比目の枕 前
非お客様ァ「エランさん、エランさん。相談なんですけど」
ミオリネ・レンブランがトマト園に行った隙間の時間でスレッタが耳元に顔を寄せてささやくような声で告げてきた。若干ぞくりとくるようなものを感じながら小さくうなずき彼女に向き直る。
離れた隙に告げてきたということは、花嫁さんには聞かれたくないことなのだろう。
「どうしたの?」
こちらも小声で答えると少し真剣な表情で彼女は言った。
「ミオリネさん、お疲れみたいなので、何かしてあげたいんです」
・
なるほど。スレッタガ真剣になるわけだし、あの花嫁に聞かれたくはないわけだ。
「何かって?」
続きを促してみる。何かをしたい、と言い出したとき目的だけがある場合と手段まで決まっている時がある。前者なら一緒に考えてほしいということだし、後者なら手伝ってほしいということだろう。
「具体的にはまだ……えと、エランさんなら疲れてるとき、何がしたいですか? 何をしてほしいですか?」
何してほしい、か。そばにいてほしいとか、そういうことだろうか? いや、自分の話ではなく彼女の花嫁の話だし、そもそも、二人は一緒にいることが多いのだから、そばにいるというのはいつもやっていること、になるだろう。
スレッタの様子を見ていると、なにか特別なことをしてあげたいという感じがするので、求められている回答はこれじゃないな、と判断する。
「そうだね。とりあえず、良質な睡眠かな、眠っているところに大声を出したりするのはよくない」
「え? あ、はいそうですね。ぐっすり、眠るのが健康にも美容にもいいって聞きました!」
誰から? まぁ、だいたい分かるけど。
「じゃあ、えっと。睡眠時間の確保……ですかね?」
「ちょっと、システマチックすぎる気もするね」
「システマチック?」
「……あじけない?」
「あぁ!なるほどですね!」
ニュアンスで通じたらしい。
「そうだね。彼女の仕事を肩代わりすることで睡眠時間を提供するというのが、一つではあるけれど」
「ミ、ミオリネさんの仕事をですか」
「難しいね」
スレッタの能力が低いとかいう話ではない。適正とこれまでに積んできた学習の傾向が違うのだから同じことをやるのは難しい。
「……どうしよう」
困った様子なので少し考える、スレッタは花嫁に何かしたい。僕が出しゃばりすぎることではない、その上でこの状況なら……。
「一緒にやる、のはどう?」
「いっしょに、ですか」
興味と希望が見えてきたようで、スレッタは笑顔になる。
「そう、睡眠時間の確保と良質な睡眠確保を分担する」
「えっと?」
小首をかしげる彼女にどう説明しようか、と一瞬宙を見た。
まっすぐ告げるのがいいか、と、思いながら一つ、口にしないように気をつけることもある。
「僕は今、学校に行ってないから、その間、家事の他にも仕事の手伝いの準備をしてる」
「あ、えっと、いつもおいしいご飯ありがとうございます!」
「いつも、きれいに食べてくれてこちらこそありがとう……で、仕事の方も手伝えるんじゃないか、と思う」
「ミオリネさんみたいに!?」
「いや、そこまではいかないけど」
本人の判断が必要なもの、必ずしも必要ではないもの、不要なものに仕分け、判断のための資料の用意と、必須でないものについては回答案などを作って、不要なものは処理をする、それだけで半分程度に彼女の負担を減らせるだろう。
スレッタに花嫁の睡眠時間を聞くと、まぁ、平均で一時間位は追加で確保できるのではないかと推定出来た。彼女の一時間を作るために、今の僕は三時間では効かない程度の時間が必要な気もするが、いいだろう。
「良質な睡眠は……枕やベッドをいいものに替えるとかだと思うよ」
「んー、そうですね」
と、そちらの話になりそうなところで、トマト園から呼ぶ声がした。
もちろん、呼ばれるのは僕じゃない。
「あ、はーい、ミオリネさん!……あ、あの、エランさん」
「行ってあげて」
はい!と答えてスレッタは小走りで行った。
背中を見送る。
・
二日後の夕食の後。
「ミオリネ社長」
「……なによ、そんな呼び方して」
「あなたの仕事を多少なりとも手伝いたいと思って」
「へぇ……」
こちらをみて、スレッタに視線を投げるミオリネ社長。スレッタはびくっ、と体を震わせる。
一瞬目を伏せてから、こちらを見た社長は。
「そうね、この間渡した経営戦略科のテキストは?」
「三周はした」
「レポート課題は?」
「提出したとおりに」
「自分で出来の評価は」
「問題ない」
ふうん、と一つ、息を飲み込んだ彼女は……。
「いいわ」
手元の端末を操作すると、こちらに通知が来る。
確認すると、23件のファイルが届いている。
「半分、預けてあげる」
「どうも」
僕は早速椅子に座って作業を始める。
向こうでは居間のようなスペースにラグを引いているスレッタ。
新しいものだろう。彼女は彼女で何かを思いついたらしい。
即断即決で買いに行ったのなら彼女らしい、と思う。
スレッタは作業をしながら、こちらも書類とにらめっこをしている社長に問う。
「私にはそういう仕事預けてくれないじゃないですかぁ」
「あいつは最低限できること出来ないことの区別ぐらいはできるでしょ」
「が、頑張れば!」
「だーめ。こういうのは頑張ってどうにかしないの。こういうことで頑張るってのは数をこなすことくらいに使うのよ」
「え、じゃあ、どういう時に頑張れば?」
「創造的なことをするときね。広い意味でね。判断と処理のタイミングでは、速度、丁寧さ、集中力の継続時間くらいかしらね、頑張らないといけないのは」
話しながらそれをこなすのだから、こちらと集中力というリソースの量が違うのがわかる。
馴れの問題もあるだろうが……。
「スレッタは何してんのよ」
「……あとでのお楽しみ……にしてください」
「……ま、いいわ。じゃあ、期待してあげる」
「わ、わたしシャワー浴び、浴びてきますので」
緊張した面持ちで出ていった。
「……ところで、エラン。ああいう発言どう思う」
「無防備だよね」
ね、と一つ頷いたミオリネ社長は処理のピッチを上げた。
・
何をしたいのかは分からないが、仕事をさっさと済ませよう。
シャワーの水音が止まったあたりで、残り二つ!
扉が閉まった音あたりでスパートをかけて、タオルの擦れ合う音を聞きながら残り一枚に追い詰める。ドライヤーの音をBGMに聞きながら仕上げていってドライヤーの音が止まり切るまでになんとか最後の一枚が終わった。
「ふいー。あったか」
扉を開いてスレッタが入ってくる。
私は、冷蔵庫から出した冷たい水をグラスに注いで喉を潤して言った。
ギリギリで仕事が終わったと気づかれないように冷静を装う。
「あら、あがり? スレッタ。私も一緒に入ろうかと思ったのに」
「またまたぁ。ミオリネさんはそんなことしませんよね」
スレッタが、冗談はやめてくださいよ、とジェスチャーで示す。
「――――そうね」
「……しませんよね」
「――――」
えっ、えっ、と狼狽える彼女に吹き出しそうになりながら、グラスをもう一つ出す。その時ちらりと覗くとエランの作業はまだ、終わりそうになかった。
「はい。汗の分くらいは水分補給しなさいよ」
「あ、ありがとうございます」
ごくりと水を飲む音、動く喉の滑らかさを見ながらふと気づく。
(今日はいつもの寝間着って感じの格好じゃないわね)
いつもはシャツと短パンというラフアンド健康美という感じだが、今日は、もこもこな生地で露出低め、可愛い感じのパジャマである。ここに引っ越したときに何枚か適当に選んだうちの一つだ。繊細というか、柔らかさに主眼をおいた生地だったが。ちょっと暑いですね、ということであまり着てはいなかったはず。
「めずらしいわね」
「あ……えへへ」
このタイミングは何の照れかわからない。
よく見ると、買ったときとは少し違う。あれは足首辺りまで裾が広がっていたはずだが、居間のスレッタはふくらはぎまでは見えている。縫い止めたわけでもなさそうだから、折り返している?どうして、と思った時にスレッタはおもむろに先程敷いていたラグに足を投げ出して座った。
「お仕事終わったんですよね、ミオリネさん」
「え、ええ」
「じゃあ、こっち、来てください」
それは、どういう?と思いながら近づく。
「このラグ、新品ですから汚くないですよぉ」
「そ、そうね、さっき包装からだしてたもんね」
「えっとですね、最近お疲れみたいですから」
スレッタの声が小さくなった。聞き取ろうと近づくと。
「えい」
つかまえた。と言われる。
「つかまっちゃった……って、なに?」
「えへへ、お疲れのときには膝枕。エアリアルのライブラリでも見ました。お嫌ですか?」
「い、嫌じゃないけど」
返事をしようとしている間にぐいぐいと引っ張られて膝の上に頭を乗せられる。
「ちょ、ちょっとまって」
引っ張られて服が中途半端に寄っていて気持ち悪い。そこを含めて姿勢を直す。
「えへへ、高さはどうですか?硬さも大丈夫ですか?」
「あ、えっと、そうね。うん、高さは大丈夫だし、柔らかいし」
なるほど、このためのパジャマでこのためにめくって二重にしてくれたということか、と返答しながら理解する。
「いい匂いもする、ような」
「あ、今日はちょっと、そういうボディーソープを使いました、リラックスできる匂い、らしいですよ」
「そう……」
「えへへ」
スレッタの手のひらで撫でられる。頭を、そして頬を。
「体温で安心とリラックスできるって聞きました、ちょっとでも役に立てるといいんですけど」
「……ばかね」
「……えへへ」
「ほんとにばかね」
私の頬をゆるくなでていた手のひらが形を変えて頬全体を包むようになる。
暖かさに沈んでしまいそう。
「いいんですよ、ゆっくり、ゆっくり眠っても」
その声に、私は……。
・
はやい!
よっぽどお疲れだったんですね!
最初に思ったのはそういう感想。
そんなに疲れるまで頑張ってしまう彼女が愛おしい。
私の自慢のお嫁さん。手のひらで包めてしまえそうなこぶりな顔。
ラグの上で足を投げ出して、その左足、太ももの上で彼女は眠っている。
――眠ってる、よね?
息を詰めて、ミオリネさんの寝息を聞く。
規則正しく深い呼吸。
うん、眠ってる。
リラックス出来ている、とそう思ってもいいだろう。
私を守って戦い続けてくれている。
戦う場所が違うだけ、と言ってくれるけれど。
それでも何かをしたいのだ。
「料理も出来ないし、お仕事の手伝いも……たぶん出来ないし」
気にするな、と言ってくれるに違いない。
でも、それは、言わせたように感じてしまう。
そんな解釈は誰のためにもならないのに。
「何かをしたいなら、できることをするしかないですよね?」
髪を撫でる。スルスルと通る。
私とは違う髪。
静かに眠っているときは目元も緩んでいる。
鋭さのある、いつもの目もいいけれど。
私しか見れない。私に独占させてくれる眠っているときの顔。
頬に触れる。少し冷たい。
いや、私の手がシャワーの熱で温かいままなだけかもしれない。
きめ細かい。白い。強く触れただけでも跡がついてしまいそうだ。
「えへ、えへへへへ」
その想像に自分の頬が熱くなる何かを感じながら。彼女の頬に触れている。
表情。表情が固いというのは、なんだろうか、筋肉の問題?
緊張のせい?
わからないけれど、ふにふにと手のひらを動かす。
マッサージの仕方も勉強しておけばよかったなぁ、と思いながら。
柔らかくなったら少し楽になるのだろうか、と思いながら。
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