渇き、満たされぬもの

渇き、満たされぬもの

カワキのスレ主


生まれてすぐ「陛下」と呼ばれる人に引き取られた。陛下はすべての滅却師の始祖で「滅却師は皆、我が子だ」という。


物心ついた時から、私の親はこの人ひとりだけだった。


兄弟は6人居た。兄が1人に、姉が3人、それから、私とは三つ子の弟が2人。

私だけが陛下の許、銀架城で育てられた。離れて暮らしていて、あまり顔を合わせることはなかった。

お互いに、一般的な「兄弟」というものへ向ける情はなかったと思う。

面会を禁止されてた訳じゃない。ただ会う必要を感じなかった。


幼い私の周囲に居るのは、陛下と、陛下の腹心のハッシュヴァルトだけだった。

他にも何人かの団員が私を構いに来ることがあったけど、殆どの団員は必要以上に私に近寄って来なかった。

それを疑問に思うことはなかった。


陛下は幼い私に滅却師の力の扱い方を教えてくれた。その頃には子どもだった私にも陛下がここで一番強い人だとわかっていたから嬉しかった。

周りの大人達が「陛下が自らご指導されるなんて」と驚いているのが不思議だった。後からこれが異例のことだったと知った。


料理を始めたのはこの時期だった。

同じ頃、私に教育係がつけられた。


キルゲと名乗った教育係は私を「殿下」と呼んだ。「殿下ってなに?」と訊ねたら、キルゲは私に跪いて微笑んだ。

「陛下の愛娘である、貴女のことですよ。殿下」


滅却師は皆、陛下の子だ。キルゲの説明は理由になっていない気がした。だけど呼称なんてどうでもよくて、それ以上は聞かなかった。


次第に他の団員達も私のことを「殿下」と呼び始めた。


キルゲは私に基本的な教養や滅却師に必要な知識を教えてくれた。

マナーや乗馬、この国の歴史や既に廃れた技術についての話を聞いた。今は使われていない道具や技術でも、強さに繋がりそうなら自分からねだって話を聞いた。


陛下との訓練の最初は神聖弓を作るところから始めた。弓も、矢も、霊子で形を作るところまでは上手く出来るのに、いざ射ると的に当たらなかった。

何度やっても上手にできなくて、首を捻る私の横で、陛下やキルゲも一緒になって首を傾げていた。


ハッシュヴァルトだけが変な顔で私を見ていた。


神聖弓の形を弓から銃に変えたら、すぐに的に当たるようになった。陛下は「この歳でもうここまで出来るのか」と、私の頭を撫でて喜んだ。


私も、自分の力が増すことが嬉しかった。もっと力が欲しくなった。


「もっといっしょにくんれんしたいです」と黒い外套の裾を掴んでねだった。

陛下は笑って私を抱き上げて、願いを快諾してくれた。訓練の時間が増えて、陛下と一緒にいることが増えると、ますます私を「殿下」と呼ぶ団員の数が増えていった。


自分の力を鍛えることに夢中で、他のことなんて目に入らなかった。

誰に何と呼ばれるかなんて、心底どうでもよかった。


少し背が伸びた。陛下との訓練は順調で、私は着実に強くなっていった。

もっと強い力が欲しくてたまらなかった。


銃の扱いに慣れてきて他の戦い方にも興味が出始めた。ハッシュヴァルトの剣をじっと見ていたら陛下が言った。

「カワキ。剣に興味があるのか?」

頷くと陛下はハッシュヴァルトに命じた。

「そうだな……ハッシュヴァルト、カワキに剣術を指南してやれ」

戦い方の殆どは陛下から教わったけど、唯一、剣術だけはハッシュヴァルトが師匠になった。


ハッシュヴァルトは口うるさくて妙なことを気にする男だった。

「何故、剣を学びたいんだ」

剣術を習い始めてすぐの頃、そんなことを訊ねられた。どうしてそんなわかりきったことを訊くんだろう。質問の意図がわからなかった。


ハッシュヴァルトを見上げて「つよくなりたいから」と、思うままを伝えた。

ハッシュヴァルトは暫く黙って、やっと口を開いたと思うと「そうか」の一言で訓練を再開した。

何が知りたかったのか知らないけど、訓練を続けてくれるなら何でもよかった。


背中を追いかけて、長い外套をぐいぐいと引っ張って、空いた時間を見つけては毎日のように剣の訓練をせがんだ。


新しい力、新しい技術。自分の力が日増しに強くなっていくのが嬉しかった。

もっと、もっと強くなりたかった。毎日、毎日、ずっと訓練に明け暮れた。


「お前はまだ子どもだ。幼いうちからそう焦らずとも良い。少し休め」

ハッシュヴァルトはまたあの変な顔でそう言った。私はそれが不満だった。


子どもだから何だ。必要な分は休んでいるし、何にも焦ってなんかいない。

それを伝えたけど、ハッシュヴァルトは首を横に振って「今日の訓練は無しだ。休息を取れ」と同じような言葉を繰り返した。


いつもと違う場所で、隠れて素振りをすることにした。

近くを通り掛かったバズビーが、私を見て目を見開いた。普段は私に近寄って来ないのに、この時だけは違った。


「何やってんだ。お前」

何故かひどく苦々しい声だった。

ハッシュヴァルトに告げ口されては困る。

「何だっていいだろう。そんなこと、君に教える必要はない」


バズビーが息を呑んでまた目を見開いた。固まった顔は今までに見たことがない表情だった。

そのあとすぐに、バズビーは何も言わずにどこかへ去って行った。


次の日、ハッシュヴァルトからは特に何も言われなかった。告げ口はされなかったようだ。よかった。

バズビーは以前に輪を掛けて私に近寄らなくなった。


成長期に入って背がグッと伸びた。

この頃には、惰性で続けていた料理の腕も随分と上達していた。


自分で食べるために作っていたから、他人に料理を作るのは好きじゃなかった。

だけど、ハッシュヴァルトが言うから仕方なく、二人分の食事を作って一緒に食べるようになった。


ハッシュヴァルトと食事をすることが習慣になると、バンビエッタ達も料理をせがむようになった。

キャンディスだけが「ちょっとやめなよ」と私を窺いながら弱々しい声で止めていたけど、他の4人は聞く耳を持たなかった。

聖文字を持たない私より彼女達の方が立場は上だろうと思って要求を呑んだ。


バンビエッタ達は、いつも5人1組で行動していて、私に話しかけてくる珍しい団員だ。他にはアスキンや蒼都も、比較的、話しかけてくる機会が多い団員だった。

蒼都はやたらと構いに来る上、いつも何がしたいかよくわからなくて面倒臭かった。


来る日も来る日も、ずっと訓練をして年月を過ごした。

血装、呪法、剣術、格闘、治療術式、銀筒や道具類の扱い方。学べることはたくさんあって、訓練ばかりで月日は過ぎた。


だけどまだ足りない。もっと力が欲しい。


成人した。

「おめでとうございます。殿下」

口々に祝われても、特に感慨はなかった。成人する頃には団員の殆どは私を「殿下」と呼ぶようになっていた。


陛下が「成人の祝いだ」と言って良い酒のボトルを開けてくれた。

初めて酒を呑んだ。美味しかった。

私は酒に強かった。どれだけ呑んでも酔うことはなかった。


同じ頃のことだった。

団員達の様子が何だかおかしい。私を見て道を開けたり、視線を逸らすのはいつものことだ。

だけど、この日はチラチラとこちらを窺うような目を向けてくる団員が多かった。妙だけど害がないから気にしなかった。


すると、ハッシュヴァルトが早足でこちらに近寄って来た。また説教かと思って踵を返そうとしたけど、歩幅がまるで違うからすぐに追いつかれた。

鬼気迫る様子のハッシュヴァルトは、よく見ると顔から血の気が引いていた。


兄弟が死んだらしい。


「らしい」というのは、いつ、どうして、どうやって死んだのか判らなかったから。

現世で虚に殺されたとハッシュヴァルトは言った。ただの虚にやられるような弱者ではなかった筈なので少し驚いた。


交流は少なかったけど兄弟のことを嫌っていた訳じゃない。残念だと思ったからそれをそのまま口に出した。

「そうか、残念だ」

黙り込んだハッシュヴァルトは、またあの変な顔をしていた。


兄弟とは弔いをするような仲でもなかったから、この話はこれで終わりだ。


陛下が成人祝いにくれた酒が美味しかったから、他の種類の酒も呑んでみた。どれも美味しくて、まったく酔わなかったから、呑みたいだけ呑むようになった。


何でもやってみるものだなと、成人しないとできないことを他にもやってみた。

試しに吸った煙草を続けるようになった。


ハッシュヴァルトがいつもの変な顔で私を見ていた。飲酒量に喧しく口を出すようになった。


少しして、アスキンと酒を呑み交わした。

普段は一人で呑むことが多かったけど、偶に誘われて誰かと呑むこともあった。


「あんなことがあったっていうのに、殿下は驚くほどいつも通りだよな」

アスキンの言う「あんなこと」が何のことかわからなくて首を傾げたら、アスキンは「こりゃ致命的だぜ」と呟いた。


それから、アスキンは少し俯いて自分の頭を掻きながら「そうだよなぁ……あんた、そういう人だよなァ」と息を吐いた。

「殿下のさ。俺が死んでも誰が死んでも、悲しまねえんだろうなァってとこ、最高にカッコよくてオシャレだと思うぜ」

そう言って顔を上げたアスキンの表情は、穏やかな笑顔だった。


結局、「あんなこと」が何のことかは今もわからないままだ。


それからずっと、ずっと、力が欲しくて。もっと、もっと、強くなりたくて。毎日、訓練や模擬戦をして過ごした。

陛下にも、ハッシュヴァルトにも、キルゲにも、もう新しく教わるものがなくなって久しい。


数十年が経った。

いつからか、私は聖文字も持たずに星十字騎士団の大半より強くなっていた。


「見えざる帝国」で上から数えた方が早いほど力をつけても、渇きが満たされることはなかった。


もっと。もっと。もっと。

強くなりたい。力が欲しい。


「カワキ。お前に一つ任務を与えよう」

ある時、陛下から命が下った。

現世への潜入と諜報活動。それから、ある少年の護衛が任務の内容だった。

「護衛……ですか? 抹殺ではなく?」

私が「誰かを護れ」という任務を任されるとは思いもしなかった。


陛下は頷いて言った。

「期間は侵攻が始まるまでだ。見事、任務を果たした暁にはお前に聖文字を与える」

聖文字。それを得ると、聖別で陛下に命を奪われるリスクが上がる代わりに、強大な力が手に入る。


力。力だ。私がずっと欲しかったもの。

今もずっと欲しいもの。


二つ返事で任務を受けた。

聖別への対策は何もないけど、それは後で考えればいい。陛下の目から離れた現世でなら何か見つかる可能性だってある。


潜入にあたって私は強過ぎるのだと、陛下にいくらか力を預けることになった。同時に血装の使用も控えるように指示された。


一時的なものとはいえ積み上げてきた強さを手放すのは良い気分じゃなかったけど、それも手に入る力を思うと許容できた。


任務を受けてから

「現世での常識を学べ」

「潜入とはいえ、学業も疎かにするな」

「学生に紛れるなら飲酒や喫煙は控えろ」

とか、ハッシュヴァルトがあれこれ言ってくるのが面倒だった。


仕方がないから、人前での喫煙は少しだけ控えることにした。


こんなにもガミガミと口出しするくせに、ハッシュヴァルトは時折、何か言いたげな目で私を見てくることがあった。

そういう時のハッシュヴァルトは決まってあの変な顔で、何を言うでもなかった。


何なんだ、一体。

昔はそう思うこともあったけど、今はもう慣れた。説教じゃないなら放置しておけばいいかと思った。


現世での生活に必要なものはすべて、陛下が手配してくれた。

貰えるものはありがたく貰うことにした。


現世で着る服装の好みなんかは、訊かれてもわからなかった。今まで支給された軍服以外を着ることは殆どなかったから。

普段はずっと白い軍服と、陛下から頂いた黒の外套で過ごしていた。服装なんてどうでもよかった。


装備としての性能があるなら何でもいいと言うと、陛下が選んでくれた。特殊な加工で、ある程度、防具としての効果がある服にしてもらった。


いよいよ現世へ出立する日が来た。


この任務を終えたら聖文字という新しい力が手に入る。今日は更なる強さを得るための第一歩だ。


足取りは軽く、現世に繋がる太陽の門へと向かった。


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