父になるにはまだ遠い

父になるにはまだ遠い



少し前までは母音しか話せなかったというのに、今は喃語というのか相変わらず言語には程遠いものの話す言葉の種類が増えてきている。

最初に産まれてきたときは私にも妻にも似ていなくて潰れた赤い顔の猿のような姿だったというのに。その子がいつの間にかきちんと人になって、明らかに妻に似ているという顔をしだしているのだから不思議なものだ。


腕は綿でも入れてあるかのように膨らんで、言葉を選ばなければ明らかに肥え太っているように見える。頬もいっそう丸くなって、針でも刺したら破裂してしまいそうだ。

それを聞いたところ「子供なんてみんなこんなもんやろ」と返されたが、今まで撫子以外の子供をまじまじと見たことなどなかったので分からなかった。あの人は顔も広いからそういうこともあるのだろう。


「撫子、指を離してくれないか」

「うぶぁ、だ、うぅ」


座ってあやしていたところで、全く寝る気のない撫子に指を掴まれて暫く経つ。握る力は小さな手だというのにあまりにも強い。そのまま口にふくもうとするので、無意味な膠着状態が続いていた。

言うことを聞くだけの知能はまだ発達しておらず、父親の指と自分の口に入れていい玩具の区別もついていない。母親の髪すら口に入れたがるので、目につくならなんでもいいのかもしれない。


「悪いな惣右介、ほれ撫子オカンのとこに来ィ」

「うぁ、あぶ、あうぁ」

「なんやオトンの方がええのか?珍しなァ」


いいも悪いもなく、ただ掴んだ指を離さないだけではないのかとは言うまい。

そういうことを言ってみても情緒がないだの想像力が足りないだの色々と言われた挙げ句、撫子が成長した後にお父さんなんて嫌いと言われてから悔いても遅いといまいち実感のわかないことで思う存分ケチを付けられるだけだ。


膨れていく腹を見ている時もそこに子供がいるというのは産まれてくるまであまり実感がわかなかったが、この赤子が成長して我々と同じ人間になるというのがまだ信じられないでいる。

日々成長しているのを見ているのに、どこか別の生き物のような感情が拭えない。本当にこの子が自分の足で立って歩くようになるのかすら疑っている。


「なんや変な顔して、可愛い娘に好かれて嬉しいやろ」

「……好かれてる、とあまり感じなくて」

「そりゃそうやろ、そろそろ顔の区別がつくかつかんかくらいや」


好かれていると言ったのはあなたではないか。不満を持って見上げると私の方を見ることもせずに少し伸びてきた撫子の髪に手を伸ばしていた。

くせ毛であることが分かりやすくなってきた金の髪は、成長しても私の血があまり感じられない撫子の中で現状では唯一と言っていい私に似た部分だった。


「髪もくるくるんなって、目ぇの色も濃くなって、どんどん父親に似てきてしまうなァ」

「……目の色ですか?」

「なんや気づけへんか?最近なんや色濃くなってな、お前の色に似てきたわ」


撫子の瞳を覗き込んでみたものの、なにがどう変わったのかは分からなかった。できることならば私になど似ないで、妻のように産まれてくればよかったのに。

似たところで幸福にはなれないだろう、その上父と母どちらに似ても察しは良いだろうから苦労をするのが目に見えている。


「はは、なんやいっちょ前にお前も父親の顔するようになったなァ」

「は?」

「心配で心配でたまらんって顔しとるわ。やっぱ娘やとそうなるんかな」


目を細めながら「過保護なオトンで後が思いやられるな、ウザくなったらはよ言えよ」と全く伝わっていない言葉を書ける妻に、理解していないだろうに撫子は母音だけで返事をしている。

心配、心配なのだろうか。確かに案じてはいるのかもしれない、私らしくもないという思いと子供相手にはそういった感情を抱くのかという感慨がある。


「子供なんて危なっかしいもんやから、心配しといて損はないわ」

「この子は大人しいですよ」

「まだ満足に動けへんからや、動くようになったら目離したらアカンぞ」


まだ寝返りも満足にできないのに、これが動き回るようになるのだろうか。なるのだろうと頭では理解していても、本当にこれが?という感情を拭いきれない。

それでも産まれたときの顔よりは可愛らしくなっているとは思う。あの私たちの子供というより猿と梅干しの間の子のような姿と比べれば、なんでもかわいいのかもしれないが。


「お前もちゃあんと父親になるんやな、なんか感心してしまうわ」


そう言って笑った人は、もう一年も前から母親の顔をしている。

どうにも理解できないというところは娘は母親によく似ているのかもしれない。そんなことを抵抗むなしく口に入れられた指がふやけていくのを感じながらぼんやりと考えた。




少しして、前に会ったときには気にしていなかった浦原喜助相手に大げさに泣き出した撫子が私が抱いたら泣き止んだことでどうやら父親を見分けられるようになるのだと知ることが出来た。

子供の成長というものは思っていたより早く、想像よりも受け入れられるものだということが想像していなかった収穫だったということは誰にも話すつもりはない。

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