父親

父親


 あのとき。


『! 藍染!』

『ッお父さん!』


 ユーハバッハに、藍染が急襲された時。撫子の口から零れたのは、藍染惣右介を父と呼ぶ言葉だった。



**



 藍染惣右介の無間への再収監に立ち合った後空鶴邸に戻ってきたものの、なんとなく落ち着かない気分で撫子は外に出ていた。

 花火の打ち上げ台の端に腰掛けて、尸魂界の空を見上げる。

「……」

 再収監の間際、藍染が吐いた言葉が柔らかに突き刺さっている。

『——平子撫子。無事なようでなによりだ』

 なにが無事でなにより、だ。撫子は内心舌打ちする。

 最後まであれやこれやと言葉を弄して周囲を混乱させておいて、収監される寸前になってあんなことを。今更だ。今更、まるで——

「……」

 撫子は膝の上に置いていた拳をきつく握りしめる。掌に爪が食い込んだ。


 今、自分は、何を考えた?

 まるで、なんだ? まるで、まるで。


 撫子は息を細く、長く吐く。おかしい。あの時から、おかしいのだ。


 今までは何を言われても笑い飛ばせた。藍染惣右介の娘、大逆人の子。一護が重症者や破壊された斬月と共に霊王宮に向かう時、零番隊に霊王宮への立ち入りを拒否された時も。

『さっきから藍染藍染喧しいわ! アタシは平子真子の娘、平子撫子や! 血ィ繋がっとるだけの男を父親なんぞ呼べるか!!』

 そうやって啖呵を切れたのだ。藍染の娘と言われても、父親が藍染にであると突きつけられても。平気だったのだ。周囲、からは。


 倒したと思ったユーハバッハに藍染が急襲された時。藍染、と呼んだつもりだった。けれど。

『ッお父さん!』

 咄嗟に出たのが、お父さん、なんて。そんなの、無意識下で藍染を父親だと思っていたみたいじゃないか。

 その後だってそうだ。ユーハバッハの霊圧に呑まれた藍染を心配しなかったか? ユーハバッハとの決着がついた後、藍染が無事であったことに少なからず安堵を覚えなかったか?


 そうだ。撫子は藍染を少しだけ心配したし、無事だったことに安堵したのだ。

 それからそのことに愕然として、なんとか言葉を搾り出して、軽口を叩いた。

『——なんや。そのままくたばったかと思うてたわ』

 誤魔化せていただろうか。いや、一護は誤魔化せても藍染は無理だったろう。

 だからこそ、だろうか。収監の際、藍染がこちらを心配していたような言葉を吐いたのは。


 握りしめていた拳をひらいて、掌を見た。撫子の両の掌にはくっきりと、赤く食い込んだ爪の跡が残っている。


 あれを父親とは呼べない。血が繋がっているだけ。ずっとそう言って来たのに。周りから言われるのは平気だった。でも、自分の内から出た言葉は。

(あれを父親やって認めたら……オカン達は、織姫ちゃん達は、どないすんねん……!)


 藍染のせいで、撫子の家族である仮面の軍勢は人生を狂わされた。

 藍染のせいで、浦原喜助は無実の罪を着せられた。

 藍染のせいで、井上織姫は攫われた。

 藍染のせいで、黒崎一護は一度死神の力を失った。

 藍染のせいで、茶渡泰虎や石田雨竜たちは負わなくていい傷を負った。

 藍染のせいで、多くの人たちが傷ついた。

 藍染のせいで、平子真子は——


 あれを許してはならない。許せない。それは間違いなく撫子の心が叫んでいる。

 けれど同時に、幼い撫子が、心の隅っこで呟いているのだ。お父さん、と。



『——思い悩んでいるようだね、撫子』

 思考が途切れる。ハッと顔を上げると、内側の虚が緩やかに微笑んでいるような気がした。

(お姉ちゃん)

『答えの出ない問いほど不毛なものはない。特に、自問自答の類はね』

(お姉ちゃん、アタシ、あいつのこと、許せへん。嫌いや。……だけど。あれに助けられたこと、無いわけではないんや)

 思えば、藍染に直接殺されそうになったことはなかった。

 虚夜宮での甚振りも、今になって思えば稽古のつもりだったのかもしれない。撫子が斬魄刀の始解に至った時、藍染の目には喜色のようなものが浮かんでいた気さえする。

 つい先日の無間での修行もそうだ。いつ聞いても撫子(と内側の虚)としては苛つく言葉たちだったが、指導は酷く的確で。卍解を成し得た後は帰刃を提案する始末。あれは娘の成長を楽しんでいたとでもいうのだろうか。

(アタシはあいつの娘やったから、悪いようにはされへんかった。でも、みんなは? 仮面の軍勢のみんなは? 織姫ちゃんは? 一護達は? オカンは?)

『……』

(……こないなこと、死神のみんなには、言えへんよ。藍染を憎むのは、当たり前のことや)


 虚は妹の苦悩を目の当たりにして思う。自分に実体があったなら、妹を抱きしめてやりたかった、と。同時に、藍染惣右介への怒りと憎悪を募らせる。お前のせいで妹は苦しんでいるのだと、虚は想像の中で憎い男を蹴飛ばして、再度妹へ語りかけた。


『そうだね。あなたの感情は、どちらも本物だよ』

(本物……?)

『そうだ。藍染惣右介という男を憎み、嫌う感情も。あれを、あー……………………ち、父親と呼びたい衝動染みた感情も』

(たっぷり間ァあったでお姉ちゃん)

『スルーしなさい。……幸い、時間はたっぷりあるんだ。あなたが納得いくようにすれば良い。あなたの選択肢を、否定はしないよ』

(お姉ちゃん……)

 ありがとう、と心で呟いたのを聞いて、虚は笑む。これが答えになるとは思っていない。けれど、撫子の心が少しでも晴れればいいと思う。


 それから虚は少し考えて、ふと撫子の気を逸らす術を思いついた。あんな男のことを考える時間が勿体無いのだ、ならば他のことを考えてしまえと、虚は少々得意げに口を開いた。


『……こうしよう、撫子。あなたが将来伴侶を得た時、そのひとの父親をお父さんと呼べばいい』

(はんりょ……?)

 一瞬意味がわからず言葉を反復する。しかし意味を理解して、そして撫子の脳裏に特定の人物が過って顔をわっと赤くする。

(おっ、お姉ちゃん、気ィ早いて! まだそんな関係やないもん! いやそうなれたら嬉しいけど! けど!)

『まだ、と来たか。ふふ、その恋が成就することを願っているよ』

(お姉ちゃん〜!)

 虚は照れた妹を目の当たりにして思う。実体がなくてよかったかもしれない。実体があったら力は込めずとも、ぽかぽかと叩かれていたかも知れない、と。




そして将来「父と呼ぶのは石田竜弦のみだ」と言い放つお姉ちゃんの姿が……!


あんまり解決にはなってないです。

この後現世組の誰か(たぶんお父さん発言を聞いてた一護)が来るんじゃないかな。


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