泡の向こうの君
「……っ!?!?」
半開きだった扉を慌てて閉めた。
見られてた。ルフィに思いっきり見られてた。
思わず叫んでしまいそうだった……のを、何とか我慢する。
「……んー……?」
これ以上部屋の中で騒いで漸く寝付けたナミを起こしてしまっても忍びない。
それに、ルフィに見られていたことをナミが知ってしまったらきっと私以上に取り乱す。
「……はぁ。しょうがない……」
意を決して女子部屋の外へ出る。
変わらず怪訝な顔をしたルフィがそこにいた。
「な、何してるのルフィ?女の子の部屋を覗くなんてえっちだよ?」
「んあ、悪りィ。ウタとナミが何かしてるの見えたからよ。
なァウタ、今のって……」
「うん?」
「ウタが人形だった時、洗濯した後にナミがよくやってたやつか?」
「………………」
誤魔化せるなら誤魔化したかったけど、思ったよりガッツリ見られてたらしい。
こんな時だけ鋭いんだから……こうなったらもう下手な誤魔化しも逆効果かな。
「……そうだよ。何かナミが疲れてたからね、やってあげたの」
「ふーん」
「ルフィもちゃんとナミのこと労ってあげないとダメだよ?ナミも毎日大変なんだから」
「そうだなァ……」
ほんの一瞬の沈黙。
それを破ったのはルフィだった。
「……なァウタ」
「なに?」
「おれも今のやっていいか?」
「……うん?」
想定外の質問に思考が停止した。
遅れてやって来る動揺。
「……え、ルフィもやりたい、の?今の……」
「うん。ダメか?」
「い、いや、ダメってわけじゃないけど……
……ちょ、ちょっと待って」
ジェスチャーで声量を抑える様に促してから甲板を見回す。
ガシャガシャというゾロの鍛錬器具の音が聞こえるだけ。他に人影は見当たらなかった。
それなら、ゾロから見えないところに移動すれば大丈夫……?
あ、でも待って?
さっきのナミので多分変な汗かいちゃってるし……
もし万が一、いや億が一、汗のニオイとかしちゃったら……
いやでも、今更ルフィがそんなこと気にするとも……
いやいや!どうせ吸われるならちゃんとキレイで良いニオイな私を吸って欲しいし……
「……何ぶつぶつ言ってんだ?」
「はうっ」
………………
……考え様によってはいいチャンスだ。
普段ならナミ達に止められることでも今ならできる。
「……じゃあ、ルフィも私のお願い聞いてよ」
「ん、何だ?」
「……お風呂、一緒に入ってよ」
「はァ?風呂?」
「ちょ!!声おっきい!!」
明らかに私の声の方が大きかったけどそんなこと言ってる場合じゃない。
「あ、悪りィ。でもなんでだ?ウタさっき入ってたじゃねーか。
それにもしバレた時シバかれるのおれなんだぞ……」
露骨にげんなりされるとちょっと傷つく。
でも私はめげない。
「いいじゃんたまには。ナミ達には私が謝り倒すからさ」
「謝って聞いてくれるかァ?まあいーけどよ……
でもなんでそんなにおれと風呂入りたいんだ?」
「んー、お風呂に入りたいというか……
久しぶりにルフィに洗ってほしいんだ。人形だった時みたいに、やさーしくね」
ふにふにと自分の二の腕を掴んでみせた。
その言葉を聞いたルフィの表情がふっと明るくなる。
「あー、何だそういうことか!それならいいぞ!また洗ってやるよ!」
「やった!ありがとうルフィ!でもちょっとだけ待って……」
最終確認。甲板にいた唯一の傍聴者に視線を向けると……
「…………別に何も聞いちゃいねェよ」
ゾロはめんどくさそうに、ため息をつきながらそっぽを向いた。
でもなんとなく声が穏やかだった気がするのはなんでだろう。
まあいいか。ゾロなら多分大丈夫、変に告げ口したりはしない。はず。
「んじゃ行くか」
「うん」
──────
「あ〜……あ゛あ〜〜……」
我ながらひっどい声が漏れ出る。
ルフィってばテクニシャン。
「すんげェ顔崩れてんぞウタ」
「むり……きもちい……」
シャンプーされてるだけなのにすごく気持ちいい。
上手い具合に泡が目に入らない様にしてくれてるから、鏡に映る蕩け切った自分の顔が嫌でも目に入る。
「ふゃあ……///」
「流すぞー、目閉じとけよー」
「ぁぃ……」
ああ、終わっちゃう。名残惜しい。
もっと、もっとやって(洗って)ほしい。
「身体はどうする?」
「お……おねがいひまひゅ……」
「ん、分かった」
言うが早いか、念のために巻いていたバスタオルを取っ払った。
背中を向けているとは言え、生まれたままの姿をルフィに曝け出す。
ドキドキしながら待っていると、ルフィの意外とゴツゴツした手が私の腰の辺りに触れた。
あ、素手なんだ。
「っ」
「じゃ洗うぞー」
素手だったことにちょっと驚いたけど、考えてみれば別におかしなことでもなかった。
人形だった時はタオルなんて使ってないもんね。
……それに、こっちの方が、うれしい。
「気持ちいいのか?」
「んー……」
むにむに、ふにふに、ごしごし。
人形と人の身体じゃ勝手も全然違うだろうに、ルフィの手つきはすごく優しかった。
脇腹から腰、背中にかけて丁寧に洗われていく。
気持ちいいのはもちろんだけど、頭とは違って気持ちいいより先にくる感覚があった。
「……ん……く、ひゅ……」
くすぐったい。
さっきとは違う変な声が出ちゃう。
だめだめ、我慢しなきゃ。
「……んひ……ひっ」
全然我慢出来てないじゃん。
へっぽこかよ私。
「さっきから何変な声出してんだ?」
「く……くすぐったい……」
「……へー」
……何今の間。
まさかルフィ何か変なこと……
(つぃー)
「ひぃん!?」
「おー、効いた」
脇腹をつっと撫でられた。
それだけでとんでもない声が出てしまい顔が真っ赤になる。
「な、何してるの……!?」
「ウタはこういうのに弱ェんだな、いいこと知ったぞ」
「ちょ……」
\ひあぁ〜〜〜っ!!!/
──────
「ひ、酷い目にあった……」
「なっははは、悪りィ悪りィ。ちょっと楽しくなっちまった」
「もう、ルフィのばかぁ……」
結局洗われてたのかくすぐられてたのか分からなくなってしまった。
ルフィ以外には見せられない(ルフィでも恥ずかしい)醜態を晒してしまって赤くなった顔がまだ戻らない。
でも、嬉しかったこともちゃんとある。
「……優しかったよ、ルフィの手。人形でも人間でも関係ない」
「ん?んー……昔じいちゃんにぶん殴られたからな」
「ガープおじいちゃんに?」
「大事な人形ならもっと丁寧に扱ってやれってさ。最初は捨てろだの没収だの言ってたくせによ」
「そうだったねー……でも、それは人形だった時の話じゃないの?」
「人形でも人間でもウタはウタだろ。今更おれが傷つけるわけにはいかねェよ」
「……そっか」
「けっこー気使ったんだぞ?ウタの身体柔けェし、白いし、何かツルツルしてるし……」
「わ……分かった分かったみなまで言わなくていい恥ずかしいそれ」
「………………」
「……ウタ?」
「……私さ、人間に戻れたらやりたいこと色々あったんだ。
その中に『ルフィにまた洗ってもらう』ってのもあってね。
……ヘンかもしれないけど、そういうやりたかったことが一つずつ叶っていくのって、すごく嬉しいんだよ」
「…………」
「……なんてね。一応私は女の子で、ルフィは男の子だから、ナミ達が止めるのも分かるんだけどね」
ぽつぽつと言葉を紡いでいく。すると……
ぽん、と軽い衝撃と共に、ルフィの手が私の頭に置かれた。
「?」
「……またやって欲しけりゃ言ってくれよ。そん時ゃまた今日みたいに洗ってやる。
でも、くれぐれもナミ達にはバレねェようにしてくれよ。さっきも言ったけどシバかれんのはおれなんだ」
眉尻を下げたちょっと困ったような笑顔を浮かべながら、ルフィは私の頭を優しく撫でてくれた。
私にとっては安心感と温もりの象徴でもある優しいその手が、たまらなく愛おしい。
「……ルフィ」
「んじゃ、今度はおれの番だな!」
「へ?」
「さっきナミがやってたやつ!あれやらせてくれるって約束だろ?」
「あー……そうだったね」
元はと言えばルフィに変なもの吸わせないためにお風呂に入れてもらったようなものだ。
元より抵抗する気もないけど、大人しく観念して吸われることにする。
「じゃあ、どこがいい?ナミみたいにお腹にする?それとも……」
「んー、そうだなァ……
……よし。ウタ、ちょっと向こう向いてくれ」
「向こう?」
指示通りくるりと後ろを向くと、後頭部に何か触れるものを感じた。
「うひゅっ……!?」
「ここがいいな。さっき洗ってやったところだし」
正直ちょっと予想外だったけど、これはこれで悪くない。
つむじの部分がモゾモゾしてくすぐったい。でも、このぐらいなら何とか……
ガシッ
「!?」
不意にルフィの両腕が私の身体を後ろから包み込んだ。
いつか雑誌で見た『あすなろ抱き』っていうやつかな……
「る、ルフィ?」
「……もう何処へも行かねェでくれよ」
「!」
そのままぎゅうっと締め付けられる。
両腕の外側から抱きしめられてるから、抵抗しようにも逃げられない。
もう絶対に離さないという強い意志を感じられた。
「……いきなりどうしたの?」
「んー……」
「心配しなくても、私は何処にも行かないよ」
「んー……」
「……でも、また悪い人たちに酷い目に遭わされちゃうかもしれないから……」
「…………」
「離れないように、私のことちゃんと捕まえててね」
「……当たり前だろ」
……寂しがり屋なのは変わんないな。
今だともう私の方が寂しがり屋かもしれないけどね。
「……もうちょっと、こうしててほしいな」
「いいのか?」
「うん」
「……分かった」
それだけ言うと、ルフィは私の後頭部に顔を埋めたまま動かなくなった。
さっきルフィが洗ってくれたし、大丈夫だと思うんだけど……
髪の毛のニオイは流石に自分じゃわからないなあ。聞いてみよ。
「……いいニオイする?」
「ああ、する」
「……そっか。よかった。
……私、今日だけでやりたかったことが2つも叶ったよ」
「……そか」
ルフィの腕に包まれている。
それだけで私は笑顔になれる。
人間に戻ってからの私は、どうも人よりも五感が敏感になっているらしい。
目や耳だけじゃなくて、味覚も触覚も嗅覚も、全てが「今私は生きている」という事実を謳歌しようとしてるのかな。
そのせいか、ルフィと触れ合ってる今、顔では笑顔になれているけど、胸の中はどうにも穏やかにはなれそうにない。
感情がどんどん昂ってくる。もう少し何かで刺激されれば、私どうなっちゃうんだろう……
……なんてことを考えていたら。
「 ウタ 」
「!!?!?」
……油断大敵だった。
ルフィの腕の中で蕩けていたら、不意打ちをモロに喰らう羽目になった。
後頭部からルフィの顔が離れたかと思えば……
耳元で一言、私の名前だけをぽつり。
本人にその気はないかもしれないけど、高鳴りっぱなしだった私の心臓は一層ギアを上げる。
「ちょ、ちょ……ルフィ……」
「───」
「 ヒュ 」
間髪入れずトドメの一撃。
その時ルフィの口から放たれたほんの数文字は、しかし私にとっては刺激の強すぎるものだった。
あっという間に意識が吹っ飛んだから、何を言われたかがよく思い出せないのが惜しい。
でも、もう一度言ってってお願いする勇気もない。
というか、しばらくルフィの顔まともに見られないかもしれない。また揶揄われちゃう……
「きゅ〜……///」カクン
「あっ、ウタ!
……参ったな……どうしよう」
……でも、それはルフィにとっては好都合だったらしい。
私の意識が落ちる直前、鏡に映ったルフィの顔が見えた。
その顔は、私に負けないぐらい真っ赤だった。