正義とは不滅のものである

正義とは不滅のものである


─────あの正義に憧れた。強くて、眩しくて、誰にも膝を屈することのなかった、あの正義に憧れた。だから私はSRT特殊学園を目指したし、先輩たちのようになりたいという憧れを持っていた。それはSRT特殊学園がなくなってからも同じこと。私は、私の正義のために歩くことを決めていた。


…………なのにどうして、いったいぜんたい、どこで、何を間違えた?



「ありがとうございます。最近ずっとチンピラに追われていたもので……」


「いえ、大丈夫ですよ。ではさようなら」



市民の安全を守ること。ヴァルキューレとは違うがこれもまたSRTの仕事である。だからこそ、私たちはこのような特殊部隊とは思えないような仕事もこなすのだ。近頃は辺り一帯の悪漢も減ってきて良いことづくめである。……なのだけれど。



「おい逃げろ“ウサギ”だ、“ウサギ”がやってきたぞっ!」


「ミヤコ様たちだわ。アビドスではとてもお世話になって……」



その良いことは、果たして自分たちの善行の上に成り立っているものなのか、甚だ疑問である。以前は喜ばしかったそれが、今では自分たちを責められているような気がして。なんだか最近はみんなで活動することも減った。今日もみんな、夜のキャンプまで各々が別れて別行動をとっている。その理由は明確。……私たちは顔を合わせることが、語り合うことが、怖いのです。









「………ダメだ。訓練する気が起きない。このように腑抜けてはSRTの名折れだというのに……」



空井サキは燃え尽きていた。何もしたくないというか、何もできないというか。それはきっと、今までの己の誇りのようなものを己自身の足で踏み躙ったからだと思う。厳格であること。それはサキの悪いところでもあり、良いところでもある。しかしその厳格さを自分の手で壊したのだ。自分とは何か、自分はどうすれば良いのか、それらが消えてなくなっている。サキの胸にあるのは自嘲と後悔だけだ。



「随分な顔つきね。甘いったらありゃしないわ」


「なっ、ぐっ……!?クルミ先ぱっ、」


「はい遅い。あんた本当に腑抜けすぎ。いつものヘルメットはどうしたのよ。……先輩だし?話、聞いてあげるわ」



いつもならどんな時も必ずつけていたヘルメットを外している。それも腑抜けている気の表れというべきか。その隙に漬け込んで、突如現れたクルミは容赦なく頭部をCQCで攻撃した。もちろん対応をするがその隙は大きく、柔道の要領で軽々と投げられてしまった。その結果、ぼーっと立ち尽くしていたサキは瞬く間に地面に叩きつけられている。



「今の私の胸の中は……虚無だ。何もする気が起きないんだ。したいけれど、できない。罪悪感が私を追いかけてくる。私の意志は正しいのか。私のやることに意味があるのか。私はこのままいて良いのか、それを全て糾弾してくるんだ」


「………罪悪感で苦しいってことでしょ?別に良いと思うわよ、それ」


「え……?」


「罪悪感って、悪いものじゃないのよ。むしろ人を強くするわ。苦しみが、もどかしさが、人を先に進ませる。私たちが手を汚して、矯正局に入った時から余計に強くそう思った。苦しいし、怖かったけど、だからこそどう在りたいかを考えられる。どうやって向き合っていくか、進んでいくかを考えられるのよ」


「先輩……」


「でもね。それを他人に伝播させるのはまた別。それはやっちゃいけないことなの。今のアンタはそれよ。アンタが悩むのは勝手。それで動けなくなるのも勝手。でもね、サキ。アンタはそれを表に出しすぎる。アンタの態度が、表情が、RABBIT小隊のみんなに不安を与えてるの、自分でもわかるでしょ?」



その通りである、とサキは深く己を恥じ入る。最近の自分の態度はあまりにも自堕落がすぎる。しかもそれがそのような悩みから生まれるものとあってはいけない。自分一人の環境なら良いが、自分の周りには仲間がいるのだ。自分一人の生き方ではなく、自分の人生には多くの人が関わっている。だからこそ、このままではいけない。けれど、どうすればいいかわからなくて……だってこんなの、教わっていないから。



「だからね、サキ。アンタもっと他人を頼りなさい。仲間を頼りなさい。仲間に頼るのが恥ずかしいなら……私たちを頼りなさい。アンタは後輩。私は先輩。先輩として、私はアンタに寄り添ってあげるんだから」


「そうか……うん。ありがとう、クルミ先輩。少し、みんなと話し合ってみるよ」


「そうしなさい」









「も、もうダメ……私はこのまま消えてしまいたい……」



ゴミ箱の中は落ち着く。この公演のこのゴミ箱の中だから落ち着く。生ゴミなんかは入ってない、使い終わった薬莢なんかが詰まったこのゴミ箱は、私の心を癒さない。私の後悔を、戦場のような緊張感が打ち消してくれて、落ち着く。このまま消えたい。戦場で誰にも気づかれず消え去りたい。私のせいでミヤコちゃんが、みんなが苦しんだことが辛いから。私は、このままゴミになりたい。そう思って、眠くなって………ふと、恐ろしい気配で目が覚めた。まるで狐に睨まれたよう。



「みーつっけた。ダメだよミユ。そんな風に怯えたら。気配でわかっちゃうから」


「えっと……先輩……?」


「お話ししよっか。進路相談、みたいな?」



呆れ返るほどの存在感を放ちながら、オトギはニコニコとミユを誘う。ゴミ箱の中に篭ろうにも籠もっていられない状況だ。だって狙撃銃がこちらに向けられている。このまま立ちすくんでいたら容赦なく撃ち抜かれること間違いなしである。ミユは周りから思われているよりも図太い女の子ではあるが、そこまで図太くはない。流石に出てくる。狐に狩られた兎のように持って行かれてしまったが。



「後悔ばかりが……私を襲ってくるんです。私なら、あの麻薬を摂取さえしていなければいろんな形で小隊のみんなを支えられたって思うんです。大事な時に仲間を守れないのに、なんでこんなに存在感が薄いんだろうって。正義も守れず、何も守れない。そんな私に価値はありますか?」


「………だから、どうしたいの?」


「消えてなくなりたいです。誰からも忘れ去られて、それで良いと思っています。私は、ただ消え去りたい」


「後悔なんて、あって当たり前だと思うけどな。ちょっと難しく考えすぎじゃない?」


「ふぇ……?」


「私だって収監されたときはたくさん後悔したよ。もっと別の道があったとか、もっとニコのお稲荷さん食べておけばよかったとか……いやごめん最後は忘れて。でもそれってさ。糧にできもしないものならさっさと流して前を向いたほうがいいんだよ。そっちの方が自分のためだけじゃなくて仲間のためにもなる」



後悔を力にできないのならば、その後悔はすぐに捨て去るべきだ。力にできないということは、どうしようもないことなのだから。自分に咎があることだとしても、反省して力にできるものとできないもの、つま仕方なくないものと仕方ないものは存在する。後者の場合はどれだけ悩んでも解決策なんて出ない。ならば速やかに捨て去るべきだ。そしてもっと別のことに力を入れた方がいい。ミユは、それを持っている。



「カルバノグの兎作戦。ミユはそこで勇気を見せた。自分の体質を活かして、仲間のために戦う勇猛さ。そこに後悔は何一つないものだったでしょ?」


「………はい」


「前を向こう。みんなに色々な悩みを打ち明けてみよう。もしそれで困ったら先輩に言いなよ。私とか、一緒に訓練しながらでも付き合ってあげるよ。ミユが思ってるよりも、世界はミユを好きなんだよ」


「………はい。そう、してみます」










「はぁー……いい気分。普段あんまりこういうことしないけど、たまにはこんなのもいいよね」



誰も知らないような秘密の崖、もとい高台。あんまりヘリで登ることはないけど最近はここがお気に入り。ここなら何もかもから目を背けられるから。自分の正義にも、自分の罪にも。何もかもを忘れられて、頭を空っぽにできる。確かに自分は火力狂いなどうしようもない人間だが、それでもSRTだ。正義に対しての気持ちがないわけではない。正義だろうが悪だろうが好き勝手撃てていればいいわけじゃない。だから、その………今回の件で多少なりとも辛くて苦しい。自分を自分で裏切ったのが辛い。もういっそ辞めるべきだろうか。



「こんにちは。いい天気だね。景色も綺麗」


「ニコ先輩!?どうしてここに……」


「登ってきちゃった。いい訓練になったよ」



みんなに気遣いができるニコだから、わざわざモエを探してきたのだろう。それにしても気づかれないようにわざわざ崖を登ってくるなんてすごいけど。さすが特殊部隊と言うべきだろうか。そのままニコは微笑みながら、モエの話を促している。その優しさに助けられたSRTの生徒はどれほどいるのだろうか。実際、モエも例の騒動の際に助けられた側の人間だ。



「………正義がわからなくなって。なんだか、今の私ってSRT特殊学園の生徒としては相応しくないんじゃないかな〜って。ありきたりだけど、そんな感じで。どうしたらいいのかわからなくて」


「モエちゃんもSRTだもんね。正義を貫く心はあって当然だし」


「くひひ……自分でもあんまり実感はなかったけど……先輩たちとカルバノグの兎作戦で衝突した時とか、今回の件とか、それで改めて思ったの。私は正義の側に立ちたい。でも、立ち方がわからなくなった」


「なら一旦休んで、また新しく始めればいいんだよ」


「新しく……?」


「うん。やり直せるものと、やり直せないものが世の中にはあると思う。モエちゃん、あなたが悩んでいるのはそのうちのやり直せるものだよ。一度おしまいになって、そこでもう何をしてもどうしようもない……そうじゃない。やり直せるんだよ。だってモエちゃん、正義の心は捨ててないんでしょう?」



今回の件において、モエたちRABBIT小隊に罪はないとは言わない。彼女たちも罪を犯したことに間違いはなく、それは取り繕ってはいけないものだ。しかし、そこには情状酌量の余地がある。……意地のために手を汚したFOX部隊とは違う。ある種の被害者が彼女たちで、同情の余地はないのがニコたちだった。



「それにね。そうやって悩めている時点で、モエちゃんの正義は健在だよ。モエちゃんができることは、今はゆっくり休んでやる気を養うこと。それと……仲間のみんなとお話しすることかな?」


「ニコ先輩……なんか本当にお母さんみたい……」


「もう。私まだそんな歳じゃないよ。……行ってらっしゃい」


「………行ってきます」






気づくと私は、いつもここに居る。アビドスの地下。私と、小鳥遊ホシノと、対策委員会以外は誰も知らない場所。きっと夢の中だと思うのだけど、ちょっとよくわからない。夢も現実も、私からしてみればどちらも絶望溢れるものだったから。私の正義はとうに曇って、使い物にならなくなっているから。



「私だけは違う。私だけは……私は、なんて醜い……」



ミレニアムサイエンススクールのゲーム開発部が製作しているゲーム。その開発に協力するたびに、私は私が壊れていることを突きつけられる。特にひどいのは、私たちが辿った未来以外を見たとき。RABBIT小隊唯一健常だったのは私だけ。でも、他の可能性だと違った。何かのかけ違い、何かの偶然で仲間たちと一緒に正義のために戦えた未来があった。いや、違う。多分誰かが麻薬中毒になっていても、正義のために戦うことはできたはずだ。ならばなぜそれができないのか。そんなことは単純で。



「私が、弱かったから……。私が、愚かで、なんて……」



こんな姿を、先生や先輩方には見せられない。私の正義を信じてくれたこの人たちに、私の正義が穢れたところを見せられない。それは、きっと何よりも恐ろしい。私という人間がどれほどの愚者なものかを骨の髄まで知らされる。罪悪感、後悔、絶望、空虚、他にもたくさん、多くの感情が私を潰している。苦しい。苦しすぎてもう生きていけない。今すぐにでも消えてなくなりたいという思いしかない。何もできない、したくない。何をすればいいかわからない。ただ一つ残されたことといえば………



「……ヘイロー破壊弾頭………」



あのとき、何者かが作っていたもの。それを偶然、偶然拾っていただけ。何もおかしなことをする必要はない。ただ身体に命中させるだけでヘイローが破壊され、私は速やかに死に至る。……息が荒い。手が震える。それでも私はこれを握る。狙うは頭蓋。本当は咥え込む方がいいのかもしれないけど、どうせ一発命中したらそこで終わりなのだから関係ない。こめかみに銃を突きつけ、そのまま引き金を引くだけ─────



「何をしている、月雪小隊長」


“ミヤコ。それだけは絶対にダメだよ”



闇夜に潜んだ敬愛する先輩のCQC。それによって速やかに解体される銃。そして光差す入り口から走り寄る先生と、抱き留められることで感じる温かさ。本来私が受け止めてはいけないものを受け止めて、溢してはいけない涙が溢れた。



「ご、ごめんなさい、私は、もう。私に正義なんてなくて、私は、私だけは守らなきゃいけなかったのに……私は、なんて……」


“ミヤコ……”


「消えたいんです。もう消えたい。私の奉じた正義を穢した以上、私という存在は速やかに責任を取るべきで……」


「履き違えるな、月雪ミヤコ。あなたはRABBIT小隊の隊長である前にSRTの兵士だ。そしてSRTの兵士である前に一人の子供、生徒だ。そんなことをあなたが背負う必要はない」


“それはミヤコが背負う責任じゃない。……ミヤコの苦しみに気づけなかった大人の責任だよ”


「で、でも。私だけが正気でした。私だけは止められた。いや、止められなくても、私一人でも、正義として悪と戦うべきでっ!」



その先の言葉は言えなかった。言えないほどに、強く先生に抱きしめられたから。私が私を傷つけるのを見ていられない、ということだろう。私が何も言えないほどに強く腕を回されている。先生の力じゃ別に痛くもなんともないけれど、その熱意が伝わったから、私はそれ以上の言葉を言えなかった。



“ミヤコはまだ子供なんだ。仲間もいないままたった一人で立ち向かうなんてこと、できないで当たり前。だから……そんなに責めないで。ミヤコは、ミヤコが思っているほど悪い子じゃないよ”


「対策委員会の居場所、私たちに届けた新品の装備。それもあなたがやったことだ、月雪小隊長。……自分が思うなりに足掻いていた。それだけでも十分だろう。それでも自分を許せないのなら……死ぬのではなく別の形で罪を償え。誰かのためになる正義で世界に奉仕をしろ。いつか自分を許せるときまで。死ぬことは許さん。死んだら、そうだな。私も死んでやろう。FOX小隊と共にな」


「そんな……酷いです。私、あなた達が憧れの先輩ってことを知ってて……」


「ああ。それが嫌なら生きるんだな。そうだろう?先生」


“うん。脅してるみたいになっちゃうけど……”


「っ……わかり、ました。とりあえずここから……あれ?」



走ってくる足音が、3つ。ミヤコの名前を呼びながら近づくなんだか聞き覚えのある声も、3つ。先輩たちとの相談を通してまず、RABBIT小隊で誰よりも苦しんでいるであろうリーダーと腹を割って話そうと、ウサギ達がやってきた。



「言ってこい。光差す方へ」


“いってらっしゃい。仲直りしたらお祝いしよう。お稲荷さんとお肉でパーティーをしよう”


「………はい!」

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