無題_13

無題_13


以前あった事だ。補給の為に寄港した町で、偶々ローと一緒に町中を歩く機会があった。


あの時のウタは、ローから離れる事を極端に怖がっていた。船に乗る事になってから日が浅く、他の船員とのコミュニケーションがうまく取れていなかったのもあるのだろうが。ローのそばが、当時のウタは一番安心できる場所だったのだ。

勢いで飛び出した島の外は危険な事が多く、一人で海を彷徨えば簡単に命を落としかねない。そんな中で、ウタに仮でも居場所を与えてくれたローは何よりの恩人であり、またそばにいると落ち着ける人であった。心の安らぎを求め、ローのそばに居たがっていた。

それをローも分かっていたのか。あの頃から、ローは自身に纏わりつくウタを多少鬱陶しくは思っても、無理に引き剥がす事はしなかった。その行動がウタにとって必要な行為であると理解していたからだろう。自分以外の、特にローの体温に触れているだけで、安心感を得ていた。故に、船内でも船外でも、ローは無理にウタから距離を取ろうとはしなかった。……尤もそれは、あくまで物理的、肉体的な距離だ。時が経つにつれ、ウタが求めたローの内面には、何時まで経っても触れさせてはもらえずにいた。

でも、それでも良かったのだ。だってこの時でも、ローはウタのそばに居てくれたのだから。


初めて見る町に目を輝かせ、色々なものを興味津々と言った様子で見つめるウタは、何度も足を止めていた。その度、ローも同じく足を止め、ウタが再度歩き始めるまで辛抱強く待ってくれていた。それでも、何度も重なれば流石に我慢も利かなくなる。そうなると、ローはウタが何度目かに足を止めた時に、黙ってその手を引いたのだ。

これには、当時のウタは大層驚いた。物理的距離は目立って取らなかったが、それでも、こうしてローから触れてくるとは思ってもいなかった。握ってくるローの手は、普段刀を扱っているからか剣だこがあり、指先も少しかさついていた。ウタの手と比べると手の平は大きく、指は長い。明らかに違うサイズの、大きな手。それにスッポリと自分の手を掴まれて、ウタは困惑こそしたけれど、嫌悪を抱きはしなかった。寧ろ逆に、嬉しくて嬉しくて、堪らなくなって泣きそうになった程だ。

ウタの記憶の中にあった、昔にいなくなってしまった大好きな父親たち。彼らの手ともまるで違うローの手が。少しだけ冷えたその体温が、こうして触れてくれる事が泣きたくなる程嬉しかったのだ。


「……ロー、くん」


小さく名前を呼んでも、振り返ってはくれなかったけれど。代わりに、手を強く握ってくれた。それで今度こそ、ウタの目の端からは涙が一粒、コロリと落ちたのだ。

そうして一緒に町を歩いた。船に戻らなくてはならない時間までずっと、空が夕闇色に染まるその時まで、ローはウタの手を離さないでいてくれた。それが、ウタが最初に想いを芽生えさせた瞬間。それからずっと育み続ける、ローへの恋心が顔を見せた日の、大事な思い出だった。


*****


「……へへっ」

「? おい、どうした」

「んーん。何でもない」


そんな思い出が、不意に脳裏に蘇って。あの時に芽生えた想いが、枯れずに残った事が嬉しくなって、ウタは思わず笑い声を上げる。それに気付いたローが、怪訝そうな顔でウタを見てきた。あの時は振り返る事もしなかったローが、今では些細な事でもウタを気に掛け、こうして何事かを尋ねてくれる。それがどうにも、嬉しくて嬉しくて、笑い出しそうなぐらい幸せなのだ。

嬉しい気持ちに背を押され、ウタはローの腕に抱き着いた。握り合った手はそのままに、ローの腕に顔を押し付けながら笑う。ローは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに目を細め、小さく笑みを浮かべた。


「なんだ、やけにご機嫌だな?」

「だって、久しぶりにローとデートなんだもん。嬉しくってこのまま空まで飛んじゃいそう」

「そりゃ困るな。漸く手元に置けるようになったのに、飛んで行かれたら追いかけるのが面倒だ」

「はは、ひどーい」


それでも、追いかけてくれるんだ。そう考えると、ウタはもっと嬉しくなって、満面の笑顔を浮かべた。


「さっさと行くぞ。あくまで補給がメインだからな」

「はーい」


そう言って歩くローは、ウタを振り払ったりはしない。手を握り合ったまま、見慣れぬ町中を並んで歩いて行く。

どうかこのまま、一緒に歩いて行けますように。そう願いながら、ウタはローの手を強く握った。

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