無題

無題


※全部幻覚と捏造です※

***


“死の外科医”は何を考えているか分からない男だ。


それが海軍の者からトラファルガー・ローという男に対する共通認識だ。

しかしそれは、今己が感じているものとは違った意味だった筈だ。


「いい加減離れろって言ってんだろトラファルガー!!」

「嫌だ!!絶対離れねェ!!!」


スモーカーは目の前のローが何を考えているのか全く分からず、気休めに口にくわえた二本の葉巻を深く吸い込んだ。



***



成り行きで海軍とハートの海賊団が共闘して悪党を成敗した後、陽気な者が多いロシナンテ艦の人間とハートのクルーたちによって「打ち上げ」という緩い名目での宴が始まった。

いつかのように最低限の線引きとして物理的な境界は引かれているが、皆同じ大鍋から料理をよそっていくし、同じ樽から酒を注いでいく。

パンクハザードでの一件を思い出すような様相だった。

スモーカーは海賊と馴れ合う気はないが、もし海賊が妙な気を起こしても直ぐに対処できるように境界の近くに腰をかけた。


すると、宴が始まって早々、一人の海賊が堂々と境界を踏み越えたではないか。

しかも、それはローだった。パンクハザードでは頑なに境界を踏み越えようとしなかった筈の。


妙な真似をされては叶わない、とスモーカーは十手の柄を握ったが、ローは両手にジョッキを持っていて刀を取り出す気配はなかった。

スモーカーの視線に気づいているのかいないのか、ローは迷い無い足取りでとある人物のもとへと進んでいった。煙草の火で正義のコートを燃やしている、ロシナンテ准将のもとへ。


「コラさん、乾杯しようぜ!」


明るい声色でそう言い放ったローを、スモーカーは思わず三度見した。



***



「コラさん、いい加減おれたちと一緒に来てくれよ!一緒に世界中を旅しようって約束しただろ!!」

「だ~か~ら~、おれはコラサンじゃねェんだよ!!」


ローは聞き分けのない子どものようにロシナンテ准将の胴体に組み付いて自船へ引っ張ろうとしている。

能力を使えば一瞬だろうに、なぜか青いサークルが展開される気配はない。能力無しでは、戦う男としては細身のローが長身大柄のロシナンテを動かすことは不可能だろう。実際、先ほどからロシナンテの体幹はビクともせず、一歩たりともその場から動いていない。


「どうしたら一緒に来てくれるんだ!今だって、コラさんのために大嫌いな海兵なんかと共闘したんだ!!アンタに一緒に来て欲しいから!!」

「確かにお前の力が無けりゃ今回の事件の解決にはもっと時間がかかっただろうが・・・。たった一回の共闘で海のクズに絆されたりしねェぞ!!」

「じゃあ何回共闘したらおれと一緒に来てくれる!!」

「何回でもダメだ。大人しく海賊稼業から足を洗えば考えてやる」

「それは嫌だ!!それは自由じゃねェ!!!」

「それじゃあ、この話は終わりだな」

「嫌だ!!嫌だ!!!」


わあああ、とローは地団駄を踏んでごねた。スモーカーの横に座るたしぎの眉が完全に八の字になっている。完全に不審者を見る眼差しだ。もしかしたら己もそうなっているかもしれない、とスモーカーは思った。


ローは常にポーカーフェイスで言葉が少なく、目の下の深い隈もあって陰気で不気味だという印象が強かった。

七武海の地位を得るために海賊の心臓を百個も海軍に届けられた際はあまりの猟奇的な行動に大勢の海兵を震え上がらせたし、平気で生きた人間をバラバラに切り刻んでいく姿はまさに“死の外科医”もかくや、といった様子だった。

何を考えているか分からない不気味な男。海軍内でそう評価されるようになるのに時間はかからなかった。


スモーカーは海軍の中でもローとの接触機会が多い方だ。ローが七武海の地位を与えられていたときは伝令役を仰せつかることが多かったし、上からの命令で共闘したことも何度かある。パンクハザードの一件で、境界を引いていたとはいえ同じ鍋のスープを飲んで宴をともにしたこともある。

ローは合理性よりも感情を優先する人間らしいところのある男だったし、民間に不必要な被害が出ることを嫌い、共闘中であれば深手を負った海兵の処置をすることさえあった。

パンクハザードでは海兵も子ども達もトロッコに乗せて逃がしたし、薬の禁断症状に苦しむ子ども達を一人ひとり治療した、心根が優しいところのある男だということもスモーカーは知っている。噂や評判以上のローの為人を知っているつもりであった。



しかし、スモーカーはそれは思い違いだったかもしれない、と強く感じた。

少なくとも、こんなに幼稚なローの一面を見たことはなかった。



「おれはアンタのことが大好きだコラさん!!!だから一緒に来てくれ!!!!」


ドン!!!という盛大な効果音がしそうな程にローは声高に叫んだ。

あまりにもストレートな物言いに、ロシナンテはたじろいだ。


「だからな、ロー。おれはコラサンじゃねェんだって」

「違う、覚えてないだけで、アンタはコラさんなんだ。13年前におれに命と心をくれたんだ」


ぐす、と鼻をすする音がした。ローは酔っているのかもしれない。

ローはロシナンテに組み付いたまま、引っ張る動きをピタリと止め、左胸に耳を当てたままダバダバと涙を流し始めた。ローの顔は真っ赤だった。


「おい・・・、トラファルガー?」

「コラさんの心音・・・。生きてる・・・。うぅ・・・」

「・・・・・・お前、酔ってるだろ」

「酔ってねェ・・・・・・オェ」

「酔ってんじゃねェか!!おい、ここで寝るな!!」


ローの全身の力がその場で抜けて倒れ込むので、ロシナンテ准将が慌てて受け止めた。

普段は壊滅的なドジのくせに、今回はすっ転ばなかった。


「あ、キャプテン酔ってる!」

「あ~もう酒に弱いくせに、能力で体力削ったところに空きっ腹に酒入れたりするから・・・」

「おいコラサン!酔ってるキャプテンに何かしたら許さないぞ!!」

「そーだそーだ!!キャプテンに抱きつかれるなんて羨ましいぞ!!」


海賊側からギャイギャイと声が上がった。何か変なことを言っている奴が混ざっている気がしたが、スモーカーをはじめ海兵たちは皆スルーした。

麦わらの一味とは違った性質で、ハートのクルーたちは喧しい。キャプテンのことになると特に。


「・・・流石にあんだけ協力してもらっておいてこの場で逮捕するほど野暮じゃねェよ」


今回の戦いの一番の功労者は間違いなくローだ。

スキャンによる基地の索敵、切断による敵の無力化と捕縛の補助、人質の解放と治療、シャンブルズを駆使した闇取引の証拠と現物の速やかな押収。全てローの協力があって円滑に進んだ。


コラさん。ローがそう呼ぶ人間のために、ローは一切の協力を惜しまなかった。


「さっさとコイツが本物のコラサンを見つけると良いんだけどなァ・・・。いつまでも人違いしてるんじゃ、必死なコイツがなんだか報われねェよ」


かわいそうによォ。


そう言ってロシナンテは自身の膝の上で泥酔して眠ってしまったローの頭を撫でた。

ガサツで粗暴なその人らしくない、ひどく優しい手つきで。


むにゃ、とローの口元が緩む。眉間の皺がとれたローの寝顔はどこか幼く、ローを見下ろすロシナンテの目は穏やかだった。

親子。そんな単語が一瞬スモーカーの脳裏をよぎったが、すぐに頭の中から追い出した。



「なんだかあの二人、親子みたいですね、スモーカーさん」

「・・・・・・たしぎ、言ってやるな」



***



「それじゃあ、またなコラさん」

「もう来なくていいぞ」

「そいつァ聞けねェな」


出航の別れ際、ローがまたロシナンテの傍へやってきた。

昨日の醜態も何も無かったかのようにケロリとしている。ロシナンテのあしらいも慣れたもので、昨日のローの乱心ぶりは二人の間ではよくあることなのかもしれなかった。


「ああ、そうだ。コラさん、ちょっと肺を借りるぞ」

「えッ!?あッ、おい!!」


“メス”。親指と小指を折り畳んだ独特の形の手がロシナンテの胸を突いた。かつてスモーカーも受けたことがある。痛みは一切ないが、受ける側としてはショッキングでぞっとしない技だ。

すぽん、と小気味の良い音をたて、ロシナンテの肺が体からすっぽ抜ける。


「返せ、おれの肺!」

「まァ待てコラさん。悪いようにはしねェ、すぐ終わる」


ローは両手でロシナンテの肺を抱え上げると、眉間に深い皺を寄せた。ロシナンテの肺は燻製のように真っ黒だったので、医師として許せなかったのかもしれない。


「こんなにヤニまみれにしちまって・・・。今に肺ガンになるぞ」

「余計なお世話だ」

「へへ、まァおれがいればすぐに治せるもんな。もうおれはアンタにもらった力を使いこなせる。みすみすアンタを死なせる真似は二度としねェよ」

「そういう意味じゃねェんだけどなァ・・・」


ローが肺に向かって何やら指をグリグリ動かすと、ロシナンテがくねくねと胴体を捩らせた。


「どうした・・・?」

「いや、なんか、くすぐってェ・・・!?うひひ、やめろって、ロー!!」

「少し我慢しろ・・・。よし、これで良い」


ローがいつの間にか握り込んでいた右手を開くと、黒いものがベッタリと付着していた。対照的に、ロシナンテの肺の色は心なしか本来の肉色を取り戻しているように見えた。


「クリーニングサービスだ。アンタの肺、こんなに汚れてたんだ。少しは懲りて煙草は減らせよ」


ローが右手の黒いタール汚れをロシナンテに見せた後、肺を返す。

横に控えていたベポが「はいキャプテン」とすかさず雑紙を差し出して、ローは右手のタールをぬぐい取った。


「言っておくが白猟屋、脇で聞いてるお前も他人事じゃねェからな。自然系だから普通の人体とは勝手が違うかもしれねェが、そんなキツい葉巻を二本も一気に吸うなんて・・・」

「余計なお世話だ」

「へェ、受動喫煙、って言葉を知らねェらしい」

「ぐッ・・・・・・」


ローは片眉と口の端だけを持ち上げて薄らと笑った。悪ガキみたいに生意気で、でも心の底からでたのであろう偽りのない笑みだった。




「キャプテ~ン、そろそろ出航するよ~!」

「ああ!じゃあなコラさん、体に気をつけて。白猟屋も精々くたばるなよ」


それだけ言い残して、ローの姿が目の前から消えた。入れ替わりにハッカ飴の缶が落ちている。

麦わら程ではないが、コイツも大概自由な男である。


「コラサン、ばいば~い!」

「コラサンのために、おれたち禁煙治療始めたんで!!」

「気が向いたらいつでも来いよ!キャプテンが喜ぶから、アンタなら大歓迎だ!!」


黄色い潜水艦の甲板にいたクルーもロシナンテに手を振ってから船内に入っていった。

やがて、小さなその船は海の中に潜っていった。嵐のような騒がしさが一気に失せる。




「・・・なんか大変だな、アンタ」


スモーカーは隣りに立っていたロシナンテに思わず声をかけた。


「ああ・・・。禁煙治療だってよ、絶対アイツらに掴まるわけにはいかなくなった・・・」

「あの・・・、一番心配するところはそこで良いんですか・・・?」


煙の良さが分からない小娘が横で何か言っているが、非喫煙者の人間にはヤニ切れの辛さを説明しても分かってもらえないだろう。

スモーカーとロシナンテは構わずに、奇行を繰り返していたローのことを思い返しながら紫煙をくゆらせ、深いため息を吐いた。


「はやく本物のコラサンが見つかるといいなァ・・・」


しみじみとしたロシナンテの呟きは、煙と一緒に空気に溶けて消えていった。

その肩が思い切り燃えているのを見て、やはりこの人は健康云々以前の問題で禁煙した方が良いのではないのかとスモーカーは内心こっそり思い直した。





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