無題

無題


「じゃっじゃ~ん!」

「は?」


一仕事を終え、休憩も兼ねて食堂で食事をとっていたローの元へ、妙にハイテンションな様子でウタが姿を見せた。そうして、先程の掛け声と同時に腕を広げてくるものだから、ローは不可解に思いながら声を漏らした。

その反応は、ウタの希望には添えていなかったようで。顔を顰めて怪訝そうに見てくるローに対し、不満一杯と言った様子で頬を膨らませ、もう一度腕を広げて見せる。一体何がしたいのか。全く理解できなかったローは、無言でウタを見つめながらおにぎりを食べるのを再開した。


「ちょっと! 食べる前に、言う事あるでしょ!」

「俺は腹が減ってるんだ。言って欲しい事があるなら後にしろ」

「だーめー! ちゃんとこっち見て! ほら!」

「……?」


やけにしつこいな。そう思いながら、ローは言われた通りにウタを観察する。上から下へ、おにぎりを食べつつしっかりと見ていくと、おや? と思う事があった。

普段は他の船員と同じ、揃いのツナギを着ている。しかし、今はそれを身に着けておらず、ローが見た覚えのない服を着ていた。黒い生地のワンピース。刺青を隠す為に端をレースで飾ったカーディガンに、手には可愛らしいグローブ。成程、食べるのに夢中で気付かなかったが、この姿を見せたかったのか、と漸く理解した。

ローの視線がしっかりと自分に向けられ、身に着けているものも把握したと分かると。ウタはその場でクルリと回って見せ、満面の笑顔をローへ向ける。


「ね、どう? 似合ってる?」

「……そうだな……」


以前に街に寄った際に買った、とっておきのワンピース。着る機会がなかった為に中々お披露目出来なかったが、船にいてもお洒落をして良いだろうと思い至って、そのまま着替えたのがついさっき。髪型はそのままだし、化粧も薄くしか出来なかったが、それでもウタ自身、大分おめかし出来たと自負している。そしてこのとっておきの姿を、どうせならローに見て欲しかった。いや、見てもらうだけではない。誉め言葉の一つでも頂戴したかったのだ。

普段は中々そう言った言葉を口にしてもらう機会がないのだが、こうしておめかしをしたならば、何か言ってくれるだろうと期待しているのだ。寧ろ何か言って欲しい。こうして目の前で見せているのだから、何か一言。キラキラ期待に満ちた菫色の瞳に見つめられながら、ローは無言で持っていたおにぎりを食べきり、手についた米粒を口に含んだ。そして再度、ウタの姿をじっくりと見る。


「……似合ってるな」

「……え、待って。それだけ?」

「それだけってなんだ」

「他にもあるでしょ?! ほら、いつもより可愛いぞ、とかさぁ!」

「はぁ?」

「はぁ? じゃないでしょ! ほらぁ!」


確かに誉められたが、ウタはあまりにも素っ気ない一言に大変ご不満な様子。確かに誉めてくれてはいるが、求めた答えとは少々違ったようだ。折角おめかしまでして見せに来たのに! 他にないのか、と詰め寄ってくるウタに眉を顰めながら、ローはただ思った事をそのまま口にした。


「そもそもお前はいつでも可愛いだろ。何を今更な事言ってやがる」


瞬間、食堂の音が消えた。二つ目のおにぎりに手を伸ばそうとしたローは、周囲の空気の異様さに気付いて手を止めた。なんだ? と近くにいた船員に目を向けると、何故か思いっきり顔を逸らされた。何故。人知れずショックを受け、しかしまさか原因が自分の発言にあるとは思ってもいないのか。ローは「何なんだ」と独り言ちながらウタへと向き直る。

ローの言葉を聞いたウタは、顔も耳も真っ赤に染め上げていた。何なら、紅色の髪に劣らない程に頬を染め、菫色の瞳は今にも落としてしまいそうな程大きく見開かれている。


「……」

「……おいどうした。顔が赤いが、熱でもあ、」

「う、うああああああああああ! ロー君のばかぁ!」

「う゛ッ?!」


あまりにも赤くなっているから、心配して声を掛けたローの頭を、取り乱したウタの一撃が襲う。不意打ちで頭部に打撃を食らい、危なく額をテーブルに打ち付けそうになった。


「ってぇ……! おい、ウタぁ!」

「みゃぎゃ~~~~~!」


叩かれた箇所を摩りながら現行犯の名を呼ぶも、ウタは奇声を上げながら食堂を飛び出して行った。嵐が去ったな……と誰かが呟いた。


「ったく。何なんだアイツは……」

「……キャプテェン」

「あ゛?!」


理不尽とも言える暴力に憤りながら、残っているおにぎりを食べようとするローに対し、様子を伺っていたシャチとペンギンが近づいてくる。不機嫌極まりない顔を向けられ、序でにひっくい声で圧を受けもしたが、比較的慣れている二人は左程動じず、それぞれローの左右へと移動してその肩を抱いた。


「キャプテン、それはダメだよ」

「は?」

「そうだね。あれはダメだね」

「責任ちゃんと取らなきゃね……いや、キャプテンなら大丈夫とは思うけどさ。うん」

「何の話だ。おい、何ニヤニヤしてるんだお前ら!」


両側から何事かを言われ、ローの苛立ちは募っていく。ただでさえ食事の邪魔をされた上に、ウタに逃げられて機嫌が悪いのだ。これ以上下手に絡んでは爆発してもおかしくない。他の船員は巻き添えを食らうまいと、その様子を遠巻きに見ていたのだが、唯一ベポは自らローたちの元へ近づき、嬉しそうに声を掛けた。


「キャプテンも、ウタちゃんの事可愛いって思ってたんだね~」

「え」

「オレもだよぉ。ウタちゃん、可愛いもんねぇ」


キャプテンと好きなものが一緒で、嬉しいなぁ~。

そう言って本当に嬉しそうに笑うベポに、シャチとペンギンは「うっ眩しい!」とおどけてみせる。対して、ローはベポから言われた言葉を理解するのに時間が掛かり、おにぎり片手に固まってしまった。しかし徐々に言葉の意味を理解し、同時に自分がウタに向かってなんて言ったかを思い返すと、普段は血色の悪い顔が徐々に赤く染まっていく。

プシュゥ、と音が出そうな程真っ赤に染まった顔を隠す様に、ローは机に突っ伏した。ベポが「キャプテーン?」と声を掛けても顔を上げず、そのまま動かなくなってしまう。シャチとペンギンが横からちょっかいを出しても同様だ。二人はローを挟んだまま、顔を上げて無言で視線を交わす。


「(どう思う?)」

「(恐らく無意識)」

「(おっと性質が悪いパターンだったかー)」


どうやら先程のロー、うっかり本音を口にしてしまったようだ。結果、ウタの顔を真っ赤に染め上げ、自身もこうしてやられている訳で。今頃ウタも、部屋に戻って今のローの様になっている事だろう。何とも微笑ましい事だ。


「キャプテーン。次に上陸した時には、ウタちゃんにプレゼント買いに行きましょうね~」

「そうそう。どうせなら、さっき着てた服に似合うもの買ってあげましょうね~」

「あ、いいね! キャプテンからのプレゼント、ウタちゃん喜ぶと思うなぁ!」

「……わかった……わかったから、ちょっとだまれ……」


左右と前から声を掛けられ、ローは普段では考えられない程小さな声でボソボソと言葉を返す。きっと次の上陸時には、ウタの為に頭を悩ますローが見れる事だろう。

いやぁ、楽しみだなぁ。いっその事、プレゼントを渡すところまで見守ってみたいなぁ。でもあんまり野次馬すると怒られるかなぁ。いやでも見たいよなぁ、キャプテンの青春の一場面!

笑う二人に挟まれたまま、ローは未だに顔を上げない。おにぎりはまだ残っているのに、それに手を伸ばす事も出来ない。顔を突っ伏したまま、脳裏に浮かんだのは真っ赤に染まったウタの顔。

……笑った顔も良いが、あの顔も可愛かったな、と。そんな事を考えてしまう時点で、もう駄目なのかもしれない。自身の気持ちがウタ限定で制御不能に陥りそうで、ローは頭を抱えたくなった。一方でウタも同じ様に、部屋の中でローから受け取った言葉を思い出しては悶えているのだが、それを知る術はない。


本日も航行に異常はなく。ポーターラング号で起きた、小さな出来事である。

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