こぼれ話(海の日)

こぼれ話(海の日)


※後半ほんの少しだけ閲覧注意です




 よく晴れた夏の日。エランとスレッタの2人はレンタルした車に乗って、1泊2日の小旅行に出かけていた。

 トランクにはたくさんの荷物。特に目を惹くのは解体されたビーチパラソルと空気で膨らんだ大きな浮き輪。

「エランさん、エランさん!もうすぐ着くんじゃないですか!?」

 興奮したスレッタが窓の外を指さすと、真っ青な空の下にキラキラと反射した光が見える。

 同時に『目的地、周辺』というアナウンスも聞こえてくる。

「そうだね、着いたみたい。もうすぐ降りるから準備しよう」

「はい!」

 ウキウキとした返事に微笑みながら、近くの駐車場に車を止める。ドアを開けると、途端にむわりとした独特の臭気が香ってきた。

「ふぁ…すごい匂いです」

「本当に、知ってるのとは全然ちがう」

 2人で驚きながら、トランクからどんどん荷物を出していく。ビーチパラソル、大きな浮き輪、ビニールバック、クーラーボックス…。

 大きくて、重くて、嵩張る荷物ばかりだ。けれど2人は笑いながら全部持つと、意気揚々と運んでいった。

 向かう先から、涼し気な音が聞こえてくる。

 暑い空気をかき乱すように、心地よい風が吹いてくる。

 歩くごとにコンクリートの地面に砂が混じり、やがて完全な砂まみれになる。

「わぁ」

「けっこう人がいるね」

 そうして開けた視界いっぱいに、匂いの元が見えてきた。

 海だ。

 内海じゃない正真正銘の外海。

 エラン達が初めて見る、本当の海だった。

「…すごいですね」

「うん」

 まるで地球に初めて降りた日のように、スレッタがぽつりと呟いた。

 目の前には赤く沈む地平線ではなく、どこまでも青く光る水平線が広がっている。

 空と雲と、海と砂浜と。それぞれが青と白だけで構成されている、とても綺麗な景色だった。

 もしも他に人がいなければ、しばらくは見惚れたまま動けなかったかもしれない。

 でも。

「荷物を置いて、近くに行ってみよう」

「はい!エランさん」

 今はたくさんの海水浴客が気持ちよさそうに泳いでいて、砂浜にはビーチパラソルや荷物があちこちに置かれていた。見ているだけでワクワクするほど賑やかな光景だった。

 エランとスレッタは適当に空いた場所に荷物を置くと、誘われるままに海に近づいていった。

 足の甲に砂がかかる。サラサラとした砂の感触はとても心地よくて、同時にとんでもなく熱い。たぶん乾いた素足のままだったらやけどしてしまう。

 サンダルを履いたまま波際で立ちどまり、ドキドキしながら波を待つ。ざざ…、と寄せては返す波が大きく迫ってきて、エランとスレッタの足を攫ってい。

「わ」

「ひゃわわっ」

 最初に驚いたのは水の冷たさ、次に驚いたのは波の強さだ。

 押して、引いて。わずか数センチに満たない水の動きに足をすくわれそうになる。

「けっこう力が強いね」

「足元がムズムズします~」

 確かにスレッタの言う通り、足元の砂が妙な動きをしている気がする。気になったエランはその場でサンダルを脱いで、次の波を待ってみた。

 目の前で引いていった波が再び勢いをつけて迫ってくる。

「うわ」

 押して、引いて。最初と変わらないくらいの強さなのに、思わず大きな声が出た。

 素足で踏んでいる砂の感触がガラリと変わる。

 波が来るまではしっかり体重を支えてくれていた砂が、今はホロホロと頼りなく崩れていた。波にさらわれるままに砂粒が逃げて、足裏や指の間をくすぐっていく。

「あはは、エランさん、ヘンな顔してます」

「きみも素足になってごらんよ。同じような顔になるから、きっと」

 エランの言葉に素直に従ったスレッタが、エラン以上にきゃあきゃあと大きな悲鳴をあげる。

 そうやってしばらく波際の感触を楽しんだ2人は、本格的に海で遊ぶための準備をすることにした。


「エランさん、いっそスタンドを埋めちゃうのはどうですか」

「確かにその方が安定するかも。…どう?」

「イイ感じです!」

 人によっては面倒くさいと思うだろう支度の数々も、初めての2人にとっては面白いだけの遊びでしかない。小さな失敗を繰り返しながら、笑顔で作業を進めていく。

 水で重くしたスタンドにビーチパラソルを立てて、風で飛ばされないようにレジャーシートを敷いて、盗難防止のワイヤーロックに荷物を繋げて…。

 ようやく出来たパラソルの影に座り込んだ2人は全身汗まみれになっていた。

「とりあえず休憩場所は出来たね」

「わたしたちの秘密基地、完成ですね!」

 秘密基地という割にはまったく隠されていないが、落ち着ける場所という意味では間違ってはいない。

 周りを見回すとエラン達以外にもビーチパラソルを立てている人はけっこういて、大きなデッキチェアを持ちこんでいる人もいた。

 ゆったりと日光浴を楽しんでいる人たちを眺めながら、エランも負けじと自分たちで作った拠点の上で体を伸ばした。

「これで準備完了、かな。荷物、盗まれなくてよかったね」

「さっきはすぐに遊びに行っちゃいましたもんね」

 2人で反省しつつ、すでに目線は海に釘付けだ。正直なところ、早く遊びに行きたくて仕方ない。

 汗をかいた分の水分補給をすると、エランはさっそく上着を脱いで水着姿になった。

 あらかじめ水着は着ていたので、あっという間の早着替えだ。あとは汗で流れた日焼け止めを塗り直せばすぐに海へと直行できる。

「あーっエランさん早いっ、ちょっと待ってください!」

 エランが手早く日焼け止めを塗っていると、慌てた声でスレッタが制止してきた。

「大丈夫、待ってる…か、ら」

 目の前でスラリとした褐色の肌が現れて、エランの返事が途中で止まる。スレッタが着てきた可愛らしいワンピースの下には、同じ名前の水着が隠れていた。

「あ、えへへ」

 スレッタはちょっと恥ずかしそうにしながら、クルリと回って水着姿を見せてくれた。

「初めての水着です。可愛くないですか?」

「…かわいい」

 スレッタは水着のデザインの事を言ったのだろうが、エランが言ったのはもちろんスレッタ自身の事だった。

 水着はたしかに可愛らしいデザインだ。けっして露出が高いわけではなく、むしろ普通のワンピースよりも露出が低い。具体的に言うと胸と腰の辺りにフリルが付いていて、体の線が見えにくくなっている。

 でもスレッタの長くてしなやかな手足は丸見えだったし、スカートのようなフリルからチラチラ見える丸いお尻は魅力的だった。どこもかしこも可愛らしく見えた。

 動揺しながら、日焼け止めを塗る作業に戻る。とりあえず別の事をして気を紛らわせるつもりだった。

「背中塗ってあげますね。わたしも後で塗るんで、手伝ってください」

「わ、わかった」

 けれど何も知らないスレッタは笑顔でこちらが困るような提案をしてくる。日焼け止めを塗ったり塗られたりしている間、エランの心臓はずっとドキドキしていた。


 ほんの少しのアクシデントはあったが、いよいよ海で遊ぶためのの準備ができた。浮き輪をしっかり持ったスレッタと一緒に、早足で海へ近づいていく。

「エランさん!はやく、はやく!」

「…サンダル履いてくればよかった」

 あらかじめ水でしっかり濡らした足が、みるみるうちに乾いていく。最後の方はほとんど駆け足のようになりながら、どうにか波際まで着くことができた。

「もう大丈夫ですね」

「やけどしなくて良かった」

 波の冷たさにホッとしながら、先ほどよりももっと深くまで歩いていく。2人は波に翻弄されつつも、少しずつ先へ進んでいった。

 とは言っても、それほど奥まで行くつもりはない。せいぜい足がつく所までだ。スレッタは生まれてから一度も泳いだことなんてないし、エランだって海で泳いだことはない。

 完全な初心者同士なので、無理はしないようにと事前に2人でしっかり決めてある。

 行ってはいけない場所。してはいけない行為。調べれば調べるほど、気をつけるべき注意事項はたくさん出てきた。

 昔は遊泳自体が禁止されていたことも知っている。スペーシアンが宇宙に上がる前に汚して行った場所は、陸ではなく海も対象だったのだ。

 泳げるようになったのはここ数十年の事らしく、場所によっては今も遊泳禁止になっている所もあるようだ。

 とはいえ、今の自分たちには関係ない。エランは浮き輪にすっぽりとハマったスレッタを連れて、じゃぶじゃぶと波をかき分けていった。


 暑い日差しの中で、スレッタが気持ちよさそうに目を細める。

「まるで宇宙空間みたいです」

 浮き輪の浮力に釣られるように、スレッタの体が波と一緒に上下する。浮き輪の後ろから見えるゆらゆらとした影は、たぶん彼女の両足だ。

「もう。ちゃんと地面に足をつけないとダメだよ。高い波がきたらどうするの」

 溺れちゃうかもしれないよ、と注意しても、スレッタはどこ吹く風で笑っている。

「まだ腰くらいじゃないですか。立ったらちゃんと足がつくから大丈夫ですよ」

 …と、すっかり油断しているスレッタの顔に、ザブンと波が襲ってきた。

「ぶわっ!」

「わ、スレッタ!」

 エランは立っているから平気だが、浮き輪に顔を乗せていたスレッタは大被害だ。水面との距離が近いので、少し高い波が来ただけで海水が顔にかかってしまう。

「ふぇえ~、ペッ、ペッ」

 髪と顔を濡らしたスレッタが、くしゃくしゃした顔で立ち上がった。

「うう~、舌がピリピリします」

「大丈夫?鼻に水入ってない?」

 苦しそうにしているスレッタの前髪をかき分けて、濡れている目元を手のひらで拭ってやる。

 鼻はどうかと覗き込もうとしたところ、慌てたように手でサッと遮られた。

「大丈夫です。…ちょっと口の中には入っちゃいましたけど。えへへ」

 本当にお塩の味がするんですね、とおどけた声で言うスレッタに呆れて、ついつい半目になってしまう。

「だから言ったじゃないか。人の話を聞かないんだから」

「も、もう。いいじゃないですか。反省しましたよ」

「本当?」

「本当です」

「本当の本当?」

「本当の本当です」

「本当の本当の本当?」

「ほん……もう、しつこいですよっ!」

 途中でからかわれている事に気付いたのか、怒ったふりをしたスレッタがパシャンと水を掛けてきた。すぐにエランも応戦して、しばらくのあいだ水を掛け合う。

 そのうち自然と笑いが込み上げてきて、2人はすぐに仲直りした。

「頭の先までビシャビシャになっちゃいました。今なら海の中にも潜れそうです」

「本当に潜るのはやめてね、危ないから。その代わり、もう少しだけ深い所に行ってみる?」

「行きます。わたし気づいちゃったんですけど、高い波が来てもこう、浮き輪に肘を乗せて体を持ち上げちゃえばいいんです。どうです、すごいでしょう」

「すごいすごい」

「…エランさん、今日は何だかちょっとだけテキトーじゃないですか?」

「そうかな」

 言われてみれば、確かに普段とは少し違う。浮ついた気分が続いている。

 けれどスレッタはそんなエラン相手でも楽しそうにしているし、誘導にも素直に身を任せてくれている。

 彼女の信頼に応えるように、慎重に奥の浅瀬へとエスコートしていった。

「…海って、本当に広いんですね」

 浮き輪でぷかぷか浮かびながら、改めて感じ入ったようにスレッタが呟く。

 確かに海はとても広い。けっこうな距離を進んできても浅瀬の先にはまだ人がいるし、水面も遥かな先へと広がっている。見渡す限りの大海原だ。

 高い波を器用に避けたスレッタが、浮き輪についた雫を指先に掬ってぺろりと舐めた。

「これ全部、塩水なんですよね。どれだけお料理に使っても使い切れ無さそうです。持って帰ってスープとかに使えないでしょうか」

 思いもよらない発言に、エランは吹き出しそうになる。海どころか地球初心者のスレッタは、まだまだ発想が斬新で新鮮だ。

「確かに使い切れないほど量はあるけど、塩辛すぎて料理には使えないんじゃない?それに海にはたくさん生き物が住んでるんだし、そのままじゃ不衛生だよ」

「そうなんですか?塩水の中で生き物がたくさん住んでるなんて、何だか不思議な気がします。…もしかして、海がこんなに味がするのも、命が溶け込んでるからでしょうか」

「命が?」

「塩って生き物にすごく必要なものですし…。なんとなく、イメージというか、そんな気がするなぁってだけなんですけど」

「………」

 海水が塩辛いのは、ただ単に大量の塩が溶け込んでいるからだ。その塩だって大昔に火山ガスや岩石の成分が混ざって出来たもので、生物は一切関係ない。

 だからスレッタの言い分は残念ながら的外れになる。的外れになるのだが…、彼女の言葉を聞いていると、本当にそうなのかもしれない、と思えてくる。

「たしかに、海は生命の母って言うからね。命そのものが溶け込んでいても不思議じゃない」

「そうですよね?えへへ、海ってすごいです」

「すごいよね、海」

 特に中身も何もない会話をしながら、波に揺られる感触を楽しむ。日差しで火照った肌に浴びる海水が気持ちよくて、立っているだけでも満足してしまう。

 ふとエランは、先程のスレッタのように海水の雫を舐めてみた。舌先に感じるピリピリした塩辛さの他に、かすかな苦みと甘みを感じる。

 スレッタの言う通り、命が溶け込んでいるような気がした。


 それからしばらく経った後、海に慣れ始めた2人は色々な遊びをする事にした。

 ビーチボールを打ち合ったり、砂山を作ったり、海に入ったり…。ところどころ休憩を挟みつつ、思う存分に海を楽しむ。

 特にスレッタが気に入ったのが波乗りだ。専用のサーフボードではなく普通の浮き輪で器用に波に乗っている。

「きゃーっ!」

 今も笑顔のスレッタが浮き輪に乗って砂浜まで着いたところだった。

「今のすごくなかったですか!?」

「最長記録だったね」

「先生を超えたかもしれません。もう一回行ってきます!」

「行ってらっしゃい、気を付けてね」

 スレッタの言っている『先生』はたまたま近くにいた子どもたちだ。

 彼らが楽しそうに浮き輪で波乗りしているのを見て、見よう見まねでやってみたら思いのほかハマってしまったらしい。先ほどから同じことを何度も繰り返している。

 エランはその様子を楽しく眺めた。スレッタが満面の笑みで歓声をあげるなんて、あまり見れない姿だからだ。

「エランさん!見ててくださいね!」

 スレッタの言葉に手を振って応える。屈託もない笑顔で遊んでいる彼女がとても眩しく見えた。


 無限とも思える体力を持っていても、いつかは疲れる時がくる。エランは心なしかくったりしたスレッタを連れて、休憩場所に戻ってきた。

「日陰がズレてる。ちょっと待ってて」

「はい~」

 地球ではプラントと違って常に光源が動いていく。太陽に照らされたシートはいかにも熱そうな様子で、休憩するには不向きな場所に変わっていた。気付かないうちにけっこうな時間を海で過ごしていたらしい。

 エランはひとまずクーラーボックスから水を出してスレッタに渡すと、急いで日陰の場所にすべての荷物を移動させた。すぐに陰になったシートの上にタオルを敷いて、そのままチビチビと水を飲むスレッタを座らせる。

「暑くない?」

「ずっと海に入ってたのでちょうどいいくらいです。むしろ、体の表面はちょっと寒いかも?」

 たしかにスレッタの腕も肩もヒヤリと冷たくなっている。エランは荷物の中から大きなタオルを取り出すと、抱き込むように体を包んであげた。

「何か食べる?甘いものでも買ってこようか?」

 ポンポンとタオルで水滴を拭いているエランに、こてんとスレッタが頭を預けてくる。

「甘いものよりがっつり食べたい気分です。もうお昼ですよね」

「たしかに。じゃあご飯にしようか」

「…お料理、無事ですかね」

「しっかり冷えてたから大丈夫だよ」

 クーラーボックスの中には飲み物だけではなく、スレッタが手ずから家で作ってくれた料理が詰まっている。サンドイッチや、おにぎりや、片手で気軽に食べられるものばかりだ。

 凍らせたペットボトルを下敷きにして、上にも保冷剤を置いているので、まだまだ中は冷たい冷気で満たされていた。

 そのまま2人でお昼を食べながら休憩する。不思議なもので、疲れ果てたと思っていてもだんだんとまた遊びたい気持ちになってくる。

 手洗いに行った後には、すっかり元気になったスレッタが次の遊びを提案してきた。

「エランさん、次は磯遊びしましょう!」


 『磯遊び』というものをエランは知らなかった。スレッタに聞くと、タイドプール(潮だまり)に取り残された海の生物を観察したり捕まえたりする遊びらしい。

「あっちにそれっぽい場所がありそうなんです!ちょっと行ってみましょう!」

 たしかに砂浜の先にゴツゴツした岩陰があり、近くには網を持った子どもたちの姿も見える。

 エランは少し興味を惹かれて、スレッタに促されるままに岩陰へと近づいて行った。

「わぁ、何だかとっても可愛いです」

「小さい海みたいだね」

 大小様々なタイドプール。海から切り離された天然のプールの中に、名前も知らないような小さな生き物が泳いでいる。

 貝、カニ、ヒトデ、それに小さな魚まで。実に多種多様で、見ているだけで面白い。

 一見すると何も居ないようでも、よく見ると隅の方に隠れていたりする。エランは小さな生き物を見つけるたびに、その様子をジッと観察してみた。

 近くでは子どもと意気投合したスレッタが楽しそうな声をあげている。今はちょうど岩陰に隠れたカニを取ろうとしているらしい。

 悪戦苦闘の末にカニを生け捕ったり、小さなタコにビックリしたりしながら、楽しい時間は過ぎていった。


 その後も2人は海でできる遊びを目いっぱい楽しんだ。初心者なりに、充実した内容だったと思う。

 お土産だってある。子どもたちと別れた後、ゆっくりと波際を歩きながら見つけた貝殻だ。

 二枚貝のもの、巻貝のもの。トゲがついていたり、ツルツルしていたり。色々な種類の貝殻がスレッタの手のひらの上に収まっている。

「ジャムの瓶に詰めたらカワイイと思うんです」

 指先でツンと小さな宝物をつついたスレッタが、嬉しそうに微笑んでいる。その顔は、満足したような疲れが滲んでいた。

 エランも同じだ。頭の奥が熱を持っているような、体の芯にずっしりとした鉄の棒が刺さっているような、そんなだるさが全身を支配していた。

 でも心地よかった。

 朝からはしゃいで、大声を出して。驚いたり、喜んだり。一日中ただ遊んで、とても楽しかった。

「もうそろそろ、帰ろうか」

「はい、エランさん」

 いつの間にか日は傾き、海水浴客の姿もまばらになっている。

 2人は『秘密基地』を丁寧に片づけると、なじみ深い場所になった海を後にした。


 帰る、と言ってもすぐに山の家に帰る訳ではない。せっかくの連休なのだからと、2人は海近くの宿を取っていた。

 くたくたになった体でチェックインをして、風呂に入ったあとは夕飯まで休憩する。

 そうやって体力を回復した2人は、たくさん運ばれてきた料理をもりもり口にするだけの元気が復活していた。

「おいふぃれす」

「小鉢でたくさん種類が食べられるのは嬉しいね」

 海が近いからか魚が多く、見た事のない料理もある。でも料理人の腕がいいのか、どれも食べても美味しく感じる。

 気が付けばテーブルいっぱいに並べられた料理は、すっかりカラになっていた。

 あとは朝まで寝るだけだ。

 …けれど布団に横になっても、眠気はやってこなかった。

 フカフカした布団は気持ちいいのに、目を瞑っても意識がはっきりと覚醒している。気を紛らわせるように何度か寝返りをうっていると、スレッタの目がうっすら開いた。

「…眠れないなら、近くに行ってもいいですか?」

 ドキリと心臓が高鳴る。てっきり疲れて眠っているだろうと思ったのに、スレッタも起きていたようだ。

 今日一日はとても楽しくて、ずっと子どものようにはしゃいでいた。お互いにその余韻がまだ残っていて、眠りたくないと体が訴えているのかもしれない。

 でもきっと、温かい体温を抱きしめていれば眠れるはずだ。

 エランは布団をあげて、スレッタを招き入れるスペースを作った。空調の効いた空気がひやりと肌を撫でて、自分で作った温かい空気が逃げていく。

 代わりに入ってきたのはスレッタだ。思った通り彼女の体温は温かくて、でも、困ったことに眠気はさらに霧散してしまった。

「スレッタ、あの…」

「どうしました?」

 エランはスレッタを驚かせないように、そっと腰を抱きしめた。招き入れた時には下心なんてなかったのに、彼女の体温を感じてしまったらもうダメだった。

 楽しさで生まれた興奮が、別の何かにすり替わってしまっている。

「ほんの少し、触りたい。…いい?」

「………」

 男の欲が滲んだ言葉に、それでも彼女は頷いてくれる。許しを得たエランはゆっくりと、スレッタの上に覆いかぶさっていった。


 夜半過ぎ、2人は汗だくになって布団に横たわっていた。

 家ではないからと我慢しようとしていたのに、あと少し、もう少しと、結局は深い所まで触れ合ってしまった。

「…お布団、どうしましょう」

「下にタオルを敷いていたから、そんなには汚れてないはず。お風呂に入れば大丈夫だよ」

「おふろ…」

 スレッタの目がとろんとしている。興奮が落ち着いたことで、眠気が押し寄せてきたらしい。

「眠っていていいよ。僕が後始末しておくから」

「ん…」

 エランの言葉に安心したのか、スレッタがすぅと眠りについた。まだ大粒の汗が体中のあちこちに残っている。

 そのうちの一滴が目の前で通り過ぎようとしたので、戯れの続きのように唇で受け止めて、そのままちゅう、と吸い付いた。

 舌に広がるのは、塩辛くて、どこか苦くて、とても甘い。


 海のような、命そのものの味がした。







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