混線した
「ぎゃぁっ!?」「……むっ?」「うわわ!」
ある日の午後、カルデアの一角でそのような悲鳴が響いた。ついでに、何かが床に落ちたかのような重い音も。
「おいおい。旦那たち、大丈夫か?」
ドゥリーヨダナの供をしていたアシュヴァッターマンが少しだけ呆れた様子で訊ねる。その目の前には、顎を押さえて倒れ伏すドゥリーヨダナと廊下で尻餅を付く偽王ドゥリーヨダナ、引っ繰り返ったスヨーダナがいた。
ドゥリーヨダナと鉢合わせた偽王が持ち前の聴力で衝突を避けようとしたところ、たまたま背後のドアが開き、そこから現れたスヨーダナの尻尾に足を取られてしまったのだ。結果、偽王の長身に見合う長い足がドゥリーヨダナの顎に入り、スヨーダナは上から倒れてきた偽王から逃げようとして足をもつれさせ、三者三様で廊下に転がった。
「うぅ……、大丈夫だ」
と返事をし、スヨーダナは慌てて起き上がると自分の顔にパンッと掌を当てた。
「お、おい。どうしたスヨーダナ」
アシュヴァッターマンが言うと(実は未だに呼び慣れていない)、スヨーダナが「うぇえ!?」と素っ頓狂な声を上げる。それから、ドゥリーヨダナと偽王も驚いたような顔をした。
「ぇ、え!? 何で? 目が見えない!! ――ぅ、うるさ……ッ」
「は? な、何が起こ……視界の情報量がえぐい……」
慌てた様子で騒いだ偽王が不快そうに耳を押さえ、状況把握に努めようとしたドゥリーヨダナが青い顔で口許を押さえる。
三人のその反応を見て、瞬時に事態を把握し、アシュヴァッターマンは眩暈を覚えた。
何でこう……旦那はこういう厄介な星の下に生まれちまったんだろうな、と思い、まぁ、いつものカリ化特異点だ、神の機構起動だ、よりはましか、と早々に諦めた。
「あー……えっと。名前を呼ぶから順に手を上げてくれ。――ドゥリーヨダナの旦那」
「はい」
大人しく手が上がる。声変わり前の高い声も相俟って、まるで素直な子供のようだった。
「……ぎ、じゃなくて、めの……、いや、えっと――スヨーダナ」
「はい」
異なる世界線とはいえ尊敬するひとを偽王とは呼べず、目の見えないなどと身体的特徴を口にすることもできず、アシュヴァッターマンはもうひとりの人物の名を呼ぶことで逃げた。ちなみに、その呼び声に手を挙げたのは偽王だったけれども。
「てことは、残ったのが」
「私だな」
ドゥリーヨダナの姿で、偽王が落ち着いた様子で頷く。
ちなみにその紫の瞳は既に瞼の裏で、顔の向きはアシュヴァッターマンから僅かにずれていた。普段は目が見えていないとはとても思えない様子で真っ直ぐに対峙してくるのにな、とアシュヴァッターマンは思い、それから察する。おそらく、視界良好なドゥリーヨダナの聴力は偽王のものに比べて正確性で劣っているのだろう。壁に手を付きながら慎重に立ち上がる様子は、常と比べて随分と不自由そうだった。
「ぁ、あ? まって。立てない」
対して、偽王となったスヨーダナはひどく心細そうな表情で四つん這いのまま呟いた。両腕を床に付けたまま腰を浮かせ、今にも泣きだしそうに顔を歪める。
「俺たち〔これ〕、どうなってるの!? 足が無いっ」
半身をカリにさせているスヨーダナは六肢の内二本を腕として使い、残りを足として用いている。物理的に二肢+尻尾が無くなっているのでどうやって立てば良いのかわからないのだろう。視界が塞がれているので、もしかするとまだ自分が偽王の姿になっていることにも気付けていないのかもしれない。
「何で、なんでなんで何で? とうさま、どこ? こわいっ!!」
しまいには両腕で頭を抱えて蹲ってしまった。その姿は、まるで雷を怖がる幼子のようである。
「待て待て、スヨーダナ。私の身体であまり無様を晒すな」
そのスヨーダナを、そっと薄目を開けて眺めながら、偽王が窘める。確かに、普段ヨダナ族では最も落ち着いていると称される彼にすれば少し許しがたい事態だろう。怯える偽王の横に膝を付き、なんとか落ち着かせようと背を撫でたり頭を撫でたりし始めた。
(いや、カオス……)
ドゥリーヨダナが偽王を宥めすかす光景など、これまで見たことが無い。多分これからも見ない。
頭が痛くなってきたアシュヴァッターマンは、ふと、静かなままのドゥリーヨダナが気になってスヨーダナを振り返った。
「旦那は大丈夫か?」
恐る恐る訊ねると、こちらも、へにゃりと情けない様子で眉を下げる。
「あ、足の使い方がわからん……」
あやつ、この四肢でどうやって歩いておるのだ、とドゥリーヨダナは呟き、ずりずりとぎこちない様子で足を引きずって偽王とスヨーダナの許へと歩いていった。
そして、幼いスヨーダナがパニックになっているのをやさしく慰める様子に、「あぁ。何だかんだで旦那は旦那だなぁ」とアシュヴァッターマンは少し安心したのだった。
――安心している場合ではない。