水はまだ盆の中

水はまだ盆の中


ほとんど物がない部屋に入れられてから数週間。療養なのか経過観察なのか軟禁なのかよくわからない状況のまま、時間だけが無意味にすぎていく。

絶対安静はとうに終わっているものの今回の件は相当に拗れているらしく、当事者になってしまった俺たちは顔を合わせることもできず個別でこうして暇を持て余すしかない。


「隊長、体の加減はいかがですか?」

「……いかがと言われてもなァ、暇やし鈍るしでおかしくなりそうや」

「良い知らせがありますから、自棄になったりしないでくださいよ」


ここに訪ねてくることが許されている数少ない一人である惣右介は、俺が抜けた穴を埋める役目があるというのに甲斐甲斐しいほどにここ荷足を運んでいる。

まぁ席間がほぼ壊滅状態の九番隊と比べると五番隊はまだマシだ。あそこは俺と同じように軟禁状態の拳西と白もいないものとすれば、仕事が回せるやつは隊舎につめていたやつと報告のために一時現場を離れた東仙要くらいのものらしい。


「あの虚が突然変異なのか、複数個体いるのかはまだ判明していません。その……正直な話をすれば、判明するとも思えません」

「なんやええ知らせちゃうやんけ、良し悪しもわからんくらい頭パーにでもなったか?」

「そう急かさないでくださいよ。経過観察という名の監視付きにはなりますけど、そろそろ外に出られそうです」

「ほーん……さすがにこの数を処分すんのは無理やったか、仕事回ってへんのやろうな」

「隊長!めったなことは言わないでください」


そんなことを言われても、最悪の場合を考えておくのは当然のことだ。虚混じりになった隊長格の死神を排除することは当然選択肢の中にあったはずなのだから。

もしも最初に虚にやられた九番隊だけが虚混じりになっていたら本当に消されていたかもしれない。被害の大きさに助けられるとはアイツらも思ってはいなかっただろう。


チラリと惣右介を見れば、なにやら困ったようななにかが納得いかないかのようなよくわからない顔をしている。

こいつが今回の件にどれだけ関わっているかはわからないが、少なくとも俺を殺したいだの死んでほしいだのは思っていないのだけはわかる。


「猿柿副隊長の状態が安定したそうですよ。今は浦原隊長を休めと蹴りつける程度には元気だと聞きました」

「それで外に出る目処が立ったわけか」

「仕事の方は問題ありませんが、皆心配しています。早く帰ってきてください」

「そう言うても、帰れへんかもしれんしな」

「どうしてそんな、サボりも過ぎると辛いでしょう?」


何事もなければ帰らない理由もないが、俺だけはそうもいかない。そしてそれは目の前のやつのせいでもある。

今回の件がこいつの差し金だったとしても、きっとこれは想定外だったことだろう。そうでなければ相当な人でなしになる。


「サボりちゃうわ、産休や」

「さん……え?」

「なんや腹に子供おるらしいねん」


ここで過ごしている間にそんなことはなかったので、子供ができたのはあの夜よりも前であることは明らかだ。

そして子供の父親も、俺には一人しか思い当たらない。それは当人もそうであるらしく、珍しく瞠目して瞳を揺らす姿を見るに誰の子かの見当はついたのだろう。


「誰の、子供か……聞いても?」

「お前に話したんが答えやろ」

「そう、そうですか、そう……ですね」


黙りこくった惣右介は、それでいて自分がなにをしでかしたのかを白状する気は無いようだった。

俺としてもそこまでのことは期待していないが、少しくらい動揺してボロを出してもバチは当たらないだろうとも思う。


「そんな、言ってくださったら、僕が代わりに……」

「俺はお前ほど鬼道得意とちゃうし、お前に暴れられたら共倒れかもしれんな」


あくまでも副隊長としての言葉しか出てこないが、子供が出来ていたのを知っていたならこんな状態にはさせなかったというのはわかった。

そうでないのなら、産まれてくるものがなんであれ会わせるつもりもなかったので少なくとも父無し子ではなくなりそうだ。子供として産まれてこれればの話だが。


「……子供は、無事なんでしょうか」

「一応は、でも産まれてくるんがちゃんと人の子なんかはわからんわ」


腹の中にいるのは一応は子供である。だがその子供が、虚になってしまっていないかというのは証明が出来ない。

無事に産まれてくるのかも未知数で、これからどうなるのかは全くわからない状態だ。自分のことを考えるのならば諦めるのも選択の一つだとも言われている。


それでも気づかなかったせいで巻き込んでしまった被害者を見捨てるというのも、なんというか後味が悪い。

ありきたりの言葉だが子供に罪はないのだ。たとえ親がどんなことをしでかしていても。


「……結婚しましょう」

「は?急になんや」

「責任は全て僕が取ります。ですから結婚しましょう」

「責任、いうてもなァ」


それは一体どれに対しての責任だ、と聞いたところで惣右介が答えないだろうことはもうわかっている。

それでもこの男に、責任を取らねばならないと思うような倫理観があるのだというのは少し意外だった。

最悪の場合は、すまなそうな顔で堕胎を勧めるくらいされるかもしれないと思っていたのに。人の心もちゃんとあるらしい。


「万が一の時は、僕が手を下しますから」

「なんやねんそれ、縁起悪いな」

「だってあなたは一人でも産むでしょうし、なにが産まれてきても情を持ちそうですから」

「俺のことなんやと思ってんねん」


そりゃ一人で産むつもりであったし、産んだばかりの状態で子供をどうこうできるほど俺が無事かもわからないけれども。

惣右介の口ぶりでは、俺が化物の母親になったとしても子供を庇うとでも言いたげではないか。


「平子隊長だと、思ってますよ」


そう言って微笑む惣右介が本当のところなにを考えているのかは全くわからない。かといってこの申し出を断る理由も思い付けない。

どうしたものかと撫でてみた腹は、まだなんの変化も感じられないままだった。

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