焦燥と気づかい
『糸師……凛?!』
類い稀ないプレーを見せて、2次選考へのゲートを一番に抜けていった後ろ姿。モニターに表示された名前に納得した。そりゃあいるか。全国大会で優勝したらしいし。
監獄で再会しても、凛と表だって会話を弾ませることはなかった。
偶然二人っきりになったら少し話すぐらい。つかず離れず、は現実でも同じだった。
そのまま、時は過ぎて。
まさか冴ともU-20代表戦で会うことになるとは思わなかった。凄いや、ブルーロック。
“ネオ・エゴイストリーグ”が始まって。
更に時は過ぎて。
有名になり始めていた凛に、あのゴシップは突如降りかかってきた。
“悲劇!今話題の糸師兄弟に隠された壮絶な過去!!”
誰もがその話題を避けるようになってから数ヶ月後。数ヶ月も経てば、少しはタブーな雰囲気も風化して。監獄は以前の空気を少しずつ取り戻しつつあった。最初は荒れていた凛も、口を噤んだ周囲の中で真っ先に話しかけたらしい潔の影響か否か、元の雰囲気に戻りつつあった。
凛は強かった。荒れこそしたものの、サッカーの練習を怠ることは一度もなかったし。落ち込んで塞ぎ込むようなこともなかった。だから、他のみんなも少しずつ気を張るのをやめていったのだろう。
「凛は、どうしてそんなに頑張るの」
「あ"?」
青い監獄No.1の名は伊達じゃないとばかりに、凛は今日もサッカーに打ち込んでいた。
もう休憩時間に突入しているのに、凛は汗だくになりながらひとりトレーニングをしていた。
「…………知ってんだろ。お前なら」
凛の目標は、“糸師冴を倒して、世界一になること”。
でも、どうして倒したいのかは……
「……“知らない”よ。お前、思ってること話さないじゃん」
チッ、と舌打ちをした後に……クールダウンの為か、トレーニングを続けていた手を止めて数分静止した。
「…………兄ちゃ、兄貴には言うなよ」
わかった。と返事をしたら、凛は長らく秘匿してきた理由を話し出した。
「……兄貴の中の弱い俺をぶち壊す。糸師冴を倒して、もう俺はアンタに守られてるような弟じゃないって、証明する。その為ならどうなってもいい」
ふーん。と声に出すと、凛は何か文句でもあるのかと言いたげな視線を送ってきた。
「凛は、冴の為にサッカーやってんの?」
「……」
凛は答えない。
「冴は、“その為ならどうなってもいい”って思ってること……悲しむんじゃないの」
再度トレーニングを始めようとしていた凛の手が止まる。一瞬目を見開いた後、瞬きをして元の目付きに戻った。
「お前に兄貴の何が分かるんだよ……白いの」
刺すような瞳を向けてきた凛に、俺は無意識に目線を左にやってから答える。
「分からないよ。でも、そんな顔してた。冴」
「あ?」
「凛が監獄でも無理してるって言った時の冴、悲しそうな顔してたよ」
脳裏に浮かんだのは、U-20代表戦の時に冴と少し話した時のこと。
凛は監獄でも身体壊すぐらいトレーニングしてた。よくやるなぁ、と冴に話した時の表情。
いつもの張り付けたお面が消えて、一瞬の間だけ無表情になってから。
『…………そうか』
と寂しそうに視線を右下にそらした顔が、鮮明に浮かぶ。
あんまり、普段から人が何考えてるか分からない俺だけど。あの時の冴は、確かに悲しんでたと思う。
「…………っ」
凛が息を呑む。そして。
「俺のせいで、兄ちゃんはああなったんだ。だから、そうするのは……当たり前だろ。なんで、兄ちゃんはいつも……」
少し俯いて、絞り出すように冴への言葉を呟いたその顔を見て……兄弟って悲しい時の顔も似るんだなと思った。
「ねー、凛」
「……んだよ」
前から思っていたことを凛に告げる。
あの頃からずっと、不思議だった。
「冴がああなったのって、凛が悪いの?」
「…………は?」
「凛がそうやって背負いこむから、冴は悲しそうな顔してるんじゃないの」
「兄ちゃんを壊したのはアイツだ。……だけど、兄ちゃんを追い詰めたのも俺だ」
遠くを見ながら凛は言った。遠く、とおくをみていた。
「凛の中ではそうかもしれないけどさ……俺も上手く言えないけど。サッカーする理由、冴以外のことも思い出した方がいいんじゃない」
ネオ・エゴイストリーグの時は、俺だって忘れていたから。多分、今の凛にも見えなくなってしまったものはある。そんな気がした。
「…………余計なお世話だ」
「そう。じゃあ、もう俺行くねー。……“頑張って”」
凛に背を向けて歩き出す。
飲もうと思って結局飲まなかった未開封のボトルを後ろに投げる。
「それ、いらないからあげる。俺の代わりに洗う場所に戻しといてー」
背後から、ボトルを掴む音が聞こえた。