「物書きの兄ちゃん!」


いつものように、呼んで。

いつものように、待っても。

物書きの兄ちゃんは出てこなかった。


「……物書きの兄ちゃん!!」


なんだか嫌な感じがして、もう一度戸を叩いて大きな声で呼ぶ。本当だったらどんどん叩いてしまいたかったけれど、そんなことをしたらきっと物書きの兄ちゃんは怒るだろうからぐっと我慢した。

そうして泣きそうになりながらも待ち続けていると、中で何か物音がした。ぎしり、と音が鳴って戸へと近づいてくる。やっと来た!と安心して嬉しくなって、俺は待っていた。

戸に一人の影が近づく。あと少し、あと少し。それでも戸が開くことはなかった。


「………物書きの、兄ちゃん?」

「………」

「ど、どうしたんだよ。俺だぜ。いつもみたいに開けてくれよ、話したいこといっぱいあるんだ」


あんなことこんなことあるんだ、と身振り手振りを交えて言う。なんでだよ、すぐそこにいるのになんで開けてくれないんだよ。だんだんと腹が立ってきて、だったら俺が開けてしまうぞと戸に手をかけた。

ぎしり、と開けようとした戸が軋む。動かない。向こう側から物書きの兄ちゃんが押さえているようだ。……こんなに、ちから、つよかったっけ。


「……物書きの兄ちゃん、どうしたんだよ」

「…お前が夢に来るようになってから、楽しかった。とにかく手を焼いたが、……夢の中だけだとしてもあんなに無邪気に感情を向けられたのは、はじめてで、」

「お、俺もだよ。俺も楽しくて、いつも楽しみにしてて、だから!!」

「だから、もういいんだ」


「ここには◼️が出る。だからお前はもう来るな」


いつになく冷たい声が聞こえて、ばつん、と音を立てて何かが終わった。


そうして目が覚めた。泣いていた、ように思う。目が覚めてすぐの時はいきなりあんなこと言った物書きの兄ちゃんに無性に腹が立って、絶対また行って理由を聞いてやる!と躍起になっていたけれど、夢を見ることはもう二度となかった。

もう一度、もう一度。何度も思ったけれど、見れなくなった夢は綻ぶように記憶から消えていってしまう。そうして時間が経って成長して、そんな夢を見ていたのも忘れていってしまったのだ。


つい最近。この事をいきなり、思い出すまでは。



「……昔、そんなことがあって。何故か響凱さんに話したくなって、」


一通り話し終えてロナルドがふと顔を上げると、話を聞いていた響凱が虚をつかれたような顔をしていた。思わず首を傾げたロナルドに響凱ははっとするとすまない、と言う。


「……なかなかに不思議な夢だな、と思ってな」

「そうだよなあ。あんな夢見たのは俺もあの時きりなんだ。思い出したのも少し前だし、今になってなんで思い出したのかもわからないけれど」

「………」

「……その、夢だからさ。あの先なんてないのかもしれないけれど、物書きの兄ちゃんがどうなったのか、それだけが気がかりなんだ」


少し遠くを見るように言うロナルドに、響凱は小さく息をのむ。


「……その。小生が言うのも、というのだが。確かにあまり良くない雰囲気の終わりだったとしても、そうしたのはその、物書きの男からなのだろう。君がそんなに気にする必要は、………無いと、思うのだが」

「それは、そうなんだけど。………でもあの人、いつもどこか苦しそうだったから」

「………苦し、そう?」


うん、とロナルドが頷く。楽しそうに話することもいっぱいあったけれど、それでもどこか苦しそうだった。だからあんな終わり方したのもあって気になってしまう。何年も前の話だし、自分もつい最近まで忘れていたのだからその資格はないかもしれないのだが。ロナルドはそう語った。響凱は一度何か言おうとして躊躇い、しかしまた口を開く。


「そんな優しい君がその時も今も気にかけてくれて、物書きの人はきっと幸せだろう」


そうしてちょっと困ったような、嬉しそうな顔をして笑った。

ロナルドは目を丸くし、少し考えてそうかなと言う。そうだとも、と響凱は同意した。


「……なんか、響凱さんがそう言うならそうかも、と思え…そう。うん。……そうだったら、いいな」

「君がそう思えるのなら嬉しいが」

「うん。………あ!!ドラ公の作ったお菓子があるんだった!今持ってきて……あ、あとお茶も入れ替えて、」


わたわたと忙しなく奥に引っ込んでいったロナルドを響凱は微笑ましく見た。



家に、子供が訪れる夢を見ていたことがある。

座敷童子か何かかと思っていた。見た目も格好も、どこか不思議だったから。

やんちゃであちこち動き回って手を焼いたが、優しくて無邪気な子供だった。あんなにも誰かと穏やかに過ごせる時間が夢の中でもあることが幸せで、結局夢の中にしか無いことが悲しくて。


そう、としか思えなかったことがあの物書きの愚かな末路なのだろう。

……確かに居たのに。気にかけてくれた者が、確かに居たのに。そんなことにも気づきもせず。先ほどのあの話を聞くまで、すっかり忘れ果てていた。

それでもこんな今があるのだから、その男は幸せに違いないのだ。あまりにも不思議な顛末だと思う。その男にはもったいないくらいだとも思ってしまう。


「優しい子供の、あたたかな夢。……愚かな男の、幸せな夢」


夢を見るように目を閉じる。奥で聞こえる今確かにある優しい日々の物音に、物書きの男はそっと耳を澄ませた。


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