渋谷事変  ―天変― 急

渋谷事変  ―天変― 急


 核熱術式。黒川蘇我の術式。

 術者の身体を炉に見立てて核融合を起こし、呪力を生成する。

 黒川はこれによって得る呪力を武器としているが、呪術界でこの術式は、彼女が現れるまで存在そのものが敬遠され、長らく術者も確認されていなかった。


 黒川以前の核熱術式――日輪は、謂わば肉体を太陽に変える術式。

 膨大な熱と呪力を生み出すのはいいが、そのエネルギーは人間の身一つで扱い切れる代物ではない。

 この術式を持って生まれた術師たちの最期のほぼ全てが、身体の許容限界を超えたエネルギーによる自爆であると記録されているのがそれを裏付けている。


 しかし術式は、時代によってしばしばその姿を変える。

 元々映像媒体やカメラの登場から派生したものだった投射呪法を、直毘人がアニメーションの要素を取り入れて現在の形にブラッシュアップしたように。

 黒川もまた、現代の科学と幼い頃に受けた指導によって、術式を太陽そのものではなくその一要素である核融合に着目した呪力生成術式へと最適化し、使いこなしているのである。


 この術式の起動こそが、彼女の本領発揮を意味していた。




 術式を稼働させてその身に呪力を漲らせた黒川に対し、漏瑚は反射的に攻撃を決断する。

 呪霊である彼は科学知識に明るくなかったものの、論理を超越して本能的に感じ取ったのだ。


 目の前に、火山(自分)とはエネルギー規模が比較にならない太陽(モノ)が在ることを。


 足下に二つの火口を生やし、掌からの熱線と合わせて黒川を狙い、最短の工程で放つ。

 並の術師は火口が生えた瞬間、腕を構えた瞬間に火炎が発射されたとしか認識できずに死に絶える業火。

 何かをする前に全身を消し飛ばして即死させる。

 その、いっそ純粋なまでの一念が可能にした、彼自身にしても二度はできない奇跡の早業である。


「術式順転」


 だが、大地と天道(タイヨウ)にはまさしく文字通りの隔たりがあった。


 呪力を仮想原子として核融合を行い、新たに呪力を生成する核熱術式。

 それを強化した順転は反応がより現実に近付き、炉である彼女の身体は呪力と共に熱を帯び始める。


 その熱は、あまりの高温故に炎の姿を取らない。

 操られる呪力の大気で熱を集束された彼女の拳が、振り抜かれたその瞬間。


「『蜂起星』」


 炎の赤が掻き消え、帳の黒が照らされ。


――ぬおぉぉぉぉぉおおお!!!??


 思わず叫んでいたが、それすらも消し飛んで。


 声も、視界も、漏瑚の何もかもが、眩しい白に塗り潰された。




 反射的に阻止に動いた漏瑚と違い、黒川の力を認識しながら自らの好奇心を優先した宿儺。

 彼は、恒星の如き輝きを纏う拳を目撃した。


「ククク、なかなかのものが出てきたな」


 呪力防御を破って焼かれた腕を治しながら起き上がり、その光景を思い返して呟く。

 ほんの数秒前まで自分たちが立っていた屋上を含む上層が、跡形もなく消し飛んだビルを見上げながら。


(あれだけの大技でも、呪力が減っていない。なるほど、奴もまた“無限”というわけか)


 屋上のあった空間で、竜巻が巻き起こる。

 そこから100m以上離れた地上でも感じられる強風。先程までの戦闘さえ凌ぐ、大気に満ち満ちた呪力の圧力。

 全てが、竜巻の内にある一人の人間に起因するなどと誰が信じられようか。



 核熱術式は、一度呪力を流して起動さえさせればその後の工程は術式による全自動で、スイッチを切るまで術者へ呪力が供給され続ける。

 これが意味するのは、エネルギーの受け皿となる肉体の限界を考慮しない前提であるものの、まさに無限の呪力。


 術式解放中の彼女は呪力切れと無縁であり、そのため消耗を度外視し、あらゆる動作に呪力を惜しまず注ぐことが可能となる。

 その力の規模は、優れた呪力効率を鑑みても消費を気にして出力を調節していた非解放時とは次元が違う。


「く…………なんだ、これは?」


 焼かれた半身――咄嗟の攻撃で相殺したからこそこの程度で済んだ――を呪力で再生する漏瑚が、光に焼かれた目を取り戻して辺りの異変に気付いた。


 先程まで一帯を照らしていた明かり。

 つまり彼がこの戦いで作り上げたマグマの海、それが固まり光を失っている。

 冷めることを知らぬ筈の大地の怒りが、その熱を奪い去られる程の暴風が吹き荒れていたのだ。


 台風と呼ぶのも生ぬるい風。その中心は、空中にあった。


 二本の竜巻が、ゴウゴウという音を轟かせながら空へと伸びている。

 そして宿儺が見ているのはその根元。竜巻は、空中に立つ黒川の背中と繋がっていた。

 竜巻に見えていたのは、彼女が絶えず放出する風の呪力。


 これは本来、交通機関を使っていては間に合わない緊急事態の際に航空規制と共に許可される、術式解放による飛行体勢。


 黒川蘇我――巡航形態。


 おおよそ人間を形容するには相応しくない言葉である。

 しかしそれが、ただあるだけで天変地異に等しい今の彼女を表すのに、最も適切な表現だった。


「来てみろ」


 常人の目では認識できるかも怪しい中空に立つ彼女の微かな動きを見た宿儺が、腰を落とす。

 同時に、屋上のあった虚空に佇んでいた黒川の姿が掻き消えた。


「――!」


 瓦礫が小石のように飛び、焼け野原に道が開けていく。

 凄まじい風圧。宿儺は風の弾丸となって迫ってくる黒川を認識しながらその突進をかわし、代わりに彼のいた建物が粉々に粉砕され、瓦礫を舞い上がらせていった。

 すぐ横を通り過ぎていった黒川に宿儺が振り返った時には、彼女は竜巻の尾を引きながら上空を飛んでいた。

 まるでほうき星。呪力のジェット噴射による加速と、大気中の塵などから黒川を守る防壁が、この高速飛行を成立させている。


「『解』」


 宿儺は遥か上空を飛ぶ黒川目掛けて斬撃を放った。

 その、地上から空へと逆さまに降っていく雨のような物量の対空攻撃を、ときにかわし、ときにバリアで凌ぎながら、彼女は地上を見遣る。


 ここまでの戦闘の大破壊で明かりが消え、闇に包まれた地上。

 彼女はそれでも、人間の姿を見つけた。見知った人間(日下部とパンダ)が、呪詛師らしき集団と対峙している姿を。

 自分が術式を解放し、宿儺や特級呪霊もギアを上げてくれば戦闘の規模は拡大する。巻き込めば彼らの命はまずない。

 彼らの上空を通り抜けざまに、黒川は声を張り上げた。


「そこの人たち、すぐにここから離れてください!」


「黒川!?」


 音とは大気の振動。

 風の呪力を応用すれば普通は会話の成り立たない距離でも、一方的だが言葉を届けることができる。


「~~ッ! わかったろ呪詛師ども!? 俺らなんて放ってとっとと逃げろ!」


 日下部篤也は一級術師である。

 呪術界においては“真っ当な”最高戦力に数えられる彼は彼女の警告を受け、本来討伐か捕縛すべき呪詛師を好きに逃げろと放り出してまで、即決でパンダと共に撤退を開始した。

 彼が呪術高専に教師として勤めている理由は、“術師の任務と違いリスクのない教職でお金を稼げるならばその方がいい”というもの。

 その日頃の在り方に全く違わぬ清々しいまでの保身であった。


 なにと戦っているか知らないが、黒川に加勢するなど思いもよらない。

 彼は自分たちを蟻、特級同士の戦いをその上で行われる象のタップダンスと例えたが、まさにそれが正しい。

 象たちが巨大な足で踏む気紛れのステップ。うっかりその下に入り込んでしまうだけで、蟻は容易く死ねるのだから。

 一級術師でさえ、この戦いでは蟻としか言いようがなかったである。


 戦場(ダンスホール)から蟻たちが逃げていく一方。

 象の中で最も弱小な漏瑚は、旋回と突進を繰り返す蘇我と、それを凌いで対空攻撃を浴びせる宿儺の攻防を、固唾を飲んで見守っていた。

 とてもではないが、自身の割り込む余地などない。


(……一度退がって、様子見に――)


「ならん」


「はっ、ぁ?」


 二人で自分を余所に激戦を繰り広げている様子に、このまま一度戦線を離脱することを考えていた彼だが、それを見透かしたように背後に立った宿儺に捕まり、持ち上げられてしまう。

 その宿儺へ、再び高度を下げ、低空飛行する黒川が向かってくる。


「折角面白くなってきたのだ。今更一抜けなどと、興を削ぐようなことをするな」


「……!」


 漏瑚は戦慄する。今の彼の気分は、暴走列車が走ってくる線路のど真ん中で足を縫い付けられたのと同じ。

 しかし、先ほどからその暴走列車に延々と狙われ、常に線路上にいるに等しい筈の宿儺は、受ければただでは済まないそれを見ながら、言葉通り楽しんでいた。


「さあ、もっと俺を興じさせろ」


 暴風の弾丸が迫り、漏瑚のこれ以上ないほど見開かれた単眼が、干からびそうな程の強い風を浴びる。


「まだまだ付き合ってもらうぞ」


 呪いの王が、心底愉快とばかりに誰も彼もを弄ぶ。

 刹那、鋭い風切り音が鳴った。




 隕石が落ちたような、衝撃と轟音が一帯を揺るがす。

 立て続けに着弾地点を中心とした旋風が起こり、瞬く間に半径50mを超える竜巻が出現した。

 竜巻の中は風に巻き込まれる塵で外から見えないものの、チカチカと白い閃光が漏れ出てくる。

 都心に起こった前代未聞の災害といった様相だが、それこそが本当の災いを封じ込めているようなものだった。


「ぬおおぉぉああああああーーッ!!??」


 嵐の壁の内側。観戦者のいない闘技場。

 本来台風の目と呼ばれるような旋風の中心は無風になる筈だが、そこはむしろ、ミキサーの中のような乱回転する気流で満たされている。

 地に足つかぬ大地の呪霊は、上下前後左右、あちこちへ成す術なく瓦礫と共に振り回されながら、その中でも平然と戦闘を続けている二人の人間を目撃した。


 一人はこのフィールドを作り上げた張本人である黒川。

 漏瑚がもはや水に溺れた虫のようにもがくしかできない乱気流の中を彼女だけはその呪力で自由自在に動き、閉じ込めたもう一人――宿儺に襲いかかる。

 対する宿儺は、漏瑚の手足が空振るだけの嵐の中で、飛び交う瓦礫を足場に縦横無尽に跳び回り、彼女と格闘戦を繰り広げていた。


 下段蹴り。フック。肘打ち。膝蹴り。掌底。


 呪力の噴射でリーチと速さを、そして“蜂起星”によって威力を飛躍的に跳ね上げられた黒川の一挙手一投足。

 宿儺もそれを馬鹿正直に受け止めることはせず、体捌きでいなし、逸らす。

 一合か二合程打ち合っては跳び退き、飛び交う瓦礫から瓦礫へと乗り移ってヒットアンドアウェイをこなし、黒川は飛行してそれを追い回す。


(熱と光を帯びた打撃。風で自らの四肢に束ねているのか)


 この嵐のフィールドの形成や高速移動にも呪力を割いているため、出力は術式解放直後の最初の一撃に及ばないが、それでも宿儺でさえ無視できない威力である。


(そして――)


――逕庭拳!


(遅れてくる衝撃! 起こるタイミングが打つ度に違っていて鬱陶しい。小僧と違い、明らかに意図して使いこなしているな)


 凄まじい瞬発力で拳に纏う呪力の大部分を置き去りにすることで、打撃の後に呪力のみで起こる二度目の衝撃。

 この技の開祖たる黒川は、呪力操作によって、遅れる呪力の到達するタイミングをある程度調節できる。

 拳や脚自体も呪力放出で加速が可能なため、見切るのは至難の業となっていた。

 宿儺は通常の打撃との見分けができていたものの、まだこのズラしまでは読み切れず、姿勢を崩されてしまう。


 その隙を黒川は見逃さず、貼山靠を叩き込む。

 体を風で運んでの体当たり。側背を向け、肩で宿儺の胴を捉えて吹き飛ばした。


「まだまだっ!?」


 瓦礫を三つぶち抜いて嵐の壁へ飛んでいく宿儺に追撃しようとした黒川だったが、突然視界が揺れた。

 原因は肩から伸びる、呪力でできた翼の異変。

 その左の翼が肩ごと切り裂かれたことで、飛行の安定性を奪われたのだ。

 一瞬とはいえ、高速移動をやってのける程の風の出力が左右でズレたため、推進力は見当違いの方向へ働く。

 黒川は血飛沫を撒きながら、目標とは別の瓦礫に突っ込んだ。


「クックッ、不様だな」


 下手人はその恥態に、してやったりとばかりに笑った。


「……こんなのが面白いのなら幾らでも。笑いのレベル低いですね」


 そこへ冷めた声が響き、宿儺は乱気流の中に直接自身へ向かう風の流れが生まれたのを感じ取る。

 次の瞬間には、飛び交う中でも大きな瓦礫が二つ、宿儺を左右から挟んで激突した。

 瓦礫から飛び立った黒川は、そこへ再び突進する体勢に入って――


「言ったな?」


「ッ!」


 瞬時に眼前まで迫ってきた宿儺に、脇腹を鷲掴みされて幾重もの斬撃を至近距離で打ち込まれた。

 黒川は反射的に呪力を噴射して引き剥がしたものの、その一瞬で常人なら即死する深傷を負う。


「そら、治せ」


 切り刻まれた黒川の肉と血が、風で忽ちの内に四散していく。

 彼女を貫いた斬撃は、そのまま嵐の壁を斬り飛ばして竜巻を崩壊させた。

 破壊されたフィールドを維持する余裕を無くし、全力で反転術式を回す黒川と、彼女を眺める宿儺。

 ゆっくりと落下する両者の周りに漂っていた無数の瓦礫から、火口が生える。


「ぬん!!」


 操るのは、竜巻の崩壊により乱気流から解放された漏瑚。

 彼が落下する瓦礫に立ちながら、指揮をするように手を動かすと、火口から一斉に熱線が放たれ、夜空を赤く染めた。

 逃げ場のない炎の嵐を宿儺は切り裂き、傷を治した黒川も熱を遮断する真空の防御を纏って容易く飛び出す

 火傷どころか煤の一つも着いていない二人を睨みながら、漏瑚は続けて呪力を漲らせる。


「まだまだ……!」


 すると、黒川の巨大竜巻が消え、地上へ落下していく筈だった瓦礫は、上空――漏瑚の手元へと次々に吸い込まれていった。

 集束。融解。圧縮。一塊になっていき、比例するように引力が増大して石塊は肥大化する。


「――!? そんなものやらせると――」


「邪魔をしてやるな黒川蘇我」


「ぐっ、宿儺!」


 流石に看過できない――自分たちどころでは済まない規模の破壊を予想した黒川が、術を放つ前に阻止しようと意識を向けるが、そんな彼女の思考を遮るように宿儺が横槍を入れる。

 漏瑚は宿儺の思惑など知らず、邪魔されないのなら好都合だと追加に呪詞を紡いだ。


 呪術とは本来引き算。術式の精度を保ったままにどれだけの手順を省略できるか。

 その常識を捨てた漏瑚の全霊の一撃。

 まるで、星という大地が生まれる光景の再現だった。


「“劫火”」


 空中に巻き上げられていた物が全て取り込まれ、溶けて消える。


「“墜落”」


 さらに地上の車や建物が吸い込まれ、巨岩は渋谷に建ち並ぶビル複数棟を呑み込んで余りある大きさまで膨れ上がる。


「“天の地”」


 そんな、夜空を照らすほどに燃え盛り、都市一つ容易く滅ぼせるであろう凶星が――


「“穢土の明星”」


 たった二人を狙って解き放たれる。


――極の番 『隕』


 ゴゴゴ、と重苦しく大気を震わせながら落下を始めた巨石。

 そのまま落ちれば、この一帯は建物も何もかも、跡形もなく消し飛ぶだろう。


「ケヒッ、では頑張れよ」


「はっ? なっ」


 漏瑚の究極の一撃を前に、宿儺はそう黒川に一方的に告げて姿を消した。

 黒川は一瞬目を白黒させるが、禍々しい気配が撤退を始めていた筈の人々の傍に移動していることに気付いて、思わず唇を噛む。


「~~ッ! 言われなくてもやりますが!? つーか邪魔なければそもそも打たせなかったんですが!?」


 どこまでも悪辣で自分本位な呪いの王に悪態をつくが、こうなった以上は彼の思い通りにやるしかない。

 空中に立った黒川は、迫り来る凶星へ拳を構える。


「“始原” “火結び” “光の翼”」


――術式順転・出力最大


「『蜂起星』!!」


 輝きを放つ閃光の正拳突き。

 呪詞を伴わない簡略化された一撃でさえ、ビルの上層を蒸発させたそれの全力。

 落ち行く巨石は一瞬動きを止め、幾つもの亀裂が走るが――


「砕けるものか! 灰も残さず消し飛ぶがいい、黒川蘇我!」


 呪詞を完全詠唱された巨石の硬度と密度を粉砕するには至らなかった。

 再び巨石の落下が始まる。

 自身の術式の奥義の力を見て、漏瑚が自信を取り戻したように、呪いらしく黒川(ニンゲン)を嘲るが、彼女には始めから一撃で済ませる気などない。

 これは肉を調理前に解すのと同じ、ただの下拵えだ。

 

「――『無形』」


 拳を打ち込んだ反動を利用して一度距離を取った黒川。

 彼女が続けて行使したのは、“蜂起星”と同じく術式順転の技。

 違うのは、身体に纏っていたプラズマをそれ単体で、風によって束ねて操る点だ。

 体術の延長のような使い方だった“蜂起星”よりも更に破壊力が上がるものの、制御に神経を使うため街中ではそうそう使えない禁じ手。

 だが、この一帯がほぼ無人であること、標的が上空にあることで、その制限を無視する。


 決まった形を持たない。故に無形。

 目の前の巨星に対処するのに最適な形へ、呪力で型を作り出す。


「馬鹿なっアアアアア!?」


 そして大気をレールにして導かれたプラズマは亀裂に沿うように走り、巨石をバラバラに刻み切った。

 巨石の爆ぜる衝撃で、漏瑚は驚愕の絶叫と共に空に放り出されたところを、黒川に殴り飛ばされて地上へ叩きつけられる。


「よしっ」


 一部始終を地上から眺めていた宿儺には、それが花火にでも見えていたのか。

 着弾してボールのように弾んだ漏瑚が前方のビルへ突っ込んだのを余所に、満足気に拍手を鳴らしてその場に留めていた人間たちを解放し、仁王立つ。


「……まだ」


 粉々になった巨石の残骸はそれでも一軒家程の大きさ。

 無数のそれが降り注げば、一塊で落ちるよりマシであるにせよ、被害範囲に大差はない。

 そこで黒川は風で残骸を巻き上げ、空中に球状の旋風を生み出す。

 風に流される残骸同士でぶつけ合い、砕き、無害なサイズまで縮小させて、ようやくそれらの地上への帰還を許した。


「最後の弱者への配慮(余計なマネ)がなければ満点だったな」


「満点でも願い下げです。あなたの評価に価値はないので」


 宿儺の傲岸な言葉に、地上へ降り立った黒川も不遜に言い返す。

 睨み合う二人へ、先程戦場だった方角から伸びた巨大なマグマの腕の掌が、虫を潰すように振り下ろされた。

 そのまま渋谷の一角、街一つ分の範囲を呑み込む灼熱の濁流。


「これで、どうだ……!」


「なぜ領域を使わない?」


「っ」


 地上を覆った掌の上――手の甲に立つ漏瑚が声の方に目を遣れば、同じように立っている宿儺の姿があった。

 次に、広がろうとするマグマを風で冷却し、固まらせた黒川が姿を現す。


「……領域の押し合いで勝てないことはわかっている」


「五条悟がそうだったからか? 負け犬根性極まれりだな。お前はどうだ、黒川蘇我?」


「……」


 歯軋りする漏瑚から視線を移された黒川は答えない。

 彼女には、五条との戦いで編み出した“対格上の領域”がある。

 だがこれの前提は、相手に先に領域を展開されること。

 彼女の方から領域を展開する訳にはいかなかった。


 もし漏瑚が領域を展開してくれば、宿儺が展開し返すのを見越して“開かない領域”を使わざるを得なかったが――


(それだと、手札を宿儺相手にその場しのぎで晒すのと同じ。火山頭も領域を使う気配がないのは好都合だったけど……)


「まあ言わんか。……お前、領域にも何か仕込みがあるな?




 ――魅せてみろ」


 勿体ぶらずに出せ。出さないのなら引きずり出す。

 宿儺が掌印を組み始めたのに対し、二人も観念して掌印を組もうとした瞬間――


「――――」


 三者の領域勝負。それは発起人となる筈だった宿儺が殺気を散らしたことで、始まる前に終わることになった。


「……悪いな、急用だ」


「なに?」


「なんのつもりですか? 行かせるとでも」


「とはいえ、お前たちはよく俺を興じさせた。礼の代わりに、お前たちの得意でやってやろう」


 食い下がろうとした黒川の言葉を遮って宿儺が告げる。


――■ 開(フーガ)


 短い詠唱と共に宿儺の掌に現れたのは、ここまで彼が放っていた斬撃とは全く別の物。

 その手の内で揺らめく、漏瑚も慣れ親しんだ鮮やかな赤色。


「それは、炎か?」


 宿儺の術式を切断・斬撃と思っていた漏瑚は、そのどちらとも全く繋がらないそれに、開いた口が塞がらない様子だった。


「そうか、呪霊は知らぬな。術師はどうだ?」


「……!?」


 黒川は炎を凝視したまま答えない。

 宿儺の情報は、そもそも彼の戦いを見て生還した者が殆どないのもあり断片的だ。その上1000年も前となると、たとえ記録があっても、現代まで残っている保証はない。

 少なくとも黒川が目を通した記録には、斬撃以外のものはなかった。

 

「まあ心配はいらん、術式の開示など狡い真似はせん。構えろ。どちらかは、生き残れるかもな」


「「…………!!」」


 異論も反論も通じない。宿儺は炎を一本の矢のように成形し、弓を引くように構えを取った。

 黒川と漏瑚も、応じて今出せる最大火力を全力で用意する。


「フーッ……」


 漏瑚は翳した両手に火球を生み出し――


「『無形』……!」


 黒川は球状に圧縮した大気の中にプラズマを閉じ込めて、構える。

 

「……クク、誇るがいい」




――お前たちは強い。




 その称賛を最後に、立ち上った火柱が全てを焼き払った。






 焼け野原となった渋谷の一角。

 既にこの光景を作り出した張本人が立ち去っていてなお、未だに辺りを覆って燃える炎が火の粉の弾ける音を鳴らす。

 生者などいないと思われる惨状だったが、揺らめく炎のベールの先には、たった二人の生存者の影があった。


「……生きておったか」


 焦げた肉体を呪力で再構成する漏瑚が、呟くように言う。


「まだ、死ねないので」


 ボロボロと炭が崩れる腕を元通りに再生させながら立ち上がった黒川が、落ち着き払った声で答えた。

 着ていたパーカーは真っ先に消し飛び、身体、特に末端となる四肢もほぼ炭化していたが、術式の影響で遺伝子にまで作用する反転術式を使える彼女は、即死さえしなければ殆どの傷を癒すことができる。

 全身に裂傷や火傷の痕があるが、これは痕が残るのを割り切ってただ命を繋ぐことを最優先にした結果だ。


 ほぼ無傷に戻った黒川だが、その息が乱れているのが漏瑚の目に入る。

 身体は再生できて、呪力も術式で補填できるとはいえ。

 彼女の姿は、明らかに満身創痍だった。


(……それは、こちらも同じか)


 この激戦で漏瑚も呪力の半分近くを消耗している。

 大地というあまりにも大きな畏怖を向けられる対象の特級呪霊ともなれば、まず呪力切れなど無縁であろうにもかかわらずだ。

 彼も立ち上がり、黒川と対峙する。

 その心は、憎むべき人間を前にしているというのに、不思議なほどに澄んでいた。


「黒川蘇我。虎杖悠仁に大量の指を食わせ、宿儺を目覚めさせたのは儂だ」


「……そうですか」


「儂が憎いだろう? 貴様ら人間は皆、常日頃その負の情念に善意という生皮を被って生きておる、偽りだらけの存在よ」


「……」


「偽りのない負の情念より生まれた我々呪霊こそ、本物の人間だ」


 ここまでの戦いで漏瑚は、黒川に五条と宿儺(天性の怪物たち)とは違うものを感じた。

 あの二者は、始めから人間からも呪いからも外れている別の生き物だ。

 しかし、彼女はそれらとは少し違う。

 彼らを手の届かぬ天とするならば、目の前の術師は、天に最も近い山の頂点。


「消えよ、偽物」


 それに挑みたくなった。

 力も、信念も。積み上げてきた己の全てを、目の前の存在にぶつけてみたくなった。

 後も先も関係ない、いま在る一つの呪いとして。


「……あなたは、天には届かない」


――嗚呼、わかっているとも。


 そんなもの嫌というほど思い知らされている。

 だからこそ、自分よりも痛烈にそれを味わってきた筈の目の前の術師の呪いの全貌を、知りたくなった。

 二人は示し合わせたように向かい合って掌印を組む。


 大黒天印。


 日光菩薩印。


「「領域展開」」




『蓋棺鉄囲山/灼火滅死陵』




 人外魔境、天変地異の三つ巴はこれにて幕引き。


 呪いの頂点を目の当たりにした二人の、霹靂も介さぬ新たな呪い合いの火蓋が切られた。




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