泥棒猫の話

泥棒猫の話


両親が死んだときも、泥棒の濡れ衣を着せられたときも、メソメソと泣いているわけにはいかなかった。

私には妹がいたから。

私が潰れたら、きっとまだ小さい妹までダメになってしまう。

「薄汚え泥棒猫の分際で、反抗するんじゃねえ!」

「げほっ…、ちがっ、違、う!やめて!本当に違うんです!」

今だってそうだ。

どんなに理不尽なことがあったって、耐えなきゃいけない。

髪を引っ張られて廃屋に引きずり込まれたって。

そのまま転がされて蹴っ飛ばされたって。

「大人しくしろよ。妹に代わってもらうか?」

「……!」

泣くな。

「お前が悪いんだろうが。何度も何度もコソコソ倉庫に忍び込みやがって」

耐えろ。

「なに固まってんだよ。腰浮かせ。早く!」

こんな奴に負けてたまるか。

「はー、わかっちゃいたけどまだ色気も糞もねえな。お前いくつだっけ?」

「…私は泥棒じゃなっ…!……ぅ…」

殴られるのがなんだ。

「ガリガリだなあ。働き先でも紹介してやろうと思ったけど、その胸じゃ稼げねえぞ」

耐えろ。耐えろ耐えろ耐えろ。

「どうだ?」

「……気持ち悪いから、やめて、ください」

「はーあ、白ける白ける。貧乳は感度がいいって言うのになあ」

こわい。耐えろ。耐えろ。

「い"っ…!やめて、痛い!痛い!」

「ロクに濡れもしねえな。しゃーない唾液で濡らすか」

こわい。こわい。こわい。

「やだ!やめて!やめっ…!

 ぎっ、んぎ…っ、――――っあ"、

 う"あっあぁぁ!痛い痛い痛い!!」

「うおー…きつ。お前処女だったのかあ。もう遊んでると思ってたよすまんすまん」

痛い痛いこわい痛いこわい痛い!!

「っはあ…、これはおしおきなんだよ。ほらおしおきだ、おしおき、おしおき」

「うぐっ、う、ぐぅあ、うっ、うう、ぅ…」

………泣くな、泣くな、泣くな…

「お"ぉー、いいっ、いいなっお前、妹も、楽しみだ!ほら、出すぞ受け取れ!オラ!」

「あう、う、ぐ…!」
















「……ぇちゃーん…」

もう泥棒なんてすんなよ、とその男が銅貨数枚を投げ捨てて消えていってから、どれ位時間がたっただろうか。

「リズねえちゃーん…」

自分を探すか細い声で、私は我に返った。

飛び起きて散らばっていた金をかき集め、脱がされた服をひっつかんで大急ぎで廃屋の裏から飛び出す。

「どこー…?」

決して見られないように。

裏手の川へと駆けて、迷うことなく飛び込んだ。

掴んだままの服で体をゴシゴシこする。

こする。こする。こする。こする。

赤くなってもこする。

皮が剥けて、血が川に溶けていくのを見てやめた。

そこ以外からも流れていく赤がある。

その発生源―――股の間に指を突っ込んで必死で掻き出した。

嫌な感覚が消えない。

まだ残ってる。まだ。まだ。

「あっ…」

取り落としてしまった銅貨を四つん這いになって探す。

惨めだった。

溢れそうになる涙を堪える。

これは水。川の水だ。



「リズねえちゃん…?」

妹が追いついてきてしまった。

仕方がない。ずぶ濡れのまま、なにも身に着けずに川から上がる。

「いやー服汚しちゃってさ…で、川で洗ってたら、底にお金見つけたんだ」

うん、無理がある。殴られた跡も自分で皮を剥いた場所もあるのだ。この服だって、着てしまえば破かれたのがわかってしまうだろう。

「……これでおいしいものでも食べいこっか。ね、キット」

それでも、もうこれで通すしかない。

妹は眉根を下げてなにか言いたげにしていたが、コクンと頷いてくれた。

――――妹も楽しみだ!

その不安そうな顔を見て、先程の濁声が蘇る。


今日、町へ下りよう。

そして、この集落にはもう戻らない。


















町の教会を頼った私達は、すぐに保護された。

学校も兼ねていて、そこでの教育は集落よりもずっとレベルが高い。

その代わり、課された義務があった。

週で変わる部屋の掃除。交代での食事の準備。洗濯。乳児の世話、幼児の面倒を見る。


そして。






「……使い古し、だったんですか。……………はーぁ……」

「うぅ…、い、痛いです、もう少しゆっくり…」

「もう穴開いてるんでしょう?我慢なさい、まったく…」

神父様への奉仕。

優しかったそいつは、私が「使い古し」だとわかった瞬間乱暴に扱うようになった。

私はというと、覆いかぶされると怖くて体が動かなくなってしまう。

ただ震えるだけの、反応を返さない使い古し。

それでも、見た目が気に入られたようで、彼は根気よく私を教育した。

性技を教え、道具や薬を使って開発を試みたようだ。


体に膜が貼ったような感覚。

現実感が希薄で、自分が自分じゃ無くなっていくような気がする。

体が勝手に曲がったり伸びたりする。

そうだ、これは私じゃないんだ。

よだれを垂らしてはしたなく喘いでるのも。

そいつのおしりに舌を入れているのも。

口の奥まで突っ込まれて、吐き出してしまったものを舐めて掃除しているのも。

操り人形みたいに、裸でカクカクグネグネ踊っている。

これは神父様の玩具。私によく似た人形だ。



「リズねえ…さいきん、どこいってるの?」

私が私に戻れるのは、妹の前だけ。

でもそれでいい。

妹の前で正気でいられるなら。

妹の平穏を守れるなら。

「恥ずかしながら補習ばっかなのよねえ。あれキット、何作ってんの?」

「……んふー、ナイショ。」

そういえば。

今月は私の誕生日があるんだった。




私は潰れない。

大丈夫。これは私じゃないんだから。

「フェリジットさん、本当に上手になりましたねえ」

口いっぱいにペニスを頬張る。

去年の今頃は、次の誕生日は何をねだろうかなあなんて考えていたっけ。

「うんうん。君はおねだりが得意ですね」

ケーキなんてあれ以来食べてない。

キットのお誕生日、そういえばなにもあげられなかったな。

「ご褒美あげますよ。なにか欲しい物ありますか?」

「おやすみが…」

人形が口を利いた。

おやすみがほしいです。

明日の誕生日はゆっくり過ごしたいです。 

彼は眉をひそめたが、いいですよと返した。



ノックもせずに部屋に戻ったとき、妹は慌てて持っていたものを隠した。

机の上の、可愛らしい紙とリボンの切れ端は置きっぱなしで。

ありがとうねキット。

もうお誕生日は過ぎちゃったけど、私もなにかプレゼントしなきゃな…






そして翌日の夜。

キットの姿は部屋になかった。


私はその日に限って本当に補習を受けていて。

他の子に聞いても、先生に聞いても誰も何も知らない。

耳を凝らしながら施設内を歩き回る。

普通ならキットと呼びながら歩くところを、私はそうしなかった。

嫌な予感がする。

その正体をわかりたくなくて、妹の気配を求めて歩く。

いない。

いない。

いない。

目はカラカラだ。

耳がよく知っている呼吸を捉えた、気がする。

気がするだけだ。

嘘だ。幻聴だ。

その場所は、あの男の部屋の前。

嘘嘘嘘。

耳を更に近づけて、

『やだぁ!リズねえぇ!』

そんな声を聞いたら、もう認めるしかなかった。


時間の流れが、酷くゆっくりに感じられる。

ドアを開けて。押し入って。そいつの見開いた目。キット。目に涙。ふたりはベッドの上。隠し場所は知っている。鞭を掴んで。

締めた。締めた。締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた締めた





「リズねえちゃん……」

自分の腕にそっと手を置く妹の声。

自分の荒い息。

それ以外なにも聞こえない。

そいつの呼吸音が聞こえない。

そっと手を離すと、支えを失った蒟蒻みたいにぐんにゃりとベッドから床に落ちた。

恐る恐る足で小突いてみる。

反応なし。

蹴る。

反応なし。

もっと蹴る。

骨が折れる音は聞こえた。

反応はなし。

「死んだ」

確認するように呟いた。

殺したんだ。

妹を見る。

乱れが見えたが、服は着ている。

そして、怯えた目で私を見ていた。

手を伸ばしたら、びくりと体を震わせる。

自分がどんな顔をしているのかわからない。

妹の前だというのに、あの膜に遮られた感覚がある。

遠のいていく現実を必死で捉える。

「キット」

人殺しの声が聞こえる。

「逃げるよ」

その声は、私の口から出ていた。












 












妹を守る。

それ以外どうでもいい。

認めよう。あの人形も人殺しも私だ。

盗みだって始めた。

汚らしい泥棒猫。

開き直った途端、心が楽になった。

自分を守る膜はもういらない。

だってどうでもいいのだから。



「はぁっ、ああ…、いいっ、気持ちいいですっ」

このひとで4人目。

終わったらキットの元に戻って、私も寝よう。

壁に手を付いておしりを突き出した私に、小柄なおじさんが覆い被さるように密着している。

汗ばんだ首筋を舐められる。

膨らみのない胸を掴んで、乳首を転がしている。それは以前より黒ずんでいる気がする。

「もっとぉ…、う、ん、ぁんっ、もっとくださぁい」

男を喜ばせる声は、「教育」によって学んだものだ。

そこは感謝している。だってこうして稼げているんだから。

昼は泥棒。夜は売女。

今更そんな体がどうなっても、どうだっていい。

残っても仕方のないモノだから、使えるのなら使い潰してしまおう。



町外れの廃屋。

今妹と隠れ暮らしているのは、その木に半分飲み込まれた雑草だらけの家。

足元の枯れ枝を踏まぬように、妹を決して起こさぬように、慎重に慎重に帰宅する。

壊れたドアをそっと押しのけ、短い廊下を渡って奥の部屋へ。タンスで作った壁の隙間を縫って入る。その隅の大きな木箱。妹を隠して閉めた筈のその箱は蓋が開いていた。

心臓がギュッと冷える。

それを覗き込もうと歩を進めて、

「リズねえ」

「うひゃあ!」

壁際の死角から話しかけられた。

「出ちゃってたの?」

「うん。まだほんよみたかった」

見ると、床には買い与えた本が広げられている。月明かりを頼りに読んでいたようだ。

盗むには大きすぎるそれは、買うしかなかった。でもそれでよかったと思う。

「それにおきたらリズねえいなくて。…ねえ、どこいってたの……?」

「目、悪くするわよ。もう寝ましょ」

どっこいしょと妹を抱えて、一緒に収まった。中は見た目よりも広く、姉妹で転がってもちょっとだけ余裕がある。

「夜は稼ぎ時なの。みんなこうして寝ちゃうでしょ。だからほら、たくさん盗ってきちゃった。…それとキット、約束は?言ってみなさい」

「………ぜったい、そとにでない」

「そう。外には怖いおばけとか狼さんがうろついてるの。姉ちゃんは強いからいいけど、キットはまだだめ」

「おばけ………」

妹の瞳がパチクリと光った。

「おとうさんとおかあさんはおばけになっちゃったんだよね?あえる?あいにいってるの?」

「………」

死んだ、なんて一言も伝えていない。会えなくなった両親が死んだこと。死んだらどうなるかを、もうわかっている。

賢い子だ。私がしていること、キットがされかけたことの意味。それがわからないうちに足を洗うべきなんだろうな、とは思う。

「……いいおばけはね、天国に行っちゃうんだ。だから会えるのは悪いおばけだけ」

「こわくないの?」

「こわくないよ。姉ちゃんもう大人だから。キットも、一人で出るのは大人になってからね」

「こどもでしょ」

「大人なの。さ、いい子だからもうおやすみ」

そう、私は早く大人にならなくちゃいけなかった。

親のいないこの子の、親代わりになれるように。

足を洗うことなんてできない。なにかあっても後悔のないように。今はこんなガキの体で出来ることは全てやって、お金をたくさん遺さないと。

……泥棒猫の噂が立ち始めている。この町で盗みはもう限界かな。ここで寝るのも今日までだ。



栄養があって新鮮で、おいしいものを食べる。

ボロじゃない、清潔な服を着る。

本を読んで勉強する。 

かつて家族4人でそうやって暮らした、当たり前の生活。

足りないものがあっても、少しでもそれに近い生活。

ただ妹にそれを与えたかった。

押し付けたかったと言ったほうがいいのだろうか。












「けほっ」

「この町はずいぶんとほこりっぽいねえ」

妹を連れて次の町にやってきた私は、とりあえず人通りを見てぶらついていた。

仕事しやすそうな場所、妹を隠して眠れそう場所は、と。

道行く人は他と大差ない。乞食に浮浪者、露店に娼婦。そして客。

顔中にぶつぶつを作った人もいれば、建物の陰で腕を傷付けて粉を擦り込んでいる人もいる。性病にドラッグか。性病はもう諦めるとして、ドラッグは本当に気をつけたい。

顔を浮腫ませた売女と目が合ったので笑顔で会釈してみた。睨まれる。怖い怖い。ナワバリってもんがあるからね。やっぱり長く留まって商売するのは難しそうだ。

2人分の水とパンを購入して細い路地に入った。娼婦だったのだろうか、目の落ち窪んだ女が垂れた乳を丸出しにしてぐったりと横たわっている。私もああなるのかな。思わず妹の瑞々しい手をキュッと握って歩いた。そしてもう片方の手も、服の下に持っているものの感触を確かめる。更に歩き、近くに死体以外の人の気配が無いことを確認して改造ポケットからそれを出してみせた。

「えーっ?きづかなかった!」

「マネしちゃだめよ?おっ、思ったよりあんじゃん」

通行人から抜き取った財布を開け、中身を数えてみた。紙幣が3枚に鉄貨十数枚。それを自分の財布に移す。元の財布は燃やしてしまわないと。獣人は鼻がいいから、このまま捨てると匂いから犯人がバレてしまう。しかしこれで、しばらくは食っていけるだろう。

日はすっかり落ちていた。もう少し歩いて、隠れ家が見つからなければ路地で寝るか、安宿でも探さなくてはいけない。

その前に、一旦パンでも食べてひと休みしよう。妹も随分歩かせてしまった。

妹がまじまじと見ないように、道端の砂埃に塗れた死体から離れるように手を引いて、そこで初めて気がついた。

死体じゃない。生きている。


「……」

財布から財布に金を移すところ、私が結構な金を持っているところを見られたかな?

恐る恐る覗き込んでみた。

年の頃は自分と同じくらいか、少し下に見える。鳥人の子どもだ。砂を纏った羽混じりの髪がふわふわとそよいでいたが、片方しかない背の翼はぐったりと落ちている。リンチにでもあったのか、血のこびり付いた顔は青白く、瞼は固く閉ざされていた。骨張った手を通路側に伸ばして力なく横たわっている姿は、中身の抜けた袋みたいだ。

ためしに、パンの匂いでも嗅がせてみる。

反応なし。


自分がなんでそんなことをしたのかわからない。

なにも考えてなかったのかもしれない。

気がついたら、「…いる?」と声をかけてしまっていた。

返事がない。

ただの屍のようだ。

「……」

あんたにあげたんだけど。

妹の無垢な瞳の前では引っ込みがつかない。その手に、パンを落としてやる。

ややあって、そいつが目を開けた。

磨りガラスみたいな瞳と目が合う。

曇っていて、感情が推し量れない。とりあえず困惑しているようだ。

そして、せっかくやったパンを食べる気配がない。

「だいじょうぶ?」

妹がしゃがみ込んで触り始めたので、「ばっちいからやめな」と制した。なんの病気持ってるかわかったもんじゃない。

それは私もなんだが。

きれいな水もくれてやることにした。悪いものではないと示すために一口飲んで、その瓶を開いた口に突っ込んでやる。

突然の流水にごぽごぽと苦しげだったが、なんとか飲めたようだ。空腹なら、これでパンを食べる気になるだろう。

あんなにぐったりしていたのが、元気に咳き込む姿を見て少し安心した。貴重な水と食べ物を失ったというのに、なぜだかいい気分になる。

ふと思い出した。そういえば、お父さんとお母さんが生きていた頃は、大好きなおかしを友達と分け合うのが好きだったっけ。

瓶を取り上げて、残りの水を飲み干す。自分は随分変わってしまった。根無し草、貧しい売女、汚い泥棒の身分でなにをやってるのだろう。

くれてやったパンを拾いたくなる前に、立ち去ることにした。

「ねえ、リズねえのぶんは?」

「私の分は別で用意してるから。あんたも早く食べちゃいな」

かわいそうだとは思うが、妹以外の浮浪児に構っている場合ではないのだ。



案の定、だ。

しばらく歩いたところで、追ってくる気配を感じた。

「やっぱりね…。物乞いに施しなんてするもんじゃないわ」

「さっきのこ?げんきになったね!」

「そーね、元気そうでなにより。逃げるよ!」

こっちにも余裕なんてないのだ。タカられても困る。

妹も、もそもそと頬張っていたパンの残りを全て口に仕舞って張り切って歩いてくれた。歩き詰めで疲れたろうに、我が妹ながら本当にいい子だ。

姉妹でフードを被り、砂埃とごちゃついた人並みに紛れて歩く。香水やらごはんの香りやらヤクの匂いやら腐敗臭で空気がぐにゃりとひん曲がっているようだ。でも、おかげで鼻で追われることはないだろう。

追手から逃げるなんて慣れたもんだ。そいつは私達に気付かずに町の出口へ歩いていく。

念の為、出ていくのを確認しよう。




そうして、片翼の少年は去っていった。

彼が消えていくのを見届けて、小さな影がふたつ、夜の町へ戻っていく。

まだ知る由もない。彼女らにとって、それが長い旅を共にする相手だとは。

そう遠くない先に彼らはふたたび巡り合うことになるのだが、それはまた別の話である。

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