正義とは、己を貫く覚悟である

正義とは、己を貫く覚悟である


「私のせいなのです。私が、悪いのです。先生。私の立場ならば、こうなる前に止める手段なんていくらでもあったはずなのに……」



コーヒーカップにミシミシと音が立つほどに、少女は力強く怒りを込めていた。それは己自身に向けた怒り。一つは自身のせいで部下に被害をもたらしたという絶望。もう一つは、この後に及んでまだ、何処に刃を向ければいいかがわからない己への侮蔑である。尾刃カンナは苦しんでいた。正義を取り戻したが故に、どこまでも苦しんでいた。……その経緯は少し昔まで遡る。





「邪魔するぞ」


「カンナ局長!お疲れ様です!」


「邪魔するなら帰ってよー。公安局長って暇じゃないでしょー?」


「………最近話題のドーナツとやらを買ってきてやったが………そうか。邪魔したな」


「嘘嘘!ちょっとしたジョークじゃーん!」



新しくオープンしたドーナツ店。新進気鋭がすぎるあまりに中々に入手することができなかったドーナツ。それを入手することができたのはカンナの人徳が成せる技だ。といってもカンナはドーナツを食べる暇がない。最近増えている犯罪者の摘発に忙しい。なので生活安全局にドーナツを持ってきたわけだ。もちろん、許可をもらってある。



「一人一つだ。わかったな?」


「えー……私のドーナッツ好きわかって言ってるでしょー」


「節制もたまには大事だと心得ろ。じゃあな」


「お疲れ様です!ドーナッツありがとうございます!」



元気な二人を見て今日も安心する。市民の安全を守るための心遣いに長けた二人は近頃さらに生活安全局としての生活に誇りを覚えているようだ。このドーナツを動力にして、さらに頑張って欲しい。市民を笑顔にできるような人は私のような悪党ではなく彼女たちだ。大事なのは立ち位置ではない。心意気とそれに伴う行動だ。だからこそ、託す。きっといつか……




「カンナ局長!こちら中毒者となったヴァルキューレの生徒リストです!」


「カンナ局長!麻薬を求めて3106で暴動が!」


「局長!!」


「局長!!」


「わかっている!お前たちは現場での対応、を………」



中務キリノ、合歓垣フブキ。その二つの名前がリストに並んでいる。その瞬間に点と点が繋がるのは当然のことで……けれど、頭が真っ白になることは事態の急激さが許してくれない。カンナが一息ついて深く絶望するのは、そこから二徹をした後であった。



「………もう朝か。仕事をしなくては」



連邦生徒会の役員にも被害が出たことでいくらか指揮系統に混乱は生じていた……のだが、その行為が連邦生徒会の虎の尾、逆鱗に触れたのもまた事実のようだ。欠員が生じた部署は他の人員が全力でカバー、事態を終息させるための外交的干渉も行い、何もかもを想像以上に回している状態。しかしそれはアビドス高校への膨大なる敵意からなるものだ。おそらくこの刃の行く末は悲惨なものになるだろう。



「私は……どうするべきだろうな」



するべきことは決まっている。全力で市民を守る。正義を執行する。公安局長である以上、ヴァルキューレの生徒である以上、正義の否定はあり得ない。取るに足らない悪人ではあるが、再び灯された正義の火を吹き消すほど愚かな者に成り下がったつもりはない。ならば自分は何を悩んでいるのか。何に苦しんでいるのか。ドーナツを差し入れたことへの罪悪感や責任感?それもある。それもあるがそれは正義に悩む理由にはならない。自身を殺したいほど憎んでいるが、それで正義は曇らせない。ならば何か。何が自分を惑わせるのか。

当然、正義の刃の矛先である。恨みはない。憎しみもない。向けるのはただ確固とした正義を重んずる心。ならばそれをどう向ける?どう戦う?大衆の正義に則ってアビドス高校への制裁を全うするか?それとも、警察として相応しい行動を、自身の正義のまま取って戦うか?どちらも正義である。違うのは、どちらの正義を選ぶのかという話。みんなが望む正義と、私が望む正義。そこには大きな隔たりがあって。



「………先生。シャーレに向かっても良いですか。少し、話したいことがありまして」



狡くて、弱い。そんな自覚はあったけれど、あの人に頼る他なかった。そうして、話は冒頭に遡る。突然尋ねてきたカンナにシャーレの先生がコーヒーを淹れ、ゆったりと何があったのかを聞く。そうして、ちょうど聴き終わったところである。



“………カンナは自分を許せないんだね”


「はい。不注意が祟って己が部下を傷つけたこと。そして、正義の行き先がわからなくなってしまったこと。私は確かにどうしようもなく腐った悪党ですが……先生、あなたに道を照らされて以降、このように悩むことはしたくないと常々思っておりました。それがこの結果です。無様なことこの上ない」


“カンナはどうしたいの?”


「本音は自身の掲げる正義を全うしたいと思います。しかし、それは民衆の正義に応える責任を捻じ曲げてまで目指すものではないとも思います」


“……背負わなければならない責任?”


「はい。こればかりは先生にも譲れません。私は公安局長です。故に私は組織としての秩序を保たねばなりません。防衛室長が失脚なされた今、直接現場に立つ私が組織の意向に反すればどうなりましょうか。己が正義を捻じ曲げてまで皆の望む正義を実現すること。それが価値のないことだと私は思わないのです」



ならば、先生が取る手段は一つだ。今までの会話を全て、とある生徒たちに聞かせるだけ。誘導はしない。そんなことをしなくても、彼女たちがどう応えるかなんてわかっていたから。わかっていないのはカンナだけだ。己を殺して他者に奉ずる。それがカンナの強みでもあるのだけれど。



「局長!!」


「お前たち……何をしてる、仕事に戻れ」


「我々はあなたに従います。他ならぬあなたに我々の正義を預けます」


「私たちは国家の犬です。しかしながら正義までもが犬として全てを委ねているわけではありません。我々の正義は、我々の信頼するものに預けます」


「何を馬鹿な……私はどうしようもない悪人なのに」


「それでも、正義を信じていますから。私たちはあなたの部下です」



心を決めるのならば、それで十分。その一押しで羽は伸び、羽ばたき飛んで果てを目指す。尾刃カンナが目指す正義。汚れ腐った腐敗を跳ね除け、民の安寧を守る事をよしとする。そのような元汚職警官の目指す先がそこにある。何より、それを信じる部下がいる。コイツらを切り捨てて大義名分を取るなどと、そのようなことはできまいよ。そこまで心は捨てきれない。



「……先生。我らがやるべきことは変わりません。然るべき時が来るまで、我々は連邦生徒会の意思に従い我々の力で治安を維持します」


“うん”


「しかし、そこから取る行動はまた別です。私たちヴァルキューレは市民の幸福を守る者。全面戦争は誰も幸福になどしない。我々は警察として、憎しみに依らず正義を執行します。最後まで味方を守る仲間でいます。そして先生、その意向に近いのは三大校ではなくシャーレです。平時の協力もどうかさせてください」


“それでみんなも大丈夫?”


「ええ。私だけでなく……これがヴァルキューレの公安局が貫く正義です。どうか、よろしくお願いします」



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