熱に浮かされ、手のひらを受け入れる

熱に浮かされ、手のひらを受け入れる


 身体が熱く、頭がぼんやりとする。理由は間違いなく、先程口にした食べ物のせいであろう。自己治癒能力の高さゆえ薬の類はある程度分解が可能なのだが、それでこの具合は中々どうして強いものが盛られたものだ。

 遅効性のものなのか、時間が経つにつれ身体の自由が利かなくなっていく。それでも気力を振り絞り、如何にか伊織殿の長屋に辿り着けた。


「……伊織殿、いるか?」


 荒く息を吐きながら長屋の中へ呼び掛けると、慣れ親しんだ足音が聞こえてくる。それに安心を覚えた途端、足から力が抜けその場に座り込んでしまった。


「正雪? そんなところで座り込んで如何した? 具合が悪いのか?」

「いや、体調が優れぬのは事実だが、魔術関連ではない……ただ、暫しの間休ませてくれ……」


 最後の力を振り絞って立ち上がり、ふらふらとよろけながら畳の場まで行きそのまま倒れ込んだ。


「正雪!」

「そう、騒がないでくれ……食事、に……薬を盛られた、だけだ……」

「……それは穏やかではないな。何が遭った?」

「片は……既に付いて、いる。貴殿が気にするほどの、こと、ではない……」


 会話を続けながら、自身を抱き締めるように身を縮める。己の屋敷より近い安全な場所だからと、迷惑をかけることを承知で身を休める場として此方に寄らせてもらったが、どうやらそれは間違いであったらしいと今更ながら察する。


(普段なら安心するはずのおがくずと伊織殿の匂いを嗅いでから、腹の奥が疼いている……)


 安心できる場所の筈が、状態の悪化を招いてしまった。私のただならぬ状態に心配している様子の伊織殿に申し訳ない気持ちを抱く。


(ただでさえ、日頃から面倒をかけていると云うのに……)


 あと数年で活動限界を迎える私の身体は、体内の魔力の流れを自力で正常に戻せないほどに弱っている。そのため食事が喉を通らぬ有様で益々寿命を縮める悪循環が起きていたのだが、伊織殿に拾われ協力を申し出てくれたお蔭で、食事を再び摂れるようになるまで回復することが出来た。私は非常に喜んだのだが、長屋に住んでいる者達はそうでは無かったらしい。これ以上の調整は手を合わせるだけでは不可能だと翁殿は悔しそうに云い、未熟なばかりにすまないと伊織殿には謝られ、大いに困り果てた。

 ────恩ばかりが、降り積もっていく。

 食材や消耗品の融通だけでは返しきれないだけの恩があると云うのに、不甲斐なくて仕方がない。

 斯様なことに、意識を向けていたからだろうか。


「────ひぁんっ!?」

「っ! す、すまん……」


 伊織殿に着物越しに背を触れられ、声を出した私自身ですら驚くほどの声が出た。


「い、いや、その、これは……だな……」


 妙に落ち着かなくなり、緩慢な動きで伊織殿へと視線を向け弁明しようとしたのだが、言葉は不意に途切れる。


「────正雪」


 伊織殿の静かな、しかし嫌に殺気立った雰囲気に気圧されてしまったからだった。だが、私が固まってしまったことを察したのか、次の瞬間その空気は霧散し普段の伊織殿に戻る。


「辛いとは思うが、貴殿が感じている状態を正確に説明できるか?」


 だから、安心してその問いに素直に答えた。

 身体が熱く、碌に思考も働かず、思うように動くことが出来ない。普段は何てことのない衣服の擦れにすら、敏感に察知してしまう。


「それに、おかしいのだ……」

「何がおかしいんだ?」

「いつもなら、あんしんしかかんじない、ながやのにおいをかいでから──はらのおくが、みょうに、うずく」


 この感覚は一体何なのだと自身のお腹をさすりながら伊織殿に尋ねようとしたら、今まで見たことのない呆気に取られた表情をしていた伊織殿が、突然自身の顔を拳で殴った。


「い、いおりどの!? いかがしたのだ!?」

「気にするな……未熟な己に活を入れただけだ」

「……?」


 どういうことなのだろうと思ったが、頭が上手く働かない。だが、伊織殿が気にするなと云うのだから、気にしなくとも良いことなのだろう。


「食事に薬を盛られたと云ったな……誰にやられた?」


 此度の下手人らは既に全員牢に入れられ、後は御上の沙汰を待つばかりだと云うのに、何故尋ねてくるのだろう。問いの意図を察することはこの茹った頭では不可能だが、素直に答える。私の言葉の全てを聞いた伊織殿は、大きく息を吐いた。


「……云いたいことは多々あるが、一先ず、貴殿が無事で本当に良かった」


 そう穏やかに笑う表情に何時もなら心が温かくなるだけなのに、今は腹の奥が切なくなるばかり。私の身体は一体如何なってしまったのだろうかと、体を丸め裡に籠る熱を吐き出すように深く息を吐く。

 そのような私の様子を見ていられなかったのか、伊織殿が重々しく口を開いた。


「正雪、俺は……貴殿のその状態を改善する術を知っている」

「ほんとう、か……?」

「ああ。だが、それには貴殿の同意が必要で────俺は貴殿に、酷いことをしなければならない」


 酷いこと、とは一体何のことだろうか。何も想像も付かないが、それを伊織殿が云っていることについ笑いが込み上げてきた。


「ふふ、ふふふ……」

「正雪?」

「いや、なに……いおりどのが、わたしにひどいことをする、というのが、そうぞう、できないだけだ」

「────信頼されているのは有難いが、貴殿、幾ら何でも無防備が過ぎるぞ」


 呆れたように溜息を吐かれたが、気にならない程度には浮かれていた。

 だから、私はこう告げる。


「いおりどのに、なにを、されても、わたしはおこらぬし、しつぼうもせぬ」


 だから、この熱から解放してくれ────その言葉に、伊織殿は大きな手で自身の顔を覆い、深く溜息を吐いた。


「…………せめて、全てが終わった後は怒ってくれ」


 疲れたように言葉を発しながら、伊織殿は私を抱き上げ布団に寝かせると、何故か私に覆い被さってきた。まるで獲物を狙う狩人のような鋭い目に全身が泡立つが、相手は伊織殿なのだから大丈夫だと努めて力を抜いた。

 

 ────そして私は抗うことなく、その手のひらを受け入れるのだった。

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