無題
男たちがアクアリウムバーで騒いでいる中。サンジ曰く、女神達の園でも話が盛り上がりつつあった。
「で? 実際どうなのよ」
「ん?」
ナミとロビンに招待され、女部屋へと招かれたウタ。最初はローと離れる事に対する不安もあったが、ナミが事前に用意したお菓子を前にすると一気に気分も浮上。元々甘いものが好きなのもあって、お菓子を食べているとテンションも上がる。そうしている内に、徐々に二人にも慣れていった。
今も食べていたクッキーのかすが口元に残っていたが、ロビンがウタの肩に咲かせた手で丁寧に拭いてくれている。年齢はゾロやサンジと同い年と言うが、本来年下であるナミから見ても世話を焼きたくなる雰囲気を纏っている。女性陣二人から構われ、楽しい時間を過ごしている中、唐突なナミの問い掛けにウタは首を傾げた。
「実際、ってなにが?」
「だから、トラ男くんとの事よ。恋人同士なんでしょ?」
「うん、一応」
「一応だなんて、随分謙遜するのね」
「そうかなぁ」
「で、で? 実際どんな感じなの? トラ男くん、私らはまだ会ったばかりだからよく分からないんだけどさ。ウタから見て、どんな人? 優しい?」
「こんな危険なところまで連れて来たぐらいだものね。そばにいて良い、ってぐらいには想われてるんじゃないかしら」
「うーん」
ロビンの言葉にも首を傾げるウタに、二人は「おや?」と思った。パンクハザードで出会った当初は、大変微笑ましい恋人同士だと思っていたのだが、当のウタはそうは考えていないらしい。だがあの研究所の危険性は、ローが一番理解していた筈。そんな場所に恋人を連れて行ったという事は、そばにいないと落ち着かないからでは、なんて甘い感情の伴う予想をしていたのだが。
どうしてそんな、濁す様な答えばかりなのだろうか。そんな疑問を感じ、二人は自然とウタを見つめる。ジィ、と二人分の視線を受け、ウタは居心地悪そうに顔を歪める。目をキョロキョロ動かす様子は落ち着きがなく、なんと言えば良いか判断できずにいるようだ。それでも、黙ったままで許してくれるほど、ナミもロビンも甘くはない。沈黙に耐え切れなくなったのはウタの方で、はぁ、と一度だけ溜息を吐いた。
「……あんまり、二人が期待する関係じゃないと思うよ?」
「? どういう事?」
「だってぇ。ロー君、確かに私の事は大事にしてくれてると思うけど……あんまり、恋人らしい事はしてくれないし」
「そうなの?」
「あら。彼って照れ屋なのかしら」
「と言うより、何時でも私が船を降りられるようにって気を使ってくれてるんだと思う」
ウタからの予想外の言葉に、ナミもロビンも目を見開かせる。船を降りられるように……それはつまり、ウタは何時か、ローの船を降りる予定があるという事なのか。しかし、どうして。そんな言葉が顔に出ていたのだろう。ウタは驚く二人を見ると、苦笑を浮かべる。
「私ね。いつかは家族に会いたいなぁとは思ってる。でも、もし家族に会えたら、きっとロー君とはバイバイしなきゃいけないんだ」
「……どうして? 家族に会ったからって、別れる理由にならないでしょ」
「私だって嫌だよ。どんな理由があったとしても、ロー君は私の恩人で、大好きな人だもん。ずっと一緒にいたい。でも、ロー君、優しいから」
ウタを、十年以上前に別れたままの家族と会わせる。そして無事に会えたなら、ウタを家族の元へ帰す。家族と再会出来れば、危険な旅にウタを連れて行く必要はない。家族と一緒にいられるなら、その方が良い。それはウタが、ローと最初に交わした約束でもある。真面目なローの事だから、きっと律義にその約束を果たそうとするだろう。ロー自身が果たせなかった場合、船員の誰かに後を託してでも。そう考えているのだ。
ウタにとっても、家族に再会するのは願ってもいない事だ。叶えられるなら叶えたい。しかし今は、ローのそばを離れがたいとも思っている。おままごとの様な関係から始まった【恋人】と言う立場ではあるが、この椅子から降りるなんて、今のウタには出来やしなかった。だからローが許す限り、その椅子に座り続けようとしているだけ。でもそれも、きっと約束が果たされれば無理なのだと、ウタは頭の片隅で理解していた。
少し寂し気に笑うウタ。その笑顔を見て、ナミは泣きそうになって顔を歪め、ロビンも沈痛そうな面持ちを浮かべている。
「……彼の優しさが理解できるから、貴女は強く言えないのね。彼のそばにいたい、って」
「なにそれ! 良いじゃない言っちゃえば! トラ男くんだって、ウタの事を絶対に――」
「良いの! 恋人関係は、あくまで期間限定! 少なくとも、私とロー君はそう納得してるから!」
ウタを思って、声を荒げるナミの言葉を遮る。そう言ったウタは、満面の笑顔を浮かべて見せた。その笑顔が、余計に見ている方の心を抉ると分かっていても、笑うしかなかった。
「あ、私、ちょっとお手洗い行ってくる! ごめんね!」
逃げるように部屋を飛び出して行ったウタを、ナミもロビンも追う事はしなかった。二人は互いに顔を見合わせ、そして同時に、どうしようもない思いを吐き出したい一心で、重く息を吐く。そうして脳裏に浮かぶのは、出会ってから同乗し、またこの場を設けるまでの間に見ていた、二人の様子。
「私達から見れば、大分彼女の事を大事にしている様に見えたけど」
「妙な意地張ってるんじゃないの? それか、最初に自分から線引きしたもんだから、今更手を出しにくくなったーとか」
「あり得るわね」
「あーもー! あんだけ想ってくれる子を何時でも手放せるようにしてるなんて、独りよがりにも程があるっての! 男らしくないったら!」
「仕方ないわ。あの子たちにはあの子たちなりの事情があるのかも知れないし。あくまで他人の私たちがどうこう言っても、ね?」
「それはそうだけどー! あーモヤモヤする!」
ウタの気持ちを考えて、悲しみが怒りに変化したナミが頭を掻き毟る。それを諫めようと、肩を叩くロビンもまた、思ったより難儀な関係であった二人を思って、また小さく息を吐いた。
ローとウタ、二人の間でのみ積み上げられた関係がある事は理解しているつもりだ。だがナミの言う通り、少々独りよがりが過ぎるようにも思える。ウタの事をどうでも良いと思っている訳ではなく、逆にウタが大事だからこそ、ローはウタを何時でも手放せるようにしているのだろう。だから恋人同士と言っても、甘やかな関係を築こうとはしない。いづれ離れていくものだと考えているからこそ、最後の一線を踏み越えないようにしているのだろう。
そんなローの気持ちも、分からなくはないのだが。
「(せめてもう少しだけ、素直になれば良いのに)」
先程のウタの顔を見たら、そう思わざるを得なかった。
*****
翌朝。サニー号の甲板で、ウタがローにくっ付いていた。
「ロー君、大丈夫? 痛くない?」
「別に平気だ……ウタ、お前は中に入ってろ。お前なら麦わら屋たちも気にしねぇだろ」
「やーだー! ロー君が此処にいるって言うなら私も一緒だから!」
「此処だと体を冷やすぞ」
「大丈夫! ロー君と一緒なら寒くないもん」
「……はぁ」
何故か一晩の内に顔に青痣をこしらえたローだが、どうして怪我をしたかは頑なに口にしなかった。そうなったら何も言わない事を理解してか、ウタはそれ以上聞かない代わりに、ローのそばを離れない事にしたらしい。
纏わりつくウタの事を、多少なり鬱陶しいと思ってもおかしくはないのだが、ローはそれを無理に剝がす事はしない。それどころか、風が吹いて段々と冷えてくる中でも離れないウタに呆れた様子でありながら、着ていたコートの前を広げて、その中にウタを招き入れた。
「……へへ。ありがと」
「ならもっと厚着しておけ。寒くなったら中に入れよ」
「うん」
ローの行動に目を瞬かせたウタだったが、すぐに嬉しそうに笑顔を見せる。余計に密着して抱き着いてきたウタだったが、ローはもう好きにさせる事にしたらしい。そのまま二人で何事かを話している様子を、ナミとロビンは少し離れた場所から観察していた。
「……あれ、どう見てもラブラブなんだけどね~?」
「そうね。見ていて熱くなっちゃう」
夕べ聞いたウタの話を思い出しつつも、目の前の光景を見ると、ただの杞憂ではないかと勘繰ってしまう。お互いを大事に思っているからこそ、妙なすれ違いが起きているだけではないか、と。それなら一度、双方で腹を割って話せば良いだけだろう。ナミもロビンは、二人の行く末を見守る方向に舵を切る事とした。下手に口を挟んで、馬に蹴られる趣味はないのだから。
結局ローとウタの二人は、昼食の時間になってサンジが甲板の面々に声を掛けるまで、そのまま一緒に過ごしていた。本当に、早く本音でぶつかればいいのにと、誰かがぼやいていた。