海軍歌姫VS海賊女帝

海軍歌姫VS海賊女帝


 これはまだ、ルフィとウタが天竜人に反旗を翻し、世界を敵に回した大罪人となる前のお話。


「ちょっと“海賊女帝”! どうして海賊のあんたが海軍本部を我が物顔で歩いてるわけ!? いくら七武海だからって、あんまり勝手な行動するなら不法侵入でしょっぴくからね!」


「黙れ小娘、貴様になど用は無いわ! わらわのルフィはどこにおる!? 早くルフィの元へ案内せい!」


「いつからルフィがあんたのものになったの! 絶対ルフィには会わせないから、さっさと帰って!」


 マリンフォード海軍本部では、今日も今日とて最近の名物となっているキャットファイトが繰り広げられていた。

 “海軍の歌姫”として民衆から絶大な支持を集める本部准将ウタと、アマゾンリリーの長にして王下七武海の一角に名を連ねる“海賊女帝”ボア・ハンコック。

 見目麗しき二人の絶世の美女が、互いに敵愾心を剥き出しにして騒ぎ合ってるのだ。


「またやってるよあの二人。毎度毎度よく飽きないもんだねえ」


「ていうか“海賊女帝”って暇なのか? なんかほとんど毎日のように来てるけどさ」


「海賊が暇なのはおれたちにとっても良いことだろ。少なくともおれは、あの美貌を間近で拝める機会が増えるのは大歓迎だよ。眼福眼福」


「おれも。全くルフィ大佐が羨ましいぜ。海軍と海賊が誇る二大美女に取り合われるなんて、男冥利に尽きるってもんだ」


 それを遠巻きに眺めていた海兵たちが、口々に勝手なことを言っている。

 ウタとハンコックが言い争いをしている理由。

 それはひとえに海軍本部大佐にしてウタの幼なじみたる次代の英雄、モンキー・D・ルフィを巡ってのことだった。




 男子禁制の島・女ヶ島。

 そこを根城とする九蛇のハンコックが何故ルフィに執心しているのか。

 事の発端は数ヶ月前、海軍上層部と七武海を交えた定例会議の際、ルフィがハンコックの護送のために女ヶ島を訪れたことを起因とする。

 ルフィ本人は黙して語ろうとしないが、どうやらその際に何かトラブルがあったようで、それ以降どういうわけかハンコックがルフィに熱烈な猛アプローチを始めたのだ。


 そしてそれが非常に面白くないのが、他ならぬウタだった。

 それも当然だろう、何故なら彼女は子供の頃からずっと一途に、ルフィのことを恋い慕い続けてきたのだから。


 ルフィの祖父のガープからはウタはすっかり『ルフィの嫁』として扱われ、海軍本部内でもルフィとウタは半ば公認のカップルとなっている。

 フーシャ村の面々に至っては、いつ二人の子供が生まれるのかと帰省する度に尋ねてくる始末だ。

 更に世界経済新聞を始めとした各メディアもルフィとウタの仲を面白おかしく取り上げ続けたこともあり、今や『海軍の英雄ルフィは歌姫ウタと交際関係にある』というのは、世間の一般常識となりつつある。


 世論を完全に味方につけ、外堀も完璧に埋まっている。誰が見ても圧倒的勝ち確の状況に、ウタは密かにほくそ笑んでいた。

 さて、後はどうやって本丸を落としてやろうか。

 ルフィとの間に産まれた愛の結晶を胸に抱く妄想を繰り広げつつ、綿密な攻略計画を立て始めていた矢先に、事件は起きた。


(ボア・ハンコック! 何でこんな奴が、ルフィのことを……!)


 どうしてあの時に限って、自分はルフィから離れて本部で待機などしていたのか。いくら悔やんでも悔やみきれない。

 実際は上層部がウタの海賊嫌いを考慮した上で出した本部待機命令だったのだが、今回はそれが完全に裏目に出てしまった形となる。


(冗談じゃない! ルフィは絶対に渡さない! 海賊なんかに、渡してたまるか!!)


 これがあるいは同じ海兵だったり、か弱き民間人ならば、ウタも穏便に対応しただろう。

 まあルフィを譲るつもりなど毛頭ないことには変わりないが、少なくともこのように真っ向から喧嘩を売るような真似はしないと断言できる。


 だが、相手は海賊。

 平和を唾棄し何の罪もない人々を虐げる、ウタがこの世で最も忌み嫌う悪党そのものである。

 たとえ政府公認であろうが関係ない。

 このおぞましい海のクズ共の親玉が、身の程知らずにもルフィに近づこうとするだけで反吐が出そうになる。


 何が七武海だ。何が“海賊女帝”だ。

 ルフィはお前のようなゴミが軽々しく懸想していい相手じゃない。断じてお前はルフィに相応しくない。

 ルフィは海軍が誇る次代の英雄で、私や悲劇に苦しむ大勢の人たちを救ってくれた希望の光なんだから。

 薄汚い略奪者風情が、気安くルフィの名を呼ぶことすら烏滸がましい。

 ルフィが汚れる。


「フン。その目、気に入らんな。わらわを殺したくて殺したくて仕方ないという目じゃ」


 そんなウタの憎悪に煮え滾る殺意を見抜いたハンコックも、剣呑に目を細める。


「当然でしょ。一応七武海だから我慢してやってるだけで、そうでなきゃあんたみたいなクソ海賊なんて即八つ裂きにしてるわよ」


「吠えるな。貴様如き小娘に刈り取られるほど安い首はしておらぬわ。ルフィの幼なじみだからと多少の無礼は大目に見てやっていたが、躾のなっておらぬ雌犬には仕置きが必要のようじゃな」


「上等じゃない。ボコボコにして二度とルフィに近寄れないようにしてやるんだから。せいぜいご自慢のお顔に傷でも付かないよう祈ってなさい」


 途端、ピリッとした神妙な空気が二人の間に立ち込める。


「お、おい。さすがにヤバいんじゃねえのかこれ」


「おれ、センゴク元帥呼んでくる!」


 高みの見物を決め込んでいた海兵たちも、これにはさすがに動揺を隠せなかった。

 何しろ七武海と海軍将校が単なる小競り合いではなく、本気で戦おうとしているのだ。しかもどちらの能力も厄介この上なく、ぶつかれば周りに被害が及ぶことは必至。

 二人の実力も鑑みれば、最低でも中将数人がかりでなければ到底止めきれないだろう。


「メロメロ━━」


「《さぁ 怖くは━━》」


 ハンコックが手を構え、ウタが曲を口ずさみ始める。

 海兵たちが巻き添えを恐れて待避を始めたその時。






「おーい、ウタ! ハンコック! 何やってんだそんなとこで!!?」






 場違い極まりない能天気な声が響き渡った。

 身構えていたウタとハンコックが、弾かれたように声のした方向へと振り返る。

 軍帽の代わりに麦わら帽子を被り、海軍将校の証である『正義』の二文字が刺繍されたコートを雑に羽織った海兵の青年が、人懐っこい笑みを浮かべて二人に手を振っていた。

 彼こそまさしく二人の争いの渦中にいる人物、海軍本部大佐モンキー・D・ルフィその人である。


「いやー、センゴクのおっさんと赤犬のおっさんの説教がようやく終わってよぉ。また降格させられそうになって参った参った。なっはっはっはっは!」


「ルフィ……」


「ルフィ~~♥️♥️♥️」


 ルフィの姿を認めるや否や、ハンコックは一目散に彼の元に向かっていく。

 そうしてウタが制止する暇もなく、彼の頭を思いっきり抱き締めて自身の胸元に埋めた。


「わぷっ!」


「なっ!?」


 ルフィは呻き声を上げ、ウタは唖然と絶句した。

 そんな彼女のことなどもはや目もくれず、ハンコックはルフィに激しく愛情表現を続ける。


「ああ、ルフィ。わらわの愛しい人……会いたかったぞ。そなたが隣に居らぬ日々は、まさしく色褪せた灰色の時間じゃった。それはもう寂しくて恋しくて、何度胸が張り裂けると思うたか分からんほどにな」


「むぐっ、苦しいぞハンコック! ちょっと離れてくれ!」


 ハンコックの豊満な胸に挟まれながら、ルフィはじたばたともがいて逃れようとしていた。

 男ならば誰もが憧れる夢のようなシチュエーションであろうとも、性知識が皆無で興味も薄いルフィからすればただ苦しいだけだった。

 しかしハンコックは手を緩めるどころか、ますます抱き締める力を強めていく。


「嫌じゃ嫌じゃ! もう絶対に離さん! ━━のうルフィ、やはり海軍など辞めてわらわの島に来ぬか? 女ヶ島は男子禁制じゃが、そなたならば皆歓迎するはずじゃ。わらわとその……め、夫婦《めおと》となり、共にアマゾンリリーを治めようではないか。うむ、それがいい! そうと決まればさっそく退職の手続きを……」


「ふざけたことを……言ってんじゃないわよッッ!!」


 その時、フリーズからようやく我に返ったウタが、鋭い殺意を込めた本気の飛び蹴りをハンコックに向かって浴びせかけた。

 脚には当然ながら武装色の覇気を纏わせており、当たれば無事では済まないだろう。

 しかしハンコックは不意の一撃に動じることなく、同じく覇気を纏った片手で難なく防いだ。


「愛し合う二人の邪魔をするとは、つくづく無粋な小娘よの。世間では“海軍の歌姫”などと呼ばれ讃えられておるようじゃが、狂犬の間違いではないのか?」


「黙れ! 汚い手でルフィにベタベタ触るな海賊如きが! ていうか、ルフィもルフィでいつまで抱き締められてんのよ! さっさと離れなさい!」


「むぐぐ……ぷはっ! ふう、苦しかった!」


 ハンコックがウタに気を取られた隙に、ルフィはハンコックからの熱烈なハグからようやく抜け出した。

 腕からするりと潜り抜け、落ち着いたように一息つく。


「あっ、ルフィ! つれないそなたもまた愛おしい……」


 ルフィが自分の手から離れたことに寂しげにしつつも、ハンコックはうっとりとした様子でしなを作る。

 一方、ウタはルフィの傍に駆け寄ると、ボディチェックの要領で彼の身体をあちこちまさぐり始めた。


「大丈夫、ルフィ!? あのクソ海賊に何か変なことされてない!!?」


「あはは、くすぐってえよウタ! ハンコックはそんなことする奴じゃねえから安心しろって」


「そんなことする奴よ! 海賊なんてどいつもこいつも最低のクズばっかりだもん! どうせルフィの身体に爆弾でも取り付けて、『ハーンコックックック! この爆弾を解除してほしくばわらわの婿になれ!』とか言う気なんだわ。なんておぞましい……!」


「そんな笑い方する奴はいねえ」


 冷静にツッコミを入れるルフィ。

 うっとりモードから復活したハンコックも、心外とばかりにルフィに追従した。


「その通りじゃ! このわらわが愛しきルフィにそのような悪辣な真似をするわけがなかろう、この無礼者めが! それでルフィ。わらわの先程の話、ぜひ考えてはくれぬか? わらわならばきっとそなたの良き妻になれると思うぞ?」


 たおやかに頬を染めながら、ハンコックは再びルフィへの求婚を続ける。

 男性はもちろん女性すらも虜にしてしまうほどの美しさだが、ルフィはそれを見ても平然と返事をする。


「おれは結婚はしねえ! ハンコックのことは悪い奴じゃねえと思ってるけど、それとこれとはまた別だ! 海軍を辞めるつもりもねえしな! ごめんな!」


「はぅっ! そんな無体な……しかし辛辣なそなたもまた慕わしい……」


 呆気なく断られたことにショックを受けつつも、何故だか少し嬉しそうなハンコック。

 ほんの一瞬だけ彼女に見惚れてしまったウタが、それを誤魔化すように軽く咳払いをして言う。


「さあ、ルフィはこう言ってるわよ“海賊女帝”。もう満足したでしょ? さっさとここから……」


「でも女ヶ島にはまた遊びに行きてえなぁ。久しぶりにマーガレットたちの顔見てえしよ。な、今から一緒に行っていいか?」


 しかしその途中で、ルフィが特大の爆弾を投下した。

 それを聞いたウタとハンコックが同時にルフィを見る。されどその表情は片や驚愕、片や驚喜というまるで正反対の相を浮かべていた。


「もちろんじゃルフィ! そなたならばいつでも大歓迎じゃぞ! さあ行こう、すぐ行こう、やれ行こう!!」


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! ルフィ、あんたいきなり何言ってんの!? 仕事はどうするのよ仕事は!!?」


「仕事ならねえぞ。おれ、しばらくキンシンすることになったからな。さっきセンゴクのおっさんにそう言われた」


「はぁっ!?」


 これにはウタも目を剥いた。


 ルフィの言う『キンシン』とは、まず間違いなく謹慎処分のことだろう。

 そもそも彼がどうして海軍本部元帥センゴクや大将赤犬に説教されていたかというと、また例によって命令を無視してしまったことが原因である。


 待機命令が出ていたにも関わらず、勝手に部下を引き連れて軍艦を乗っ取り、ユースタス・キッドの一味と派手に海戦をおっ始めたのが今回の主題だ。


 せめてキッドを仕留めるか捕らえるかしていればまだ良かったのだが、散々被害を出した上に結局まんまと逃げられてしまったため、怒り心頭の両名に呼び出されてこってり搾られた挙げ句、謹慎処分を言い渡されたのだった。


「いやいやいや、それなら尚更勝手にフラフラ出歩いちゃダメじゃない! あんたねえ、謹慎っていうのがどういうものか分かってるの!? それは休暇じゃなくて、自分の行いを反省して見つめ直す期間なわけ! それを遊びに行くとか言語道断だよ! しかも海賊の住み処になんて!!」


「本当に喧しい小娘じゃのう。ささ、ルフィ。このような吠えるしか能のない子犬など放っておいて、二人の愛の巣へ共に参ろうではないか。━━はっ、まさかこれが……噂に聞くハネムーン!?」


「この……ッ!」


 ウタは悔しげに唇を噛んだ。

 ルフィが一度言い出したら聞かないのは、それこそ幼い頃からの付き合いで骨身に沁みて理解している。

 しかし、こればかりは決して認めるわけにはいかなかった。

 こんな愛欲の権化のような女のところにルフィを一人送り出すなど、果たして何をされるか分かったものではない。

 純粋無垢な彼を言葉巧みに騙くらかして、その歪んだ劣情を叩きつけないとも限らないのだから。


(そんな羨ま……じゃないや。酷いことは絶対にさせない! ルフィの貞操は私が守るんだから!)


 そう決意を新たにして、ウタはハンコックを鋭く睨み付ける。

 ハンコックもそれを敏感に察知して、二人の間には再び、不穏な空気が立ち込め始めた。

 と、そこで、


「そうだウタ、じゃあお前も一緒に来いよ!」


 ルフィがまたしてもとんでもないことを言い始めた。


「反省が必要ってならよ、お前がおれを近くで見張ってればいいじゃねえか。そんでおれが何も問題を起こさなかったら、反省したってことになるだろ!」


「嫌よ! どんな理屈よそれ! 反省っていうのはそういうのじゃ……」


「ええー、いいじゃんかよー! おれウタと一緒に女ヶ島行きてえよー。みんなにウタのことも紹介してえしよー」


「うっ……」


 子供のように駄々を捏ねるルフィに、ウタは思わずたじろいだ。

 何を隠そう、ウタはこの攻撃にめちゃくちゃ弱い。

 弟属性100%な感じのルフィに『お願い』されると、ウタの中のお姉ちゃんが疼いて、何でも言うことを聞いてあげたくなるのだ。


「待つのじゃルフィ、その小娘までもをわらわの島に連れていけというのか!?」


 一方、そこで黙っていられないのがハンコックだった。

 当然だろう。

 ようやく想い人との甘美な一時を楽しめると思った矢先に、よもや直前までバチバチにやり合っていたお邪魔虫までもが引っ付いてくるなど冗談ではない。

 如何に愛しい男の頼みであろうが、苦言の一つも呈したくなるのも無理からぬ話だった。


「ダメか?」


「仕方あるまい。おい小娘、本来ならば貴様如き輩を美しきわらわの船に乗せるなどありえんのじゃが、他ならぬルフィの頼みじゃ。特に乗船を許可する。感謝するが良い」


 が、瞬殺。

 ハンコックもまたルフィからの頼みにはよわよわだった。

 凄い勢いで手のひらを返したハンコックに驚きつつ、ウタは冷静に立ち返って思案する。


(どうせルフィは何を言っても聞きやしないし、それなら確かに私もついて行った方がいいか。そうすればこのクソ海賊がルフィに不埒な真似を働こうとしても、私が傍で守れるし……)


 そこまで考えて、ウタは挑みかかるようにハンコックを見据える。


「……いいわ。その誘い乗ってあげる。私も殲滅する目的以外で海賊の根城になんて寄り付きたくもないけど、ルフィを守るためなら必要だもんね。ちょっと有給申請してくるから待ってなさい。もし私を置いて勝手にルフィを連れていったら、あんたの船にバスターコールかけるからね」


「お前にそんな権限ねえだろ。アホだなーウタは」


「うっさい! あんたにだけは言われたくないわよルフィ!」


 いやに常識的なことを言うルフィに怒鳴り声で応じながら、ウタは一旦踵を返してその場を去る。

 それにしてもこの状況で律儀に有給申請をしに行くとは、真面目というか何というべきか。

 されどその瞳には沸沸とした闘志が、燃え滾るように宿っている。


(負けない! あんな海賊なんかには絶対に、負けるもんか!)


 愛する男をかけた女の戦いが、始まろうとしている。

 お互い一歩も譲ることのできない決戦が。

 その後、女ヶ島にたどり着いたルフィを島民全員が熱烈な歓迎をするのを目の当たりにしたり、第三勢力《マーガレット》の登場に戦々恐々することになるのを、ウタはまだ知らない。

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