浦和ハナコと欠けた星 後編
翌日の教室で、スマホの画面をじっと見つめて、ハナコは苦々しく声を漏らした。
「……おかしい」
あの一言を最後に、セイアとの連絡は付かなくなってしまった。
モモトークには既読が付くことはなく、電話もつながらない。
彼女の身に何かが起きたことは予想できた。
「私の都合で振り回して、無理させてしまったのでしょうか?」
元から頻繁に顔を合わせていたわけではない。
体調を崩して会えないようなことは何回もあった。
今回もそのたぐい、と最初は考えたのだ。
「でも……」
自分を探すな、とセイアは言った。
体調不良ではそんなことは言わない。
つまり自身に何かが起きるという事を、いつもの予知夢で知っていたという事だ。
それなのにハナコは何も知らない。
気が滅入るというものだ。
『——皆様、ごきげんよう』
「この声は……」
突如として校内放送のスイッチが入り、聞き覚えのある声が耳に入る。
ハナコが顔を上げると、クラスメイト達が同じようにスピーカーを見つめていた。
『私はティーパーティーの一人、桐藤ナギサです』
「ナギサ様だ」
「フィリウスの」
「校内放送の予定などなかったはずですが」
「セイア様ではないのかしら?」
戸惑いの声を上げる皆を後目に、スピーカーからは声が続く。
『本来しかるべき手順でもってお伝えするべきところですが、急なお話でしたので、敢えてこのような形でお伝えさせていただきます。ティーパーティーの現ホストである百合園セイアさんが急病により、一時休学することとなりました。そのためホストとしての役割を私が引き継ぐことをここに宣言します』
「セイア様が!?」
「そんな、ではサンクトゥスはどうなるというのでしょう」
「正式な会議も経ずにホストを代行するなど、フィリウス派の横暴ではありませんか?」
「そうです! 横紙破りは許してはいけません。ミカ様は何をやっているのかしら」
ナギサのホスト就任宣言に、ざわめきが広がっていく。
隣の教室からも同じ放送を聞いて悲鳴が上がっていた。
当然のことだ。
伝統あるトリニティを纏めるホストという立場はとても強い。
フィリウス、パテル、サンクトゥスという三派閥がホストが暴走しないように、それぞれを監視しているくらいだ。
それをこんな放送一本で変更しようというのだから、戸惑うのも無理はない。
セイアについてもそうだ。
先程悲鳴を上げたのはサンクトゥス派閥の人間だろう。
体調不良で数日休むというレベルではない。
何の引継ぎもなしに休むことになってしまえば、混乱が起きることは必至だ。
先見の明があるあのセイアがそれを予期できぬはずがない。
サンクトゥスはそれを知っていたからこそ、なおさら困惑を隠せない。
「……あの方なら」
今までのホストの業務について、今後はフィリウス派でまとめて行うと連絡を続ける放送を聞きながら、ハナコは気付いた。
桐藤ナギサならば、否、ティーパーティーなら百合園セイアの現状について何か知っているかもしれない。
ハナコ一人では知ることができない、専門の情報収集部隊だって抱えているはずだ。
セイアは探すな、と言った。
その意味をハナコは理解している。
しかし、頭で理解していても納得がいかないことはあるものだ。
――――――――――――――――――――――――――――――—―――
「桐藤ナギサさん、ですね」
「こんにちは、貴女は……たしか浦和ハナコさんでしたね」
「ええ、こんにちは。覚えていただいて嬉しいです」
「お話するのはこれが初めてですが、何か私に用事でもおありですか?」
「そうですね、まどろっこしいことは抜きにしましょう。セイアちゃん……百合園セイアさんのことについてです」
「っ!? 貴女は……そう、ですか。貴女がセイアさんの言っていた……」
「答えてください」
「……放送で伝えた通りです。彼女は急病で休学中です。元から病弱な方でしたから」
「そんなはずはありません! ここに来る途中でサンクトゥス派の混乱を見ました。セイアちゃんが一言も連絡もなしにするとは思えません」
「事実です。病というものは突然襲い来るもの、想定できなくても仕方がないことです」
「あのセイアちゃんに限ってそんなことは……いえ、それはもういいです。セイアちゃんはどこですか?」
「面会謝絶です。居場所をお伝えすることは出来ません」
「どうして! ティーパーティーのホストはそんなに偉いのですか!?」
「浦和ハナコさん、面会謝絶の病人の所へ押しかけようとするなど、貴女こそあまりにも非常識ではありませんか。私の事をどうこう非難する前に、少し冷静になってはいかがです?」
「……もう結構です」
「行ってしまいましたか。浦和ハナコさん……セイアさんのご友人ともなれば心配するのは当然の事。心苦しいですが、そんな彼女に事実を告げるのは、あまりにも酷というもの。ですが、どこに裏切者がいるか分からない以上、彼女に構っている暇はありません。ホストに赦されたセーフハウスで、セイアさんがああなってしまったのです。次は私か、ミカさんが狙われる。なら少しでも早くエデン条約の話を進めて、ミカさんだけでも守らないと……」
――――――――――――――――――――――――――――――
「聖園ミカさん、ですね」
「……ん? なぁにあなた、私になにか用事?」
「はい、セイアちゃんの居場所についてです」
「ナギちゃんは休学だって言ってたんでしょ。なら休学だよ。私がセイアちゃんがどこにいるかなんて知るわけない」
「でも! 貴女はセイアちゃんのお友達なんでしょう!?」
「お友達? 私とセイアちゃんが? あははっ、体が弱くて自分じゃ何もできないくせに、いつも理屈っぽくて人を小馬鹿にする態度取ってたセイアちゃんが? 私と? 仲良しなわけないじゃんね。あんなの余所行きのポーズだよ」
「そんな……」
「そう、そうだよ、元から気に入らなかった。だから私も嫌いになるに決まってるんだよ。だってそうじゃないとおかしい。私が正しいんだ。だってセイアちゃんが何かにつけて反論ばっかりしてきて、あの子たちの事を考えてくれないのが悪いんだし……うるさいのがいなくなって清々するに決まってる……」
「ミカさん、貴女は……」
「……あれ、さっきの子、どこ行ったんだろ? まあどうでもいっか。まったく……それにしてもナギちゃんもナギちゃんだよ、順番なら次が私がホストなのに、ホストをやった実績があるからって強引にホストに返り咲くなんて。そんなにエデン条約なんてつまらないものが大事なんだ……あんな角付きたちと仲良くなんてやれるはずないのに。私がどうにかしないと……」
――――――――――――――――――――――――――――
それからハナコは、トリニティの各組織を巡った。
正義実現委員会とシスターフッドは通常通り、救護騎士団は団長が数日前から行方不明になったが、こちらは書置きがありその後引継ぎ連絡もあったため混乱は最小限に収まっていた。
「セイアちゃん……」
肝心要のティーパーティーの2人は、あの有様だった。
ハナコの知らない何かを知っていることは推察できたが、結局桐藤ナギサも聖園ミカも口を割ることはなかった。
それが何を意味しているのかを、ハナコは理解してしまい、そんなはずはないと否定するために各地へと足を運んで情報を集め続けた。
けれど百合園セイアという少女の行方は杳として知れなかった。
「セイアちゃん、嘘ですよね……?」
百合園セイアという少女がこの世からいない、という仮定を当てはめてしまえば、ぴったりはまってしまうのだ。
混乱を起こさないためのナギサの強い拒絶も、ハナコのことすら目に入らないようなミカの挙動不審さも、その一点で説明できる。
生きていると考えるハナコと、死んだと考えている2人では、いくら隠しても態度に違いが出るのは明らかだった。
暗く思い気持ちを抱えながら、疲労で足が棒になったハナコは、カフェのテラス席で静かにうなだれていた。
たった数日前にはセイアと語り合ったこの場所で、しかし隣には彼女はいない。
適当に頼んだ紅茶のカップを両手で抱えて、波打つ液面に反射した自身の顔を見ながら、ハナコはブツブツと声を漏らす。
「……お土産……紅茶……予知……特異点……」
頭によぎるのは、セイアとの最後の会話だ。
特に何の変哲もない日常会話でしかなかった。
だがおかしいところはなかったか、何か自分は見落としているのではないかという不安が拭えなかった。
『ああ、そうだハナコ。実は……』
『何でしょうか?』
『……いや、何でもない。今日は冷えると言いたくてね。早く帰った方が良い』
「……ここですね」
このとき、セイアは一瞬口籠った。
本当は何を言いたかった?
もしやハナコに対して、助けを求めていたのではなかったか?
愚かにも自分はそんなことにも気づかずに呑気にすごしていたのでは?
「そんなはずは……っ!」
ない、とは言い切れなかった。
お前の考えすぎだと否定して欲しいが、それを否定してくれる本人はここにはいない。
ぐるぐると嫌な感情が渦を巻き、負のサイクルでハナコの精神はより深く沈んでいく。
片翼がもがれたようだ、という慣用句がトリニティにはある。
深い悲しみや喪失感に打ちひしがれる様子を表したものだ。
ハナコに翼は無いが、今まさにそのような精神状態だった。
返事の帰ってこないモモトークの画面を見て、その横に並んだ名前にハッと気付いた。
「……ホシノさんなら」
これだけ探してもトリニティでの手掛かりはなかった。
ならトリニティ自治区の外では?
ホシノは箱入り娘であった自分とは違い、自治区外の情報に詳しいはずだ。
何か自分では見落としている部分に気付くことができるかもしれない。
僅かな手がかりさえあれば、なんでもいいのだ。
縋るようにホシノへと連絡しようとしたその時、
「――ですね、百合園セイアのこと……」
耳を掠めたその単語を、ハナコは聞き逃さなかった。
聞こえた声に視線を向けると、どこか見覚えのある少女たちがテラスの片隅で歓談をしていた。
「あれは……確かサンクトゥス派の」
その中の一人は、以前ハナコを勧誘してきた少女だった。
ティーパーティーの素晴らしさを滔々と語られ、当時のハナコはうんざりした記憶がある。
彼女たちもトリニティの生徒なので、公共のカフェであるここにいても不思議ではない。
セイアの名前が挙がるということは、彼女たちも心配してくれているのだろうか?
「百合園セイア、やはりあの人ではティーパーティーは相応しくなかったですね」
(……え?)
漏れ聞こえたその言葉に、ハナコの頭が真っ白になる。
彼女の言葉に追従するように、傍にいた別の少女たちもうんうんと賛成した。
「そうですね。いきなりいなくなるだなんて、ホストとしての自覚が足りませんわ」
「私たちの苦労など、気にする価値もないということなのでしょうか」
「ホストの権力で部下を好き放題こき使っていると言われていますし」
「病弱云々を免罪符に使える方は羨ましいですわね。反論したらこちらが悪者にされてしまいます」
「彼女がいなくなったのなら、次は誰をサンクトゥス派のトップに据えればいいのでしょうね」
「誰でもいいのではないでしょうか? 権力の移行具合からして、どうせフィリウス派が好き勝手やるに決まっています。今更次代を立てたところでお飾りにしかなれないのではなくて?」
「次は自分がホストだと思っていたら、全然そんなことはなかったと知った、あの時のミカ様の顔を見ましたか? 私、実は吹き出しそうになるのを堪えるのが大変で」
「なんにせよ、サンクトゥス派は終わりですね。ここから先は泥舟です。早いところフィリウス派に所属できるように動かなければ」
「サンクトゥス派も伝統だけはあるのですから、フィリウス派も無理に潰そうとはしないのでは? そんなことをすればトリニティの名に傷がつくので反発が出るのは必至です」
「今少し頑張れば、良いポストに就けるのではないですか?」
「何を仰っているのですか。後ろ指を指されるような針の筵に居続けたい者などいません」
「うふふふ、そうですわね」
「次のトップは一年生を据えるように動いてみましょうか。波風立たないようにしていればしばらくは凌げるでしょう」
「あまりに愚かですと、私たちの評判にも傷がついてしまいます。選定はしっかり行わないと」
「そうですわね。そういえばテストの成績がとても優秀だった子が居ました。確か名前は浦——」
隠れて耳をそばだてていたハナコは、直前まで考えていたことすら忘れて、我慢できずに逃げ出した。
それ以上彼女たちの会話を聞きたくはなかった。
(何ですか、アレは……?)
仮にも急病で倒れたという触れ込みだというのに、誰もセイアを心配していない。
彼女たちはセイアという少女を、使いやすい看板か何かだとしか思っていなかったのだ。
その看板が無くなったことで、浅ましく保身に走る有様。
自分が今まで見ていたのは、ほんの表層だけだったのかもしれない。
(これがトリニティですか……)
桐藤ナギサは、友人と言っていたものから権力を奪い取り、その死を隠蔽した。
聖園ミカというもう一人の友人は、死者を冒涜するようなことを恥ずかしげもなく言い放った。
周りは何も知らぬまま踊らされるだけならともかく、早々に次の寄生先を探して彷徨う始末。
こんなものをセイアは好きになってほしいと言っていたのか。
「無理です」
服の下に虫が入り込んだような不快感が沸き上がった。
彼女たちにはハナコが知らないだけで、もしかしたら良い面もあるのかもしれない。
けれどそれをもってしても、拭い去れない不信感と嫌悪がある。
気付けばハナコは、誰もいない自室へと帰り着いていた。
そして手には、危険だと判断した飴玉が握られている。
今からハナコは、途轍もない馬鹿なことをしようとしていた。
「……ホシノさん、ごめんなさい」
これを食べてしまえば、戻れなくなるだろう。
ハナコはその危険性を十分理解していた。
今すぐこの飴玉を捨てて逃げるか、そうでなくともホシノに相談するのが正しい選択だった。
あのお人好しが、友達の真摯な相談を邪険にするような人物でないことは知っていたから。
「でも、それじゃあ私は変わらない。ただの何も成せない浦和ハナコのままで終わる」
手元には人生を変えてしまう劇薬がある。
馬鹿な事だと、短慮だと嘲笑されても仕方のないことだろう。
それでも、このままでは自殺しようとしたハルカと同じ道を、衝動的に選んでしまうかもしれなかったのだ。
ホシノが心を痛めていることも知って、それでもと縋った。
あまりにも唐突に失われたセイアという友達。
友達の居なくなったトリニティに、これ以上の価値があるだろうか?
ハナコにとっての星は欠けた。
誰も望まないことであったとしても、天秤は傾いてしまったのだ。
「いただきます……? !? ~~っ!?」
口に含み舌に触れた瞬間、甘さが口内に広がり、次いで爆発的に多幸感が体を支配した。
ビリビリと電流のように突き抜けた快楽が、口腔粘膜から脳へと濁流のように蹂躙し全身に広がっていく。
ガクガクと体が痙攣し、立っていられなくなって思わず座り込んだ。
「――あはっ♡」
一舐めするごとに幸福の波が連続して押し寄せる。
「とっても、とっても美味しいですね♡」
小さくなっていく飴玉に僅かな寂寥があるが、それ以上の満足感に溺れるように全身が浸る。
「……でもまあ、こんなものですか」
とても美味しかった。
麻薬であるというのも頷ける代物だった。
砂糖以外の全てがどうでもよくなるような、そんな暴力的な幸福感だった。
「やっぱり、許せませんね」
だがそれでも、消えない怒りがあった。
煮え滾るような激情を忘れさせることはなく、いっそ燃料として油を注いでいた。
ふと顔を上げて部屋にあった姿見で顔を確認する。
「ひどい顔ですね、今の私は……」
なんともまあ酷い顔だ。怒りと憎しみに溢れている顔だ。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというが、それがまさに今だ。
親友であったナギサとミカは、セイアに一番近いところにいたのに守れなかった。
そしてそれはハナコ自身にも当てはまる。
あの時のホシノと、ハルカに麻薬を渡したときと同じ、自身に対する怒りと無力感、罪悪感に苛まれたような顔をしていたのだ。
『ハナコちゃんが決めることだよ』
『ハナコが決断したまえ』
前に二人に質問した時、ホシノもセイアもハナコの選択を尊重すると言った。
もちろん、そんなつもりで言っていたのではないことは理解している。
それでも、だからこそハナコは、自分の好きにすることにしたのだ。
「やっぱり私は、トリニティが嫌いです。たとえセイアちゃんが許したとしても、私は許したくありません」
鏡に映る自身の顔に宣言すると、あれほど重かった心が軽くなった。
心の奥底に押し込めていた重りを捨て去ったことで、身軽になったのだ。
「ああ、気持ちが良くなってきました♡ なにか歌でも歌いましょうか」
気持ちの赴くままに、声を上げたくなったハナコは何が良いかと数瞬思案し、閃いた。
ここはトリニティなのだ。
トリニティらしい、相応しい歌があるじゃないか、と。
「やっぱりここは、キリエにしましょう♡」
カラオケで次に何を歌うか決めるような感覚で、ハナコは鼻歌混じりに歌い始めた。
「『私が殺す、私が生かす、私が傷つけ私が癒す。我が手を逃れうる者は一人もいない。我が目の届かぬ者は一人もいない』」
地獄を作ろう。
「『打ち砕かれよ。敗れたもの、老いた者を私が招く。私に委ね、私に学び、私に従え』」
静かに浸透し、気づいた時にはどうすることもできなくなってしまうほどの地獄を。
「『休息を。唄を忘れず、祈りを忘れず、私を忘れず、私は軽く、あらゆる重みを忘れさせる』」
伝統と格式あるトリニティ? それにあぐらをかいた結果が今の醜悪な有様だ。
「『装うことなかれ。許しには報復を、信頼には裏切りを、希望には絶望を、光あるものには闇を、生あるものには暗い死を』」
諺にも、立つ鳥跡を濁さず、というではないか。
「『休息は私の手に。貴方の罪に油を注ぎ印を記そう。永遠の命は、死の中でこそ、与えられる』」
ヘドロのようにこびりついた陰惨なこのトリニティも、全ての虚飾を取り払って焼け野原にすれば少しは綺麗になるはずだ。
「『────許しはここに 受肉した私が誓う』」
魔女になろう。
誰もが無視できぬほどの悪になろう。
そうすれば……
キリエ・エレイソン
「『────“この魂に憐れみを”』」
そうすれば、浦和ハナコという一人の人生に、何か意味があったのだと思えるかもしれない。
「圧力を掛けられて、下手な役職にでも就けられてしまえば、動くに動けなくなります。そうですね……趣味と実益を兼ねて、まずは水着で礼拝にでも参加してみましょうか♡」
――――――――――――――――――――――――――――
「うへ~、疲れた~」
「あら? ホシノさん、お疲れですか? よかったらどうぞ」
「ありがと~、よいしょ。ん~、ハナコちゃんの膝枕って柔らくてしゅきぃ」
「それで? 休憩に行ったんじゃなかったんですか? なんだかもっと疲れてるみたいですけど……」
「それがさぁ、聞いてよ~ハナコちゃん、さっきジュース飲んでたらカズサちゃんとばったり会ってさぁ」
「あらあら」
「なぜかタイミングかぶることが多いんだよねぇ、ミレニアムには自販機なんてたくさんあるはずなのに」
「……『ばったり』『なぜか』ですか。それはそれは」
「特に会話が弾むわけでもないし、気まずくって早く飲み干そうとしたら睨まれるし、おじさんのメンタルはボロボロなんだあ~」
「カズサちゃんもホシノさんと仲直りしたいんじゃないですか?」
「ええ~? そうかなぁ……ずっと睨まれてるんだけど」
「ツンデレな猫ちゃんですからね、カズサちゃんは」
「そうかなぁ……?」
「ハナコちゃん、最近どう? 補習授業部のみんなとは仲良くできてる?」
「ホシノさん、子供の交友関係を心配するお父さんみたいなこと言いますね」
「ハナコちゃんもそんなこと言うんだ。これでもおじさんは女だよ~」
「うふふ……はい、とっても良くしていただいてます。まだちょっとぎくしゃくしてますけど、ヒフミちゃんもアズサちゃんもコハルちゃんも、また一緒に遊ぼうって言ってくれてますし」
「おお~良かった良かった。ハナコちゃんの未来は安泰だねぇ」
「……ただ」
「うん?」
「皆の気持ちはとっても嬉しいです。でも本当に受け入れてもらってもいいのかな、って時折思います」
「うん、そうだね……よっ、と。もう大丈夫だよ、膝枕ありがと~。んじゃ交代ね」
「それじゃあ失礼します……ああ、ホシノさんの匂いがします♡」
「もう、変態チックなこと言わないの。お仕置きしちゃうよ~?」
「は~い、ごめんなさいせんせー」
「はい、は伸ばさないの~」
「はい……うふふふ」
「まったくもう……ねえハナコちゃん。おじさんもさ、対策委員会のみんなが待ってくれてるから、今頑張ってる。だから全く気にしないってことはできないけど、考えすぎて塞ぎ込むのも良くないよ~」
「でもホシノさんは、ノノミちゃんやシロコちゃんとは最初から仲が良かったじゃないですか。私は補習授業部の皆と会ったのは砂糖を摂取してからなので、最初から騙していたようなものです」
「……」
「今から思えば、本当に友達だと思って接していたのか分かりません。怒りに支配されて都合のいい手駒にしようとしていなかったかと言われると、私は反論できないのです」
「ていっ」
「いだぁっ!? え、え、なんで今デコピンされたんです?」
「もう、ハナコちゃんったら、放っておくとす~ぐ曇るんだから。おじさんが傍にいないとダメだねこりゃ。噂のセイアちゃんにも厳しく言ってもらわないと」
「……」
「ねえハナコちゃん、補習授業部に居たときは『砂糖』を摂取していなかったよね。それはどうして?」
「それは……『砂糖』を食べたら怪しまれるので、副作用を堪えて我慢していたからです」
「そうだね……でもね、我慢しますって言って、簡単に我慢できるようなものじゃないんだよ? でないとあんなに中毒者は増えない。あれは意志ある悪意そのものだから」
「え? でも……」
「自分は大丈夫だった。たまたま副作用が弱かった?」
「……はい」
「うへへ……実はさ、『砂糖』の特効薬、おじさん見つけたんだよね。つい最近なんだけど」
「え!? ほ、本当ですか? あれはレッドウィンターの雪じゃないと無理って結論が出てたと思うんですけど……」
「仮説の域を出ないけどね……よかったら砂糖研究の第一人者の話を聞いてみない?」
「よろしくお願いします。ホシノ博士」
「博士かぁ……うへへ~良い響きだね。それで仮説なんだけど、サンプルが3人しかいなくてさ。そのせいで立証難しいんだよね」
「さ、3人!? それじゃあデータが足りないですよね」
「そうなんだよ~。で、実はそのうち2人はハナコちゃんと、ハルカちゃんだ」
「ええ!?」
「ハルカちゃんはね、アルちゃんと出会ってからきっぱり砂糖を止められたんだよ。おかしな話だよね。中毒で苦しんでる人が大勢いるのに、一人だけ無事なんて。その時はこういうこともあるかと流してたんだけど、ハナコちゃんのことがあったから何かカラクリがあると思って共通点を探したの」
「共通点……私とハルカちゃんで?」
「うん。『砂糖』は人を幸せにする。でもそれは脳内の快楽中枢を人工的に刺激して幸福感を味合わせているだけにすぎない。だから薬なんかに頼らないで、誰かと絆を深めて自然な情動の幸福感を得ることができれば、それは薬なんかに負けない力になるんだ」
「でもそれだと、心配してくれる人たちがいたのに『砂糖』の誘惑に負けた人たちがいるのがおかしくはないですか?」
「そこがこの『砂糖』の嫌らしいところでね。人工的な幸福感は今まで感じた幸福感をベースにしてそれを上回るように快楽を叩き付けてくる。だから今仲良しな子が居ても効果が薄い。別の人と新しく絆を深めて、別種の刺激として幸福感を得ることが必要なんだ」
「……でも都合よく仲良くなれる良い出会いなんてありません。人間関係が希薄な人はそもそも出会おうとはしないですし、仲良しな子が大勢いたら尚の事外の出会いを探そうなんて思わないでしょう」
「そゆこと。一種の『脳が焼かれる』と言われるくらいの出会いが必要なんだろうね……うんうん、そう考えると、この話の肝はやっぱり先生になるんだよね」
「先生が……シャーレですね?」
「どこにも属さないシャーレで、どこにでも干渉できる権力がある、これが一年、いやもう二年近く前か……私が砂糖を見つけたときにシャーレがあって、その時私が先生と出会っていたら、もしかしたら『砂糖』が蔓延することは防げたかもしれないね」
「それは……結果論です。そもそもその時シャーレはまだ設立前でしたし」
「そうだね。言っても意味のないことだ。でもこの仮説を信じてくれるなら、ハナコちゃんの我慢が通用したことも立証できるね」
「……あっ」
「前にミレニアムのユウカちゃんが言っていたんだ~。『私たちは今日この瞬間を絆と定義し、証明することになるでしょう』ってね。騙していただとか、本当は友達と思っていなかったとか色々言っていたけど、ハナコちゃんは補習授業部の皆との出会いが、絆を深めたことが間違いじゃないって既に証明していたんだよ」
「……ごめんなさい、ホシノさん。ちょっと」
「うんうん、おじさん話疲れたから、ちょっと目をつぶってるね」
「……ありがとうございます」
「気にしない気にしな~い、そういうときもあるよね~」
「ホシノさん、そういえばさっきの仮説、3人って言ってましたよね」
「……言ったね」
「あと一人って誰なんです?」
「それは別に大したことじゃないよ~」
「はぐらかしますね。聞かせてくださいよ。ずいぶんと仮説が具体的だったから何か知っているんでしょう?」
「うう……おじさんだよ、最後の1人は」
「そうなんですか?」
「うん……『砂糖』摂取後の誰かとの出会いは、おじさんにも適用されている。『砂糖』に翻弄されて、先の見えない暗闇で足掻いていた時だね。あの夜、ハナコちゃんと出会った。おじさんが『砂糖』を食べていることを知っても、ハナコちゃんは突き放さなかった。それが『砂糖』の摂取量が増加するのを防いで、一年以上発狂するまでの時間が遅くなったんだ」
「ホシノさん、私はそんなつもりじゃ……」
「分かってる。これで『お前がもっとしっかりしていれば』なんて、ハナコちゃんにどうこう言うつもりはないよ。でもこれだけは言っておきたくて」
「……」
「ハナコちゃん、君との出会いは幸福に満ちていた。それは私たちの絆が証明している」
「ホシノさん……
そういうところですよ」
「そういうところ!? え、今おじさん結構良いこといった気がするんだけど! ヒナちゃんもミヤコちゃんも言うけどさ、流行ってんのそれ? おじさんには分からないから主語をちゃんと言ってよ~」
「うふふふふ……」
「あの夜の出会いは、私の独りよがりではなかったんですね。ホシノさん……貴女と出会えたことが、今もなお私の幸せなのです」