照内イサム(猥談スレ版)過去設定
その男はボルドーのダブルスーツを着て、待ち合わせでもしているように、昼下がりの公園に佇んでいた。悪戯っ子に踏み荒らされくたびれた花壇さえ、男と共にあるだけで華やいで見えた。
名を、スペシャリテと言う。
もちろん本名ではない。
彼は怪人である。
男は一年と少し前の甘美な思い出を反芻する。
あれは確か、どこぞの治安維持組織にお邪魔したときだ。若い人間がたくさん集まっていた。怪人態の自分を見るなり戦闘体制に入ったのは意外だった。あとで聞いた話によると、そこでは仮面ライダーとやらを目指した訓練中だったらしい、男にとっては些末な情報だ。
そこに運命の出会いがあったのだ。青年と目が合った瞬間、彼こそ己の食欲を満たしてくれる逸材だと確信した。細身ながら鍛えられた体つき、意志の強そうな瞳が恐怖に揺れて、今にも涎が垂れそうだった。
「イサム! 逃げなさい!」
ああ、早く、一刻も早く彼を──そう思ったところにこれまたなかなかの素材が割り込んだ。顔が似ているから血縁者だろうかと思えば、青年が「姉さんこそ逃げて!」と叫ぶ。なるほど姉弟か。違いを楽しむのも悪くないが、逸材をどう味わうかだけに集中する男にとって、姉は単なるスパイスと認識された。
だから男は、強靭な腕を一振りして、女性の意識を刈り取った。
男にとっては大差ないレベルだが、この中ではかなり強い方だったのか、曲がりなりにも戦うつもりだった若者たちの勇気が崩れ去る。
逃げ惑う足音が快いBGMとなる。濃密に立ち上る恐怖と絶望。すべて極上の匂いだ。だけれど今は、この愛らしい青年を。
「君ィ! 名前はイサムというんだね! 出会えて嬉しいよ!」
「……俺のこと知ってんの?」
「いや、初対面だ。しかし運命だッ!」
男の腕が形を変える。現れたのは包丁だ。陽光を反射し、鈍く光った。
その男を人間社会の枠組みに押し込むなら、料理人かつ医者と言ったところか。
ただし扱うのは人間の心。ゲストは自分だけ。舌で味わうだけの美味など、彼にとっては児戯に過ぎない。欲しいのは悲鳴だった。レアステーキを頬張りながら、なぜ自分は用意された食肉しか食べられないのだろう、人間から剥ぎ取って目の前で焼いてやればどれだけ満たされるだろう、と夢想した。
感情を抽出し生成されるメモリは、男の飽くなき食欲とサディズムを同時に満たす素晴らしい食材である。一瞬で魅了された。人を捨てるなど容易いことだった。もっとも、男には並々ならぬ美意識があったので、手当たり次第とはならなかったが。
だから、青年の手足と性器を切り落とすのも、男にとっては下拵えなのだ。
「私の能力はなんだと思う? 三秒以内に答えて御覧」
「ひっ、あ、あああ……やだ……!やだぁ……!」
「さーん、にぃー、いち……時間切れ! 正解は治癒さ! 切った瞬間に治療してあげたというわけだよ! 生やしてあげることはできないが、まだ死んでほしくはないからね!」
青年の周りには血の代わりに数本のメモリが落ちている。前腕、下腿、さらに……切断という直接の暴力で得られたメモリも一目で絶品とわかる色合いだが、男の本命は別にあった。
「ほら、起きたまえ。弟が心配しているよ?」
姉の体を軽く揺すぶって起こす。徐々に開いた目はまず弟を捉えた。無惨な姿で、それでも「姉さん! 早く逃げて!」と訴えている弟を。
男のメインディッシュはここからだ。
「そんな……イサム……!」
「来ないで! 逃げて! 逃げろよ!」
麗しい姉弟愛も、テーブルを彩るフラワーアレンジメントと思えば悪くない。だが男の好みはあくまで負の感情だ。
この女性が、逃げろと繰り返す声を無視して弟へ駆け寄るのは、予想していた。
だから、二人まとめて貫いた。
「い、さ、む──」
「ねえさ──ん゛ぅ⁉︎」
とびきりの悲鳴が上がる寸前、口に指を突っ込み、舌からメモリを生成するのが男の好みだ。生成は体に触れずとも可能だが、悲鳴に近い場所から生み出すことでさらに芳醇な味がする、と本人は思っている。
唾液に濡れたメモリを引き摺り出すと、青年は声もなく、ぼんやりとこちらを見つめるだけだった。一度に抽出し過ぎた反動で虚無状態だが、これは一時的なものなので放っておいても大丈夫。無理をさせた分メモリは輝き(男にはそう見えている)、かつて無いほど魅力的な匂いを漂わせていた。一体どんな味なのか、想像だけで脳が溶けそうだ。
と、複数の足音が聞こえた。別働隊の到着らしい。
「じゃあ、またいつか、イサムくん。邪魔も入りそうだし、今回はこのくらいにしておこう! ……あ、最後に」
「…………?」
「私は立澄アンル、またの名をスペシャリテ。可愛い君には本名で呼ばれたいものだ! ぜひ、今日の絶望と一緒に、脳髄へ刻んでくれたまえ!」
涙の跡ができた頬へキスをして、男はその場を立ち去った。
あれから一度もイサムには会っていないが、動向は追っていた。あの後、イサムが姉の心臓を移植されていたのは予想外だった。皮膚か筋肉でも移してくれれば良い傷になるだろうと思っていたが嬉しい誤算だ。仮面ライダーをつくることに躍起なのだと嗤っていたのはどの幹部だったか。
彼の出張先であるこの街で、今日、ついに会える。
男は遠くへ目をやる。
イサムがメモ片手に聞き込みをしていた。少し痩せただろうか。新しい手足は彼の体に対してややアンバランスで、今すぐ破壊してやりたくなったが、自分の元へ歩いてくるためのものだと解釈する。
男には殺気どころか気配がない。ただ、美しい風景画のように、そこにいる。
段々と近づく距離に、この一年間味わい続けたメモリの余韻が蘇った。何度も何度も挿し過ぎてコネクタをいくつかダメにしてしまったほどだ。持ち帰った手足と性器も大切に保管している──一部は型を取ったり、直接味わったりして、少し減ってしまったけれど。
一年間、今すぐ攫ってしまいたい欲求を抑え続けて、彼の回復を待った。心を二度壊す。初めての試みだが、どんな味がするだろう。
聞き込みを続けるイサムがついに、花壇の方を向いた。そこに立つ男を認識した。青ざめ、崩れ落ちる。あの日魅了された絶望の匂いが、さらなる熟成を経てあふれ出す。
にこりと微笑む立澄アンルは、やあ、とありふれた一言を空気に乗せた。