水面の月に朝ぼらけ
布団に入り込んできた我が子を抱き寄せながら、そういえばアイツも体温は高かったなとぼんやり思う。朝になればいない男だったので、共に寝れた記憶はあまりないが。
子供と同じだと言えばあの男は憤慨するかもしれないが、体格のいい男だから体温も高かったのだろう。比較対照がいないので断言はできない。
柔らかい髪を指でなぜると、その手触りもよく似ている。これで細ければこの何十年の間にアイツもハゲたかなと思えるが、どうにも毛根は強そうだった。
冷えた小さな耳の形も父親によく似ている。それから指の爪の形だとか、そういう誰も気づかない細々とした遺伝を感じているのは多分母親である俺だけだ。
本当なら父親に似ている部分を見つけるのは幸福なのだろう。しかし俺が感じるのは複雑な感情で、一番強いのはもしかしたら安心なのかもしれない。
「おかんちめたい」
「ごめんなァ、他んとこいくか?」
「ううん、でたらさむいの」
父親があの男であることに安心などできない。けれどこの小さな子供は、あの男の悪意で為されたものではなく全くの偶然だったと言うことに安堵する。
子供など作るつもりのなかっただろうあの男がこうして授けてしまったのが、そこに作為が込められていないという証拠になるのはなんとも間抜けで少し笑える。
自分の血の分けた子供が腹にいたと知ったら、あの男は凶行を踏みとどまったのだろうか。俺が産む子なんてどうでもいいと同じことをしたかもしれない。
産ませるならもっと念入りに相手を選んで利用できそうな子供でも作る気もする。自分の目的のためなら女心くらい平気で利用しそうで嫌な気持ちになった。
そう考えると、好いてもいないのに子供を産んだ俺の事をきっとアイツは理解できないように思える。人の心をもう少し勉強した方がいいだろう。
あんな状況に追いやられると、たった一人俺しか頼れない存在というのは生きなければという気持ちを強くさせてくれるのだ。
「あったかい」
「ほんまに?暖めてくれたおかげやな」
「おかんちめたいのなおった?」
「もう平気や、ありがとな」
寝ぼけ眼で語る娘を撫でてやるとふにゃふにゃと笑った。自分が愛されていることを欠片も疑っていない姿に、時々涙が出そうになる。
父親がいない分の愛情を注げているかはわからない。だが周囲の人間に可愛がられ慈しまれている娘は、それはそれで幸福であるのだろうと思えた。
「ほんまに、オマエのおかげで寒ないわ」
ぴったりとくっついた体温は少し暑いくらいなのに、なんとも心地よかった。とんとんと背中を叩いてやればすぐに眠くなったのか、なにか聞き取れないことを話している。
話すのに大分かかったような気がしていたのは遠い昔で、娘は大分おしゃべりだ。一生懸命話すのが可愛くて大人が聞いてやるせいかもしれない。
そう言えば少し前にハッチが「ねこちゃんはなしきかんの!」という無理難題のような駄々を捏ねられて途方に暮れていた。
結局猫にフラれたらしい娘はハッチといつの間にか一緒にいた白相手に一生懸命なにかを話していたので、今回の駄々っ子はそれなりに聞き分けがいい方だったのかもしれない。
それでも外に行きたいとか、外で遊びたいとかそういった駄々を捏ねたことがないのは娘なりに理解しているからだろう。
娘の体調のこともあるが、当たり前の暮らしをさせてやれないのはやはり心苦しい。アイツさえいなければ、と不毛なことも考えてしまう。
「……おかん」
「ん?どないした?」
「あしたおうどんたべたいなぁ」
「さよか、食べる気があるんは良いことや」
半分眠りながら話す娘に相づちをうちながら、あれがいて良かったことが少なくとも一つあるということになんだか腹が立った。
父親らしいことはなに一つしていないのに、父親だからいないと娘ができないというのは本当に腹立たしい。
ぐり、と娘が頭を押し付けてきたのでふわふわの頭を撫でる。分かりやすく父親似の髪質は、娘曰くローズとお揃いなんだそうだ。娘はまだ遺伝や親子というものをよく知らない。
なんならローズは娘に髪がお揃いな理由を「おとうとやから?」と言われていた。あんなんを産んだ覚えは俺にはない。
フワッとした家族のイメージというのはあるようだが、父親という存在がいまいちわからないらしいのだ。いないのだから仕方がないが。
最近やっと熱で寝込む日より起きている日が多くなったくらいなので、これから知っていくことも沢山あるんだろう。
「知らんでいいことも、知るんやろなァ」
完全に寝入った娘の寝息を聴きながら、願うことならあの男が手の届かない所に行ってから知って欲しいと身勝手なことを考えてしまった。
きっといずれ自分の父親を疑問に思う娘に、上手く話せるかどうかはわからない。それだけ抱える思いが多すぎる。
クソみたいな男やからいないで良かったと思っとき、とでも言ってしまおうか。これだってある種の事実ではないだろうか。
そんなことをつらつらと考えながら、腕の中の暖かい体温に眠気を誘われる。少なくともこの温もりとは朝起きるまで眠れそうだった。