熱間ミルスケール

熱間ミルスケール


スパ錆.3


 濡れた体をタオルで拭ったスパナは腰にそれを巻いただけの姿で錆丸の待つ部屋に戻る。ベッドの上で錆丸は、コートを脱がせたままのスウェットシャツで肩を丸め、俯いたその顔は影となり間接照明の薄明かりではここから表情をうかがうことはできない。いいや、右腕を吊っていた三角巾は外され、ベッドからすぐ下の影に靴とズボン、下着まで脱ぎ捨てられている。芳香剤の中に混ざるその独特なにおいにもスパナはすぐ気づいた、そして理解した。これからする行為を頭で整理して一度だけゆっくり瞬くと、錆丸に歩み寄りベッドに横座りになる。二人分の重みに沈むスプリングが軋みを上げ、その音に錆丸の肩が跳ねる。

「……遅くなった」

 実際には軽く汗を流しただけでスパナがシャワーを浴びていたのは10分もない、待たせたと言うにはあまりにも短い時間。だが今の錆丸に時間の感覚など怪しいものだ。スパナを待っていた、それだけが事実。声をかけられた錆丸はますます体を縮こませる。開いた足の間に置いた手の中でぐちゅりと小さく音を立てた。

「ぁ、うぁ、ごめ……な、さ………」

「謝るな」

 言葉を探してもうまく伝えられない、だから錆丸はただ謝った。スパナがシャワー室に向かった直後から、待ちきれなくなり少しだけ触って、それでも治まらないから下着を脱ぎさらけ出して、うまく動かせない右腕を三角巾から下ろしてでも手を動かし続けた。息を荒くして、服を脱いでいく彼の姿を目蓋の裏に描きながら、あの手に抱えられた感触を思い出しながら。そんなどうしようもない姿を見せて迷惑をかけている、いたたまれない気持ちでいっぱいなのにどうしてかスパナに見られていることに興奮している自身がいる。握った中心は手の中で正直な反応をしていた。

「う、ぅ……」

 スパナの視線から逃れたくて顔を俯けた錆丸の頭に手が伸びる。そのまま顎を引き上げられスパナの顔は鼻先が触れそうなほど近くにあった。

「っ、あ」

「なにも言わなくていい」

 ごく間近でスパナは錆丸を見つめ続ける。その目だけには言葉ひとつや振る舞いからでも感じられる強い意志が宿っていた、濁りないそれが錆丸はひどく苦手だった。人と目を合わせることも会話さえ避けたい自分にとってスパナの視線はあまりに鋭すぎる。しかし目をそらそうにも体は動かず、耳元に口を寄せられたかと思うと吐息を感じるほど近くで囁かれた。

「もう少し下がるぞ」

 スパナは錆丸の後ろに座り直すとわきの下から両腕を通し腹の前で交差させる、錆丸をぐっと引き上げると二人の体はぴたりとくっついた。服越しにでもわかる人肌に錆丸が目を細め、自然と開いた唇から熱い息が漏れる。

「……っ、は……」

「つらいか?」

 問いに彼はゆるゆると首を振った。完全にベッドへ上げられ、足の間に隠れていたそこも露わになる、後ろから錆丸を抱きかかえるスパナも今度こそはっきりとそこを目にしただろう。それがたまらなく恥ずかしくて服の裾を伸ばし隠した。オーバーサイズのスウェットシャツは錆丸の腿まで届いてくれたが、今なお彼に見られているという自覚は錆丸の意識の外から興奮を湧き上がらせ、熱に任せて体が動き出す。

 スウェットシャツの下でぬるぬると勝手に動く手と、自分の意思ではなく弄り扱かれる感覚、連続的に立つ水音。鶴原錆丸、とスパナの声が耳元でしてぞっとする。

「ぁ、ぁあ……ぁ、ぅ」

 ごまかしようもなく自慰行為を晒す羞恥と罪悪感で涙が溢れてくるのに手は止められない。滴る先走りは手にかかる袖口も汚して太ももをべたべたにしていく、それがどうしようもなく気持ちいい。錆丸は体をスパナに預けたまま壊れたように手を動かし続けた。両手は輪をつくり、すっかり勃ち上がっている幹を通して扱く。力加減などできずにただ上下に動かすだけ。

 「鶴原錆丸」と、もう一度スパナが呼ぶ。前に回した腕に抱き留められたまま、微かな吐息で耳元に口が寄せられたのがわかる。その声色は変わらない、ならきっとあの目も変わらないのだろう。反らすことなくまっすぐに、上擦った声を漏らして行為に耽る様を見られている。──見ないでと願っても手は離してくれない。後ろから抱いた肩越しに握り動かすそこへ目が向けられている、服の裾から覗くそれを見てる、男の視線に錆丸の体はピリピリと小さな電撃が走ったようになり、思ってもないのに口元が歪んだ。ぬち、ぬちゅり。恥知らずな音を立てながら錆丸の手は自身を追い立てる。

「ぁっ、ぁっ、ぁ、は、……っ」

 腰を揺すって悦がる、でも自分の意思じゃない。こわい。外から真っ黒い情動に思考を塗り潰されたあの時のように、今度は快楽に全てを奪われていく。ひとりよがりの行為に自身がいなければここには誰がいるのか。勝手な手が前を擦り上げながら、タオル越しのスパナの股ぐらにお尻をこすりつけてここに欲しいと乞う。熱は高まりきっているのに足りない足りないと彼の手が当たる腹が鳴いて、恥ずかしさも気持ちよさも欠乏もぐちゃぐちゃのわけのわからなさに泣いた。熱に浮かされた体がとっくに言うことを聞かなくなっていたのを、錆丸は嫌というほどわからせられていた。

「ふぁ、ぁっ! ぁ、あ……ッ、ぁ、あ、ぅ……!」

「……つらいな」

「ぁ、ぁ、……ん、ぁ、」

 錆丸も今度は首を横に振らなかった。腕の中の体はシャワーを浴びたばかりのスパナよりなお熱い。

「触るぞ」

 不意にスウェットシャツをたくし上げられ、彼の手が服の下に入り込む。

 直に触れられた瞬間、錆丸は息を吞んだ。待ち焦がれた手は、温度は、少しひやりとして汗ばんだ肌が吸いつくように迎え入れる。ただ触れられただけなのに痺れるような感覚が走り、手の動きが緩む。薄く張った腹筋をやわやわと揉むように骨ばった手が動いて、錆丸の足先が小さく跳ねた。

「ぁ……っ、ん……!」

「ここか」

 緩く、幾度も、下腹を押されるたび背筋を走り抜ける小さな電流に、錆丸は喉で泣き声を上げた。疼いてしかたがなかったところにようやく届いた感覚が頭の中に甘く広がっていき、引き攣れた声が真に色気を纏っていく。スパナのもう片方の手は腹から胸へ、鎖骨から首筋へと上り、顎を少し持ち上げた。首の柔い部分を指先で擦るように辿られ、肌を震わせる。

 気づけば錆丸は服を脱がされていた、がそれもかまわない。頭がくらくらしてまともに考えることが難しい。……恐怖はもうない。

 体と体がくっつきすぎているせいだろうか、かえって輪郭を意識してしまう。しなだれかかり密着した肌と肌の感覚に熱い吐息を落とす。子猫のように顎下を撫でられては、肩に頭を預け 喉をさらけ出した。すり寄れば自然とスパナの首筋に鼻先を埋めるかたちとなり思わず自らを抱く男の匂いを嗅ぐ。ボディソープか、人工的な甘さの奥でしっとりと汗ばむ肌に薄暗い期待が持ち上がる。腰を押しつければたしかにスパナの雄が反応を示しているのがわかった。その熱を感じながら錆丸の思考はなおぐずぐずに溶かされていく。

 ぐぐ、と腹の上から弱いところを触られ内側へ、痺れるような刺激が伝わり全身へ回って気持ちがいい。空いた片方の手が上から下へ、下から上へと愛撫するのもひどくいい。勃ちきったそこは先端からだらしなく白いものを涎のように垂れ流して歓喜する。けれど過敏になった体のあちこちが悦ぶたびに置かれた手の下が疼いてたまらなくて。もっと強く強く触って、奥に、ここに欲しいと。何度小さくイキながらも頂点に達しきらないまま、そのひと押しを求めて口走る。

「なんだ鶴原錆丸」

「ん……ぁっ、ぁ、もっと……おねが、い…っ、ぅ……ン」

「ああ」

「ここ、に……んぁ……あぅ」

「そうだ、俺の手を意識しろ」

「ぁ、……あ"っ」

 スパナの声が低く、耳に響いた。同時に一際強く下腹部を押されその深い一点を刺激される。途端に錆丸は膝を立てて全身を反らせた。スパナの声は錆丸の中心を直撃し、何が起きたかもわからないまま目の奥で火花が散る。体の中で弾けた快感がコントロールできないまま熱が溢れていく。

 ぁ、ぁ、ぁ、と言葉にならない声が錆丸から絞り出され、びくびく震え絶頂に暴れる彼の体をスパナは抱きすくめた。快楽に耽る肉体に取り残された思考が苦しみの理由ならばいっそ意識を失ってしまえたらいい。眠り、ただ時が過ぎて落ち着くまで、夢も見ずに。望まずに体が求めるまま犯されることを知らぬだけ、まだマシだろう。しかしスパナは手の甲に落ちる涙に予感していた、決してそうはならないのだと。覚悟は決めている。



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