無題

無題


「みんな~! 今日は楽しんでってね~!」

「U! T! A! U! T! A! フゥウウウウウウウウウウウウウウウウ!」


食堂の奥を陣取って開催されたウタのライブ。普段は海中を潜航する事が多く、また密閉空間なのもあって、無意識に気分が滅入る事がある。それを解消するため、ウタがポーターラング号に乗船してから、月に一回のペースでこの催しは行われている。

ウタは元々歌が上手く、試しにその歌声を披露したところ、即座に船内の全員を魅了してしまった。特に分かりやすいのがベポで、今も他の船員の邪魔にならない位置に座りながらも、お手製の団扇を振ってウタに声援を送っている。ペンギンとシャチはお互いに肩を組んではしゃいでおり、他の船員たちもそれぞれ思い思いに楽しんでいた。そしてウタ自身、船員たちからの声援に嬉しそうに笑い、手を振って応えながら歌っては踊って、ライブを盛り上げている。

そんなウタと船員たちの様子を、食堂の入り口近くに座って、ローは眺めていた。初めこそは「はしゃぎ過ぎだ!」と叱責していたが、今では船員たちが楽しんでいる様子を見ているのが常だ。こんな閉鎖環境で過ごしているのだから、偶には息抜きが必要なのは理解している。地上に上がればその時に息抜き出来るのだろうが、場合によってはそれも難しい。だからこそ、船内で行われるこのライブ自体は、船員たちの精神的健康を維持するのに効果を発揮している。だからこそ、ローは今はこうして騒いでいる船員たちを眺めるに徹しているのだ。

ウタに向かって声援を送る船員たちは、先日見た時に比べても元気が戻っている様に見える。一部の船員は顔色もあまり良くなかったが、今は興奮してるのもあってか顔の血色が良い様だ。あの様子なら、明日には元の調子に戻る事だろう。代わりに操舵室には、現時点では問題ないと判断された船員たちが詰めている。念のため後で様子を見に行くつもりではあるが、次のライブの時にはこちらに参加できるようにシフトを調整しなくてはならない。まだ先の事ではあるが、考えておくに越した事はない。

そして次に、船員たちの前で歌っているウタへと視線を向ける。ウタはこうして歌う事自体がストレス解消にも繋がっているようで、ローの目から見ても大分調子が良い様だ。水を得た魚、とはこういう事を言うのだろう。ベポに向かって手を振って、笑顔を見せながら楽し気にクルクル踊っては歌っている。あぁしている様子は、見ていて飽きない。普段はローのそばで笑っている姿が、手の届きにくい所にある事には少々思う処がなくもないのだが。

そのままジッと、ウタの顔を見つめていると、視線に気付いたのだろうか。ウタの目が、集団から離れた場所にいるローを捉えた。一瞬、互いに目が合ったと思った。ウタは目を数度瞬かせると、何がそんなに嬉しかったのか。はにかんだ様に笑いながら、ローへ向けて小さく手を振ってくる。ローもまた、そんなウタに目を瞬かせた。そして気紛れに、ウタに手を振り返す。軽く数度、手を振っただけ。それがウタにはとても嬉しかったようで、一瞬驚いた表情を浮かべた後、満面の笑顔を浮かべた。ぱぁ、と花が咲いたような笑顔に、ローは視線を奪われた。

次の瞬間には、ウタはライブへと意識を戻して、ローから視線を外した。楽しそうな声が聞こえてくる。その間も、ローは先程見せたウタの笑顔が脳裏から消えずにいた。

少しして、ローは操舵室へと向かうべく食堂を離れた。背後ではまだ、ウタのライブが続いている音が聞こえる。恐らくこのライブは、今日はまだまだ続く事だろう。食事の時間までには落ち着いてくれることを願うしかない。……だが、この楽し気な音が響く時が、ローは存外嫌いではないのだ。

脳裏には再び、先程ローに向けられたウタの笑顔が浮かぶ。それを思い出している間、自分の口元が僅かに緩んでいる事には、ローは気付かずにいた。

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