父の日
俺はバグスター、パラドクス。良性で企業勤めなバグスターだ。だから毎日スーツを着るけど、一着も買ったことはない。チラシやショーウィンドーで見かけたやつを、それっぽくコスチュームチェンジで再現している。TPOに合わせて衣服グラフィックを書き換えるのはバグスターの嗜みだからな。
だけど今日は珍しくネクタイを結んだ。
俺が勤める幻夢コーポレーションの看板とも言えるキャラクター、マイティがあしらわれたピンクのネクタイだ。
──パラド、今日父の日だからあげる! パラドは僕の父さんみたいなものだからいいでしょ? あの幻夢コーポレーションの社員なんだからこういうの着けてよ!
愛おしい声が蘇ると共に、『パラドクス』を構成する宿主の記憶が俺を責め立てる。
永夢の父親、宝生清長は死んだ。
そして俺の誕生と引き換えに遺体さえ消滅し、もう一人の俺、檀生鏡太郎ことアナザーパラドが彼にまつわる記憶を永夢から取り除いた。
「今度こそ理想の父になりたい」そんな清長の願いを押し込め、永夢が願った遊び相手となった俺だが、その基盤は結局清長だ。永夢に何一つ与えないまま死んだ私なんだ。
記憶の通りに動かす手がカタカタと震えている。
ネクタイの結び方は何通りも知っているくせに、お礼の言葉は一つも知らないのが私だ。
*
いつもより早い時間だが社長室へワープで出勤すると、正宗は締まりのない笑顔でモニターを眺めていた。ヘッドホンをしているから何か動画を見ているらしい。
後ろから覗くと微妙に手ブレしたホームビデオだった。正宗の私室だ。
『パパ、いつもおしごとおつかれさま!』
二人で画用紙を持ったクロトとシロトが正宗へ歩み寄って、せえの、と練習しただろう言葉を叫ぶ。正宗は涙を流しながらありがとう、二人とも大きくなったね、と繰り返していた。
「──パラドくん⁉︎ 来てたなら言ってよ! 恥ずかしいところ見られちゃったな……」
「今日はたまたま早く来たんだ」
「そうか……まあ、あとで見てもらおうと思ってたし。これね、昨日クロトとシロトが私を描いてくれて……あの子たちももう一歳だから……」
人間の一歳ってあそこまで喋って歩けたっけ? と思ったが、クロトとシロトはバグスターの能力で生まれた子供だ。ゲーム内で生まれたモンスターはレベルこそ低いが生まれた瞬間から戦える。現実で人間として生まれた双子も成長が早かったりするんだろう。
「父の日なんだって。本当に嬉しいよ……」
続く言葉が俺をフリーズさせた。
また父の日。正宗は喜んでいる。父親が子供にプレゼントを貰ったら、喜んでお礼を言うものだ。父親からは程遠い私が知らないだけの、あたたかな親子のやり取りが、目の前で広がっていく。
なあ正宗、と絞り出した音が乾ききっている。
「息子に何か貰ったら……どうよろこべばいいんだ……?」
正宗は首を傾げた。俺が宝生永夢の父親代わりをしていることは正宗も知っている。そして私──いや宝生清長と宝生永夢の関係は、アナザーパラドによって『苗字が同じだけで無関係』と書き換えられたから、正宗が永夢から私を思い浮かべることもない。
だから俺は……私は? 正宗の前で少しだけ弱音を吐ける。
「わからないんだ、知らなかったから、そんなの一度も考えなかったから……」
「パラドくん、落ち着いて」
「私はもうあの子を悲しませたくない……っ!」
「大丈夫だよ、永夢くんは毎日楽しそうなんだろう? 一緒にゲームをしていると言ってたじゃないか。君は永夢くんを笑顔にできているんだ。だから、大丈夫……」
清長の記憶が強く出て、俺は一つ下のレイヤーへ追いやられたみたいな感覚。
よかった。清長が、私が消えて本当によかった。永夢を笑顔にできるのは私じゃないから。
来年までに、上手な笑顔と礼を覚えなければ。