決戦、真世界城上空にて (4/4)
「うっ……ここ、は……?」
コツ、コツと靴が硬い石床を鳴らす音連動して身体が揺れる感覚。揺りかごに揺らされて寝ていた赤ん坊のような心地よさを感じつつもリリーはゆっくりと瞼を開いた。
まず目に見えたのは長い焦げ茶色の髪が生えた後頭部と綺麗なうなじ。そして此方が目覚めたことで小さく振り返ったことで見える見知った顔だった。
「おや、起きましたか姫様。意外と早かったですね」
「な……バルバロッサ、貴方───!」
リリーは激昂しながら彼の頭を全力でぶっ叩く。普通ならそのまま後頭部を叩き割れる程の威力だが……今回はどうしてかぽかっという音しかでなかった。
「え?な、なんで……」
「俺の聖文字の力で姫様の聖文字と霊子回路を封印しました。霊子も全部俺の支配下にありますから、抵抗に意味はありませんよ」
「なっ、なっ、な、ぁ……!?」
とんでもないことをさも当然のように言ってくるこの男に絶句しながら直ぐ様身体の状態を確かめてみるリリー。そして聖文字も、動血装や静血装も、霊子の操作も、果ては聖別すら不可能になっていたことを認識した。
つまり今のリリーはそこらの小娘と大差無い状態であるということ。一瞬だけ自分を背中に背負っているバルバロッサに襲われることを予想して恐怖するリリーであったが。
「……いや、ないですね。ないない」
「何がですか?」
「…………なんでもないです。はぁぁぁ……」
このバンビ馬鹿がそんなことをする筈がないと、およそ全ての力を剥奪されたリリーは抵抗を諦めて友人の背中に身体を預けることにした。何より散々聖文字の力を乱用したせいか身体が異様に倦怠感を覚えている。
仮に力を封じられていなかったとしても、バルバロッサの一体どこから出てきているのかわからない無尽の体力の前ではあっさりと制圧されるのが関の山だろう。
「……バカ、アホ、アンポンタン、女たらし、女の敵、イケメン」
「はいはい。耳元で悪口言わないでください」
「うるさいです。私をいじめたのだからこれくらい我慢なさい」
「我が儘お姫様め……それはそうと一つ聞きたいのですが───貴方は本当にユーハバッハの計画に賛同していたのですか?」
その問いにリリーのバルバロッサの肩を握っていた手に力が籠る。
リリーが陛下を慕っているのは事実だ。彼の計画にも一応同意はしている。これでも彼女は正統後継者にして時期女王、ユーハバッハの真意を知らない方がどうかしている。
しかし彼女がユーハバッハの計画に賛同したのは、別に死の無い世界を夢見たからではない。動機はそんな複雑なものでもなんでもない。
ただ、彼女は───
「……騎士団のみんなと……ユーゴーや、バズと……ずっと一緒に、居たかった……死なない世界で、みんな一緒に……平和に、過ごしたかった……」
「それは境界の消えた世界でなくとも出来たことでしょう。それに───ユーハバッハは最終的に貴方と雨竜以外全員を聖別する腹積もりだったでしょう。であれば、貴方の望みと行動は矛盾している。……奴に付き従い続けていれば、貴方が本当に欲しいものは何も残らないのだから」
そう、彼女の望みとユーハバッハの行動は致命的なまでに衝突し合っていた。彼女は騎士団や幼馴染み二人の生存を望んでいるが、ユーハバッハの計画は彼らの生存を欠片も勘定に入れていない。
いくらリリーに甘い彼とて、計画に必要になれば容赦なく全員に聖別を行い命ごと力を奪うだろう。少なくともハッシュヴァルトはともかく、既に聖別を一度放たれているバズビーに関してはその命が保証される可能性は極めて低かった。
「わ、私なら何とかできるって!……そう、思っていました……いたんです……」
「……結局、陛下のお言葉に逆らう勇気は無かった、というわけだ。ああ、そういう意味では陛下が貴方を気に入っているのも道理でしょう。貴方はどんな行動をしようとも、何を言おうとも、最終的な判断はあの男に委ねてしまうのだから」
「……だったら……だったらどうすれば良かったんですか!私は何をすれば良かったって言うんですか!私だって頑張ろうとしたんですよ!でもどうすればいいのか、誰に言えばいいのかわかんなくて……!私だってっ、私だってっ!!」
うつむき泣きじゃくりながらリリーは胸の内を吐露する。彼女は姫だった、どれだけ力を持っていようが王の言うことに逆らえない都合のいい存在であった。
だからこそ、ユーハバッハは彼女のことを理想の後継者として据えたのだろうが……本人にとってそれが幸福だったのかは、今となっては怪しいものである。
「姫様……立場とか、状況とか、そう言うのは一度忘れて答えてください。───貴方は今、何をしたいですか?」
最後の問い。心を塞き止めるダムが崩れ落ちていたリリーの口は、本人でも驚くほどに簡単に、その言葉を紡いだ。
「ユーゴーとバズに……二人に会いたい……!また仲直りして……昔みたいに一緒に過ごしたい……!みんなと幸せにいきたいよお……!」
「……その言葉が聞きたかった」
背中に背負ったお姫様をあやしながら、カボチャの馬車は彼女を待つ馬鹿二人へとゆっくりとした足取りで向かっていった。
◆◇◆◇◆
殴る。
「がはぁっ!」
殴る。
「ぐ、ぁ……!」
殴り返す。
互いに満身創痍になり、最早聖文字を使う余力も、霊子を操る余裕もなくなったハッシュヴァルトとバズビー。そんな状態になっても尚二人は戦うことをやめなかった。
その戦いは滅却師からすれば論外以前……というより、もう只の路上の喧嘩同然だ。殴って、殴って、殴る。互いの血で拳を染めながら傷付けあう。
「いい加減……倒れやがれぇぇっ!」
「誰が……お前などに……!」
お互いの手を掴み合う二人。互いに手を強く握りしめながら頭を振りかぶり───額を全力でぶつけ合う。ガッ、という鈍い音と共に仰け反る両者。
「っ、お、お……ォォォオォォオオオオオオオ!」
「ぐ、ぅ、ぁ……アアアアアアアアアアアア!」
倒れこみそうな身体を無理やり立たせながら今度こそ最後だと、二人は同時に拳を引き絞り、お互いの頬を打ち抜いた。飛び散る汗と血、僅かに欠けた歯が宙を舞い……二人が倒れこむ音だけが空しく響いた。
「俺の……勝ちだな、ユーゴー……!」
「何をどう判断してそんな結論になったんだ、バズ。……俺の方が拳が早かったから、俺の勝ちだ」
「はぁ?それを言うなら俺のパンチの方が強かったろユーゴー!俺の勝ちだ!」
「いいや俺だ」
「俺だって!」
彼等は仰向けに倒れたまま下らない言い争いを続ける。だがその表情はまるで憑き物が落ちたかのように清んでいた。互いにずっと言えなかった、抱えていたものをただひたすらぶつけ合ったおかげか。
それから暫くの間無言が続く。一度息を吸って、それまでとは打って変わって痛みを噛み締めるような表情を浮かべながら最初に沈黙を破ったのは……ハッシュヴァルトの方だった。
「バズ……ずっと、言いたかったことがあった……伝えたい、ことが……」
「あん?なんだ突然」
「…………俺は、叔父から虐げられていた」
「……。……………は?え、な……ん、だと?おい!どういうことだよそりゃ!!」
予想すらしていなかったショッキングな事実の告白にバズビーは思わず身体の痛みすら無視して上半身を起こした。激痛が彼の精神を襲うも、今の彼にとっては心底どうだっていいことだ。
「幼い頃の話だ。……当時の俺は霊子兵装すら作れない落ちこぼれだったのは知ってるだろう、誰かの助けがなければその日食べる食事にすらありつけない程に。…………俺を養っていた叔父は、その立場をいいことに、俺を……」
「ユーゴー!テメェ!」
「……すまない、やはり、言うべきでは……」
直接的な言及こそ避けたが、バズビーもハッシュヴァルトの様子でおおよその事は察してしまったのだろう。怒りのこもった声で彼は叫び、ハッシュヴァルトは「やはりか」と自身の過去を口にしたことを後悔した。
聞いていて、気色悪いとしか思わないだろう、こんな話───
「そうじゃねぇ!どうして……どうしてもっと早く言ってくれなかったんだよ!俺が……俺がその話を聞いてお前を避けるとでも思ったのか!?」
「っ───………ああそうだ!言いたくなかった、お前が俺の友達でなくなるのがずっと怖かった!俺が初めて出会った友達を無くしたくなかったさ!それの何が悪い!!」
バズビーの怒気に当てられてハッシュヴァルトもまた胸の内にあるモノを全部ぶちまけた。およそ千年間も心の奥底に封をしていたそれらはついに主の許しを得て外へと吐き出されていく。
「叔父が死んでもお前と違って俺は恨みなど抱かなかった!むしろ俺が恨んでいたのは俺を落ちこぼれだと嘲笑った奴らだ!そいつらへの復讐心を抱きながら生きて……そして陛下に俺の『与える者』としての才が見出だされたことで俺は自分の価値を理解した!わかるかバズ!?俺は陛下のことを何一つ恨めなかった!!最初からお前と同じ道を歩める筈がなかったんだ!!」
「ユーゴー……お前……」
「だが……だが……俺は………………お前と……友達で、居続けたかった。だから俺は、何も言わない道を選んだ。俺だけが抱えていれば……俺だけは、お前を友達として思い続けられるから……」
「……リリーはその事、知ってるのか?」
「言うわけがないだろう。こんな事実、彼女を苦しめるだけだ」
「…………はぁぁぁぁぁぁ~~~~~~」
奈落の底より深いため息をつきながらバズビーは力なく再び倒れこむ。その顔には色んな感情が現れていたが、一番色濃くあったのは「呆れ」だった。
当然だろう、どこぞのクソ真面目な大馬鹿が馬鹿正直に馬鹿なことを千年間も続けていることに気付いたのだから。
「ユーゴー、お前ホッッッッットに小せぇ頃から変わってねぇんだな。何も言わないで、勝手に壁を作って、一人で話を終わらせちまう。お前、そんなだから俺とリリー以外友達いねぇんだぞ」
「……余計なお世話だ」
「ま、そんなお前だからこそ俺もリリーもお前のこと放っとけなかったんだがな」
「バズ……」
「すまねぇユーゴー。俺の復讐にお前を、いや、お前たちを付き合わせちまって。俺あんまり頭よくねぇからよ、何も考えず突っ走っちまう。……おかげで今になってようやく気付いた。俺のせいでお前が苦しんでることに。本当にすまねぇ、ユーゴー。友達失格だ」
「俺だって!……俺、だって……ずっと……謝りたかった」
固く拳を握りしめながら涙を流すバズビー。今更になって、何もかもが取り返しのつかない状況になる一歩手前でようやく自らの勘違いと過ちを理解した男はひたすらに後悔と共に泣いた。
もっとちゃんと話していれば、彼の苦しみに気付いていれば、違う未来があったのかもしれないのに、と。そしてその思いを抱いていたのはハッシュヴァルトも同じだった。
「───ねぇ、それ何時まで続ける気?あたしそろそろバルを迎えに行きたいんだけど」
「おやめなさいバンビエッタ。きっと彼らは床に寝ながら語り合うシチュエーションに憧れる男子高校生のような気持ちになっている筈。折角なんですし楽しませてあげましょう」
「おまっ、空気読めやこの馬鹿女ども!?!?」
……それはそうとして、そんな情けない男は二人を半目で眺める女たちはいつまでもそんな光景を見続けるほど心が広くなかったらしい。
バンビエッタは肘をついて横になりながら隠し持っていた菓子をポリポリと齧り、サンドラはどこから出したのかわからないティーセットで優雅に紅茶を啜っている。
そんな女二人の全く空気を読まないその所業に勿論バズビーはキレた。
「るっさいわねクソダサモヒカン!和解したならさっさとハグなり何なりして仲直りすればいいじゃない!年食った男の癖に何時までもメソメソ泣かないでよみっともない!」
「こ、この女言わせておけば……」
「はー?うちのバルは私が怒ってもすぐに謝って甘やかしてくれるしー。チューだって好きな時に好きなだけしてくれるんだから!ふへへ……」
「もう駄目ですわねこの恋愛ピンク脳。手遅れですわ」
何を言われても幸せ絶頂期な今のバンビエッタにとっては敗者(恋愛弱者)の遠吠えである。
サンドラに呆れられながらも彼女はそれはそれはもう鼻高々に、鼻が天井まで届くのではないかと思えるくらいの見事なドヤ顔を披露しながら倒れたバズビーの顔を挑発的につつく。
「そもそもさー、あんたあのお姫様の事好きなんでしょ?告白の一つもできないくせになーに偉ぶってんだか」
「は、ちょおま……なんでわかっ……!?」
「いや常日頃からあれだけ露骨にアピールしてればわかるでしょ普通。ね?」
同意を求めるようにサンドラとハッシュヴァルトへ交互に顔を向けるバンビエッタ。それに追随して顔を動かすバズビーであったが、見えたのは無言で顔を反らす両者のリアクションであった。
「な、な、ななな……!?」
「別にいいじゃない、今更隠さなくても。それに、そっちの金髪はお姫様にそういう視線は向けたことないみたいだし、コクればあんたにもワンチャンあったんじゃないの?」
「…………………は?なんて?」
さらり、ととんでもない爆弾発言をかますバンビエッタ。彼女の聖文字のごとき前触れなき爆撃はバズビーが己の耳が一瞬遠くなったのかと錯覚させる程である。
……誰が、誰をそういう目で見てないって?
「うーんなんていうか、違うのよねー。ハッシュ……ハッシュポテト?「ハッシュヴァルトだ」どっちでもいいわよ。ともかくそこの金髪がお姫様を見る視線がその……昔のバルそっくりなの。うん、家族を見る目線!そう、それよ!」
「おい、ユーゴー、どういうこった?この女の言ってることは本当なのか?」
「……ああ、俺はリリーを恋愛対象として見たことはない。あくまでも家族のようなものとして、接しているつもりだった。何故か陛下が縁談を勝手に推し進めたためなし崩し的に婚約してしまったが……」
カラン、という渇いた音が部屋に反響した。
この場の誰が発したものでもない。そのため全員の視線が一斉に向けられ───そこに立っていた呆然として杖代わりにしていただろう剣を取り落としたリリーと、顔を真っ青にして汗を滝のように流すバルバロッサを見て全員が「あっ」という間の抜けた声を漏らす。
これが所謂"間が悪い"というものなのだろう。
「あの……えと……その……わたし……かんちがい……してた……のか、な……?わたし……ひとりで……まいあがって……」
「待て違う違うんだ聞いてくれリリー!俺はお前を嫌ってる訳じゃない!早まるな!」
「落ち着けリリー!テメェユーゴー!何リリーを泣かせてんだぶっ飛ばすぞ!」
「あーあーあたし知らなーい。あ!バルー!お帰りなさい!ほら、おかえりのチュー。チュー」
「うーん見ていて面白いことになってきましたわね。草生えますわ」
「…………どうしてこうなった」
バルバロッサの平穏は一体いつ訪れるのか。それについては一先ず小話の幕を閉じ、また別の機会お話するとしよう。