死の街を駆ける

死の街を駆ける


「え?」


ふと、気がつくと全く知らないところにいた。

そんな状況に今まさに陥った和服の青年は動揺しました。何故ならそんな所に来る理由も何もかもさっぱりわからないからです。直前までの行動も、朧げで霧の向こうのようでした。

そんな時。


「うわ!なんだここ!」


自分より下の位置から幼い声が聞こえてきて青年はギョッとします。声の聞こえた方に目を向けると、ひとりの少年がそこにはいました。きらきらとした銀髪と青空のような綺麗な目が印象的な、明るい雰囲気の少年でした。


「ロナルド、殿……?」

「?なんだそれ?おれのなまえは■■■だぜ!おまえは?」

「…そうか、君は■■■というのか。小生は、───」


少年の名乗った名前にどこか違和感を覚えながらも青年は自らの名を名乗ろうとします。いつかの、遠い日の名前を。


(………いや、違う。駄目だ。何故あの名を名乗ろうとしたのだろう。駄目だ。何かわからないが、それは駄目だ──)

「……?どうしたんだ?」


青年が名乗ろうとした瞬間に襲われた嫌な予感に言葉を詰まらせていると、少年が見上げながら怪訝そうな顔をしました。それにハッとした青年は、一言謝ると自らの名を名乗ります。


「小生の名は……響凱だ。申し訳ない、ぼんやりとしていた」

「キョーガイ?ふしぎななまえだな!というかショーセイってなんだ?」

「あぁ、それは……」


響凱は少年の疑問に答えます。二人とも初めて知り合ったとは思えない、和やかな雰囲気です。少し話したところでさて、と響凱はつぶやきました。


「ここがどこか、君は知っているだろうか?」

「わかんない。何できたかもよくわからなくて……」


二人は辺りを見回します。見たこともない、知らない街。夜の帳が下りたどこまでも静かな街でした。暗く、暗く。人影はなく、声もない。まるで街も住民もみんなしんでしまったかのよう。

少年はそんな街を不思議そうに眺めていましたが、響凱はどんどん得体の知れない不安感に襲われていきました。


(……まずい。何かはわからないが、ここにいるのはまずい。おそらく、長くいればいるほど危険だ)


きっとつれこまれてしまう。

……………何に?


「■■■君。君も帰りたいだろう。小生もよくわからない所に来て不安で、帰りたいんだ。良ければ一緒に帰り道を探そう」

「そうだな!かえらないと、しんぱいさせちまう」


ふあんなら手をつないでやるよ!おれもこわいときこうしてもらったんだ、と明るく言いながら少年は響凱の手をぎゅっと握りました。響凱はそれに驚きながらも、嬉しそうに目を細めます。そうして小さな手をそっと握り返し、二人は歩き始めました。



二人は歩いていきます。しんでしまったような街を、歩いていきます。何か声が聞こえた気がしました。誰もいません。ひたひたと足音がした気がしました。誰もいません。誰もいません。誰もいません。しんでしまった、まちなので。さて、ほんとうに?もしかしたらみんながみているのかも。



響凱は唇を噛みました。この街を出なければならないのに打開策がまるで浮かばないのです。歩いても歩いても街があるばかり。ただここに居ては危ないこともどうしてかわかっていたので、どうにかしなければと思いながら暗くならないよう少年に話しかけつつ、歩き続けていました。


「あれ、」

「どうした、■■■君」

「おとがする」

「え?」


歩きながらも耳を澄ませます。わいわい、がやがや。確かにどこかから音がしました。人の声のような、楽器のような。はたまた別の何かのような。わいわい、がやがや。


「たのし、そう」

「……■■■、君?」

「いってみよう。きっと、たのしい」


少年は惹きつけられてしまったかのよう。ふらふらと歩きはじめた少年を、響凱は必死に止めようとしました。

響凱の耳にも音は聞こえています。楽しそうな音。和楽器のような音、賞賛する声。きみもおいで、と心の奥底を掴んで引き摺り込まれるような音。しかしそれと同時に、彼には別の音も聞こえていました。


何かがいる。

夜の生き物に限りなく近く、生には遠く死に近い何かの這いずる音。狭間に潜み、自分たちを手繰り寄せるものの嗤う声。死に落ちる最中僅かに触れたような、深淵のような恐ろしさが音を奏でて手招いている───


「ッッ!!駄目だ!!!」


必死の静止の声にももはや少年は耳を貸していません。たのしそう、いきたいと呟きながら歩いて行こうとするだけ。響凱はそれを見てええい、と言うと自らの着物の上に着ていた羽織を脱ぎ、


「───失礼する!!」


と言うとそれを少年の頭から被せ、思いっきり抱え上げました。顔を自分の方に向け、頭から被せた羽織きつくない範囲で抑えます。気休めにしかならなくとも、目にしろ音にしろこの街の様子がなるべく少年に入らない方がいいと思ったのです。抱え上げられた少年は動こうとしましたが、それに響凱は謝りながらもぎゅっと抱える手を強くしました。


そのまま響凱は街の中を走り出しました。もはや街の中一体から響き渡っている音は止みません。むしろ不満そうに増していきます。つんざくような音に顔を顰めながら、しかし響凱は僅かに笑います。


(音がしたことで少しだがわかった。この街中に満ちている音の中の重い……おそらく根源の者である力の気配に、微かながら薄い部分がある。それがきっとこの世界の綻びと言えるようなものだ。もしこの状況を突破できる場所があるとするなら──そこに賭けるしか、ない)


誘き寄せる甘い誘惑のような音を無視して走り続け、呼びかける声を無視して走り続け、時折抱えた少年の様子も確認しながら響凱は走り続けました。綻びの場所は少しずつ近くなっていきます。

立ち止まれば、振り返れば、きっと連れていかれる。抱えた少年諸共に連れ込まれる。そんなぼんやりとした、でも背後に確実にある何かをを感じながら。


置いていけ、置いていけ、と怒る声がします。それは出来ない相談だ、と上がる息の音を聞きながら思いました。お前がいるから、お前がいるから、と不機嫌そうな声がします。それは良かった、と早鐘のような心臓の音を聞きながら思いました。お前がいるから邪魔だ。自分たちと似たような存在のお前が、自分たちの領域に紛れ込んで、


自分たちの獲物を

お前の獲物にするつもりだ。


ひゅ、と響凱の喉の奥が鳴りました。あぁ、駄目だ。耳を傾けてはいけなかった。そう思った時にはもう手遅れでした。走り続けて、必死になり続けていてわからなかったのです。がんがんと街一体から鳴り続けていた音はいつのまにか止んでいて、音はただ響凱だけに語りかけられていました。

ずっと見ていたのです。この存在が何なのか、見通すために。



おかしさに気づいた。そういえばこの男は自らを見失っていなかった。何かがおかしい。この男は、途中から自分たちに気づいている。自分たちに気づいているから、誘い込もうとしても憎らしくなるくらい逃げている。自分たちと、似た気配がする。似たようなものなのにわからないから、この男にうまく触れることができない。思うままにつれこむことができない。この男からえものを奪うこともできない。人間のにおいはしたはずだ。だから連れてきたのだ。人間だった吸血鬼か?いや、ちがう。吸血鬼のようでそれとはまたすこし違う、おぞましい夜の生き物のにおいもする。長く死に浸かっていたにおいがする。これを知ればいい。これをわかればいい。これを見ればいい。自分たちすべてが、お前の臓腑の底をみている。おまえだけをみている。お前の中を暴きだして、えぐりだして、おまえのあしをとめて、あのおいしそうなえものもろとも、ひきずりこんでしまえばいい───



違う。小生は、もう違う。

昔はそうだったんでしょう?同じだった。何も知らない子を自分の領域に連れ込んで、食らうの。

それ、は、

同じだ。おなじだ。おんなじだ!

……うる、さい

おいしかった?くるしかった?でも食べたんでしょう?力を得るためだもの。

……うるさい、

おなじだ。それなのにじゃまをするなんて、じぶんをたなにあげて酷いやつ。

うるさい!!!!!


もう無視することはできません。どんなにこたえるべきではないとわかっていても、奥底を切り開かれて無理矢理引き摺り出されてしまうようでした。きりひらかれて、ひきずりだされて、暴かれるほどずっしりと身体は重みを増し動きは鈍くなっていきます。



ここは怪異のてのひらのうえ。そこにおいても理解の及ばぬ存在だからこそ立ち回れた。つまり暴かれれば暴かれるほどその存在は成り下がり、てのひらのうえに落ちていくだけ。



どこで間違えたか、と響凱は思いを馳せます。綻びの場所まであと少し。それでも今の状況では、それすらも手を伸ばすにはあまりに遠かったのです。

逃げるのに必死で、状況の変化に気づけなかった時か。音が鳴る前に打開策に気づけなかった時か。それとも、ここに連れ込まれてきた時からか。もっとはっきり自分を保てていれば、この姿ではなく力が使える姿でこれたのではないか。そうすれば、そうすれば、もっとどうにか。考えは止みません。


(それでも、)


ぎゅ、と抱えたものをしっかりと抱えなおしました。


(この子だけは、帰してやらねば)


ひなたの子。青空の目をした、きっと青空の下がよく似合う子。やさしい、あたたかな、───ここにきてからの、はじめての、……………ともだち。

この子だけは帰してあげなければ。あと少し、あと少しだから今手放して行かせれば、いや、どんなに綻んでいようとここは領域下なのだ、例え弱くなろうとも自分のような存在がいるから手が出せない状況のはずだ、つまり手放した瞬間にさらわれかねない、ただ今の自分には連れ出してやれない、あとすこし、どうにかして、どうにかしてこの子を、


「だめだよ」


幼い、意志のある声が聞こえてきて響凱ははっとします。声の方を見ると、羽織から少し顔を出した少年がつよい目で響凱を見上げていました。


「出てはいけない、ここは」

「わかってる。ふわふわしちゃってて、すこし前にやっとどうにかなったんだ。それでも言わなきゃいけないと思って」

「…………、」

「俺だけなんて、だめだぞ。キョーガイも一緒に帰らないと、だめだからな」


不安だから、一緒に帰って欲しいんだろ。それなのに俺だけなんて、駄目に決まってるじゃないか。あたたかい手にぎゅっと掴まれて響凱は息をのみました。

そして、


「そうだとも。よく言ったな、若造」


どこまでも高らかに通る、よく響く声がしたのです。


「………!」


ばさり、と何かが二人を包み込むように広がります。それはまるで竜の翼のようでした。

ぎしりぎしりと世界が軋みます。どこまでも嫌な音を立てて悲鳴を上げます。あと少しだったのに!あと少しだったのに!


「ああ五月蝿い。あと少しとかそういう問題じゃないんだ。此処は私の領界。此処の住民は私のものだ。──何処ぞへと失せたまえ」


騎士に寄り添われた竜は笑いました。そうして────




「ホイ!アホ面二人!そんなところで何をしているのかね」

「ヌー!」


パン!と小気味良い音が立てられてドラルクの手が二人の顔の前で叩かれた。二人──ロナルドと響凱は、引き戻されたようにハッとする。


「こ、こは」

「あれ?え、えーと俺たちは……オータム帰りで、それで…なんでこんな所でぼんやりしてたんだっけ?」

「揚げ物になりかけすぎて頭が揚がってしまったのではないかね」


なんだと、やーい、とロナルドとドラルクは騒がしくいつもの会話を始めた。それを響凱がぼんやりと見つめていると、おぅいと二人から声がかかる。


「響凱さん!信号変わっちまうぞ!早く渡ろうぜ!」

「あ……ああ!今行く!」


そういやお前なんでここに来たんだよ?今日は来ないって話だったよな?ジョンとの買い物帰りなのだ、その帰りにアホ面二人を見かけたものだからな!うるせえ、うわっジョンどうした?なんだ構ってほしいのか〜?そんな明るく賑やかな会話の様子に響凱がほっとしていると、ロナルドとジョンが一緒にいる姿を見ていたドラルクがふと響凱の方を振り返った。


「君がいて、あそこまで来てくれて助かった。感謝する」

「………!!」


ドラルクからかけられた言葉に響凱は先ほどのは、まさか本当に、と口を開こうとした。それを見てドラルクはしぃ、と人差し指を口元に立てる。


「それは、もっと然るべき所で話そう。良くないことは良くないことを呼ぶものだ。落ち着いた所で話した方がいいし、何より──」


ドラルクは後ろに視線を投げかけた。赤信号が灯るそのさき。何かの、いたところ。


「此処に渡れない者達が、まだ見ているかもしれないからね」


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