渋谷事変、終結

渋谷事変、終結


夏油───の肉体乗っ取った加茂憲倫によるその目的の説明。曰く、人類の呪力に対する"最適化"。曰く"自らの手を離れた混沌"を作り出すという発言。そして遠隔の無為転変と呪物の封印の解除による受肉……。


それらの話を聞いた類はどんどんその表情を険しいものへと変化されていく。なまじ若くとも呪術について様々な理解を深めている彼だからこそ加茂憲倫の行おうとしている事の危険性を理解し、故に此処で殺さねばならないことをどうしようもなく理解してしまったから。


「要するにお前は訳の分からない目的のために日本中をめちゃくちゃにする……そういう認識で間違いないようだな、加茂憲倫。……いや、オレの推測が正しければお前は恐らく加茂憲倫ですらないだろう」

「えっ、そうなの!?」

「……無駄に頭のいいガキはあまり好きじゃないんだけどなあ」

「アレは明治時代の人間だ……ここまで大掛かりな仕込みをするならどう考えても百年や二百年じゃ利かない。他人の身体を乗っ取れるんだろう?アンタ……一体何百年生き続けてきたんだ?オレの勘では恐らく───」



「「千年」」



類と加茂憲倫ですらない誰かの声が重なり、九十九にも緊張が走った。予想を遥かに上回る存在、それが明言されてしまっては大らかな性格の彼女と多少の動揺は禁じ得なかったのだろう。


だが余裕を失ったのは彼女だけではなく、加茂憲倫もまた不快そうに顔を歪めた。


「キッショ、なんでわかるんだよ」

「受肉用の呪物と聞いて真っ先に思い浮かんだのが宿儺の指だ。確証は半分しかなかったが……どうやら大当たりだったようだな」

「はぁ……なんでよりにもよって五条悟と君のような厄介な存在が同じ時代に生まれたのか」

「知るか。───千年間も無駄に生きながらえたようだが、それも今日で終わりだ。此処で死んでもらう」


類は一切躊躇することなく手印を結び呪力を励起させる。そして術式を用いて不意打ち同然に九十九だけを弾き飛ばし加茂憲倫に引力を向け自分の方に引き寄せた。


「んなっ───!?」

「やはりそう来るか!ならば此方も───!!」


加茂憲倫も反重力機構で引力に抗いながら手印を結ぶ。それを合図にこの場で呪術戦の極地とも言える対決の火蓋が切られた。



「「領域展開」」



「涅槃色天」

「胎蔵遍野」



類を中心として真っ白な空間が世界を侵食し、加茂憲倫の背後に何かを絶叫し絶望しているような顔で構成された幹と悍ましい姿の妊婦に囲まれる形で形成されている樹木が具現化した。


展開された生得領域は現実空間を塗り替えながらお互いの必殺を叩き込まんとせめぎ合いを始める。しかしその均衡はいとも簡単に崩れていく。


(これは───間違いない、生得領域を分解している……!判断を間違えた、いや間に合うか!?間に合え!!)


類の領域に接触した自らの領域がまるで食われるようにして削り取られていくのを認識した加茂憲倫は久々の緊張を噛み締める。


涅槃色天は内包する生得領域の副次効果によって接触した他者の領域や結界を分解し呑みこむ特性を発現している。故に真正面からこの領域に対抗するには隔絶した完成度の領域で広がる前に塗り潰す他ない───そう誰もが思うだろう。


未だに領域を解除せず、一か八かの賭けに出ている一人の男以外は。


(行ける───!!)


後数秒で領域が加茂憲倫にまで到達する。その確信を得た類は思わず不敵な笑みを浮かべた。事実、そのまま類が領域を広げ続けていれば恐らく勝っていたのは類だったろう。


ただ一つの邪魔物さえなければ、の話だが。



「おや、いいのかい?五条悟が封印された獄門疆の所在を確認しなくて」

「───────」



空白。僅か一秒生じる思考の停止。


獄門疆。それが五条悟を封印した呪物の名前だろう事を知っている類は理解した。それが何処にあるかを推理し、そして高い確率で眼の前の男が所有していることを察した類はその眼前で領域の進行を停止した。してしまった。


そしてその判断が呪術界にとって大きなミスであったことを後に彼は後悔することになる。


「私の勝ちだ」


加茂憲倫の宣言の直後、類の領域はガラスが割れるような音とともに砕け散った。


「は───?」


予想すらしていなかった事態に思わずそんな声を漏らしてしまう類。当然だろう、領域勝負において互いに押し合うことはあってもこのように突然破壊される事などほぼあり得ない。それこそ特殊な呪具でも使わない限り不可能だ。


あるとすれば本来ならば想定されていない領域の外側から外殻を何らかの術で中和されたか───


(外殻───いやただ領域を大きくしただけでは説明が───外殻がせめぎ合っていなかった?攻撃された?領域の術式で、ありえない、領域は内部以外には攻撃不可能───常識では説明できない───内側という概念が存在しない───あり得るのか?外殻のない、閉じない領域が!?───簡易領域、間に合わな)

「さようなら、私の天敵」


走馬灯のように高速で思考を巡らせる類であったが、今の彼には現状を打開する方法を導き出すことは出来なかったら。そして彼の頭上から高出力の重力が叩き込まれ、巨大なクレーターを作りながら類の身体はコンクリートへとめり込んだ。


だが加茂憲倫は油断しない。五条類という存在には一点だけ最強を凌駕するものがある。それは不死身といっても差し支えない怪物的なまでの回復力。術式と反転術式の併用によって頭部以外への攻撃が無意味と断言できる再生能力は加茂憲倫から容赦という言葉を消した。


(術式が焼ききれようと油断できない。全身をミンチにするまで圧し潰す───!!!)


そう判断して圧殺攻撃を継続する加茂憲倫。一方全身を押し潰され、呪力で強化し反転術式を回してなお四肢や胴体を重力波によってグシャグシャにされている類は一切の不純物を除去したクリアな思考で昔の記憶を思い返す。


かつて義兄に稽古付けられていた時に聞いた、何気ない会話を。


「え?領域展開をした後に不意打ちされたらどうするのかって?」


「僕なら別に問題無いよ。術式が使えなくても大体の奴らはボコボコにできるし。……それじゃ参考にならないって?仕方ないなーブラザーは……」


「そうさね……要するに術式ってのは脳に刻まれたものだろ?で、領域展開をしたらその反動で術式が焼き切れて一時的に使用不可能になるってわけだ。ってことは───」


思い至る起死回生の策。だが失敗すれば命はない。だがそれはこのまま何もせずとも同じ事。であれば、五条類は一世一代の賭けに己の命をベットする。


類の脳内を走る激痛。それを食いしばるようにして耐えながら呪力を回す。肉体の修復など今まで数え切れない程やってきた。



ならば───自ら破壊した脳の修復が出来ない道理は、ない。




「は?」


加茂憲倫は異常に気付いた。そして苦笑を零す。当然だろう。今こうして重力攻撃を続けているにも関わらず、五条類が血まみれの姿で五体満足のまま立ち上がってきたのだから。


類は上から抑え込むようにして降りかかる重力の重石を斥力を発して跳ね返しながらゆっくりと加茂憲倫へ向き直り、そして殺意のこもった眼差しを向けながら一歩一歩ゆっくりと歩み出す。


「オイオイオイオイどうなってんだよ君は……!!」

「領域は後どれぐらい保ちそうだ、加茂憲倫」

「まさか……いや、可能性はある、実現も不可能ではない……だがやるか普通!?自分で自分の脳を破壊してから治すなんて……!?」

「その領域が解除された時がお前の最期だ……!!!」


加茂憲倫は判断した。勝ち目が消えた以上逃亡するしか他にないと。だが領域を解除した瞬間あの化け物は術式が使えなくなった自分を即座に殺害するだろうことがわからないほど彼は馬鹿ではなかった。


しかし逃亡を簡単に許すほど状況は甘くはなかった。加茂憲倫は視界の端から何かが飛んできたことに気付き、すぐさま身を捩り回避。飛来してきた何かは掠った加茂憲倫の右腕を余波だけで叩き折りながらはるか向こうに着弾。大爆発を起こし沈黙した。そして何かが飛んできた方向に佇んでいたのは……


「簡単に逃げられると思うなよこのクソ野郎」

「九十九由基……!!」


簡易領域を張った九十九由基が領域を中和しながら何かしらの攻撃を仕掛けてきたのだろう事に加茂憲倫は歯噛みした。今の自分に特級レベルの戦力二人を同時に相手する用意ができていない以上、一刻も早く離脱するため彼は───自らを重力で吹き飛ばした。


「「!?!?」」


突然の自傷行動に驚く二人だがすぐに何をするつもりなのかを理解した。自分を重力でふっ飛ばして逃げるつもりなのだ。すぐさま後を追おうとした類と九十九だったが───


『キキキキキ』

『マッテヨォ……』

『ホオオオオオオオ』

「な……!?」

「クソ、事前に仕込んでたか!!」


直後に瓦礫の中から這い出てくる十体近い特級呪霊。恐らくは事前に潜伏させ配置していたのだろう、術式が焼き切れた事で制御下から解き放たれた呪霊たちは一目散に類と九十九……ではなく彼らの保護対象がいる場所へと一目散にバラバラの方向へと駆け出す。


眼の前の強者ではなく遠くにいる弱者を貪り食わんと。


「じゃあね二人とも!二度と合わないことを願うよ!!」

「待て!!っ……くそおおおおおおおッ!!!」

「クソッタレめ……!!」


逃げる怨敵を追えないことに激昂しながらも二人は特級呪霊たちを祓うために背を向けるしか無かった。


────魑魅魍魎がひしめき合う死滅回遊が始まりを告げるまで、あと少し。

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