父の最期

父の最期


ひとでないもの。

この国にはそんなものは多くある。そも、そのひとと呼ばれるものでさえ、その身に神の血を引き化身とされる存在になりえるのだ。だからそれがひとつ増えたところで、この世界として間違った枠組みには入らない。異端には分けられない。


そんな前提が心の中にあったからだろうか。とある盲目の王が、生まれながらに不吉の子とされた我が子を殺さず愛して育てたのは。誰より可愛い息子だと、花の香りを漂わせた愛らしく無邪気なあの子を呼んで慈しんだのは。

例え国とその民にとって恐ろしいカリの化身とされようとも、愛おしくて愛おしくて、決して手放してなどやりたくなくて。指先だけの感触で伝わる、柔らかな頬をにんまりと笑わせたあの子の体温をいつまでも覚えていたくて。


ただ、それだけだったのだ。









その人の王は、決して開かない瞼をひくつかせた。頬を流れ続けた涙は既に乾きはて、鼻につくような独特な鉄の香りが辺りに充満している。

まだ暖かい“にく”が指先に触れるが、二度と動かない事はすぐにわかった。崩れる音、燃える火の熱、恐怖に塗れた悲鳴と絶叫。

魔物が現れた、と誰かが言ったのはついさっきの事だった。そこからすぐに全てが壊れた。全て、全て、何もかも。


べちゃ、という音が聞こえて、ゆっくりとこちらに近付いてくる。なんとなくそれが人ではない事を察せてしまって、そのまま肩の力が抜ける。終わりを悟る脳裏に過ぎるのは、逃げ仰せたかもわからない妻と娘と、もう二度と帰らない息子達。唯一生き残ったらしいユユツさえ、自分に会いたいと願うかもわからない。全てバラバラになってしまった。

ゴツゴツとした魔物の手が、がしりと首を絞めあげる。ぐぅ、と呻き声を上げ、せめてもの抵抗にと爪を立てて鱗まみれの腕を掴んで、



「───……、は、」



───ふわりと漂った、柔らかい花の香り。



「お、ま……え、は」


まとわりつく死臭に僅かに残ったその香りを、忘れた事は一度もなかった。忘れられた日は一日もなかった。

目に見えぬ己の前に立つ我が子の証たるそれを、なにゆえ忘れられようか。


「そん、な……」


絶望が襲う。めきめきと軋む自身の骨の音を脳髄に響かせて。

ありえていい筈がないそれは、ありえる筈がないそれは、けれど“父親”としての記憶の中で間違いのないものだったから。


「あ、ぁ………」


腕に立てていた爪を無意識に引っ込めて、弱々しく手を伸ばす。いつもしてやっていたように、顔を包み込んでやって感じていたあの体温を。あの子の優しい暖かさを求めて。


「ス、ヨー……ダ、」


ばきり。


涙混じりの声は最期まで続く事がなかった。

べしゃりと落とされたそれは、最早ただの肉塊と成り果てて。流れた透明な水滴を一瞥もせず、機構である魔物はその場から踵を返す。



盲目の王、ドリタラーシュトラはそうして死んだ。

かつて彼の異母弟ヴィドゥラやバラモン達が言ったように、不吉の我が子の手によって一族の血を途絶えさせた。

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