無題
過去の捏造・幻覚注意
檸檬キャンディを煙が出るほど擦り倒しながらローの片思いのきっかけを考えたヤツ
ミンゴとの抗争編からドレスローザキャラ引っこ抜いてドンキホーテ兄弟とローとルフィだけにしたら、ルフィがローのためだけにミンゴぶん殴りに行くことになると気づいてしまって、そりゃ惚れるだろという気持ちでいっぱい
見た後の苦情はきかねえからあらゆるもんに注意
鼻をつく消毒液のにおい。
窓の外の向日葵が風を受けて揺れる音。
これほど心穏やかに過ごす夜はいつぶりであったか、ローにはもはや思い出せなかった。
無造作に横たえていた体を起こせばあちらこちらが痛む。板張りの床で寝たこと以前に、全身包帯まみれなのだから当然だ。
今にして思えば、随分と無茶をやったものである。すっかり熱い男になってしまったと仇敵の男には嘆かれたし、無二の恩人には電子機器を通して泣いて叱られた。前者はざまあみろとしか思わなかったが、後者に関しては申し訳なさを覚えなかったと言えば嘘になる。それでも身のうちにある確かな充足感と温度を打ち消すことなど、今のローにはできそうにない。
ふらつく体でなんとか立ち上がって、部屋の隅に鎮座するベッドに膝でよじ登る。
目的はその向こうの大きな窓である。器用に鼻でちょうちんを作りながら鼾をかいている男の足を踏まぬよう注意して、ベッドの端、窓の前に胡座をかいて座り込む。
両開きの窓を軽く押せば、カタリとひそやかな音を立てて外側に開いた。
途端、部屋に立ち込めていた消毒液のにおいが日向の花の香りにさらわれる。生憎の曇り空で月は出ていなかったが、一面の向日葵畑がそこにはあった。まるでひとつの絵画のような風景だと、らしくなく詩的なことを考える。
じっとりと汗ばんでいた額や頬を、冷えた夜風が撫でていくのが心地いい。常に被っている帽子も今は机の上で、麦わら帽子と仲良く並んでいる。
窓辺に頬杖をついて、いっそ身体中を覆う煩わしい包帯も取ってしまえたらなどと、多少ならずとも医療を齧るものとは思えぬようなことを考える。
静かな夜だった。耳がじんと疼くほどに。
長くささくれだっていた心を優しく撫で付けるような夜だった。
「トラ男!起きてたのか!」
そんな静けさをぶち壊したのは、寝起きとはとても思えぬ元気いっぱいの声だ。思わずハ、と小さく笑う。
声の持ち主は考えるまでもない。そもそもこの部屋にいるのはローの他には一人だけ。
「そりゃこっちの台詞だ。起こしたか」
「いんや!腹減って起きた!」
あまりにもこの男らしい言葉だった。こいつはモノを食うことに全てをかけている、とはこの男をよく知る緑頭の男の言だ。
ロー以上に全身包帯まみれになった男——ルフィは、今回の抗争において間違いなく中心となった人物である。ローと並んで台風の目だと称された。打倒すべき目標であったドフラミンゴに当初ほぼ一切の縁をもたなかったにも関わらず、許せねえから、気に入らねえから、そんな理由でここまでやった。とんだ大バカ野郎だと、堪らぬ気持ちが上っ面の毒を吐く。
「??? 起きらんねえ、なんだこれ」
「当たり前だ。どんだけ血流したと思ってやがる」
じゃあ起こしてくれよトラ男ぉ、などと語尾の情けなく間延びした声を上げながら、白い包帯の巻かれた手足をシーツの上でパタパタ跳ねさせる。
これが数時間前、長年ローを縛り付けていた呪縛の権化を思い切りぶん殴った男の姿か。菓子売り場で駄々をこねる幼児と言われた方がしっくりくる。
「おお、ありがとう!」
手を貸して、背を支えてやれば、見かけによらず相応の厚みを持った上体が起き上がる。そのまま窓辺に寄りかからせてやろうとするが、しししと特徴的な笑い声を上げながらこちらにもたれかかって離れない。指摘するのも引き剥がすのも面倒になってそのまま、肩にかかる重みを受け入れる。
包帯越しに触れたゴム製の肌は燃えるように熱い。全身の傷が熱を持っているのだろう。治るのにどれくらいかかるだろうかと、不毛な思考がくるくる回る。
お門違いと知りながら、それでもやはり抱いてしまう罪悪感と、ローのためだけに拳を握りしめて怒ってくれたことへの感謝と、歓喜と。
「風きもちいなァ」
「ああ」
二人並んで大きな窓から外を見る。
先程まで分厚く夜空を覆っていた雲も幾分薄くなり、ゆっくりと流れているようだ。直に月も見えるかもしれない。
「……なんだよ」
視線を感じて目線を下げると、二つの黒点が真っ直ぐこちらを覗き込んでいた。単純なくせして時折妙に強い意志の灯る瞬間があることを、今のローは知っている。
「んん、いや、トラ男の目ってなんかに似てんだよな」
「似てる?」
「なーんか思い出す気がすんだけどよ、思い出せねえ」
それらしく腕組みをしてなんだっけなァと無い頭を捻っているが、なかなか出てこないらしい。
ルフィという男の話はいつだって唐突だ。思いついたことをさして深く考えず口に出す。そのくせ他人の感情の機微は深く感じ取っている様子なのだからよく分からないが、恐らくは野生の勘というやつだ。複雑にこんがらがって自分ですら解けなくなっていたローの感情すらも、この男は今日、容易く解いてしまったのだから。
兎にも角にも、この男の適当な言動は真に受けるだけ損だ。それはさほど長くない付き合いの中でよく分かっていた。だから気にしても仕方ない。
ふと視界が明るくなる。
窓の外に視線を戻せば、雲と雲の切れ間からちょうど月が覗いたところだった。ローの瞳にも静謐な光が差し込んでくる。
今夜はちょうど満月だったらしい。ふくりと満ちた煌々燦然の円から光が注いで、ザア、ザアと音をたてていた向日葵畑が青白く照らし出される。
今宵初めて詳細な輪郭を見せた花々は、どこか俯きがちにくったりしている。日中は陽の光を真っ直ぐに追い続ける日向の花であるが、月の光には見向きもしない。同じ光には違いないのに薄情なものだと、何故だか恨みがましい気持ちになる。
「あ!」
「今度は何だ、……ッ?!」
左頬にがしりと無遠慮に触れてきたもの。
それが男の、ルフィの手の平であることにローが気付いたのは、視界いっぱいに喜色満面の笑みを映してからだった。
「アメ玉だ!」
「は?」
「だから、トラ男の目ん玉!アメ玉に似てんだ」
左頬に飽き足らず右頬までもがルフィの手中に収められる。己の頬が熱いのか男の手のひらが熱いのか、境界線は酷く曖昧だ。
包帯の巻かれた親指が左の目の下を擽って、涙袋の真下辺りをきゅっとささやかに下へと引く。やることなすこと豪快な男にしては妙に優しげな、慈しむが如き繊細な力の加減。
また、顔が近づく。黒い瞳孔に映り込む自分と対峙する。
カランとどこかで音が鳴った。
今日の今日、積もった嫌悪を水に流してようやく空っぽにしたはずの心の中に、飴玉がひとつ落ちる音。
「きいろだからレモン味だな!」
得心いったとにこにこ微笑む男の顔が、さしこむ月の光を受けて白む。真っ黒な点だと思っていた瞳は、至近距離で見ると綿密にカットされた石のように不思議な虹彩を持っていた。
この目を指して、何を考えているのかよく分からないと人は言う。ローもそう思う。何を考えているのか分からないのに、自分の考えていることは全て見透かされているような気がする。
ずるい目ん玉しやがってと、たった今動き出したみたいに騒がしい生まれたばかりの心臓の奥、不確かで柔らかな感情が腹を好かせてきゅうと鳴く。
「お前は食い物のことしか頭にねえのか」
「パイナップルのが好きだったか?」
「誰がそんなこと言った」
「じゃあレモンで良いじゃねェか」
おれレモン味好きなんだ、と機嫌よく言う。この男にとってなんの意味もない、ただの事実。
それがどうしてこんなにも胸を締め付けるのか、分からぬほどの子どもであったなら。或いは分からぬふりができるほどの大人であったなら、きっともう少し上手く生きられたに違いない。
そういえば、不器用なやつだと今朝も言われたばかりだった。嫌味たらしい声が思い出されて、内心で毛の生えた無駄に長い脛を蹴り飛ばす。八つ当たりだ。
「はー分かってすっきりしたらまた眠ィや」
ふわ、という小さな欠伸とともに、頬から手が離れた。感じた名残惜しさを慌てて切って捨てる。
そうすると今度は肩に感じる重みと温度も切り離したくなって、何が詰まっているのかもよく分からない小さな頭を引き剥がそうとする。
まだくっついていたいと甘えた欲求を隠しもせずにぐりぐりと押し付けられる額から、包帯が弛んでぱらりと落ちた。舌を打ちながらも、殊更ていねいに巻き直してやるのは医学を学ぶものとしての矜恃か、それとも。
世話をやかれて満足げな顔が癪に障って、軽いデコピンをひとつくれてやった。
「寝るなら横になって寝ろ」
「トラ男は?」
「少し風にあたったらその辺で寝るからいい」
むっ、と文字でも書かれていそうな顔をしたことは分かったが、聞いてやる道理もなく視線を外に移そうとした。
実際にできなかったのは言うまでもなく。
腹に巻き付く伸びる腕、伸びる脚。良いことを考えついたぞと言わんばかりの悪ガキの笑み。
引かれた勢いそのままに、重力に負けてベッドに倒れ込んでいく二人分の身体と、上から下まで余すことなくズタボロになった体が衝撃を食らってあげる悲鳴。ベッドのスプリングが鈍く軋む音。
「うぎッ!」
「ッぐぁ?!」
思わぬ痛みに情けなくも二人で呻き声を重ねて、暫く何も言えぬまま悶絶する。
下敷きになった重症の右腕をなんとか体の下から引っ張り出して、激痛から解放された時には視界が潤み滲んでいた。目の前の男に至っては、滲むどころかぽろりと雫が転がり落ちている。ゴムの体とはいえ、切り傷・裂傷まみれの体に衝撃が加われば痛みがあるらしい。
黒く濡れた双眸とぱちりと目が合って、数度瞬きを繰り返す。ふは、と間の抜けた笑い声がこぼれたのは、恐らく同一のタイミングだった。
「めちゃくちゃ痛ェ!あ〜ッ笑うともっと痛ェな!」
「ッとに、最悪だお前は」
もはや抵抗すら馬鹿らしくなって、手足から力を抜く。
したり顔でギュウギュウと巻きついてくる男は、ローの胸にすり寄りながら「トラ男の心臓ばくばくだ」なんて余計なことを言って笑っていたが、誰かさんにビビらされたからだと鼻をつまんでやって誤魔化した。
本当の理由を話す勇気など、先ほど自覚したばかりのローにはまだ無い。
いいやどれほど時間が経ったとて、そんな決死の覚悟がきまるとは思えなかったけれど。
「なあトラ男」
「なんだ」
「ミンゴもぶっ飛ばしたしよ、これからはたくさん自由に遊べるよな」
「まあな」
「よし!じゃあ色んなことやろう!おれトラ男とやりてえこと山ほどあんだ!山も行きてえし海も行きてえ!」
「おれは海の方が好きだ」
「川もいいぞ、河原で肉焼いて食うんだ!」
「また食い物か」
お肉が一匹、お肉が二匹、といよいよろくでもないものを数え始めた男の口の端に垂れる涎を適当に拭ってやって、ぱらぱらとした短い黒髪に指を通して整える。
お返しと言わんばかりに両手が伸びてきて、ローの髪をぐしゃぐしゃと乱した。犬じゃねえんだぞと文句を言ってやりたかったが、心底嬉しそうな笑顔を見て閉口する。
「楽しみだなあトラ男!おれスんゲー楽しみだ!嬉しいなあ!」
ししし、とまた特徴的な笑い声。
どうにか絞り出した返答が「うん」なんて頑是ない子どものような言葉だったことも、揶揄する人間は二人きりのこの部屋にはいやしない。
伝わってくる男の心音は腹が立つほど穏やかで、その後太陽が空に昇るまでの数時間、ローにひとときの優しい眠りを贈った。