深淵
感想スレ7のレス番127「偏愛」の続編ホビ鰐後、なんやかんやあってドレスローザ編が終わり以前の関係に戻ったという前提でお読みください
執着心に飲み込まれつつあるメルニキのお話
「仮眠を取る。2時間後に起こせ」
それだけ言って、クロはソファに横たわったっきり動かなくなった。
気を許されているのだなと思う。思うようになってしまった。以前はこんなの当たり前で、意識するようなことですらなかったのに。
あの忌々しい小娘のせいだ。あの能力者のせいで、私はクロの記憶を失い、目の前のぬいぐるみがかわいい弟であることにすら気づかず、あまつさえ……一ヶ月の長きにわたり檻の中に閉じ込めるという蛮行を働いた。
やってはいけないことだ。許しがたいことだ。いっそ内臓を引きずり出して死んでしまいたい。弟を見守り、成長を促し、そして巣立つ弟を送り出すのがお兄ちゃんの役目だというのに……これでは兄を名乗る資格が無い!
けれどあの戦いが終わった後、クロは私を、兄失格の私を「アニキ」と呼んでくれた。
許してくれたのか、そもそも怒ってはいないのか、あるいは他に私を呼ぶ方法がなかったのか。私にはわからない。唯一確かなのは、クロは今でも私がそばにいるのを許容しているということ。寝るから起こせとは言っても、寝るから出て行けとは言わなかったように。
ああ、なんだか憂鬱だ。気を紛らわしたくてソファに視線を向けても、クロはとっくに眠りに落ちて規則正しく胸を上下させるばかり。最近のクロは取引がなんだの抗争がどうだので忙しそうにしていたから、仮眠とはいえこうして休んでくれるのは嬉しい。けれどもおしゃべりの一つもできないのは……やっぱり寂しい。
ソファからはみ出すほど大きな体を丸めて毛布に包まる寝姿に、檻の中にいたぬいぐるみの面影が重なる。あの時は毎日いくらでもおしゃべりができたし、撫でて抱きしめて一緒に眠ることだってできた。今は日に一度会話ができればいいほうで、撫でたり抱きしめたりなんて決してさせてくれない。
……わかっている。今が普通で、あの時がおかしかったのだ。考えてはいけないことだと、覗いてはいけない深淵だとわかっている。それでも忘れられない、忘れがたい。負けず嫌いで意地っ張りで誰のものにもなろうとしないあの子が、私だけのぬいぐるみだったあの甘美!!
今ではすっかり手も足も背丈も大きくなって、あの時のように糸やリボンでは結わえておけないけれど……あの子がもう一度、私だけのものになってくれたらどんなにいいだろう。
どこにも行かないように、大きな檻に閉じ込めてしまおうか。それとも地下室に鍵をかけて仕舞っておくのがいいかな。その前に海楼石の枷を用意しなくちゃ。そうじゃなきゃ何もかも砂にして逃げてしまうかもしれない。つける場所はどこがいいかな、右手は自由にしておいてあげたいけれど足枷だと切り落として逃げてしまうかもしれない。やっぱり首かな。鎖も必要だ。そうそう服も用意しておかないとね!あの子が私の仕立てた服だけを着て過ごす……うん、最高だ!きっとすごく楽し「アニキ……?」
ぼやけた声。
重たそうな瞼を薄く持ち上げてクロがこっちを見ていた。素敵な思いつきに夢中になって無意識に身体に触れてしまったことに今更気づく。
「どうした」
「起こしちゃった?ごめんね、なんでもないよ」
「そうか」
ならいい、という返事の終わりはほとんど吐息と変わらなかった。すぐにまた夢の世界に戻っていくのだろう。何も知らないまま。
「おやすみ、クロ」
今はゆっくり眠っているといい。
目が覚めたら、またお話しようね。