死の国の王
「あれは…!」
「ヴィオラさん?何か見えたの…⁉」
王宮までの道すがら、背中の上から切羽詰まった二人の声が聞こえた。ギロギロの能力で先に王宮の様子を見てくれたヴィオラは、何か異変に気づいたみたいだ。
「うまく…像を結んではいないけれど、何かが王宮に現れている…」
「王宮に…?待て、衛兵は反応しているか?」
すぐ横を並走するローの質問にヴィオラが否定を返す。じゃあきっと、”普通”には見えないモノなんだ。シーザーが再誕させようとしてるのがどんな存在なのかおれには分からないけど、儀式の中心はコリーダコロシアムなはず。あの夜、ヤハグルで何があった、と呟いたローにも状況は掴めていないみたいだった。
「その何かがシーザーの言ってた奴かは分からないけど、とにかく急ごう!」
「だんだんと存在が強まっているわ!どうか間に合って…!」
蹄が石畳に規則正しい音を響かせる。おれもローも、王宮で管理されてた血で鎮静剤を沢山作って、街中あちこち走って配り回ってヘトヘトだ。でも、まだ弱音を吐くわけにはいかなかった。
少しの間でも赤目の患者を救うためにいっぱいお金を払って秘匿を守りながら“M“の丸薬を買い取っていた病院は皆、騙されてたことを知っておれたちに協力してくれた。本当に悔しいのは、今日この国に来たばっかりのおれ達じゃないんだ。ずっと、ほんの少しの希望だって信じて、歯を食い縛って耐えてきた人達を裏切る奴なんて、そんな奴が医者を名乗っていたなんて、おれは絶対に許せない。
「クソッ…チョッパー!お前だけでも先に行けるか?」
ローの焦った声が聞こえる。けれどおれは、遠くから近づいてくる音に足を止めていた。
「ううん、一緒に行こう!」
「だが…」
ローの言葉が途切れた。音はもう、人の耳にも聞こえるくらいに大きくなったみたいだった。すぐに、夜を照らすライトがもの凄い速度でおれ達の横を通り過ぎ、大通りにタイヤの跡を残してきれいにターンを決める。
「よォ!急ぎか?」
巨大なバイクに跨って、ゴーグルを押し上げたフランキーが笑っていた。
「しかし、君と合流することになろうとは」
「それはこっちの台詞だ。お前もこの国に来ているとはな…」
「なんだ、お前ェら知り合いか?」
「ローもヤーナムのお医者さんだもんね」
フランキーは一緒にいたトゥールって名前の狩人と、盗まれた刀を追いかけて一緒に地下遺跡に潜ってたらしい。
「一旦別れたんだが、ちょいと様子が気になってな!おれがこの”クロサイFR-U4号”で見に戻ったってワケよ」
「王宮の外壁に妙なモノが見えたのでね……私では移動速度に限界がある。非常に助かったよ」
「…このタイプならヤーナムでも運用できるか?」
「あら、今なにか?」
「いや、なんでもねえ」
おれを抱えるローは、ヴィオラにしれっと返事をしながらちょっと目を輝かせてバイクを見てた。
分かるぞ、カッコいいもんな、バイク。
「トゥール、何故あれが王宮に現れたか分かるか?」
「ふむ、たしか、赤目の多くは王宮に収容されていたろう」
「うん…お父様は、民間のお医者さんに任せるには危険だからって…」
レベッカの答えに、トゥールは関節の一つ多い長い腕を組んだまま頷いた。手長族っていうんだっけ、ロビンが前に教えてくれた気がする。
「おそらくそのためだ。ああいったものは、呼ぶ声に応えるからね」
「なるほど…あの男がこれを狙っていたにせよ偶然にせよ、もう望みの形での再誕はあり得ねえ。トゥール、おれ達であれを狩るぞ」
「否やはないがね…全くあの男、おぞましいことをするものだ…」
ローが狩りという言葉を使うとき、狩られるのはただの、動物じゃない。
ドクターもドクトリーヌも、ヤーナムが昔どんな街だったのかを教えてくれた。ローは、空っぽになってしまった街と暗い狩りのことを。
誰かの命を背負う、苦しい業だ。だけどあの街で人が生きるために、誰かがやらなきゃいけないことだった。
狩りの夜がなくなってもまだ狩人がいなくちゃいけないのは、病も、呪いもなくならないから。
それを弄ぶような奴が、いなくならないからだ。
「生物兵器ってんなら、落ち着かせて確保っつうワケにはいかねェのか?デっケェ力も使い様だろ?」
「無理だな」
即答したローに、フランキーが眉を跳ね上げた。それっきり何も言わないローの言葉を、後ろに座ったトゥールが引き継ぐ。
「…あれが再誕に拠るものであるならば、その存在こそが呪いとなる」
「呪いね…」
「呪いは怒り、いつか軛と成るものだ。我々はそれを狩らねばならん。ただ、人のために」
「ヒデェ話だ」
生まれたことが罪になる命なんて、あっていいはずがない。おれだって、怒りを息に混ぜ込んだフランキーとぴったり同じようにそう思うのに、呪いを癒す医療なんてずっと手が届かないままだった。
「おいでなすった」
王宮の前でバイクを止めたフランキーが、唸るように声を吐き出す。見上げた城の外壁には赤黒いゼリー状の”何か”が、身悶えながらのしかかろうとしていた。
「あれが…」
出来上がったかたちをドロドロと崩れさせていくその中から、ギョロリと一対の瞳が覗く。蕩けた体の一部が大きく裂けて、吊り上がった口が現れる。濃い死臭と腐った血の臭いを放つそいつは、崩壊していく身体に壊れかけた笑顔を形作っていた。
「あの子…泣いているの…?」
口を押さえたヴィオラが、呆然とした呟きを落とした。
言われて初めて、人よりかなりよく聞こえるはずのおれの耳は、小さな赤ん坊の鳴き声を拾い上げた。
視界の端では、金の髪に赤い瞳の女の人が佇んで、声を押し殺して泣いていた。
なんて、なんて酷いことを。
「ロボ屋はコロシアムの方に向かってくれ。シーザーの奴が居ねえようならルフィ達を拾ってこっちまで戻れ」
「おうよ」
「…チョッパーは二人を頼む。もしかすると旧い眷属がここまで出てくるかもしれねェが、なんとか耐えてくれ」
「分かった」
歩みを進めるローの灰色の瞳は、巨きく育った血の赤を跳ね返して暗く鮮やかな影を落としてる。背負った刀の鍔がまたガチガチと音を立てて、鉄臭い空気におそろしい気配を漂わせていた。
「では、私達はここで」
「……また、夜明けに会おう」
言葉と一緒に、二人の背中は砂漠で見た蜃気楼みたいにゆらゆらと揺らいで暗闇に消えていった。
また、狩りの夜が始まる。