火中の栗を拾う者たち

火中の栗を拾う者たち


事の発端はポーラータングのクルーたちだ。

ある日、船内の一室から声が聞こえることに気がついたローが、その部屋を覗き込んだことに拠る。

部屋の真ん中に一台の電伝虫を起き、壁に照射されている何か――ほほえみ、語る少女に、クルーたちは腕を振り上げて歓声を上げていたのだ。

「……何してやがる」

「あ、キャプテン!」

眉をしかめながら低い声で問いかければ、気づいた一人が思いの外強い力でローの腕を取り、部屋の中へと引きずりこんだ。

「お、おい!?」

「さ、さ、キャプテンも座って座って」

「いーところに来ましたよキャプテン! これからちょうどウタちゃんが歌うところですからね!!」

「う、うたう? いや、そもそもこれは――」

「ちょっと静かにキャプテン! 始まる!!」

ミンク族のモフッとした手で口をふさがれ、目を白黒させていると、不意の静寂、直後、耳に飛び込んでくる声。

『新時代は――』

「……へェ」

芯のある、力強い声だ。ビジュアルから甘い声を想像していたのもあり、見事なギャップに目を見張る。アカペラであるため伴奏との調和は不明だが、これだけ強く突き抜けてくる透る声ならば、重低音にかき消されることもないだろう。

見事な、歌だ。

「どう? どう、キャプテン?」

「……悪くないな」

「でっしょー!!」

興奮気味に抱きついてくるベポを引き剥がしながら、ローは心中で再びつぶやく、

――悪くない歌だ。

ポーラータングは潜水艦だ。海中を潜航する形になることも多く、閉鎖空間となるため気が塞ぎやすい。

窓はあり、周囲の景色は見れる。洋上に出て航海することもある。しかし海中という環境はどうしたって緊張を強いてくる。娯楽、という心の栄養はそういう観点からとても重要な要素だ。

そこに、この歌。クルーのはしゃぎっぷりを見るに、慰安の点からも十二分に有用であると言える。

少し騒がしかったが、特に小言を言うほどでもないか、と結論付けたローの視線の先、照射された映像の中に歌い終え、疲れの見える件の少女。

それでも笑顔で手を振る姿に、部屋に集まった野郎どももまた歓声とともに手を振り返した。

少々行き過ぎたきらいのある熱気に若干引き気味になりながら、

「ほどほどにしておけよ」

と軽く形だけの釘を差して、席を外そうと――

「まあまあ、まあまあまあキャプテンおまちくだせェ」

「お楽しみはこれからっすよ、これから」

立ち上がろうとしたローの肩を、クルーが押し留めた。

おい、と苦言を呈そうとする彼を雑に宥めながら、クルーたちはそのまま画面を注視している。

「……なんだってんだ」

諦めて深く椅子に腰掛け、足を組む。画面の向こうでは配信を終えるためだろうか、少女が手を伸ばし、次第に大きくなって――

『……うん、よし、切れたね』

「……あ?」

電伝虫に軽く手を振り、反応を確かめている少女が映りっぱなしになっている。彼女は配信を終えたつもりでいるようだが、こちらからはまだその様子を窺うことができた。

にも関わらず、彼女は笑顔を緩め、大きく伸びをして小さなあくびをこぼす。完全にオフ、誰も見ていないと油断している姿。

「あーかわいい!!」

「かわいい!!!」

「油断してるウタちゃん超可愛い!!!!!!!」

そして、大盛りあがりの野郎ども。

『今日もうまくいって良かったー! みんなにも喜んでもらえたし、少しずつ人も増えてきたし、文句なし!』

「おいこれ放送事故じゃないのか。大丈夫なのか」

ふんふん鼻歌を歌いながら陽気にステップを踏む少女の影を指さしながら、ローはクルーに問うた。

クルーはだらしなく緩んだ口元を隠そうともせず、なぜか自慢げに、

「いつものことなんでオッケーっす!」

眉をひそめ怪訝を顕にするローに向かって、クルーは口々に語り始める。

――かわいい。

――なにやら新種の電伝虫らしいが、完全には電源が切れないらしい。

――すごいかわいい。

――そのためあちらからの送信は切れることなく、視聴者からの受信がだけが切れている模様。

――めちゃくちゃかわいい。

――本人はそのことに気づいていないようで、私生活が垂れ流しになっている。

――時々歌ってる鼻歌もすごいうまいんだよ、キャプテン!!

「……なるほど」

かわいいしか言っていない馬鹿一名をとりあえず黙らせ、サラウンドで聞かされる言い分に頭を抱えながら理解したのは、

「つまりお前らは……その、なんだ、寄ってたかって女の私生活を覗き見して悦に浸ってるっていう……」

視線が性犯罪者を見るそれである。

「ち、ちがっ……! おれたちはそんな、いかがわしい目的じゃなくて……!」

「見守ってる! 見守ってるんすよキャプテン!!」

敬愛するキャプテンから塵芥を見るそれを向けられたクルーたちは、着替えのときはどうとか流石に四六時中じゃないとか慌てて弁明を行うも、ローの視線の温度は上がらない。

「まァ……なんだ……おれたちは、うん、海賊だからな。そういう、不法行為……も……まァ、する、ん、だろう」

「だからキャプテン!!」

「とはいえ、あー……あまり、羽目を外しすぎるなよ。うちにも女性クルーはいるんだ、その辺、線引はしっかりとな……」

「ねェ聞いて!!!!!!」

追いすがるクルーたちから逃げるように、手早くROOMを展開して部屋を抜け出す。

入れ違いに女性クルーが部屋へと入っていくのが見えた気がしたが、ローは振り返ることなく足早に部屋を離れた。

途中、「ギャプデーン゛!」と悲鳴が聞こえたが、幻聴だと気にしないことにした。


ともあれ、その日以降、ハートの海賊団内部でウタの存在は急速に認知されていった。

彼女自身のキャラクター性、そして歌の力が、ローが思った通りに娯楽という点で受け入れられていったのだ。

一部クルーからは、

「あの無防備さが見守っていてあげないと不安になる」

「昔飼っていた犬に似てる気がする」

「妹にしたい」

というちょっと違う何かが漏れ聞こえてきた気がしたがそれは脇に置いて。

団内におけるウタ普及の急先鋒がベポであった。

あのあざとい幼なじみの白熊ミンクは、なんとグッズの自作まで手掛け、ウタが歌うたびにそれらを振り回している。また、例えばシャボンディで加入した新人らにも配布するなど、目も当てられないほどにドハマり、入れ込んでいた。

「ライブやってくれないかなァ……生で聴きたいなァ……」

「歌姫は海賊嫌いなんだろう? お前が行ったら騒ぎになるんじゃないか」

「そうだけど……そこはほら、うまい具合に変装したり、ちょっと遠くからこっそり見るとか……。その時は、一緒に行こうね、キャプテン」

「機会があったらな」

お座なりな回答に両手を上げて喜ぶベポに、ローは小さく鼻を鳴らした。

ひょんな縁から乗せる羽目になった麦わらと別れるときもまた、餞別としていくつか歌姫のトーンダイヤルを置いてきたらしい。

「ウタちゃんの歌は元気をくれるんだよ、キャプテン。……麦わらは仲間でも友だちでもないけどさ、せっかくキャプテンが治したんだから、少しでも元気になってもらいたいじゃん」

「……そうだな」

ベポの腹をもふもふしながらローは思う。

助けたのは気まぐれだ。麦わらの持つ心意気、気概、そういったものがローの琴線にわずかに触れた、それだけのこと。

何かしらの見返りを求めているわけではないし、また、やれるだけのことはしたのだから、ここから立ち上がれるかはもはやローの関心の外だ。

それに、ローにはローでやるべきことがある。そのために政府に取り入り、王下七武海の座を射止め、仕上げとしてクルーを説き伏せ新世界はパンクハザードへと向かっているのだ。

余計なことに気を回している余裕はない。

……ない、はずなのに。


――『ウタという少女は……彼女の歌は危険だ!!』


――『……ルフィ』



洋上に上がったポーラータングの甲板の上、ベポを枕に日向ぼっこをしていたローの上に、一羽の鳥が舞い降りた。

腹の上でくわっ、と鳴く鳥から新聞を一部、受け取る。ニュースクーに依る世経の配達だ。

バイザー代わりに日差しを遮らせていた帽子を少し持ち上げ、一面に大々的に躍る文字を見る。

『エレジア滅亡の真実! 偽りの歌姫、その真の正体とは!?』

「……随分と趣味の悪ィ記事を書く」

ざっと紙面を眺めてから、横から伸びていたもふもふの腕に新聞を渡す。腹の上でくえくえ催促してる鳥に代金を支払えば、遅い、とばかりに軽くローの腹を嘴でつついて、高く青空の向こうへと飛び立っていった。

「……んぎぎ……!!」

悔しさをかみ殺すように歯噛みし、唸りながら新聞をビリビリに破いて紙吹雪へと変貌させたベポを、宥めるように軽く叩く。

「入れ込みすぎるなと何度言ったら理解するんだ、ベポ」

「わかってるけどさ……!」

もごもごと口ごもる白熊に、ローは鼻を一つ鳴らした。


あの日、期せずして知ってしまったエレジアの真実。歌姫が顔色を失い、泣き叫ぶ様子を、ローもまたクルーと一緒に目撃していた。

焼け落ちていく国。天に響く悲鳴。立ち向かう男たち。声なく哄笑する魔王。そして、せめて今を伝えようとする、声。

画面の向こうの惨事と連動するように、ポーラータングの中もまた大騒動となった。

労しい少女のために何かをしてあげたいと願うもの、所詮縁もゆかりもない他人であると見捨てることを選んだもの、大まかに二分される事態となったのだ。

「入れ込み過ぎだぞ、お前ら。確かに哀れには思うが、おれたちは歌姫の家族でも友だちでもねェ」

「でもキャプテン! もしかしたらこのままだとプリンセスが海軍に捕まっちゃうかもしれないじゃん!!」

「それに、いつも楽しませてもらってたじゃないですか! 何か一つくらい恩返ししたってバチは当たんないっすよ!!」

「向こうが勝手に配信して、こっちは勝手に聞いてた、そういう関係だろうが。そこに恩も義理もねェよ」

言うまでもなく、ベポを筆頭にしたのが前者――何かしてあげたいと願った者たちであり、ローを筆頭としたのが後者である。

ベポたちの論は、感情を主としている。

最初は興味本位で、そこから姿に、声に、姿勢に、仕草に魅了され、次第にのめり込んでいった結果生まれた感情を火種に、いわゆる「推し」を助けたいという感情が暴走気味に発露している。

対して、ローたちの論は簡潔明瞭だ。彼女は他人である、その一言に尽きる。

確かに彼女の歌に心和み、それを旅の友とした、しかしそれだけだ。歌姫個人に特別な感情はなく、だからこそ針路を変更し、時間を使い、労力を割いてまで助けに行く理由もない。海賊嫌いを謳っていた本人が、海賊が原因だと思われていた事件の主犯であり、実はその海賊に庇われていたのだという事実、それが本人のあずかり知らぬところで周知となってしまったことに哀れみこそ覚えるが、それはそれと切り捨てるだけのドライさがある。

とはいえ、両者反する意見に思うところのないわけではない。前者だって団を煩わせていいのか、という思いを抱いているし、後者だって歌姫に対する好意があるのは確かなのだ。載せられた天秤の、どちらかがわずかに傾いているかという違いでしかないのである。

ベポからの一言が飛ぶ。

「キャプテンは麦わらを助けたじゃないか!」

縁もゆかりもない、という意味で、麦わらと歌姫は並列だ。確かに麦わらとは一瞬肩を並べて戦ったとは言え、明らかな死地に飛び込む理由としてはないも同然である。にもかかわらず、麦わらは助けた、加えて死に体であった彼の治療すら行った。ならばその優しさ――甘さ――あるいは気まぐれを、歌姫に向けてもいいじゃないかと感情は叫ぶ。

「……チッ」

小さく舌打ちするローの頭にあるのは、人知れず進めていた計画だ。恩人の本懐を果たす、そのためだけに進めてきた計画は、もう最終段階に至っている。それを、他人のために遅らせたくないというのが、本音の一つだった。

「……歌姫は赤髪の娘なんだろう。なら、あいつが動かないはずがない」

「動かないかもしれないじゃないか! 滅んだエレジアに置きっぱなしにするような親だよ!?」

憤懣遣る方無いといった様子で吠えたけるベポが、不意に顔を伏せ、

「それに……今、麦わらに会わせてあげられるの、たぶん、おれたちだけだよ、キャプテン」

一瞬、シン、と場が静まり返った。

ローは目を瞑り天上を仰ぐ。

その言葉が含有するもの。このクソッタレな世界で、会いたい人にいつでも会えるとは――否、もう二度と会えないかもしれないという経験だ。

ローがそうだ。ベポもそうだ。クルーたちだって、少なからずそういう経験をしてきた。事故、病、海賊という災害、様々な因果で、手を振る影に二度と会えないなどということは、珍しいことではない。

だからこそとベポは言う。会いたいというのなら、会わせてあげられるのだから、会わせてあげたい、と。

もとより気のいい連中だ、そんな言葉が飛び出てきたのなら、もう、そういう方向に舵が向いてしまう。

それでも、最終的な決定権はキャプテンであるローにある。だから、

「……理由がねェ」

絞り出したようにそう口にして、

「理由があればいいのか?」

そう飛び込んできた言葉に、思わず顔を向けた。

シャボンディのヒューマンショップ襲撃の折に加入した新入りだった。元キャプテンという経歴を持ち、クルーの中で一際豊富な経験を持つ彼が、まっすぐローを見つめていた。

「何が言いたい?」

「理由ならあるだろう。歌姫が赤髪の娘だと言うならば、彼女を助ければ赤髪に対して小さくない恩を売れる」

「……ベポの言葉を借りれば、長らく亡国に娘を放置するようなやつだぞ。それくらいで恩に着てくれるか?」

「さて。だが、海賊はメンツが重要だ。特に、四皇ともあればそれを蔑ろにすれば足元がゆらぎかねない。仮に不仲であったとして、だからと見捨てるようなことがあれば、白ひげ亡きあと未だ揺れ続ける新世界、他者に付け入られる隙きとなるのではないだろうか」

「大小はともかく、なんらかの見返りは期待できるか……」

腕組み瞑目するローの耳に、キャプテン、という弱々しい声が聞こえた。

感情は傾いた。理性をだまくらかす理由も後付されてしまった。

ローは頭の中で素早く計画を組み直す。どこをどう変え、どう組み込ませて、どう使うか。

「……針路変更だ」

「キャプテン!!!」

「ぼやっとするな、駆け足! ……先に言っておくが、件のルフィが麦わらじゃなかった場合、麦わらが歌姫のことを覚えていなかった場合、そして赤髪がこちらの提案を飲まなかった場合、その時点でエレジアへは行かねェからな」

アイアイ! という応答を後ろに、ローは男に視線をくれて、

「意外だった。お前はもう少し理性で考えると思ってたんだが」

「そうか。……きっと、ここの空気に染められたのだろう」

「あ? ……うちはドライだぞ」

「……そういうことにしておこうか」


そうして今、目的地へとポーラータングは邁進している。

合間合間にこうして浮上し、一息入れることはあれど、クルーたちの熱に呼応するように、一路。

まずは麦わらとの合流だ。歌姫を手早く回収する案も出ないわけではなかったが、彼女の精神状態が読めないこと、こちらが麦わらと面識があると証明するものがないこと、そして最悪の場合、――かの映像の言葉を信じれば――エレジアを滅ぼしたあの魔王と交戦する可能性があるということから、戦力増強も兼ねて、ということとなった。

「ねェキャプテン」

「……なんだ」

「ウタちゃんがエレジア滅亡の原因って、本当なのかな」

「……さァな。少なくとも、あの映像の主はそう思っていた。そして、それを見ていた歌姫の反応は、何かしら心当たりがありそうだった。わかるのはそれくらいだ」

「そっか……」

気落ちした様子のベポを、慰めるように軽く叩く。

「……そろそろ戻るか」

「ん、アイアイ、キャプテン」

ローはのそりと立ち上がり、甲板に出ているクルーたちに進発の号令をかけた。呼応するクルーの気配。

羅針盤の針の向かう先は、ルスカイナ。

恐るべき魔獣の住まう島、そして、麦わらのルフィが傷を癒やし、力を付けるために潜伏している島である。

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