無垢と経験の歌/迷子になった男の子(The Little Boy lost)
41先生ごめんなさいマグナムートは困惑していた。
竜の威容を前にして物怖じせず、なお平然とそのつぶらな瞳でこちらを覗き込んでくる未知のイキモノ。
「……ホントウニ、オマエハナンナンダ」
改めて口に出して、気づく。
声を遮るものもなく、制限されぬ顎の可動域で発された言葉は呟き一つすら随分と大きく響くように感じる。
詰まるところ、あの忌々しい口枷が外れている。
それどころか謎のイキモノを摘む爪にも手枷は無く、常に耳障りだった全身を戒める鎖の金属音の一つさえ聞こえない。
産まれたままの竜の肢体、その全てが封印されることなく晒されていた。
「ドウシテ封印ガ?」
「ピュー?」
「オマエニイッタワケデハ……チョットマテ」
畳み込むような情報量に眩暈すら感じる。
命ぜられるがままに暴虐の限りを尽くしてきたマグナムートには慣れぬ頭脳労働だが、誰も頼れぬ以上仕方あるまい。
順番に情報を列挙しては整理してゆく。
この場所……不明。
このイキモノ……不明。
自分の状態……不明。
「ナンモワッカラーーーーンッ!!!」
「ピュッ!?」
突如として素っ頓狂な魂の叫びを自由な口から吐き出せば、驚いたイキモノが身を固くする。
とはいえそれはあくまで反射的なもので、怯えた様子など見せずにすぐまた興味深げな視線を静かに投げかけてきた。
その様子に、何故かこちらも少しだけ平静を取り戻せたように感じる。
原因は不明でも現状から確認できることはそれなりにある。
この場所が小綺麗で戦乱の燻りなど一切感じさせない平和そのものであること。
このイキモノが敵意も害意もない存在であること。
自分の身体が封印を解かれ、しかし矮小な幼竜のそれであること。
幼竜ながらに、その竜族の頑強さを以って血反吐を吐くほどの内臓の傷も全身の痛みも既に癒え始めていること。
その対価として体力を消耗してしまったこと。
「…………腹ヘッタナ」
視線の先には肉がある。
幼竜の前脚にさえ余りにも軽すぎる命だが、肉には変わりない。
ほんの少しでも腹の足しにしようと大きく口を開き、頭から丸齧りにしようと……
「ピュア?」
この後に及んで自分に危害が加えられようなどとは全く思っていないといった風情のその声に動きが止まった。
絆されたわけではない。
ただ捕食者としての矜持が、恐怖も悔恨もないままにその命を奪うことを良しとしなかっただけだ。
だから首ではなく、その大きな耳を喰んだ。
「ピュッ!?」
流石に反応が大きかった。
敢えて牙を立てずにもにゅもにゅと口内で弄んでやる。
その平和ボケした頭に捕食される原始的な恐怖を思い起こせばいいと嗜虐心に鱗の相貌を歪ませながら、初めて口にした柔らかな毛と肉の感触を思う存分味わってゆく。
そして驚きからの硬直がやっと解け、状況を理解したイキモノはその前脚でぺちぺちとこちらの下顎を叩き始めた。
全く痛くも痒くもない。
小さなイキモノの虚しい抵抗に満足感を覚えながら、さらにその耳を舌先で転がしては甘噛みする。
加えられた刺激にイキモノは頭を振って逃げようとするがそれを許すはずもない。
はむはむ。
もにゅもにゅ。
ちうちう。
夢中になって行為を続けていればいつの間にか前脚の抵抗は無くなっていた。
終に絶望したかと耳から口を離し、その顔を覗き込む。
怒っていた。
身を焼くような激しい怒りではなく、不快感と失望を宿したじっとりとした瞳で怒りを訴えていた。
『さすがにそれはどうかと思う』
「ゴ、ゴメンナサイ……」
物言わぬ獣が視線で訴える言外の会話に責められ、反射的に謝罪した。
途中から格好つけた被食者と捕食者がどうこうの理論などすっ飛んでただただ楽しくてやっていた自覚はあった。
とはいえ事実としての単純な筋力と体格の格差はあるのだ。
だというのに謝罪してしまった。
有無を言わせぬ視線だった。
無垢な瞳に混じった棘が痛くてたまらない。
堪らず視線を逸らしても、唾液まみれの耳を煩わしそうに動かしながらこちらを見つめ続けてくる。
もう捕食対象などとは見れなくなったそのイキモノをどうすればいいのかと途方に暮れ、誰か助けてくれと希ったそのときである。
「やあドラゴンくん、何をしているんだい?」
願いは叶い、救いの手が差し伸べられた。
──
────
──────
「ハフッ、ハムッ!!」
「ピュア、ピュア!!」
「2人とも、そんなに焦らなくてもごはんは逃げないよ」
救いの手の主は花屋を営むという人間の女だった。
タイミングが良かったというべきか悪かったというべきか、とても人間を喰い殺して飢えを満たそうなどという空気にはなれず素直に状況を説明し、結果として食事にありついた。
腹を膨らませ人心地もつけば自ずと会話が始まる。
「それでドラゴンくん」
「マグナムート」
「失礼、マグナムートくんはこれからどうするんだい?」
「コレカラドウスル、トハ……」
「元いた世界に帰りたいとか」
「元イタ世界……」
鸚鵡返しに呟きながら、思案する。
厄災を齎す者。
人族の殺戮者。
深淵の獣。
その為に産み出され、そのために戦い、その結果がこれだ。
果たして元いた世界へ帰る意味はあるのだろうか?
意味というのなら、きっとあの落胤に負けた時点で失ってしまっているのだろう。
あの世界に舞い戻り復讐を望むか?
竜の血が求める破壊と暴虐に再び身を委ね屍山血河を産み出したいだろうか?
わからない。
支配が、衝動が、抑圧が、瞋恚が。
あって当たり前だったもの全てから解き放たれた結果がこの宙ぶらりんな自分だ。
あれほど疎み忌み嫌っていた全てが自らを規定してくれていたことを思い知る。
ふと視線を小さなイキモノに向ける。
人間によると『ピュアリィ』と呼ばれる存在らしい。
育てる者によって多種多様な姿へと成長する、不思議なイキモノ。
満腹になったお陰かあの棘を感じる視線も治まり、最初に出会った頃のような無垢な瞳が煌めいていた。
「元ノ世界ニ執着ハナイ……キットモウ『終ワッテ』イルカラ」
「そうか、じゃあしばらくはここに?」
「ソウ、ナルト思ウ……」
「じゃあちょうど良かった、少し人手が欲しかったところなんだよ」
「ハ? ナ、ナニヲ……」
「働かざる者食うべからずだよ、マグナムートくん」
「ピュア!」
そう一方的に告げながらサムズアップする人間と、その調子に合わせて前脚を掲げるピュアリィ。
状況に流されるがままあれよあれよと話は進んでいき。
「イ、イラッシャイマセー」
そしてマグナムートはその身を戒めていた封印を可愛いエプロンに変え、立派な花屋さんとなったのだった。
「ナンデソウナル!?」
「ピュアッピュア!」
(to be continued…?)