無題
「……すまない、死に損なってしまった」
身体はボロボロ、顔には大きな傷。
身につけていたちょっとお高いスーツはあちこち擦り切れていて、なんとも言えない。
でも、それでも。
「…日車」
虎杖には充分過ぎるほどだった。
目の前で血を吹き出した日車を見た時は動揺したが、あの一瞬交差した視線。
『……それでいい』
死に瀕していたのに、酷く優しい声色で呟かれた音にどれだけ心を揺さぶられたか。
きっと目の前で俯く男には分からないのだろう。
虎杖はそう思った。
「死に損ないとか、言わんでよ…俺、日車が生きてて嬉しいよ」
「………」
日車は何も言わない。ただ、何かを堪えるかのように俯いている。
やがて、ぽつ、ぽつと日車は語り出す。
「自分を罰する事すら出来ない、信じていた司法すら見捨てて、見捨てられて、俺は……」
「……日車」
「俺は……」
日車は泣いていた。涙は流れていないが、確かに泣いていた。
そんな様子をジッと見つつ、虎杖はゆっくりと近づいて行く。
ゆっくりとゆっくりと近づき、やがて身体が触れ合う距離にまで近づいた時、日車はポツリと呟いた。
「…罪を償う事すら許されないこの命に……君が罰を与えてくれたら良いと思っ……「ならさ、俺の目を見てよ」
日車の言葉に被せるように、虎杖は言い切った。
「あん時は見てくれたじゃん。なら見てよ」
「あれは…最後だと、思ったからで…」
「でも見たじゃん」
「……それは」
「また逃げるの?」
「……!」
虎杖の言葉に日車は思わず顔を上げる。彼の瞳には確かな光があった。その瞳は真っ直ぐ日車を捉えている。
(あぁ、この目だ)
その目に、心を奪われたのだ。
(君の目が、俺を導くんだ)
眩しさに目を閉じてしまったあの時から、ずっと。
初心だけでは無く、己の名と同じ日車草が咲くべき方向を示すかのような穢れ無き、真っ直ぐなその瞳。
「……俺は」
日車は無意識に言葉を紡いでいた。
「君になら何をされても構わ……いや、違うな……君に、罰して欲しい」
そして日車は、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
目の前には虎杖の姿がある。
あの時と同じ目をして。
己の罪では無い罪を、『俺がやった』と言い放った時と同じ目をして。
「君になら何をされても、構わない……」
それはある種の告白にも似ていた。日車は漸く心からの謝罪と救いを求める言葉を紡げた気がした。
ふと、虎杖は口元に手をやる。少し考え込んだ後、小さな声で呟いた。
「……ちゅーしたいって言ったら怒る?」
「えっ」
今度は日車が固まる番だった。
脳内を駆け巡るのは昔取った杵柄と言うべきか、青少年保護育成条例、淫行、猥褻、犯罪等々の刑法の数々。
二回り近く歳下の少年とキス?
(未成年に手を出す訳には…いや、この場合俺が手を出されるのか?どうなんだ?)
どちらにせよ弁護士を捨て切れない己は『否』『有罪』だと叫ぶだろう。
混乱し硬直した日車を前に、虎杖は困った顔で頬を掻いた。
「その、さ…正直言うと、日車が生きててくれて嬉しいって言ったじゃん?」
「あ、あぁ……」
「俺が救えた……って言ったら語弊あるけどさ、俺のおかげで助かった人がいるって考えるとさ……なんかこう……ココがキューっとするっつーか……」
そう言いながら虎杖は自身の心臓の上に手を置いた。それは多分言葉にし難い感情が溢れ出している証拠なのだろう。しかし己は青少年保護育成条例違反(現在進行形)に怯えていて、それを素直に喜べない。
日車はどうにか切り抜けようと頭をフル回転させた。そして思いついた言葉を咄嗟に口にする。
「俺も君には感謝している……とても、とてもだ」
「うん」
「だがその…君はまだ15歳で…未成年だろう。」
「うん」
「だから、その……」
どう伝えれば良いのか分からずに口籠もる日車を見て、虎杖は真面目な顔をして問いかけた。
「それは法律的なやつ?それとも道徳的なやつ?」
「…法律的に」
「やっぱりかー……日車的にもそこは譲れないよな」
うんうんと頷きつつ、日車の目を真っ直ぐ見つめて言った。
「じゃあピッタリじゃん」
「は?」
「罰を与えるーなんちって」
そう虎杖は言うが早いか、日車のネクタイを引き寄せ、そのまま唇を重ねた。
それは本当に一瞬の出来事だった。
脳の処理が追いつかない日車を置いて、ゆっくりと唇が離れていく。
「……」
「……これでさ、罰になんない?2人でさ、同じ罪…ってやつ」
ちょっと照れた様子で、それでも真っ直ぐにこちらを見て日車の言葉を待っている。
「……は?」
ようやく思考が追いついた日車は間抜けな声を上げた。
そんな日車を他所に、虎杖は照れ臭そうにしながら「これで共犯だね」と呟いた。
条例違反、犯罪、淫行弁護士、様々な罵倒が脳内を高速で駆け巡る。
だが、そのどれもが声にはならず。日車は呆然と立ち尽くすだけだった。
そんな様子を見て虎杖は少し目を伏せながら呟く。
「俺さ……本気だから」
そうして再び真っ直ぐ日車を見つめ、先程までの照れた表情とは一変。いつもの天真爛漫な笑顔を向けて言った。
「覚悟しといて」
その笑顔を見て日車は思う。
(虎杖には勝てる気がしないな、これからも。)
だから日車はこう返すことにした。
「生意気言うな。5年後、またやり直せ」と。