爪痕
ついに、"ロシナンテ"が見つかった。
連絡を受けた翌日、スパイダーマイルズのアジトには久々に最高幹部たちが顔を揃えていた。コラソンの名を、そしてある使命を帯びるこのヴェルゴを除き、各々の組織でボスを務める彼らがアジトに戻る機会は実のところあまりなかった。
だからだろうか。まるで我らが王を見出したその日に戻ったような、奇妙な空気が場を満たしていたのは。
14年もの捜索がようやく実を結び相棒の手に戻ったロシナンテは、かつてのように押し黙って兄の後ろに控えていた。大きく変わった点といえば、前髪で隠れていた兄と同じ色の瞳が露わになったことくらいだろうか。もちろん背も伸び立ち姿にも隙は無くなっているが、あのドフィの弟であるのだ。まだ子供と呼ばれる年頃であった彼らを知るおれたちは皆、むしろそうであることが自然だと感じていた。
「連絡の通り…こいつに仕事をさせる予定はねえ。ここに住まわせはするがな」
いいんじゃねえか。異論なし。次々と上がる最高幹部たちの声を遮ったのは、ロシナンテが二度靴を鳴らす音だった。ノックを二回。ノーの合図だ。
つい、と動いた赤い目が、傘下に彼を見つけたというディアマンテへと向く。
偽名を使いながら一匹狼の賞金稼ぎとして海を転々としていたらしいロシナンテは、兄の決定に些か不満気味な様子だった。自分だって戦える、といったところか。
「ウハハハ!!おれはお前の腕を買っちゃァいるが、それ以前にドフィの弟だろ」
「フフフ!そういうことだ」
ロシナンテは何か言いたげだったが、王の決定はファミリーにとって絶対である。
かくして無事"保護"されたロシナンテは、めでたく何ら役職を持たない、ボスの弟というだけの立場でアジトに住まうこととなったのだった。
最初ドフィは、本気で弟に仕事をさせないつもりでいた。
ただ自室の隣に用意してあった部屋を弟に与え、アジトから連れ出すことすらせずに日々が過ぎていった。特にすることも出来ることもないロシナンテは、興味津々で近寄ってくる子供たちを蹴散らす他には大概安物の紙巻煙草をくゆらせながら、目についた本を片端から読んで過ごしているようだった。
船長の留守を、そして我らが王の宝を守るのはコラソンたるおれの役目だ。海賊稼業でアジトを空けることも多い相棒よりも、必然的にロシナンテと顔を合わせる機会は多い。そう、つまり、彼の有様をまざまざと見せつけられる機会も随分早くに、そして頻繁に訪れることとなったのだ。
なるほど、これが"獣"というものか。
相棒がかつて口にしたそれをおれが目にしたのは、おびただしい返り血に塗れたロシナンテが、内臓を引きちぎられ事切れた死体を引きずって現れた時だった。
ディアマンテの目に留まった経緯も、ドフィと再会したその日に既にロシナンテが刺客を数名始末していたことも、おれは先に聞いて知っていた。そこに理性的な判断が伴っていることも。だが、盗聴用の電伝虫と会議内容の書き込まれたメモという証拠が無ければ、おれは彼が愉しみに人間を殺したのだと疑いもしなかっただろう。
血の色を透かすその赤い瞳が光を湛えるのは、ただただ血の中に在ってだということに気付くまで、それからそう時間はかからなかった。
また、ロシナンテはほとんど常に煙草を吸い、何者かを殺している時以外はたいてい本に視線を落としていたが、それは彼の興味を反映したものではないようであった。
煙草は明らかに値段で選んだものを支給品の中から手に取り、読む本に関しても大変な乱読家で、文字を追えるならば専門書も料理本もゴシップ記事も変わりないというようにさえ見えた。
そもそも彼が人間を手にかけること以外の何に興味があるのか、価値を見出しているのかは兄である相棒にさえ分からなかった。
兄の命令があれば殺しを慎むかもしれなかったが、それをして彼の心に残るものを想像してしまえば、おいそれと取り上げてしまうわけにもいかない。
ならばともかく、まずは良いものを知るべきだ。
ドフィは血の繋がった弟に美しいと、あるいは珍しいとされている選りすぐりのものを与えた。対してロシナンテは、いつもどこか根本的な所で致命的に共感や情動が欠けているのではないかと思わずにいられないような反応を鈍く返すだけだった。
だが、それでもまだ行き止まりではなかった。
おれは、彼が他とは大きく異なる対応をするものを一つだけ知っていたのだ。
子供だ。それも、声変わりも迎えていないような幼い子供たちだ。
初めの頃、おれはそれが彼なりの関心や感情の裏返しであると考えていた。もしかすると、賞金稼ぎとして生計を立てていたロシナンテからすれば"未来ある子供たち"に海賊の道を選ばせるということはしたくないのかもしれないとすら思っていた。
だがその後観察を続けて判ったことは、どうやら彼は時折子供らを目で追っているということ。子供嫌いで通しているその目線は警戒や嫌悪を帯びたものではなく、そして同情や憐れみが含まれたものですらなく、むしろ野良猫が小鳥を追うような類のものであるらしいことだった。
血に獣を飼う男のこういった側面を目にする度、おれは己の脳裏を掠める考えを否定しきれずにいる。
獣の瞳を持つという我らが王その人よりも、彼はよほど獣に近いのではなかろうか。
執拗に傷を負わせ、臓腑を素手で捻じ切った死体に一瞥もくれなかった姿が、脳にこびりついて離れない。
彼の、ロシナンテの在り方は、おれたちや、ドフィのそれとすら異なっているのではないのか。
しかし獣を、そしてそれを宿す血を嫌悪し憎んでさえいる相棒は、その血を分けた弟にはいつも穏やかな目を向けるのだ。
おれにはそれが何かおそろしい、いや、"おぞましい"ものの訪れであるように感じられて仕方がなかった。
ロシナンテにコラソンを継がせるという話が出たのは、おれが海軍へと潜入することが決まってすぐだった。
声を揃えて賛成を唱える皆を前に、おれは密かに嘆息した。
確かに今、彼の他に最高幹部の椅子を埋められるような者はいない。元々書類仕事が中心の席だ。彼なら引継ぎも問題なく完了するだろう。それにコラソン自体アジトを離れることが少ない役職で、その点においても彼を外に出したがらないドフィの意向に沿っている。傍目に見れば、ロシナンテはうってつけの人材だった。
だが、相棒よ。
「ロシナンテに、あの銃を継がせるのか」
「ああ」
獣を狩るためのその武器を、獣を血に飼うあの男に投げ渡すのか。
「フフ…お前は反対するだろうと思っていた」
「ドフィ、ロシナンテは」
「あいつは少しも経たねェうちに獣になると、おれも最初は思ったさ」
ディアマンテから書類を渡された頃にはそう思っていたと、相棒は笑う。
「なあヴェルゴよ。獣の声がな、聞こえねェんだ。あいつからは…」
あいつは、獣にはならねえよ。
そう呟いたドフィの声は、言葉とは裏腹に冬の灰色の海の如き苦しさを帯びていた。
海軍に潜入するまでの間、引継ぎ期間となったその頃に、おれは一度ロシナンテに訊ねたことがある。
「ロシナンテ、お前は煙草や本や子供らを蹴散らす行為を、何の為に選んでいる?」
酒ではなく煙草を、美しい品々ではなく本を手に取る理由を。
普段の彼を知っていれば大層可愛らしく思えるような暴力を子供らに振るう理由を。
おれは相棒の為に知っておきたかった。
すると口のきけない、あるいは言葉を交わすことに意味を見出していない男は、億劫そうにペンを執りくしゃりと曲がったメモに一言だけ書いて寄越した。
”にんげん のなかでいきるため"