無題
「ほへえぇ……」
飲み下した茶の熱が喉に残ったまま、安堵ともどうともつかないような声が漏れる。
「どてら着込んでこたつでみかんと緑茶って、どこの国の子なんですかねえアースは」
ドイツの名門の血筋とはいえ、生まれも育ちも日本となれば文句なしに日本の子だろう、と普段ならツッコミを入れてくれたであろう兄や妹もいない。
年の瀬の午後三時、すでに正月を迎える準備は整えて、もう今年にやり残したことはなし、さてだらだらしよう。
そんな具合で半ば溶けたような具合で炬燵の天板に顎を乗せて、ぼんやりとテレビが垂れ流す年末の長時間番組をひとり眺めていた。
「この時期は無駄に長い番組ばっかりですよねえ……冗長気味だったり番宣まみれだったり」
だから適当にチャンネルを切り替えて、切り替えて。
そうしてつけた番組に、見知った姿が映っていた。
「おお、相変わらず苦笑いの似合う……」
有名人にカメラを持たせて、完全に台本無し、アポなし、ロケハンなしでどこかの街を散策してもらう、という内容のテレビ番組で、映し出されていたのはいつも彼女がお兄さんお兄さんと呼んで懐いている青年、コントレイル。
そして、世紀の三冠対決と呼ばれたジャパンカップを彼とともに盛り上げた、トリプルティアラが二人。
この三人といったらジャパンカップなのだから行先はもちろん府中──と思いきや、そこはズラして目黒の元競馬場の方に連れていかれていた。
『ほいコント、カメラマンよろしく!』
『お忘れかもしれないけどね、僕ら一応ゲストの三人ってことで呼ばれてるんだよ? そこは分担じゃないのかい』
あの時と同じ、苦笑い。
あの時と同じ、仕方ないなあ、という許容の声。
あのジャパンカップの夜、洗いざらい全てぶちまけて、恥も外聞もなく泣きはらしたあの夜の記憶と寸分違わない、静かで拒むことのない、春の陽だまりのようにただそこにあって分け隔てなく与えられるやさしさ。
そこに寄りかかっている自分は、いったいどうなりたいのだろう。
『見て見て、寄生虫博物館ですって』
『アイちゃん先輩からそんな発言が飛び出るなんて……』
『そう言いながら二人そろって僕を押し込もうとするのはなんで──うわっ力強いッ』
「アースはいったい、何を求めてるんでしょうね」
青年に心の拠り所を求めている、という点は明白だと思う。
けれど、それは青年だから、彼自身の好ましい人柄に惹かれてそう思っているのか、それとも誰でもいいから寄りかかりたくて、そこに寄りかからせてくれる誰かが来たから青年に甘えているのか。
その判別がつかない程度には、己の感情とは向き合いきれていなかった。
もしも。もしも自分が彼に求めているもの、抱いている思慕の正体が、誰でもよくて都合のいいひとがいたからその善意を利用しているだけだというなら。
「それは、最低ですよね」
浮気は嫌いだ。移り気な輩はどうかと思う。
でももし、自分もそういう人々のように、軽々と離れていってもおかしくない心理を抱えているのだとしたら?
磨かれた炬燵の天板に反射する自分の顔は、テレビ画面とは対照的に曇っていた。
『へいへいカメラマンさん、腕が震えていらっしゃいませんこと?』
『楽しそうだねえ……こっちは何時間カメラを構えさせられてると思ってるのさ』
『そろそろ代わりましょうか?』
『ああいや、お気になさらず。お茶の間の皆さんが期待してるのは女子二人でしょうし』
「決して、暇な人じゃないんですよね」
立場上、今の日本のレース界にとって五指に入る重要人物で、当たり前だけど背負った役目は重大で。でも知名度は抜群だし、頼まれれば断らないからメディア露出だって多い。
暇な人じゃないなんて言い方では足りないくらいには忙しいだろうことは察せられる。
「じゃあ、アースはどうなりたいんでしょう」
そんな忙しい人に想いを向けるとして、その正体が分からないまま、もしやすると誰でもいいからなんて理由だとするなら、それは。そんな事情で時間を使わせてしまうとするなら。
「いや、だなぁ……」
冷え込んだ心のせいで、身体まで冷えてしまうような気がして。
ぐでん、と上半身を倒して、炬燵に深く潜り込んだ。
テレビの向こうの声は、いつの間にか意味をなさないノイズのように聞こえていた。