父が来るまで三千里

父が来るまで三千里


前よりも、更に美味しいです。上手になったのですね。


うっすらバターの香る口唇からひきつったような掠れ声しか出せない喉は、その一言を絞り出すことも億劫だった。

迎い入れられた部屋で、温かい紅茶を啜った途端にまず感じたのはその熱だ。カップから手に伝わる熱で暖を取ったため中身はかなり冷めていると思ったのに、熱い!と叫んで直ぐ口から離してしまった。幸い中身が溢れることは無かったが、目の前の青年(というには老成した雰囲気であった)は驚いてしまったのか、音もなく崩れた。

膝を折って倒れこんだのではない。文字通り身体が全身塵になって、さらさらと人型の砂が崩れ落ちたのだ。その姿に私は、既視感よりも先に、長年求め続けた灯火を見つけられた歓喜にうち震えることになった。


長い、長い放浪だった。得たものが有ったかと問われればさほど多くは無い。ただ喪ったものはない。悪魔祓いとして抱いていた正義も、聖職者として人々から向けられた信用も、在るべき神の元へ還されただけだ。教会を離れた後も、信仰は持ち続けることを赦されていた。

答えを求める旅だった。あの幼気で無邪気な少年と、彼を守るため私との闘争を選ぶのではなく自ら命を投げ出さんとしたあの吹雪の男を見て、揺らいだ私の心は疑問をそのままにすることを許せなかった。

悪魔とは人を惑わし、人を傷つけ、人を害する、須らく滅すべき邪悪であると教えられてきた。

しかしあの村人達は、惑わされ、咬み傷をつけられてはいたものの、それだけだった。目に見えて患っている者も餓えている者もいなかった。口を揃えて『お貴族様は良い人です』と答えた者達は、うわ言ではなく、確信をもって褒め称えているように見えた。

教えられていた悪魔の姿と、あの二人の姿は乖離しすぎていた。あの二人が悪魔であるなら、私が祓い滅し続けてきた悪魔達と同一の存在であるならば、私が行っていたことはただの『殺し』なのではないのか。そんな猜疑を抱いたまま、それからも悪魔に立ち向かうことは出来なかった。

そうして胸の内を打ち明けた後も、答えを得ることは出来なかったが。

教会から答えを得られなかった私は、答えを探し求めた。端から見れば居場所を失った落伍者の当て無き放浪だっただろうが、私自身にとっては探求の旅だったのだ。

さ迷う私は、街を、村を、森を、荒野を闊歩していった。食べるものにも着るものにも不自由するようになると、以前の私がどれ程恵まれていたのか心底から自覚することになった。

善意により滞在を許された村から頼まれ、知能無き悪魔を退治することもあった。本能のまま襲いかかり言葉も通じない存在はただの害獣でしかないと、心が動かされることは無かった。

望めることならばあの吹雪の男と同じような、理性ある者と対話したかった。あの男が悪魔の中で異端なのか、私が彼等を悪魔と呼んでいたことが誤りだったのか、問うて確かめたかった。しかし伝も情報もなくさ迷う私が、あの幼体と吹雪の男以外の悪魔(今となってはそう呼ぶことさえ躊躇してしまう)に会うことはついぞ無かった。

もはや清貧という言葉では言い繕えぬほどみすぼらしい姿になれば、村人とすら会話することも儘ならなくなった。しかし孤独になったことにより自身の心の内と向き合う時間が増えた。

だが己に問いかけるも答えは返って来ない。誰に尋ねれば良いのかさえ分からない。

教会に問いを投げ掛けた日、私の胸を晴らす答えが得られたとしても、ただ揺るぎ無き信仰を貫けとだけ命じられたとしても、私はきっとそれで納得した。あの日の光景が胸のつかえになったとしても、真っ直ぐ生きていくことが出来た。

答えを得られぬまま教会から放り出された私は、あの日からずっと、迷い続けている。


クッキーをサクリと頬張った依頼人(仮)が絶え絶えに漏らした言葉に、ドラルクキャッスルMarkⅡ城主ドラルクはポーカーフェイスをしながら「えっこの人誰だっけ?」と動揺を隠していた。

普通に初めての依頼人だと思っていたのに、このスーパー万能天才マンたるドラちゃん特製クッキーの味を知ってる、つまりは顔見知りなの!?普通にお客様対応しちゃったよ!じゃあこのモジャさん(仮名)からしたら知り合いに会いに来たのにすっかり忘れられてハジメマシテされてる状況?それで遠回しに「私のこと覚えてる?(圧)」ってこと!?

もしこの状況で白々しく名前を尋ねれば、機嫌を損ねてボカーン!される?それとも「え?誇り高き高等吸血鬼なのに長生きしすぎて脳が錆び付いてます?」とか思われてしまう?若造に伝わってみろあのゴリラここぞとばかりに弄ってくるぞ。

落ち着け落ち着けビークール私。新横浜の生きるコネクション、このコミュ強吸血鬼ドラルク様にかかればさりげのない話術で名前をそれとなく聞き出すことなど赤子をあやすが如く、いややっぱ無し泣き声で死んでしまう。

改めて観察すれば密林のごときあのモジャモジャ髪に見覚えあるような無いような。ええい、マイクロビキニ着るとかもっと自己を主張したまえ!

もうちょい、もう喉頭あたりまで出てるから!ちょっとつっかえてるだけだから!!只でさえ今日は御祖父様の恒例いかれイベントに巻き込まれてヘトヘトだというのに、その上あの嫌みケツホバ卿は渦中でもチクチクと何度も小言を刺してきやがって。あれに脳の容量を99.9%も割かざるを得なかったのだ。アレさえなければこのI.Q200のドラドラちゃんなら直ぐにQED(証明完了)していたとも!おのれあのヒゲヒゲが~~💢

と只の八つ当たり以外の何物でも無い思考の濁流の中、あの切り揃えられた髭を湛える美丈夫の顔が、何故かちょっぴり引っ掛かった気がした。

ん?ん?ん~??邪魔するんじゃない歯ブラシめ、今私はせわしなく脳をフル回転させているのだ海馬の向こう三千里辺りにでも行っていろ。

なおドラルク自身は華麗にポーカーフェイスを決めていると思ってるものの、同室のアルマジロには主人の百面相により大体の思考は筒抜けであり、何とも言えないアルカイック・スマイルを向けられていた。

未だ初対面の挨拶をしたわけではない今から思い出せばセーフだと、名探偵ドラルクは適当に世間話をしながら来訪者の観察に徹することに決めた。当たり障りの無い話題は何かと考えたところで、来訪者の口調に少し違和感があったことを思い出した。随分と古い、黴の生えたとさえ表現出来る程懐かしい言い回しだった。思い出すのに寸の間かかったくらいだ。

人間吸血鬼を問わず、異邦人などそこいらに石を投げれば当たる程に溢れている魔都新横浜だ。外国語を操る御仁も全く珍しくない。ただしそれが数十年以上も前の言語であれば別だ。齢百にも満たない人間は兎に角、古き血を引く同胞すら言語は自然とアップデートされるもの。人間社会を厭い夜の闇に溶け込む者だとしても、同胞達が俗世に染まるならば新たな風に靡かざるを得ない。

さしずめこの来訪者は、生きた化石と言ったところか。

よし取っ掛かりぽいものは見つかったぞ唸れ私の灰色の脳細胞!!と時間を稼ぐために新しく紅茶を淹れ直そうとするドラルクを、客人は気分を害する風もなく紅茶とクッキーを交互に口に入れながら見つめていた。

使う言語の旧さから、ドラルクキャッスルMarkⅡに拠点を移してからの知り合いの線は排除出来るだろう。見た目もポンチじゃないし。しかし懐かしきドラルクキャッスル(ver.1)時代の知人もとい顔見知りなど血族を除けば宅配業者くらいで、招いて歓待したことがあったとしてもこの口調を全く覚えてないなどあるだろうか。日本に来る以前はずっとお父様の城に籠っていたし、お父様に招かれていた人だろうか。当時から口調を変えていないのであれば、当世の言語が現代では廃れていてもおかしくない。でもお父様の客人なら私のクッキーでもてなすかな?

思考の坩堝に沈みそうになるドラルクの脳内に、鬼ごっこ時の記憶が抜けないのか時折チラッチラッと涼しい顔の髭面ダンディーが見切れてくる。お前三千里向こうへ行ってろと言っただろ本人不在でも嫌がらせしてくるとかこのKYH(空気読めない歯ブラシ髭)め。脳内の師匠の頬にバ○ボンの様なグルグルを書き加えながら、師匠の追い出しと記憶の深堀りを同時に試みようとする。大体私の客人なら貴方が出てくるのは筋違い......と思ったところで、ティーカップを握る小指の立った手が目に入った。

上流階級であれば矯正されるであろうポーズが、完璧なティーセットが、クッキーを絶え間なく頬張る姿が、全身を襲う寒気と共に既視感を与えてくる。部屋は暖房が効いている筈なのに、寒さに凍えて死んだ記憶が甦る。冷気を操るあの御仁は、私の為に人一倍室温に気を遣っていた。私が凍え死にしないためにか、この一点においてはお父様より執拗だった。それなのに、まだ幼い私があの男の目の前で寒くて死んだ時があった。開かれた窓とたなびくカーテンの間から無作法に帰ってきた男の焦燥顔は、確か何が理由だったか。

そうしてドラルクはもう一度、客人の姿を見つめ直した。


伸び放題な前髪の間から私を見る瞳は、眩しいように細められ/眉が怪訝にしかめられて

二人きりの密室の中、沈黙に居心地を悪くしている風でもなく/ 私が捲し立てる声に圧倒されていて

口に入れた紅茶と菓子を懐かしむ様に/あまりの美味しさに感激して目を見張る様に、

味わう姿が

重なって



古き血を有する吸血鬼の使い魔は、主人の纏う空気が変化したことを感じ取った。顔の表情だけで右往左往していた姿はもうない。ピンと正された背筋からは、さあ今夜はどんな面白依頼なのかと冷やかそうとする態度も数秒前まで慌てふためいていた姿も払拭されている。

自分をを甘やかしてくれる慈愛の表情も、悪巧みしている時の悪どい顔も、ジョンは大好きだ。しかしごく稀に見られる、ソシャゲガチャSSRの特殊演出よりも貴重な姿は、一等格別だった。

己の主人の畏怖い姿に興奮しない使い魔などいないのだから。


「まずは再会の挨拶が遅れてしまったことに御詫びを」

そうして城主は、手を胸に当てて恭しく一礼した。

礼を受けた来訪者がキョトンと目を見開く様子に、生まれて始めて招き入れ歓待した客人の記憶が脳裏に鮮やかに色付いてくる。思い出した姿とは少々細部が異なるが、自分たちを取り巻いた時代の変動に比べれば些細すぎるものだ。

「貴方が屋敷を訪れた日から何があったのか。今日まで互いにどのような半生を歩んだのか。悠久に近い時を経てこうして邂逅したことに比べれば、些末なことです。

ようこそ我が城へ。またお会いすることが出来たことを、大変喜ばしく思います。

今日はあの日中座された分も、最後までどうかゆっくりお愉しみください」

そう言いながら客人の空いたカップに新しい紅茶を注ごうと、机のポットを持ち上げた。



百九十年以上の時をさ迷い続けていた迷子は、時も海も越えた異国の地で、ようやく目的地へと辿り着いたのだった。


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