無題

無題


『伝令。現世より緊急救援要請有』

九番隊執務室に地獄蝶が舞い込んできたのは、平穏な夜のことだった。霊術院生の実習が行われていることの兼ね合いにより全隊の半分が待機要員として執務室に留め置かれている時に俄に舞い込んだ救援要請に、ぴりっとした緊張が走り抜ける。

『霊術院実習現場に巨大虚出現。直ちに救援を。繰り返す――』

がたんっ、と椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった拳西の身体が固まった。

六回生の霊圧一名分消失。他二名も重傷の模様。

続けられる報告に心臓が煩く跳ねる。隊長、と呼ぶ笠城の声が頭に入らない。

(修兵……ッ!)

拳西の頭の中にあるのは養い子のことだけだ。まさか、霊圧消失した六回生というのは。まさか。

「隊長!」

叩きつけるように叫んだのは衛島だった。

「固まっている場合ですか!貴方が今行かずにどうするんです!?」

「っ、悪い……。――藤堂!救援要請受諾の手続きは任せた!承認印は白に押させろ、場所は知らせてある!今は仮眠室に居るはずだ!」

「はっ!」

「衛島と東仙は俺についてこい!笠城、藤堂、留守は任せる」

はい、と短く返事をして東仙も立ち上がる。強く握りしめた斬魄刀が、がちゃりと音を立てていた。


◆◆◆◆


穿界門を飛び降りるようにして着地すると、ビルの隙間に巨大な影が見えていた。人の何倍もあろうかという巨大な腕、何股にも別れた鋭い鉤爪、その他凶悪な武器を数多持った巨大虚の群れ。なんだあれは、と衛島が声を上げる。

しかし拳西の目に、そんなものは殆ど入らない。ただ視界に映るのは見慣れた背中。いつの間にか随分と大きくなり、しかし基本の細さは余り変わらない養い子の背中。そばに居るのは一回生だろうか、彼らを庇うように刀を構えるその腕には鮮烈な赤色が伝っている。

――怪我を。

生きていたことへの安堵と血を流していることへの焦燥が内心で渦を巻くまま、拳西は斬魄刀を抜き放った。

「断地風!」

一閃、頭部を両断された虚が崩れるよりも早く修兵がこちらを振り返る。右眼を走る傷と、滴る鮮血。あ、と動いた唇が微かに歪んだ。

「衛島、東仙」

「はっ!」

短い言葉に、二人の部下は心得たとばかりに応えて奥の群れへと飛び込んでいく。その間に拳西は、ぐらりと傾いた修兵の背中をその掌で支えて抱き抱えた。

「修兵!修兵、しっかりしろ!」

「拳西、さ……ぁ、羽織、はおり、汚れますよ……」

「そんなもんどうでもいい。よく頑張ったな、痛かったろ」

ぐっと肩を掴んで血塗れの頬を羽織に押し当てると、その手が躊躇いがちに裾を掴んでくる。は、は、と浅い呼吸を繰り返す頭をくしゃりと撫でてやって、顔を上げた。

「待たせて悪かった。少し待ってろ、すぐ終わらせる。……イヅル、悪いがその間頼んだ」

「檜佐木さ……っ、修くん!」

「大丈夫だ。お前ら全員一回生か?お前らもよく持ち堪えたな、上出来だ」

振り返った先で震えながら呆然としていた三人に少し笑ってやって、その中にいたよく知る少年へ修兵を託すと拳西はゆっくりと立ち上がった。夜の中に浮かぶ光に、白刃が閃く。

拳西さん。

背中にかかった小さな声に視線だけで振り向くと、安心したように力を抜いたのが気配でわかった。

早く手当をしなくては、あの出血では危ないかもしれない。

焦れる感情を意図的に抑えながら、拳西は護るための刃を、強く強く、握り直した。

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