歪み

歪み


「アイは無事か…良かった…」

ベッドに横たわる幼児_アクアが目覚めて一番に発した言葉に、俺は何かとてつもなく歪んだものを感じてしまった。

俺は斉藤壱護、そこそこの芸能事務所の社長だ。うちの事務所は今、とんでもない地雷を抱えている。事務所一番のアイドル、B小町の絶対的センター、星野アイが活動を休止していることだ。あぁ、病気や怪我じゃねぇからそこは安心してくれ。いや、キャリア的には大怪我どころじゃないんだが…。活動を止めている原因は”妊娠”だ。アイドルにとってこれ以上ない最大級のスキャンダルだ。しかも相手は不明で、本人は産むつもりと来やがる。せめて週刊誌共にこの大スキャンダルをすっぱ抜かれないように東京から離れた宮崎で診察を受けさせた。


「あの…ものすごい便秘だったりは…」

そんなことないとわかっていながら診察してくれた先生に聞いてみる。


「もし便秘だったら死んでますね…」「そっちは今日も順調だったよ!」

先生もアイドルのアイを知っていたようで困惑している様子だった。当然だろう。後アイはもう少し深刻にしやがれ。


担当になってくれた先生はこのことは秘密にしてくれると約束してくれて、本人の意思を尊重して産ませる方向で話を進めている。アイドルが父親不明の子供を産む、それがどれだけリスクまみれのことか(妊娠した時点で既にリスクはとんでもないことになっているが)、アイは子供を産んでもアイドルを続けると言っているがその難しさを理解していないだろう。そもそもアイドル関係なく16歳で妊娠は早すぎる。昔からアイは少し考えなしのところがある。正直アイはうちの事務所の稼ぎ頭なのでここでアイドルをやめられるのは大きな痛手になる。だが、子供がいると言うことを世間に隠しながら、アイドルを続けるのはよく考えなくても難易度が高い上に、もしばれたら炎上必至だ。アイが天才的なアイドルであるからこそ、このスキャンダルが漏れれば、熱狂的なファンが強烈なアンチに転じることも容易に予想できる。反転アンチというものはただのアンチより恐ろしい。事務所とアイのこれからを守るためには堕ろさせるのが一番だ。だが、アイを拾ってアイドルにしたのが俺だからこそ分かる。アイは絶対に子供を産むことを諦めない。アイドルもやめない。本人が言っているが”星野アイは欲張り”だ。子供もアイドルも両方手に入れようとしている。娘同然に思っているコイツが”家族”を、”愛”を切望しているのは知っている。それにスキャンダルを隠したままでも、業界のトップに成り上がれるだけのポテンシャルをアイが持っていることも俺が誰よりも理解している。諦めて全力でサポートする方向に意識を切り替える。


幸いにも経過は順調だった。担当医の吾郎先生(アイのファンだったらしい)も入院中アイと仲良くなったようで上手くやれているようだった。父親の存在が分からないことを除けば概ね不穏なこともなく日々が過ぎた。


出産を担当するはずだった吾郎先生が突如失踪するというイレギュラーがありつつも予定日、アイは無事に双子を産んだ。とりあえず言いたいことは、アイ…その名前はねぇだろう…。瑠美衣て…愛久愛海て…。アイも信頼していた吾郎先生がいなくなったことに一抹の不安を感じながらもアイは双子と共に東京に戻った。もし全てを週刊誌にでも持ち込まれれば一巻の終わりだ。心配ではあるが、何ができるわけでもないのでとりあえず忘れて子供二人が追加された日常を再開した。


双子は世間的には俺とミヤコのガキと言うことにしている。アイはそれが不満のようだがアイの実子と言うことを世間に明かせるはずがないのは妊娠時点で分かっていたことだ。そして気づいたことはアクア(アクアマリンは流石に長い)は妙な子供ということだった。乳児の頃からほとんど泣かず物静かな、まるで大人が赤ん坊の振りをしているような違和感を覚えた。ルビーの方も年の割には理知的な目をしていてどうにも不思議な違和感を纏った兄妹だった。しかし母親_アイにもよく懐いていた”いい子”でもあった。双子の子育てという激務の中でその双子が普通より大人しいことはプラスに働いていた。(それでもミヤコは不満が止まらなかった)


双子、特にアクアの違和感は特に困ることもなかったのでその時の俺はあまり気にしていなかった。そして、あの日の”事件”が起こった。

B小町の初のドームライブを控えた朝にその凶報は飛び込んできた。アイの自宅に刃物を持った男が襲撃したという知らせだった。刺されて搬送されたということだけが分かり急いで病院に車を飛ばし病室に向かう。


「アイは無事か⁈」

飛び込みざま叫ぶ。


「社長…」

俺の想像に反してアイは傷一つなかった。ミヤコから話を聞くとアイを狙ったストーカーの刃をアクアが受けたらしい。医者によるとアクアは重体で意識不明。起きたとしても何らかの後遺症が高確率で残るであろうとのことだった。


このとき俺は安堵していた。アクアが死んでいないことじゃない。アイが無事で”ライブが可能”なことにだった。


「アイ…今日のライブ行けるか?」「え…?」

「ちょっと壱護!」「アイは!!B小町のセンターだ…ライブをキャンセルするわけにはいかねぇんだよ!それにドームライブはおれ達の夢だったろ!」

ライブに行けるかという俺の問いに泣きはらしていたアイは呆然とした顔を向ける。ミヤコにいまそんな話をするべきでないと窘められるが、ここまで準備してきたドームライブをここに来てやめることは俺にはできなかった。なまじアイがアイドルとして卓越しているからこそ、この状況でも一度ステージの上に出れば最高のパフォーマンスができると知っているからこそ諦めることができない。


「それにアクアは表向きにはアイとは無関係だ!ここでアイが休めばそこから秘密が漏れてもおかしくねぇ!しかもライブをキャンセルすればどれだけの違約金がかかる⁈事務所を!それこそアクア達を守るにはライブをやる以外ねぇんだよ!!」「だからってこんな状態の二人を置いて仕事しろなんて…」「いいよ」「アイ⁈あなた…」「アクアとルビーのためにも私がステージに立たなきゃいけないことh「ママ⁈」「ルビー…」「アクアを置いてくの…?」

アイの言葉にショックを受けたようにルビーが問う。ルビーの気持ちは理解できるがアイを双子に付けておく訳にもいかない。


「アイ車を下に止めてある。ドームまで送る、乗れ」「うん、社長…」「…マ、マ…」

現地入りの時間が迫っているのもあり、下に止めたままの車にアイを乗せる。茫然とした顔をアイに向け何も言えないでいるルビーに胸は痛むが急がないとライブに間に合わなくなる。理解はしても納得はできないようなミヤコと俺とアイを睨むルビーを残してアイと共に病院を発つ。不安でたまらない小さい子供から親を仕事だと引き剥がすことがいいことではないとは分かっているが…、ここでアイをアクアとルビーに付けておくことは周囲をまとめて破滅させる切掛になりかねない。


ライブを無事に終えたらアイに、ルビーに、アクアに謝らないとなと思いながら車を飛ばしドームへ急ぐ。


結局ライブ自体は成功を収めた。そして俺はこのときの決断を長く自問することになった。


3日後アイ、ミヤコが見守る中でアクアが目を覚ましたとミヤコから連絡が入った。急いでアクアが入院した病院に車を飛ばし駆けつける。


「アクア大丈夫か?」

病室に入りアクアに話しかける。そして起きたばかりで意識のはっきりしない幼児の発言に俺は冷たいものを背筋に流されたような感覚を覚えた。


「アイは無事か…良かった…」


今、目の前の子供はなんて言った?”アイが無事で”?4日間意識不明から起きたばかりの4歳児が、目覚めたとはいえ重体であることには変わらないアクアが当たり前のようにアイのことを気にしたことに俺は恐ろしいものを感じてしまった。ナチュラルに自分のことを無視したその言葉に計り知れない何かを感じて思わず俺の足は後ずさった。元から少し変わった子供であることは知っていた。だが、コレは何だ?何かが致命的に抜け落ちた、自己がどうでもいいかのようなその言葉に、雰囲気に、なによりそのあまりにも自然な目にとてつもない歪みを感じてしまう。


この歪みは俺のせいか?俺がアイをアイドルでいさせるためにしたことがアクアを歪ませたのか?


このときから俺はアクアの目を真っ直ぐ見れなくなった。






Report Page