無題
ゆっくりと意識が浮上した。すっかり見慣れたここは自分以外に寝具として使われることのない彼のベッドの上だ。行為後の気だるい体はおざなりに清められ、しっとりと汗ばんだ素肌が乾いたシーツに包まれている。
今回は独り占めしたい気分だったらしい。乗船後すぐ彼の部屋に連れ込まれ、半ば気絶するように意識を落とすまで愛され続けた。最後に窓から見た空模様は夕日で薄らと赤く染まっていたが、今では星が瞬いており大分長く寝ていたことを知る。
ティーチはどこだろう、と首を回すとベッドの上に身を起こして本を読んでいた。目が覚めたことには気が付いているだろうに、彼は一瞥もくれない。ともすれば冷たく見える態度だったが、いつ起きるかわからない相手に寄り添い続けてくれるのが彼の優しさだと知っている。というのも、以前の逢瀬で「起きた時傍に人肌があると安心する」と伝えたからだ。それ以来この船で目覚めた時に一人だったことはない。彼らはいつだって自分を甘やかしてくれる。
身を捩ってティーチの胸元に這い寄り、収まりのいい場所を探す。しばらくうごめいていると本を持っていない方の手が肩に回った。くたびれきった体で巨漢の彼に掴まり続けるのはしんどいので遠慮なく身を委ねる。彼の体も自分同様に湿っていたが、素肌同士の触れ合う感触は思いの外心地いい。
ティーチは趣味である考古学の本を読んでいるようだった。軽く覗き見たが随分と難解な内容のようだ。見かけによらず知識人なんだよなあとぼんやり思っていると、眺めていた頁の一節に覚えのある記述を見つけた。本文中に書かれていない背景を呟くと、彼が呆気に取られた顔を向けてくる。
「よく勉強してんな」
博識な彼に知識を褒められるのは純粋に嬉しい。その顔が見たくて一生懸命調べた甲斐があるというものだ。話の通じる相手に気をよくしたティーチが楽しそうに語りだす。子供のように饒舌になる様は、"四皇黒ひげ"を取り巻く悪評と釣り合わなくて何だかおかしかった。
相槌を打つ力もない体を預け、ティーチの語りに聞き入る。真上から降ってくる彼の声以外は、波の音と船員の遠い喧騒が聞こえるのみだった。この船上でこんなに静かな夜はいつぶりだろうか。僅かに波に揺られるベッドの上で彼の体温に包まれていると、なんだか遠い記憶の中で経験したことがあるような気がする。ああそうだ、これは。
(ゆりかごの中みたい)
思い当たると同時に、先ほど覚醒した頭が急激な眠気に襲われる。彼らに浚われるのを待つ間に溜めておいた体力は、一度の行為ですっかり消費してしまったらしい。とはいえ自分から話を振っておいてさっさと寝てしまうのは気が引けた。何より彼の話は興味深いからもっと聞いていたいのに。
「聞いてんのか?」
反応が鈍いことに気付いたティーチの声が訝しげなものになる。こっちだって聞きたいのは山々だ。この短い逢瀬の中で穏やかに話ができる時間など限られているのに、もったいなくて眠ってなんていられない。重さの増していく瞼に逆らおうとしても、彼の低い声は寝物語にお誂え向き過ぎた。
聞きたくないわけではないことだけは伝えたくてむずかるように額を押し付けて唸っていると、大きな手に優しく肩を叩かれた。無理せずに寝てろということだろうか。まるで幼子を寝かしつける親のようで、こみ上げる面映ゆさに思わず笑いが漏れた。「ご機嫌じゃねェか」とつられて笑う彼もまた機嫌のよさそうな声色をしている。
いつも豪快に呵々大笑するティーチの、こんな微笑ましいものを見るような笑い方は中々珍しいのではないだろうか。どんな顔をしているのか気になったが、いい加減寝ないほうが難しくなってきた。諦めて瞼を閉ざせばいとも簡単に意識は沈んでいく。
話の続きは目が覚めてからねだることにしよう。その時まで彼はここに居てくれるだろうから。