比目の枕 後

比目の枕 後

非お客様ァ


 独断で決定すべきではないと思えた書類は関連資料をクリップして社長の端末に送る。

 そのまま送ろうかと思ったが、スレッタが彼女を休めようとしているのだから邪魔する可能性は避けたい。明日の……まぁ、朝食の時間くらいでいいか、と予定時刻送信の設定にしておく。重要度の低い仕事は要点だけ抜き出してまとめておく。

 そのあたりの残りの仕事を終わらせて一つ息をつく。ココア風味の粉末飲料に粉末ミルクを足し少量の湯で溶かして、氷水で規定濃度の手前に仕上げる。

 からから、と十秒程混ぜて一気に飲み干す。

 あまり時間をおいておくと、冷えたことで脂肪分が固まるので作ってすぐに飲まなければならないのがやや難点だ。少し体に悪そうな味というのが夜にはいい。と、個人的な感想だが。

 冷たくしたのは、一気に飲めるようにというのと、少しほてった体を冷やすためだ。

 喉を通って胃に落ちる感覚が……した、ような気がする。

 そのままの流れで空になったグラスを洗う。

 きれいになった、と濡れたグラスを見る。意外と、こういった生活のための色々というのも楽しいものだ。小さなやりがいといえばいいのか。

 スレッタと社……ミオリネのために、料理をするのだって、二人の様子が見られれば充分なやりがいになる。ミオリネの出してくれる『課題』も参考になる。

 と思ったところで歌が聞こえた。



「なに?」

 ミオリネさんの心地よい重さと暖かさを左の太ももに感じながら小さく歌っていると、いつの間にか近くにエランさんが立っていた。

「お疲れ様ですっ!エランさん」

 小さな声で答える。ミオリネさんはまだ眠っている。エランさんが来たということは仕事が終わったのだろう。ミオリネさんに任された仕事をきちんと終わらせたということだ。えらい!すごい!

 私には出来ない……少なくとも今は。寂しさを憶えそれを紛らわせるように、ミオリネさんの髪を梳く。

「さっきの歌」

「歌?」

「歌ってたよ」

 そうなの? 自分でも気が付かなかった。ゆっくりと眠ってほしいと思っていて、口を浮いて歌が出てきたのだろうか? 鼻歌? 少し恥ずかしい。

「わ、忘れてください」

「どうして?」

「どど、どうしてって」

「いい歌、だったよ」

「……えとその、あ、ありがとうございます?」

「うん」

 少し照れる。歌、と思っても、考えて歌っていたわけではないので、続きをと考えても何も浮かんでこない。

「えへへ」

 ちょっと恥ずかしい。

「あ、エランさんエランさん!」

 名前を呼んでみる。

 エランさんは、なに?、と優しく問い返すように首をかしげた。

「はいっ」

 といって、エランさんの方に手をのばす。左手でミオリネさんをなでているので、右手だ。

 その手を、はてなを浮かべたままの表情で取ってくれる。

「えい」

 少し力を込めて引っ張る。ミオリネさんにしたようにしようと思ったが、線が細くとも、パイロット科に在籍していた男の人だ。ちょっとの力ではびくともしない。

「どうしたの?」

 疑問を投げられたので、少し頬の熱を感じながら、あはは、と笑う。

 答えは……えっと。

「……」

 ぽんぽんと私は右の太ももを叩く。ミオリネさんからもらったパジャマはもこもこしていて柔らかい。

「どどどどっど、どうぞ」

「……うん」



 緊張してるなら無理しなくとも、と言おうとしたが、緊張をおしてでもそういう誘いをしてくれたことが嬉しいし、そうでなくとも魅力的な『お誘い』である。

 なるほど、先程僕の手を引いたのも、無理矢理にでもそこに寝転がらせようという意図があったわけか……。

 倒れてあげればよかったかな、とちょっと思う。

 自分からそこに頭を置くのは勇気がいるし、この躊躇の間が彼女に緊張感を与えていることも間違いないのだから。

(まぁ、うん)

「いい?」

 一応、聞くと、スレッタは首をブンブンと上下にふる。ミオリネを起こさないように、という配慮だろうが、それこそ、その動きのせいで目を……。

(――)

……目があった。しっかりと覚醒しているという風ではないが、スレッタの腹の方に顔を向けているのに片目が半眼でこちらを見ている。睨んでいるというのではない。本当に眠そうな眼差し。

 太ももの付け根に近い方に埋もれるようになっているミオリネから少し離れてたところに頭を置く。足の先がラグからはみ出るが……でかいラグだ。

 意識をそらしながらも頭を乗せると、弾力を柔らかい布越しに感じる。高さはいつも枕代わりにしているクッションよりも高い。顔をスレッタの方に向けるのは気恥ずかしかったので、逆向きになる。

 そうすると、視線はスレッタの方ではなく部屋の隅を見てしまう。右の太ももに僕の頭があって、左の太ももに花嫁の頭をおいて。彼女はなにを感じているのだろう。と、僕は気になった。

――気になったから、視線を変えて横臥から仰向けになる。スレッタはこちらを見ていたらしく、目が合う。

「えへ、頭を撫でようと思ったんですけど、気づいちゃいました?」

 いたずらっぽく微笑む彼女はこちらに伸ばしかけていた手を引っ込めて、手のひらを見せるようにひらひらと振った。撫でられるに任せたら良かったかな、と少し思ってしまう。

 背筋を伸ばすように座っているのは、その姿勢が楽だからだろう。そう思ったけれど、

(少し遠いな)

 と思う。

「……すれった」

 小さな声で呼んでみる。

「? どうしました?」

 彼女はこちらの声を拾おうとして、猫背になってこちらに顔を寄せてくれる。

 柔らかい笑みが間近にある。

 手を伸ばせば届きそう……、

「え、えらんさん!?」

 スレッタの驚いたような声。

 届きそうと思ったときには僕は手を伸ばしていて、彼女の髪に触れていた。

 フロントの重力でしだれてくる髪を重力に逆らうように下から絡める。

 くせっ毛を気にしているとそんなことを言っていたのを思い出すが、指通りが引っかかるようなくせっ毛ではない。ボリュームがあって指が埋まるという感覚が気持ちいい。

「ふふ、その触り方は少し、くすぐったいですよ」

「そう、ごめんね」

「謝らないでください……えと、いや、じゃないので」

「そう?」

 くしゃり、と撫でる。入浴していた残滓が熱と湿気として残っている。

 温かい。

「私も、同じことしちゃいますね」

 そう言って、彼女の右手が僕の頭に触れる。

 はじめはおずおずと、次第に髪の中に指先を沈み込ませるように。

 手櫛、と言っても、髪を解くのではなくただ撫でるようにされる。

 されるがまま、という気持ちの良さを感じる。

 スレッタの髪に触れている手にも力が入りにくくなりそうだ。

「エランさんもミオリネさんも髪がサラサラでうらやましいなぁ」

 と、そんなことをつぶやく彼女。

 そこに妬心を感じないのは、彼女の純粋さの故だろうか。

 疲れた、と感じていないのに、眠気が出てくる。

 感じていないだけで疲れていたのだろうか……。

 眠い。

「スレッタの……赤い、髪もきれいだよ」

「え……えと、…………あ、ありがとうございます…………」

「それに…………かわいい」

 びくん、とスレッタの僕を撫でる手が跳ねるように震えたのを感じながら僕の意識も眠りに落ちていった。



「えへへー」

 笑っている。……よかったわね。

 エランが仕事を終えたあとに、こっちによってきてスレッタのもう一つの膝を枕にしたときには、まどろむくらいであったが、少しだけ覚醒した。

 リラックスは出来ているのでスレッタが私を気遣ってくれたことはきちんと受け止められているはずだ。とはいえ、心の中に少しざらつくものがあった。

 このざらつきは……拗ねているのだろうか。我ながら幼稚だな、とも思うけれど。

 スレッタのおなかの方を見ているのでわからないが、音からすると私の頭とエランの頭を左右の手で撫でているらしい。会話を聞いていた限り、エランはスレッタの頭を撫でていたようだが、お互いの頭を撫でるのは、なんかいいな、と思った。

(今度やろう)

 心に決める。

 こうして頭を撫でられ続けていると、なんだか子供になった気分である。

「えへへへ、こんなふうに頭を撫でるって、なんだかお母さんになった気分」

……なるほど、こちらが子なら、彼女は親の気分なわけか。

 もぞり、と私は体を動かした。

 ぽんぽんと、スレッタの手が私の頭をあやすように触れる。


 ~♪~~♪


 彼女の、ハミングを聞きながら私は、また、意識を夢の中に落とした。



 翌朝、目が覚めるとスレッタは私達を膝に乗せたままで後ろに倒れて半ば大の字で眠っており、スレッタよりも早く目覚めた私とエランは若干の気まずさとともに目を合わせたのだった。


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