父と娘
運命本編前
トダカ一佐に引き取られた後のマユの話
色々捏造を重ねてます
「どうだ? 何か違和感はあるかい?」
「んー……、ちょっと重い…です」
自身の右腕に取り付いた機械の腕を見つめる。
マユの右腕に取り付けられた武骨なそれは、モルゲンレーテの最新技術によって開発された機械義手である。
「許容加重は10㎏だそうだ。つまり10㎏より重い物を持ってはいけないよ」
「10㎏ってどのくらい? あ、どのくらい、ですか?」
「無理に敬語を使わなくてもいいさ。いきなり気安くとはいかないだろうが、君の話しやすい口調で構わないよ」
「はい。あ、うん」
厳つい顔を少し緩めてぎこちなく笑顔の形を作るのはオーブ国防軍に所属するトダカ一佐。先の大戦で家族と右腕を失ったマユを救助し、そして縁も所縁も無い彼女を引き取った生粋のお人好しである。
「10㎏というと…米袋がそのくらいじゃないか?」
「あぁ! そっか、お米ってそのくらいだね。というかおじさんもご飯派なんだ」
「ウチは日系だからね。マユの家もそうだったのかい?」
「朝ごはんはパンの時もあったけど、晩御飯は必ずご飯だったよ。お父さんとお兄ちゃんがお米好きなの。マユも好き」
「それはよかった。俺も白米派だから食事の好みが一緒だと助かるよ」
軍人だからか普段の顔はちょっと怖い。でも笑うとそうでもない、かも。それにご飯の話をする時に浮かべた笑顔はなんだか悪戯っぽかった。重症を負い身寄りの無くなったマユにあれだけ親身になってくれたのだ。悪い人ではない。いや、絶対に良い人だ。だからマユもそんなトダカに心を開き、「家族」になろうと決めた。
「凄いね、ちゃんと動く。でもおじさん、いいの? これ、高いんじゃない?」
鈍い光を放つ新しい右腕を動かしながら、マユはトダカを見上げる。感触を感じないのと重さを感じる以外はちゃんと「腕」だ。こんな凄いモノが安いはずが無い。
「大丈夫だよ。言っただろう、これは臨床試験だって。より優れた技術を確立させるためにはより多くの実験データが必要となる。君のこれも試験の一貫だから、寧ろ被験体となることへの報酬が支払われるべき案件だ」
「え、でも…」
「はははっ、まあそうだな。君の義手はそういう建前で支給されている。けれど君がその義手を使いデータを提出する事で更なる義肢技術が発展するのも事実だ。気にする事はないさ」
「私がこれを使えば他の人も助かるの?」
「そうだよ」
なら、いっか。トダカの伝手でズルしているようで気が引けたが、マユが義手を使うことで同じ境遇の人が助かるというなら納得できる。
「……そっか、わかった。じゃあ頑張って使うね」
「別に頑張る必要はないよ。というか無茶な使い方はしないように。無理して壊したらそれこそ弁償だぞ」
「はーい」
返事をするマユの頭を大きな手が撫でる。大きくて、ゴツゴツしていて、もう会えないお父さんとは全く違う手。子供を撫でるのに慣れてなくて、ぎこちない手つきだった。でも、嫌いじゃない。またこうして誰かに頭を撫でて貰えることがマユはとても嬉しかった。
□ ■ □ ■ □ ■ □
「テストパイロット…?」
「正確にはその前段階のテストだ。本当にモビルスーツを操縦するワケじゃないさ」
それはマユに機械の右腕が取り付けられてから半年後の事。今までと違う右腕にようやく慣れ、寝てる間に自らの鉄腕パンチをくらって悶絶する事もなくなった頃だった。養父から右腕の義手を用いたテストパイロット実験に参加しないかと提案されたのだ。
「どういうこと?」
「マユの義手…というか、その接合部を機械に繋いで動かす実験らしい。マユの義手は電気信号で動いているだろう? その技術をモビルスーツの操縦に応用できないかとモルゲンレーテは研究を進めているそうだ」
「それの試験を私が?」
「強制ではないさ。ただこの実験で機械義肢の技術も上がるだろうし、マユが参加すれば優先的に最新義手が支給される。どうだい?」
つまりはそういう事だ。このお人好しな養父はマユのために新しい建前を用意して、更に良い義手を工面しようとしているらしい。
「……それ、私が参加すればオーブのモビルスーツがもっと強くなるんだよね?」
「まぁ、そうだな。マユはオーブに強くなって欲しいのか?」
「うん。だってオーブがもっともっと強くなれば他の国から侵略されても返り討ちにできるんでしょ?」
思い出すのは家族が奪われたあの日。肺が痛くなるほど走って走って、そしてマユのワガママのせいで全て失った。振り返るたびに悔しくて、悲しくて、怒りで頭が沸騰しそうになる。そんな後悔の日。
そんなマユの瞳の奥に燻る炎を見たのか、トダカは眉間に皺を寄せ、そして頷く。
「……そうだな」
「じゃあやる。マユがオーブの力になれるなら喜んで協力するよ」
「そうか…。分かった、モルゲンレーテに伝えておこう。ただ、無理をしてはダメだぞ。君は我慢しすぎる癖があるから」
「うん!」
オーブ国防軍が強くなれば何も失わずに済む。そしてその手伝いを子供のマユができる。そんなに嬉しい事はない。自分にもできる事があるのだという事実にマユの心は湧き立った。
□ ■ □ ■ □ ■ □
それから更に数ヶ月。
モルゲンレーテから帰ったマユは、興奮するままにトダカへ詰め寄る。
「……今、なんて言った?」
「だからね、私、国防軍に入りたいの! あのね、この前実験の一環でモビルスーツの操縦シミュレーションをしたの。そしたら凄くいい成績だったらしくてね。スタッフのみんなが『才能あるよ』って褒めてくれて。本格的に実験をモビルスーツ操縦の方に反映させたいんだって。私の腕なら本当のテストパイロットにピッタリなんだって!」
嬉しかった。自分にも戦える力があるのだと言われのだ。全部を奪われたあの日から感じていた焦燥感と無力感。自分には何ができるのだろう。何をしたらいいんだろう。義手を手に入れ、実験に参加して、それでもマユの心に巣食う不安は晴れなかった。それがようやく拭われる日が来るのだ。
「それで、士官学校にと?」
「うん! 流石に民間人だとシミュレーションまでしか許可出ないんだけど、士官学校に入れば本物のモビルスーツに乗るのもOKなんだって。だからね…」
自分がどこまで出来るかは分からない。でも、オーブのために何かはできる。それはきっと良い事だ。ならば、トダカも喜んでくれるに違いないとマユは思った。だって養父はオーブのために戦う軍人なのだから。
しかし、そんなマユの幼い予想とは裏腹にトダカの顔は厳しさをはらみ、鋭い眼光でマユを正面から射抜いた。
「だから軍に入ると? テストでモビルスーツに乗るために?」
「……違うよ。テストのためじゃない。ううん、テストのためでもあるけど、私がパイロットになりたいの」
「何故だい?」
「だって、私にはその才能があるから。私がパイロットになれば、それだけオーブを守る力がひとつ増えるでしょ?」
戦う力がある。そしてマユは戦いたい。なら戦うべきではないのだろうか。それは喜ばしい事のはずなのに、どうしてトダカは責めるような顔でマユを見つめるのだろう。どうして喜んでくれないのだろう。
「お前ひとりが加わったくらいで戦況も国力も大して変わりはしない」
「でも…! せっかく力があるのに、何もしないなんて勿体ないじゃん! 戦う才能があって、私も戦いたい。次あんな事が起きても、私が戦えたら沢山の人を救えるかもしれないんだよ!」
「だからといって! お前はまだ幼いんだ、軍に入るには早すぎる!」
「私はコーディネイターだもん! ナチュラルより習得速度は速いし、早ければ速いほど一人前になれるのも速いでしょう!?」
「出来るからといってしなければならないわけではない!」
「私がそうしたいの! 戦える力が欲しいの!」
「しかし…!」
「あの戦争で軍人さんがたくさん死んじゃったから募集年齢を引き下げられてるんでしょう? 士官学校の募集ポスター見たよ。コーディネイターは10歳から入学できるんだって。なら私が軍に入るのに問題はないじゃん!」
「あんなものは目安でしかない! 10歳の子供に何ができるって言うんだ!」
「モビルスーツに乗れるもん!」
「スラスターのペダルにすら足が付かない奴が何を言ってる! それに軍人はモビルスーツに乗るだけが仕事じゃないんだぞ! お前の体力で軍事訓練に付いていけるわけないだろう!」
「やってみなきゃ分かんないじゃん!」
結局その日は平行線のまま終わった。
トダカはマユの入隊を認めなかったし、マユはそれでも諦めなかった。ならやる事はひとつ。トダカが頷くまで、ひたすらに戦う意志を叫び続けるだけだ。
マユの拙い抵抗は59日間も続いた。おはようや行ってきますといった日々の挨拶のついで軍に入りたいと付け足し、トダカが仕事から帰ればしつこく後ろへ着いて回りどうすれば認めてくれるのか、何が気に食わないのかと鬱陶しく喚き続けた。夕食の材料を頼む買い出しの文末に入隊の意志を付け足すなんて序の口だ。時にはネットの知識を参考に自分が入隊すればどれだけオーブの利なるのかとプレゼン資料を作りトダカの仕事鞄に忍ばせた事も数回ある。朝から晩まで、酷い時には寝てるトダカの枕元で、マユはトダカに自分の意志を訴え続けた。
そんなマユの執念に養父が折れたのは、60日目の事だった。
「本気なのか」
「うん、本気だよ。おじさんが許さなくっても諦めないから」
軍人特有の鋭い眼光でトダカはマユを睨む。マユはそんな養父の威圧に内心怯みながらも、必死に真正面から受け止める。ここで負けたら60日間の努力が水の泡になる。そう感じたからだ。
「保護者の許可なく士官学校に入学など無理だ」
「なら学校をすっ飛ばして入隊するもん。一般公募枠なら保護者の許可なんて要らないでしょ」
「そんなわけ無いだろう。それに一般公募枠の訓練なら尚更マユの体力では無理だ。あれは成人を基準にメニューを組み立てられている」
「それでもやる。ナチュラル基準の訓練なんだから死ぬ気で頑張れば私でも出来る」
ここまで来ると意地だ。トダカの言う事がいくら正しかろうが、マユが折れるわけにはいかない。知識も経験も劣るマユが養父に勝てる要素など、意志の強さと気迫だけなのだ。
睨み合いはしばらく続いた。目を逸らさない事に必死で、実際にはどのくらい経っていたかも定かではない。それでもマユは一度もトダカの鋭い瞳から目を逸らさず、真正面から迎え撃つ。
「…………はぁ、分かったよ」
結局、先に折れたのは今度もトダカだった。
「! じゃあ!」
マユの顔が喜びに輝く。
しかし、そんなマユの表情とは対照的にトダカの態度が固い。そしてトダカの口から放たれた言葉もまた、その態度に違わない厳しいものだった。
「いいか、許可するのは士官学校の入学試験だ。それも今年の入学試験だけ。これに合格できなければ18歳まで士官学校も一般入隊も許可しない」
「そんな!」
喜びから一転。マユの顔が絶望に染まる。
縋るような瞳でトダカを見上げるが、彼は表情を一切変えずピシャリと養女の懇願の瞳を跳ね除ける。
「ダメだ。今年の試験に落ちた場合、俺が使えるありったけのコネと権力を使ってこの先8年間お前の願書や入隊届けを弾き返す」
「横暴すぎるよそんなの!」
「なんとでも言え。俺は君のご家族に、君を立派に育て上げ幸せにすると誓って引き取ったんだ。君のご家族に顔向けできない事は絶対できない」
もういない家族を出され、マユは勢いを削がれる。マユがトダカの養女となる提案を受け入れたあの日、慰霊碑の前でトダカは真摯に手を合わせマユの親となりその勤めを全力で全うする事を誓ったのだ。その姿をマユも見ている。そんな誠実な人だからこそ、マユはこの人と家族になろうと思えたのだ。
「…………」
「いいか。チャンスは今回だけだ。無理を言ってる自覚はあるんだろう? なら、これがダメなら18歳まで待ちなさい」
「……でも」
「なんだ。あれだけ大口叩いといて自信が無いのか?」
「……っ。あるもん! 絶対に合格するから! 合格したらいいんだよね!?」
「あぁ、ひとまずは認める。約束だ」
「約束だからね! 絶対だからね!」
売り言葉に買い言葉、とは少し違うかもしれないが。
トダカはマユの執念に折れたが、マユもまたトダカの親としての覚悟に折れたのだ。チャンスは一度だけ。互いの覚悟を賭けた真剣勝負の火蓋は、そうして切って落とされた。
そして結果は今の通り。
マユは見事に士官学校の入学試験に合格してみせ、トダカの度肝を抜くことに成功した。不可能だと思っていた幼い養女の合格にしばらく渋面を浮かべていたトダカだったが、約束した以上はマユの入隊を認めるしかない。普段から厳しい表情を浮かべがちな顔をさらに顰め、それでもマユへ学校内での注意点やくれぐれも無理を重ねて身体を壊さないよう口を酸っぱくしながらくどくどと注意を重ね、そして真新しい制服に身を包んだマユを士官学校へと送り出したのである。
「……何も言わずに出てきちゃったな」
アークエンジェルの一角で、祖国を守っているはずの養父に思いを馳せる。あの時は必死で頭が回らなかったが、もしかしたらアークエンジェルを取り囲んでいた戦艦の中に養父がいたのではないだろうか。マユが無断出撃をしアークエンジェルに収容される一連の瞬間を目撃していたのではないだろうか。
「帰ったら、ちゃんと謝ろう」
きっと、確実に叱られる。これ以上ないくらいの大目玉を喰らい、最悪の場合、士官学校を退学させられるかもしれない。もしかしたら愛想を尽かされるかも。
「今度こそ許してもらえないかも…」
叱られる事よりも嫌われる事の方が怖い。でも自分が選んだこの道を後悔もしてない。だから精一杯謝るしかない。許してもらえなくても、嫌われても、軽蔑されても。
「ごめんね、おじさん」
遠い土地で国のために戦う家族を想う。
この戦争が終わったら、きっと、ちゃんと謝ろう。今までのワガママと無茶の分を誠心誠意詫びるのだ。そして、許されるなら親孝行をしたい。ずっと恥ずかしくて呼べなかったけど、今度こそ───。
「おとうさんって呼ぶの、許してくれるかな」
この戦争が終わったら。
そしたら今度こそ。
その「今度」が訪れないなんて、思いもしなかった。
インパルスによって叩き斬られたタケミカヅチが爆炎に包まれる、その瞬間まで。